第2話

 場所を変えるためにファミリーレストランをでた。

 向かったのは『ムーンストーン』というバー。雪乃さん曰く下北沢の秘密基地で、なかなかユニークなお店。ひとりで訪れたことはないけど雪乃さんと一緒にきたことがあり、マスターの細山田さんとはすでに顔なじみ。未成年のあたしはもちろんお酒は飲めないので、いつもノンアルコールのカクテルを作ってもらっている。

 内装はカウンター席がある標準的なショットバーのそれだけど、店内に入るとまず目に飛びこんでくるのが「飲み処月長石」という習字。なぜか定期的に「書道部の日」があり、この習字は雪乃さんの作品だった。

 他にも店内でアニメの上映会をしたり、ジャズのライブをしたり、細山田さんの好きなことを好きなようにして運営している。秘密基地らしいエピソードは他にもいくつもあるけど脱線しすぎてしまうので割愛。

 あたしたちが『ムーンストーン』に入ると先客がいた。カウンター席に二十代と思しき一組のカップル。なにやら楽しげに細山田さんと話している。

「いらっしゃい」とにこやかに迎えてくれる細山田さんに軽く会釈をしてカウンター席に座る。

「つぐみはシンデレラだよね。わたしはどうするかなー」

 シンデレラとはもちろん童話ではなくカクテルのこと。レシピは簡単。オレンジ、レモン、パイナップルのジュースをそれぞれ一対一対一でシェイクするだけ。何度か自分でも作ってみたけど、どうしても酸味が強くなってしまう。細山田さんが作るものとちがって美味しくならないのが、ちょっと悔しい。

「……あれ?」先客の男性がこちらを向いた。「雪乃じゃん。こんなとこで奇遇」

「げっ」

 あからさまに不機嫌な声をだす雪乃さん。顔も引きつっていた。あたしには絶対にみせない表情。

「誰なんですか?」

「知り合いなん?」

 あたしと女性が同時に訊ねた。

「んー、昔のクラスメイトというかさ」

 言葉を濁す雪乃さんをみて彼が誰なのか予想がついた。初対面だけど心当たりはある。

「高校のときの彼女だよ。結局別れちゃったけど」

 やっぱり。

 伝言板で会話していたとき、雪乃さんは進路と恋愛で悩んでいた。彼はたぶんそのときの相手。名前は確か真田智宏さんといった。彼の相談をきっかけにあたしと雪乃さんは実際に顔をあわせるようになり、一度だけ雪乃さんとケンカもした。

「へえ。トモトモの元カノさんかあ。うち、桃香いいます。今、春休みで東京に遊びにきてます。よろしゅう」

 ぺこりと頭をさげる。京都訛りなのか、やわらかい訛りとゆっくりとした口調で聞いていて心地いい。

「桃香さんは京都のひとなんですか?」

「うちのは似非。今は滋賀やねんけど、神戸とか大阪とか京都を転々としとったから、いろいろまざってしもうて。家族で京都風の訛りがあるの、うちだけやし」恥ずかしそうに微笑し、「ところでトモトモ、なんでこんな美人さんと別れてしもうたん? もったいない」

「えーと。それは、」

 口ごもる雪乃さんに少し意地悪をしたくなった。

 あたしは答えを知っている。真田さんが関西の大学に、雪乃さんが東京の大学と別々になり結局自然消滅をしてしまった。進路については伝言板の頃からずっと悩みを聞いていたし、年齢を知らなかったとはいえ小学生相手に真面目な相談というのは雪乃さんにとっても恥ずかしい記憶のはず。もちろん、あたしなりに真剣に雪乃さんの悩みに向きあったわけだけど。

「もちろん、このことも脚本にするんですよね?」

「……さっきの仕返し?」

「うん」

「つぐみをこんな子に育てた憶えはないんだけどなあ」

「雪乃さんの娘になった憶えもありませんけど」

「やな子」と雪乃さんは大きな溜息をついた。「書くよ、もちろん。一番の魅せ場だもの」

「脚本?」

 首をかしげる真田さんに舞台の話をした。あたしと雪乃さんが出会ったきっかけ。恋と進路で悩んでたこと。初恋のくだりを話すのは恥ずかしかったけれど。

「面白そうやね。アナログなのが逆に新鮮やし。最近伝言板なんて全然みいへんし」

「俺も興味あるなあ」

 桃香さんと真田さんが声を弾ませる。

 実をいうと絶滅危惧種である駅の伝言板は、数える程度だけど都内にまだ残っている。たとえば下北沢駅。駅を降りてすぐにシモキタ伝言板がある。消えつつある伝言板を復活させようとしてNPOが設置したもので、様々な言葉がそこには書きこまれている。

 他にも地下鉄日比谷線の八丁堀駅と築地駅でみたこともある。それと、雪乃さんが出会うきっかけになった緑が丘駅にも。とはいえ最近はなにも書かれていないけれど。

「でもさ」ぽつりと雪乃さんがいった。「携帯電話がここまで普及すると、伝言板のメッセージなんて月の歌みたいなものなんだ」

「月の歌?」

「駅の伝言板なんて今じゃ誰にも見向きもされないんだよ。月で歌っても聴衆は誰もいない。いたとしても空気振動がないから音は聴こえない。存在意義のないものなんだよね」

 さみしそうに、本当にさみしそうにいった。

 月面を想像してみる。誰もいない、ほとんど真空の世界。草も花も咲いていない場所で、ただひとり歌う。どんなに言葉を紡いでも、どんなに歌に祈りをこめたとしても、誰にもなにも伝わらない。とても悲しい光景。

「俺たちが認識していないものは存在していないのと一緒だもんな」

「だからこそ舞台でやりたいんだけどさ。誰かに少しでも振り向いてもらえるように」

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