第12話 倭王 安曇比羅夫(あずみのひらふ)

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、大和の国、倭国(わのくに)で、百済(くだら)からの人質であった余豊璋(よほうしょう)を朝鮮の百済に返還するために朝鮮半島に護送してきた。百済復興軍との待ち合わせ場所とし約束の地である森の中のお社(やしろ)にゆっくりと向かって来た。

 そして、一同、お社の前の凄惨せいさんな光景、何十人もの百済兵の殺され倒された屍(しかばね)を前に立ちつくした。


 中大兄皇子たちが、到着する少し前のこと。


 数十人の兵士が集り固まって、休憩を取り、余豊璋(よほうしょう)の到着を待つそのお社に向かって、音なく近づいていく者がある。

 白い長ごろもをまとった若い長身の女性、二人。

 片手には、長い剣を持ち、もう一つの手には、手裏剣のような飛び道具であろう抜き身の短刀を、指々の間に挟んで持っている。

 そして、その短刀を連(つら)ねた帯らしきものを腹、胸あたりに巻いているのである。

 白い長衣と、白い長い髪がそよ風にたなびいている。

その雪女?の様にも見える女が、寄って来る十メートルくらいの手前で、百済の兵士たちは、女二人が近づいてきているのに気が付いた。

(この世にこんな美しい女がいるのか?)

という具合いに、兵士たちは、ほほゆるませ、にやつかせていた。いやらしい目付きで、見つめていたのだ。その顔は直ぐにこわばることとなる。

 女二人は同時に、手裏剣のような短刀を、兵士の眉間みけんをめがけて投げつけて、次々に殺傷し始めたのである。

 百済の兵たちは悲鳴を上げる暇もなく倒れていく。

 逃げようとするものは、女が飛びついて剣で突き刺していった。

 百済の兵たちに、大きな声、悲鳴を極力あげさせず、派手な血しぶきもあげない、静粛なる殺戮さつりくである。

 数十人、全ての百済復興兵を倒し、二人の女性剣士たちは、音もなく、何もなかったかのように森に静かに消えていった。

 お社の周りは、また、元通り薄暗い森の静粛の中に深く包まれていった。

 そよ風と、舞い散る落ち葉と、凄惨せいさんな血の匂いがお社の周辺には残っている。


 暫くして、森の落ち葉を数名で、踏み進む音がする。

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と、余豊璋(よほうしょう)たちが、ゆっくりとお社に向かって来た。

