第7話 うわさ裏話 と 大化の改新
皇極天皇(こうぎょくてんのう)の主催として、三韓(さんかん)の義(ぎ)という、儀式で、クーデターという形で、蘇我入鹿大臣(そがのいるかおおおみ)の暗殺は実行されました。
中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、弓をひき、蘇我入鹿(そがのいるか)めがけて射ました。一の矢は、蘇我入鹿に寸前で見事に避けられましたが、二の矢は入鹿の左胸を貫いたのです。鎌足の二の矢が、入鹿の左胸に突き刺さり、一瞬、動きの止まった蘇我入鹿!
中大兄皇子(なかのおおえのみこ)はそこで、入鹿の腹を槍で刺し貫きます。
西暦六四五年六月一二日のことでした。
後にこの日のクーデターのことを、
「乙巳(いっし)の変」
と呼ばれることになります。
そして、大和朝廷による大化の改新が始まるのでした
西暦六四五年六月一四日
皇后であった皇極天皇は、あくまでも臨時の天皇であり、それに次いで、天皇の弟にあたる軽皇子(かるのみこ)が孝徳(こうとく)天皇となられました。
ここで、軽皇子については、このような説もあります。
軽皇子は「大兄」ではありませんので、天皇の継承権はありません。そこで人を操り、乙巳の変を指揮したのではないか?という説。
天皇を継ぐものとしては、蘇我氏が押している古人大兄皇子(ふるひとのおおおえのみこ)、そして皇極天皇の息子であり、長男の中大兄皇子でした。
皇極と軽皇子の姉弟は、曾祖父こそ天皇(敏達天皇)ではありましたが、生まれながらにして「天皇」の条件である「親が天皇」を満たしていませんでした。
姉皇極、が天皇になれたのは、舒明天皇(じょめいてんのう)と結婚して皇極皇后となっていたため、天皇に準じる経験を積んだということからの特例だったのです。
軽皇子は年齢的にも円熟で、蘇我氏に対抗する皇族側の事実上のリーダーだったとも考えられます。しかし、天皇になる条件がない以上、自らが立つ大義名分がありません。
そこで、両親を天皇に持つ血筋のよさから「大兄」を名乗る、甥っ子(中大兄)を旗印として担ぎ上げようと画策したというのです。
話は、まだございます。
大化の改新の前のクーデター「乙巳(いっし)の変」
その黒幕は、蘇我氏の本流ではない、蘇我蝦夷(そがのえみし)の弟、蘇我入鹿(そがのいるか)の叔父、倉山田石川麻呂(くらやまだのいしかわまろ)であり蘇我の内乱であるとか、異説があります。
「乙巳(いっし)の変」の後、元号は、「大化」とされます。
当時の国際情勢は、唐が国内政治の充実を果たし、ついに動き始めたのでした。
まずは、高昌(こうしょう)を滅ぼし、となりの朝鮮半島への遠征が進められました。
朝鮮半島の大国、高句麗(こうくり)が落とされたのです。
それはそのまま、百済(くだら)、新羅(しらぎ)の朝鮮半島を通り、次にはこの日本に侵攻してくるだろう、と大和の各豪族も、朝廷も危機感をもつこととなったのです。
日本が支援する百済の衰退してゆきました。
朝鮮半島では、高句麗、百済の大国の影になる新羅による、唐の威光を利用しての 朝鮮半島統一への野望などが渦巻いておりました。大和の国の内外の情勢には素早く、多様に対応していかなければなりませんでした。そして、大和の国の内外の情勢に速く近代国家にまとめなければならない。
その後の中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と、中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、次々と情勢に対応してゆくために、二人による矢継ぎ早の政治改革を実行して行ったのでした。
このことを、大化の改新と言われたのです。
大陸の中国の動静に臆することなく、また太刀打ちすべく、大和朝廷は、一気に国家形成に動き始めたのでした。
「大化」の意味は「大いなる風化」とされています。
それは、「朝廷の大王、役人などによる徳の教えによりて、大和の国のすべての人心を善い方向に向かせて導く」ということでした。「風化」の「風」とは、上が下を導くということ、中央の文化のことといわれています。大和朝廷の権力に全ての人民を服従させるということであったといわれております。
最初に朝廷は東北の異民族である蝦夷(えみし)の防衛を兼ねて、関東地方を八つの国にわけて、統治を開始しました。
まずは、周辺の整理から始めたとみえ、蘇我氏(そがし)の屯倉(みやけ)、領地が東に多くあったため、その分配から始められたのでした。
そして東北や北海道の土地は広く、そこへの進出は、国家政策として、とても重要な位置付けだったようです。
東北に派遣された国造(くにのみやつこ)という、地方長官には、他の地方長官の任務だけではなく、それに加えて、蝦夷に対する防衛、制圧、という役目とともに大和朝廷の力、服従をその地域に浸透させるという特別な役割が与えられていました。
そして、大和朝廷と蝦夷においては、蝦夷の持っていない物を、蝦夷の特産物と交換するという交易が行なわれており、敵対していたわけではなかったのでした。歴史には、このように記述されております。
