第12話 悪役

 晃はその子と向き合ったとき、自分は悪役かもしれないと思った。

 市場での情報を元にこの家を何度か訪ねた。そのたびにミス・アイハラはいないと冷たく追い返されたが、それが嘘だというのは確信を持っていた。

 それは自分になど二度と会いたくないという、麻衣子の意思だろうか。

 けれど市場で見かけた麻衣子は明らかに病気で、この地の砂のように指からすりぬけて消えてしまいそうだった。

 だから今夜は、必ず麻衣子を連れ帰る。

 麻衣子に万全の医療を受けさせて、元のように自分にかみつくくらいに元気になるまでは、無理やりにだって自分の庇護に置く。

 ……悪役になってでも麻衣子を離さないと、「彼」の命を結んだときから思っていたのだから。

「隠し立てしたのは悪かったよ、ミスター。ただ、家族を守るのは男の義務なんだ」

 向かいのソファーにかけて、ジャイコブという男は薄く笑って言った。

「正式な結婚式は挙げていないが、マイコは三年前から妻同然に暮らしてきた。可愛い息子だって生まれた。ミスターの国がマイコの故郷だとは知ってるけど、家族を引き裂いてまで連れ帰るつもりじゃないだろうね?」

 ジャイコブは察しのいい男らしかった。そして決して笑っていない目が、むきだしの敵意を晃に向けてきていた。

「妻ではないんだろう。ならばなぜ、三年前に帰国させなかった。全員帰国させるよう指示したはずだ」

 晃はその敵意に正面からぶつかった。新城商事の悪役と陰口を叩かれているのも知っていたが、晃は自分のやり方を変えなかった。

「マイコは退職願を出しただろう?」

「退職願は本社社員と面談の後、初めて受理される。まだ相原麻衣子は当社の社員だ」

 晃が言い切ると、ジャイコブは肩をすくめる。

「会社、ね。君はまったく個人的な理由で訪ねてきたように思うけど?」

 緑の瞳が細められる。そこに一人の女を得た男の優越感が映っていて、晃は嫉妬に焦げそうになるのをこらえる。

 晃はひたとジャイコブを見据えて告げる。

「言いたいことはそれだけか」

 晃が低く断じると、緑の瞳は少し不愉快に歪んだ。

「交渉は終わりだ。今すぐ相原麻衣子を帰してもらおう」

「……ふ」

 ジャイコブは鼻で笑って、ソファーから立ち上がった。

 反射的に立ち上がった晃の額に、硬い何かがつきつけられる。

「知らないだろう。お前さえいなければと、僕が何度思ったか」

 跡をつけるように銃口を晃の額に押し付けて、ジャイコブは言う。

「硬く締めたタイをほどいて触れた肌の柔らかさ。それを僕の前に知った男がいたなんて、信じたくなかった」

 晃は額に押し付けられたその存在さえ忘れるほど怒りに震えた。

 触れたのだ、この男も。晃もまた、目だけで人を殺めることができるならとっくに殺めていた。

 麻衣子はこの男を愛しているのだろうか。自分の腕の中では泣いていたが……この男の腕の中なら、笑っているのだろうか。

 それを想像しようとして、晃はその激痛をかみつぶすように言い返していた。

「あの子は俺の子だ」

 もしかしたらその事実こそが麻衣子の体と心を蝕んだとしても、晃にとっては光だった。

「悪役で構わん! 麻衣子を返せ!」

 晃の怒気にジャイコブが一瞬怯んだ。その隙に、晃はジャイコブの腕をひねって押し倒す。

 床に伏せられた痛みと屈辱で、ジャイコブの顔が歪む。それに構わず晃は拳銃を奪って、膝でジャイコブの背を押さえた。

「マイコは帰らない」

 ぜえぜえと息をつきながら、ジャイコブが低くつぶやく。

「……帰さない。あの綺麗で脆い人は、永遠に僕のものだ」

 そのとき、慌ただしく扉を叩く音が聞こえた。

「ジャイコブ、すぐ車を出して! マイコの意識がなくなって……!」

 妻のものらしいその声に、ジャイコブが小さく笑った気配がした。

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