 そして、一同、お社の前の凄惨せいさんな光景、何十人もの百済兵の倒された屍(しかばね)を前に立ち止まる。そして全員がその場に立ちつくしてしまった。

 中大兄皇子以外は、互いに目配せをしている。

「いつの間に、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)がやったのであろうか?」

と、今、一同、皆は中大兄皇子の仕業と疑っている。

 その雰囲気を感じた中大兄皇子。

「俺じゃね~よ。今まで、一緒にいただろう?」

と屍(しかばね)を見ながらつぶやいた。


 中大兄皇子は、社(やしろ)の左右後ろの陰あたりを凝視した。

 そこから、短刀が中大兄皇子に向かって飛んできたのだ。

 中大兄皇子は、自らの剣で、それを払い落とした。

 そして、近くの部下に弓を借り、その方向に一矢放った。

 矢を放った方角から、白い長衣(ながごろも)をまとった若い長身の女、二人が現れた。片手には長い剣を持ち、そして静かに、そして素早く、こちらに向かって来る。

 徐々にスピードを上げてくる。

 白い長衣と、白い長い髪が風にたなびいている。

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、皆に

「気をつけろ。相手は飛び道具でくる」

 と小声で囁いた。続けて、

「最初は、近くに来るまではたてで、飛んでくる短刀から身を守れ」

 と注意して、両隣の兵士に刀を一振りづつ借りた。

 そこに、中大兄皇子の両隣にいた兵士に女の投げつけてきた短刀は、突き刺さり絶命してしまったのだ。

 中大兄皇子は両手に刀を持ち、姿勢を低くして飛び出した。

「やろう!」

と叫びながら二人の白い長衣と、白い長い髪の女性戦士の来る方へ向かって行った。

 二対一の死闘である。

 白い長衣をまとった二人の女性は、薄暗い森の、天から降り注ぐ太陽の光を、スポットライトのように浴びて舞うように剣を交える。

 中大兄皇子の剣の戦い方も、やはりまいうように繰り広げられる。


 一振りするごとに、落ち葉が舞い上がる。


 そこに光の帯が差し込んでいる。


 中大兄皇子をめがけて女から投げられた短剣が次から次へと飛んでくる。

 寸前のところで、のけぞって避ける中大兄皇子であるが、わずかに頬をかすった。

 激痛を我慢がまんする中大兄皇子ではあるが、座り込んでしまった。そこに、左右両脇から女性戦士が同時に飛び込んで来ながら剣を振り下ろす。

 中大兄皇子は、すかさず両手に剣を携え、鳥の鶴が両羽を広げるがごとく、左右の女戦士の胸倉むなぐらを空中で刺し貫いたのであった。

 

 静止する三人。

 中大兄皇子が両手の剣を離す。

 胸に剣を突き刺さされた女戦士は、落ち葉の重なる地上に落ちた。

 また、森に静粛が戻ってきた。


 呆然と見守る皆を、中大兄皇子は、早く次に進むようにかす。

 森を抜ける中大兄皇子とその一隊。

 百済復興運動の拠点となっている周留城(するじょう)へと向かうのでした。

 森から続く丘の上に堅強な周留城(するじょう)は建てられていた。

 その高い城壁の一角にある、門の前に、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)たちは到着した。

 城から遠目に見ていたのであろう、頑丈そうな大きな観音開きの門は、内側に、中大兄皇子達の到着と同時に開門された。

 門の内側、宮廷前広場。そこには、鬼室福信(きしつふくしん)などの百済の重臣と、兵士たちが居並いならんでいる。

 兵士たちは一斉に整列し、中大兄皇子と、余豊璋(よほうしょう)王子を城に迎え入れた。

そして、門はまた、固く閉ざされたのでした。


 鬼室福信は、城に迎え入れた余豊璋王子に静かに問うた。

「迎えを出しましたが、全くいないようですが、お会いできませんでしたか?」

 鬼室福信は、中大兄皇子と、余豊璋王子に心配した顔を向け、問うのだった。

 中大兄皇子は、お社での二人の女戦士とのやり取りを鬼室福信に説明した。そして、倭国からきた百済の兵も、全て、彼女らに抹殺されてしまった、と答えて、余豊璋王子にウインクしてみせた。

 余豊璋王子は、これには背筋せすじが凍るほど怯えたのであった。


 日が暮れ、一斉に、城壁や広場には篝火(かがりび)がたかれ、館内は、灯で照らされた。中大兄皇子達一行を迎えての宴席となったのだ。

 皆、大いに楽しんだ。しかし、余豊璋王子だけは、浮かぬ顔、先ほどから怯えっぱなしなのであった。

 宴席がお開きになった後、余豊璋王子と鬼室福信、二人になった時である。

 鬼室福信は、余褒章に、この国、百済の王となるためのスケジュールを話し始めた。

 余豊璋王子は、うわの空で聞いている。

「王子、どうされましたか?」

 鬼室福信の問いかけに、せきが切れたかのように、余豊璋王子は、これまでの中大兄皇子の人を殺しまくる行動を話しつづけたのである。

 鬼室福信は、余豊璋王子にたいして、今は疲れをとるため床で休むよう促した。

 鬼室福信にとっては、この王子のことなど、どうでもよいのだった。今は、倭国軍の中大兄皇子が、倭国の援軍を早くここに連れてくることだけが重要なのである。

 余豊璋王子は、何となく、自分が鬼室福信に軽く扱われた気がした。

 何とかして思い知らせてやりたい。

 俺は、王なのだ!

