第17話 倭王 天武天皇、大海人皇子と讃良(さらら)

 朝鮮半島、白村江(はくすきのえ)の戦いでの大惨敗を受け、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、中国、唐が、この倭国へ侵攻して来ることに備え、九州や瀬戸内に多くの城(き)を築き、防人(さきもり)を配置し、防衛線を強固にしました。また、大和朝廷の都は、四方を琵琶湖と山に囲まれ、守りに固い地、大津宮に移したのでした。そこで中大兄皇子は、ついに天皇の代理としての称制をやめて天智天皇として即位されました。

防衛網の整備と遷都など、これらの施策で、地方豪族たちの負担は莫大で、かなりの負担になっていたようです。余りに急激な改革の数々によって、大和朝廷下の有力な豪族や人民は疲弊していきました。

有力な豪族をはじめ、水面下では朝廷や、天智天皇となられた中大兄皇子に対する不満がくすぶっていったのです。

中大兄皇子を頂点とする大和朝廷への人々の不満は、日増しに膨らんでいきました。しかし、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、自分に反抗する者、敵対する立場の人々を、ことごとく粛清(殺害)するなど、独裁的・強権的な改革を進めるのでした。それゆえ人々は、中大兄皇子を恨み、強く反発しようとしていたのです。それでも、中大兄皇子の恐ろしさは、その親族でさえ知っており誰一人として逆らう者などいなかったのでした。


 中大兄皇子、天智天皇は、欲しいと思うものは、どんな事をしてでも手に入れる人物だったと云われております。大和朝廷内で強大な権力を持っていた蘇我氏(そがし)をクーデターで一掃し、自らの母(斉明天皇)をあやつり、天皇になる以前から、天皇よりも強大な力を持つようになった人物なのです。

 そんな中大兄皇子は、幼き頃よりヌカタという宮中の女官の娘、女子が好きでたまらなかったのです。

 ヌカタとは、後の額田王(ぬかたのおおきみ)のこと。


 ところが、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)がヌカタへ猛烈に求愛し、妻にしてしまったのです。

 中大兄皇子は、外見では平静を保ちながら、兄、王族として、振舞っていましたが、裏では、弟の婚姻への様々な妨害を試みていました。それでも、ヌカタは弟のきさきとなってしまいました。

 それからも彼女のことが忘れられず、ついに自分の弟の妻であるにもかかわらず、略奪してしまう!というか、弟に妻ヌカタを、自分に譲るよう話をもちかけたのです。自分の四人の娘を大海人皇子に嫁がせたいと云い、ヌカタをその交換条件のように奪ったのでした。


 大海人皇子と額田王の夫婦は、十市(といち)皇女という娘も授かり、大変、仲睦まじく、人が羨(うらや)むような仲だったのです。

 そんな二人の仲を引き裂くかのように、天智天皇(中大兄皇子)は、額田王(ぬかたのおおきみ)を譲るように弟の大海人皇子に話を持ちかけたのでした。

 天智天皇(中大兄皇子)と、大海人皇子は、母を同じくする血のつながる兄弟です。

 しかし、大海人皇子は、兄を恐れておりました。

 気に入らなければ、その本人だけ ではなく、その親族、孫子の代にまで害を及ぼす人であり、何をしてくるか分からない人です。欲しいと思うものはどんな事をしてでも手に入れる人物です。


 飛鳥の斑鳩の村(あすかのいかるがのむら)にある王族の館。

 日は沈み、大きな月が夜空にあり、灯りのない地上を明るく照らす。

 寝室のふすまを開け、夜空の月を見上げる。

 皇族夫婦と思われる男女が寄り添う。


 大海人皇子(おおあまのおうじ)と、ヌカタの二人。


 男性は指を女の指とからめた。記憶に彼女の肌の感触を残そうとしているようであった。目を閉じたままの女の口から、吐息ではなく、詩が読まれる。

あかねさす・・・・・・・

そして、さらに、

香久山(かぐやま)は畝傍(うねび)をそしと・・・

今の感情を心に浮かぶまま、詩に詠む。それは、いつの日にか、ある歌を完成させる下書きのように、断片的に次から次に、思いついた詩を感情のままに詠んでいるのであった。


 暫くの静粛と夜の闇の中、母屋からこの寝室に続く廊下に、たくさんの灯篭をもった、長い行列が現れる。足音をたてぬように。

 先頭二人は、警備を担当する従者であろう。その後ろに権威、位の非常に高そうな男性がある。天皇ではないかと思われる。

中大兄皇子(なかのおおえのみこ)、そう、今は天智天皇。そして、四人の若き娘がその後に続く。

 四人の娘達は、寄り添う男女の後ろに一列に並び、静かに正座した。従事する女官達はその衣を整えるようにそのまた後ろに続く。そして、四人の娘が座り終わると、急ぎ足で、後に控えた。

