第11話 月満ちるとき
お母さんには、好きな人がいる。
コウキは幼くてもわかっていた。
母はその人の名前を教えてくれなかったが、優しい目でコウキをみつめながら、コウキのお父さんよとだけ教えてくれた。
けど、コウキはその人が好きじゃなかった。
お母さんがいっぱい泣いているところを見た。何度も寝込んで、苦しそうだった。
大人たちはこの国の寒さのせいだと言うけれど、コウキは全部、お母さんの好きな人のせいだと思っていた。
お母さん、泣かないで。元気を出して。
僕だったらずっとお母さんと一緒だよ。大人になったら僕がお母さんを守ってあげる。
……それなのに、どうして僕を抱きしめて泣くの?
「旦那様、来客です」
その日の夜も、母はまた寝込んでいた。お風呂に入ったらおやすみのあいさつをしに行こうなとジャイコブに言われて、コウキがジャイコブや妻のミリヤとリビングで待っていたときだった。
使用人がジャイコブに声をかけたら、ジャイコブは舌打ちして首を横に振る。
「またあの人? 元社員の安全を確認するならさっさとそうしてもらって、帰ってもらえばいいじゃないの」
「あいつは嫌いなんだよ」
ミリヤが言葉を挟むと、ジャイコブは吐き捨てるように言って席を立つ。
「何度も言ってるだろう。いないと言って追い返せ。……コウキ、風呂に行こう。おいで」
手を取って、ジャイコブはコウキを風呂場に連れていく。
「こーら、コウキ。またのぼせるだろ。泳ぐなって」
風呂というよりプールのような浴槽はお気に入りで、コウキはちっともじっとしていない。
「泳ぎ方なんて教えてないのになぁ」
ジャイコブは笑って、まあいっかと好きなようにさせてくれた。
コウキは、ジャイコブが好きだ。ジャイコブは適当なときもあるけど、困ったなという顔をしながらコウキの面倒をあれこれ焼いてくれる。
それに難しいことはわからないけど、たぶんコウキの次にお母さんのことが好きだと思う。
たまにジャイコブが、コウキを追い出してお母さんと二人きりになるのはやめてほしいけど。そう思いながら、コウキはばしゃばしゃとお湯を立てて遊んでいた。
「こら、待てって!」
コウキはお風呂の後、着替えが終わったら待ちきれなくて走り出した。お風呂からは温室を突っ切れば母の部屋まですぐだ。
追いかけてくるジャイコブから逃げながら、コウキは温室を走り回る。
明かりをつけているので、温室の中は明るい。迷路のような作物の隙間をくぐりぬけて、コウキは温室の外に出る。
一瞬目がくらむ。真っ暗な中、冴えわたるような月が出ていた。
月を背後に誰か立っていて、コウキはびくりとして足を止める。
ジャイコブより背が高い男の人を初めて見た。にらむような独特のまなざしに息を呑んだ。
でもその人もコウキと向き合って、驚いたみたいだった。
ひととき二人は時間が止まったように感じて、同じことを考えた。
……「似てる」と。
「コウキ!」
ジャイコブが追いついてきて、コウキの口を覆うようにして後ろから抱き寄せる。
「部屋に戻れ。……ミスター・ヴァイス、話は別室で聞く」
後半はその人に対する言葉だった。コウキはジャイコブの声にひそむ暗い響きに気づく。
「その子についても聞かせてもらえるんだな」
「何のことだ? 僕の子が君の仕事に関係あるか?」
奇妙に淡々と返すジャイコブが、少し怖いと思った。
回された腕がきつくて痛かったのに、コウキはジャイコブのまとう気迫に押されて、結局一言も話すことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます