学校では静穏に
『ここだ。ドア開けてね』
『あーい』
昨夜から俺の体に憑依してる女子高生が、若干めんどくさそうに返事しながらドアを開ける。
『わあー、これが大学の教室ですかー。広いですねー』
『ああ。適当にどっか空いてるとこ座って。どうせ知り合いいないし』
結局、こうして憑依されたまま大学に来た。一日サボろうかとも思ったけど、去年落とした必須科目だけ出席することにしたのだ。もし今年も落としたら、卒業に黄色信号が点灯してしまう。
『黄色信号って、あっという間に赤信号になっちゃいますからねー』
『嫌なこと言うなよ』
『すいません、そんなつもりじゃ……。それにしても、昨夜は家でレポート書いてたから、もう少し真面目な人かと思ってましたよ』
『うるさいな、大学生なんてこんなもんだよ』
『でも、去年この科目落としたの保坂さんだけなんですよね?』
『うるせぇ。それより荷物置いてトイレ行くぞ』
『ひぃ! 帰るまでもちませんかね?』
『無理だよ、九十分授業なんだから』
『そうでした……。やっぱり男子トイレですよね……?』
『当たり前だろ』
『ぬぅ……』
『っていうか、なんで今さらトイレを嫌がるの? うちのトイレでは、「わーい、狙えるー」ってノリノリだったのに』
『だって、男子トイレってオープンすぎませんか? あんな全身丸見えな状態じゃオシッコ出ませんよー』
『全身丸見えって、別に裸じゃないんだから』
『それはそうですけど……そうだ、個室ですればいいんです』
『ダメ』
『うわ、即答。なんでですか?』
『男のプライド』
『えぇー、しょうもない』
『いいから早く! あと五分しかない』
『五分じゃ下剤を買いに行くのは無理ですね……』
なんか怖いことをつぶやきながら、観念したように歩き始めた。
<三分後>
『ねえ、まだ出そうにない?』
『だって周りに人がいるじゃないですかー。無理ですよ、犬じゃあるまいし』
人類の半数が犬と呼ばれた気がしたけど、それはさておき。ここで用を足すのはどうやら思った以上にハードルが高いようだ。
『しょうがない。いいよ、個室で』
俺が諦めてそう言った瞬間——
「よう、保坂」
『お』
『ひぃ!? ひゃぁ〜』
あ、出たじゃん。じゃなくて。
『この声は田宮だな。ちょっと挨拶しといて』
『ふぁ? あ、あいさつ?』
「保坂?」
『ほら、早く。シカトしてるって思われちゃう』
「お、お、おっはよー」
『おい、もう少し男っぽく』
『だって……』
「どうした? なんか変だぞ?」
「え、えへへへ。ちょっと昨夜、本来の自分に目覚めちゃって」
『おい!』
「おお……それは良かったな……」
「うん、ありがとー!」
『あーもう! ちょうど出し終わったし、さっさと出るぞ!』
『ふえぇぇ』
軽く手を洗ってから逃げ出すようにトイレを出た。
『ひぃーーーん。人に顔を見られながらオシッコしちゃったじゃないですかー。結局個室でもいいのなら最初からそう言ってくださいよー』
『いや、まさかあそこまで抵抗があるとは思わなかったからさ』
『っていうか何なんですか、あの人? 用足してる最中に話しかけるとか、デリカシー無さ過ぎじゃないですか?』
『え、横に知り合いがいたら話すのは普通じゃない?』
『いやいや、おかしいでしょー? 排泄中ですよ? 男子って、排泄というデリケートかつプライベートな行為の最中に会話するんですか?』
『うん、するけど』
『うぅ……知らなかった……やっぱり犬だ……』
『おい』
『こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてです……』
『そんなに!? っていうか、昨夜やってたことの方が恥ず——ドア!』
バーン!!
警告も虚しく、俺の体は教室のドアに激突した。
『いったぁーーい』
『だから、すり抜けられないんだって! いい加減思い出してよ!』
『思い出してますよー! 今のは激しく動揺してたせいです!』
教室に入り、満場の注目を浴びながら席に向かう。
『うぅ……恥ずかしいし、痛いし、恥ずかしいし……保坂さんのせいで最悪です……』
『それ、ほとんど俺のせいじゃないからね。どっちかといえば俺、被害者だからね』
『いやいや、保坂さんが去年この科目を落としてなかったら、こんな目に遭わずに済んだんですよー』
授業が始まっても愚痴が続く。うん、とりあえず少し静かにしててくれないかな……。
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