 連れてきた権力者と思わしき男性と、寄り添う男女は、睨みあう。

 現れた権威の高そうな男性、そう、天智天皇は、静かに宣った。

「娘たちをよろしく頼むな?妻として、それぞれ幸せにしてくれ。」

 後ろに居並ぶ若い娘のうち長女ではなく次女とみられるものより、小声で寄り添う男女の女のほうに、苦言がささやかれた。

「よくもまあ、女官の分際で、この様なところに居るな?」

そして語気を強める。

「どれだけ、父上が腐心されておったか分からぬではなかろう?さっさと、この場を去れ!」

と脅しともとれる囁きであった。

 女は、男の側を離れ、権威の高そうな男、天智天皇の横に寄り添った。そして、次女の方を鋭く見下した。ここで、やって来た天智天皇一同は、娘四人と従事する女官を残し、ヌカタを連れて退室して行ったのである。まるで、女を四対一で交換したかのごとくである。

 残された男は、大海人皇子(おおあまのおうじ)。

 遠い昔を懐かしむように夜空の月を眺めていた。しばらく沈黙と静寂が続いた後に、先ほどの次女らしき娘が、男に寄り添った。そして、自己紹介のように会話は始まったのであった。

 まずは、自分たち四人の姉妹の長女を紹介した。

「長女、姉の太田皇女(おおたのひめみこ)、そして、私は、妹で次女の宇野讃良(うのさらら)と申しまする。」

そして、後の二人を紹介して、姉だけを残して皆、部屋から退室して去った。

部屋の外には、宮廷の侍女と思わしき女性たちが二人、立ち並んで待機していた。娘三人は、その他の侍女たちに案内されるように部屋を出て行った。

 残された、男と、寄り添う長女は、ふすまを閉め、一緒に床に入った。侍女が、外の引き戸の扉を閉めたので、屋敷内は、暗闇に包まれた。

 男の指は、先ほどの女との交わりと同じように、女の体を不器用に触り始めた。女は、目を閉じたままである。

 先の女は過去に想いをはせ、この女は、これから先の自分に想いを馳せた。先のおんなとは、額田王(ぬかたのおおきみ)、この女とは太田皇女。


 最初に口を開いた次女、宇野讃良(うのさらら)は、後に大海人皇子(天武天皇)の皇后となり、さらに持統天皇(じとうてんのう)となられるのでした。


 大化の改新より、供に国造りをしてきた中臣鎌足(なかとみのかまたり)が亡くなってしまい、中大兄皇子(天智天皇)は、晩年、病で床に臥すことが多くなったのでした。

 そして、中大兄皇子(天智天皇)は見舞いに来た大海人皇子には、常々、「自分の亡き後は天皇になって跡を継いでほしい」と伝えられておりました。しかし、その裏では、ご自分の息子、大友皇子(おおとものおうじ)に、天皇となり後を継ぐには、自分の弟、大海人皇子が邪魔であり、殺すよう仕向けていたのです。


 大海人皇子は、飛鳥から大津京に移ってからは,中臣(藤原)鎌足とともに天智天皇を補佐して政治の中心にいたことは確かです。

 急進的な改革を進める天智天皇には反対する豪族たちも多くいましたが、その調整役としての大海人皇子の役割は大きかったようです。そういう立場でもあり,また,温厚な性格であったために、周りの者たちは次の天皇は天智天皇の同母弟の大海人皇子だと信じていました。

 天智天皇が可愛がる息子、大友皇子の生母は地方豪族(伊賀)の娘で王族ではなく、身分が低いため、次の天皇は明らかに大海人皇子のはずでした。

 天智天皇としては大友皇子を次の天皇とするためには周りが納得できる理由がなくてはなりません。それで、天智天皇はだんだん弟の大海人皇子(おおあまのおおじ)をうとんじるようになり政務より遠ざけるようになったのです。