と、しょうもない奴は、どうしようもなく、しょうもないものである。

 余豊璋(よほうしょう)王子は、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)一行の帰り道に討伐隊とうばつたいを送り込んだのだ。


 翌日、中大兄皇子たちは、昼前あたりでこの周留城(するじょう)を後にした。

 鬼室福信(きしつふくしん)は、余豊璋とともに、城の全兵士を門までの道の左右両側に整列させて、中大兄皇子達の一行を見送ったのである。

 その帰り道を進む一行は、船を停泊させている岩場に、陽のすっかり落ちた夜に到着した。

 そしてそこでの光景に安曇(あずみ)将軍は唖然あぜんとした。

「あの馬鹿どもが・・・・・・」

 夜に火をいているのである。

 夏の時期である。寒いわけではない。

 魚を焼いて夕餉(ゆうげ)の支度をしているのである。よいの暗闇に紛れていれば良いものを、焚火で、その所在がまるわかりであった。

 大和朝廷海軍の鬼のような大将である、阿倍臣(あべおみ)の兵隊にしては、変である⁉ 

 と皆が感じた。

 何時いつ、阿倍の大将の機嫌をそこね斬首ざんしゅされるか分からない状況で訓練されている兵たちでなのだ。簡単にスキを見せる訳はないのである。

 大海人皇子(おおあまのおうじ)は、焚火の灯りを、剣に反射させて、炊飯すいはん中の兵士に合図をし、前の約束通り、ハトの鳴きまねをして見せた。

 気が付いた兵士は、事前に取り決めた合図通りに、剣を夜空に高く、上に放り投げた。


 周りに敵がひそんでいる!という合図である.

 先に取り決めておいたこと。


 しかし、中大兄皇子は気にせず兵士の方へ進みゆく。

 岩陰や、森の中から、中大兄皇子に向かって弓が一斉に何本も放たれた。

 その一本は、確実に中大兄皇子を貫くと思われたのである!

 しかし寸前のところで安曇(あずみ)が、飛び込んで矢を自らに受けた。

 安曇の胸に突き刺さる弓矢。


 一斉に敵兵士は、中大兄皇子に向かってきた。

 唐(とう)の軍でも、新羅(しらぎ)の軍でもない。

 援助するはずの百済(くだら)の兵士たちであった。

 仲間が殺され、屍が船に積んであるのを見た為か、余豊璋(よほうしょう)の放った城からの追手なのか?

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、何なく、岩場の足場の悪さを逆に利用するように、岩から岩へと飛び移り、また、切り捨てた敵兵士の屍を踏み台にして、全ての敵兵士、伏兵(ふくへい)を切り払ったのであった。

 瞬殺である。

 あ、っという間の出来事。

 中大兄皇子は、倒れ込んでいる安曇(あずみ)を抱きかかえた。

「安曇!しっかりしろ! 」

 安曇は、息も絶え絶えである。

 もう、生き延びること、助かることはないであろうと思われる。

 安曇は小声で言った。

「お~い、あんた、無茶はいかんぞ」

 そして忠告するように、

「あんたは、戦わない時は、スキだらけやからな・・・」

 安曇は、中大兄皇子の今後の身を案じて、息絶える前に注意するように言い残した。

 そして、最後に安曇は、息絶える前に中大兄皇子に願った。

「妹のヌカタのこと、頼むで・・・」

 涙を堪え、強く頷く中大兄皇子。

 安曇は、

「絶対にやで、絶対に約束やで・・・」

 と言い残して、息絶えてしまったのである。

 安曇は、妹のヌカタのことを息絶えるまで案じていた。

 安曇は、中大兄皇子にその後の妹、ヌカタの人生の幸せをたくしたのである。


 安曇は中大兄(なかのおおえ)の腕の中で、息絶え、そしてくずれた。

 泣き叫ぶ、中大兄(なかのおおえ)と大海人(おおあま)である。


 聖徳太子(しょうとくたいし)の十七条の憲法の一節、

一曰。以和為貴。(一にいわく。わをもってとうとしとなす)

これは、安曇の口癖、お気に入りである。

そして、中大兄皇子のお気に入りは、

十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。(十にいわく。いきどおりをたちいかりをすつる。ひとのたがうをいからず)

いきどおりを絶って、いかりを捨てなさい。人の思いが違うことを決して怒ってはいけません。


中大兄皇子(なかのおうえのみこ)の頭の中で、安曇(あずみ)の口癖を言っている声と、自分の声が共鳴するのであった。


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