 大海人皇子の妃となった讃良(さらら)は、大海人皇子の兄、天智天皇の娘であった。

 讃良(さらら)は、大海人皇子に常に寄り添っていた。大海人皇子が何処に行くにも、政務であっても付いて行っていたのである。そのうえ、政務に興味深々であった。

その讃良(さらら)の口から、

「父は、自分の思い通りにならぬもの、邪魔なものを次々に殺してきました」

と言われ、それを聞いた大海人皇子は、

「蘇我入鹿大臣(そがのいるかおおおみ)、舅(しゅうと)である石川麻呂(いしかわまろ)、そして有馬皇子(ありまおうじ)……大王としては致し方ないこと」

と受け応えた。

 大海人皇子は、兄の天智天皇の恐ろしさは、自分が一番良く知っていると思う。そのため、自分は、最愛の妻である額田王(ぬかたのおおきみ)まで差し出さなくてはならなかったのだ。しかしそれは、今、自分を溺愛してくれているこの讃良(さらら)には言えない。讃良は続けた。

「次は、あなたかもしれない……父は次の大王、天皇には、自身の子、大友皇子を考えておられるとか?」

大海人皇子も、やはりそれを考えていた。兄の恐ろしさを感じていた。

 実の娘である讃良(さらら)も、父である中大兄皇子・天智天皇の怖さを知っているのである。

 大海人皇子は、この次に大王の兄を病気見舞いに行った時の自分の態度が、兄が自分を排除するか、どうするかという決断することになるのであろうと思っていた。それは、近日中に行かねばならない事になるであろう。まもなく、天智天皇からの呼び出しが来るであろう、そう思っている。

やはり、まもなくして、床に伏した天智天皇から、大海人皇子に、呼び出しが来ました。

天智天皇は、大海人皇子に、

「自分の病も深く、相談したいことがある」

と伝えて来たのでした。


 この時分、天智天皇は自身の嫡男の大友皇子に太政大臣(だいじょうだいじん)を任じて、政務一般をまかせることとしております。次の天皇にすることを決めていたのです。

さらに,大王位の継承については、それまでの慣例だった、同母兄弟の相続という慣例から、父子の直系相続、という風に、自分と子に都合のよい皇位継承こういけいしょう方法に変えることを、されておりました。これによって大海人皇子が次期天皇になることはなくなるわけではありませんが、天智天皇は自身の嫡男である大友皇子が跡目を継ぐという正当性を出してきたのです。そのうえで、天智天皇は、大海人皇子をしだいに政治の中心からも遠ざけられるようになっていったのでした。


 大海人皇子(おおあまのおおじ)は、天智天皇の病床に招かれました。

 そこで、大海人皇子は、兄の病状を見舞いに行きました。

 兄の天智天皇は、床に臥せたままで、大海人皇子に、

「自分は病が重く、治るみこみもない。自分の後を継いで、大王となり、後のことを頼みたいのであるが、承諾してくれ!」

と仰せられたのでした。しかし,命の危険を察知していた大海人皇子はこれを辞退じたいします。

 大海人皇子は、

「次の大王にふさわしいのは私ではなく大友皇子です。嫡男がお継ぎになりますのが宜しいかと思います。それに、大友皇子は充分な実力をお持ちです」

と引き下がり、ご自分は頭を丸めて出家することを許可してくれるように天智天皇に願い出たのでした。ここで、もし自分が、

「分かりました。後のことは私にお任せください!」

などと言っていたなら、天智天皇に自分は確実に殺されていただろう⁉

そのように大海人皇子は思うのである。


 その直ぐ後に、大海人皇子は即座に髪を切り出家して、母である斉明天皇の愛した吉野宮(吉野離宮-奈良県吉野郡吉野村)へ移り住むことにしたのでした。

讃良(さらら)は、他の妃・姉たちが、都を去り、移り住むのを嫌がるのをそのままにして、秘密裡に大海人皇子に付いて行くのです。

 讃良(さらら)としては、他の妃たちから大海人皇子を独占できるし、義兄弟の身分が低く、まともなしつけも教養もないプライドだけが高い大友皇子が、自分の最愛の夫、最も天皇にふさわしかった人、人望厚く、教養高き人、大海人皇子を押しのけて天皇となることに大変ハラを立てておりました。しかし、そうしなければ夫は、父から殺されてしまったであろうことも分かっておりました。

 絶大な権力を誇った天智天皇が崩御すると、その天皇の思惑通り、嫡男である大友皇子が後継者となったのでしたが、朝廷内部、豪族たちの間では不満が渦巻いておりました。そしてついに皇位をめぐって天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子が国を二分して戦うという、古代における日本最大の内乱 壬申(じんしん)の乱 となっていくのです。

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