蝦夷(えみし)の生活する東北や北海道地方は、国土面積が広く、非常に魅力的な土地だったのだ。
東北地方への進出が盛んに行なわれたのは およそ六世紀~八世紀。
当初は、進出の一番の目的は交易であり、領土支配のためではなかったのです。奈良時代~平安時代は、都の貴族が地方へ派遣され、各地を治めていました。そんな中、この時代に蝦夷の地域に築かれた城柵も、戦いに備えた砦としてではなく、地方を治める役所として設けられたものでした。
城柵には交換した物資が一同に集められ、都へと運ばれていました。
確かかどうか分かりませんが、既に蝦夷の中に入り込んでいた、安曇、ヌカタの影響がかなりあったのではとも思えます。
中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、クーデター後も、自らが即位することはなく、執政として政治を行っていきました。自らが即位することを憚(はばか)れたのでした。一説には、自分が即位して天皇となると、暗殺されるのではないか?と心配していたと云われております。
母の、宝皇女(たからのひめみこ)を、皇極天皇(こうぎょくてんのう)として玉座に座らせ、その前横に座して、前に居並ぶ、宦官に次々と命令をくだしていきました。
体制が固まり始めた、ここで、石川麻呂(いしかわまろ)の異母弟・日向が直訴します。
「一大事です!大変なことで、蘇我家の私の兄、石川麻呂が謀反を企んでいるようです!」
と孝徳天皇(こうとくてんのう 皇極天皇の弟かつ中大兄皇子の叔父で先に即位した人)に讒言したのです。
孝徳天皇はその真偽を確かめるため石川麻呂に説明に来るよう使者を送ります。
その使者に対し、
「お返事は帝の御前で、直に申し上げます」
と言ったのでした。
孝徳天皇はこれを不信に思い、もう一度使者を送りました。石川麻呂の返答はまたしても
「帝の御前で、直に申し上げます。」
ということでした。
石川麻呂は、かつて先帝、皇極天皇の御前で起こった、蘇我入鹿の暗殺に関わった人物なのです。
孝徳天皇としても何か自分を呼び出してする気であろうかと怪しまれました。
石川麻呂は、そう思われても仕方ないであろうに、なぜこんなに意地を張ったのか、疑問は残ります。
孝徳天皇は、怪しみ、石川麻呂に兵を差し向けました。
その先頭には、中大兄皇子もいたと云われます。
中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、乙巳(いっし)の変で、蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺する計画に参加してもらう条件で、石川麻呂(いしかわまろ)の娘を后(きさき)にする約束をし、后としております。自分の妻の父親を殺しに行く先頭となったのです。しかし、活き活きとしております。
蘇我氏(そがし)の本流ではないにしても、石川麻呂は蘇我の一族です。
その屋敷は、強固な兵に守られております。
中大兄皇子は、先頭に立って、門を破り突進してもよいのですが非情さがでます。多量の火矢というものの威力を間近で試してみたいと考えました。館の裏手に一斉に火矢を放たせ炎上させました。
そして次に母屋を狙わせます。
真正面の門側だけは、火を放たず、出入りが容易にしました。そして、退路対ロが正面だけとなりましたので、残りの弓隊に、正面から出てきた者どもに、一斉に弓を浴びせるように指示を出しました。
それを母屋に座して中大兄皇子を睨みつけていた石川麻呂は彼の残忍さ悟ります。
(小僧、鬼畜生が・・・・)
石川麻呂は妻子とともに炎の中、屋敷裏手各紙扉から逃げ、山田寺(現・奈良県桜井市)に籠もり、そして、自害をしたと云われて降ります。中大兄皇子の妻となった石川麻呂の娘は、重い病に侵され、病死したと云われております。
そののち孝徳天皇(こうとくてんのう)が歿して、皇極上皇(こうぎょくてんのう)が重祚されました。
斉明天皇となられたのです。
大和朝廷は、蘇我氏の影響を排除しようとして、蘇我氏の領地を分割し、朝廷支配下に置くことを進めました。その領地の内の宮、寺などの没収もしました。
少年時代、よく遊んだ里の、その近くの山の中腹にあった寺、そう、村が襲われ、友を失い、お弔いを頼んだ蘇我氏が建立したといわれた寺。聖徳太子も訪れた寺。
中大兄皇子自身で、行ってみることにしました。
自分の力を示すのではなく、ただ、昔、友を失い助けを求めた高僧、自分に蘇我氏の悪い影響を排除するために、蘇我入鹿を殺せと提案した高僧、彼に会いたいと思ったからでした。
そして、夢ではないですが、万が一にでも、村が再興していて、ヌカタに会えるのではないだろうか?
との想いもありました。
淡い期待であることは重々承知しております。
兄、
中大兄皇子は、最初は弟の同行に反対しましたが、本人の強い希望もあって連れていくことにしました。多分、まったく危険などないと思われたからです。あの寺に行くのだから。
「あの寺は、もともとは、太子の寺ということで蘇我の反撃にあうかもしれんぞ?」
と、中大兄皇子は一応、弟をさとします。
「兄者、何を言っておる。思いは同じじゃ」
そして、なじるように、
「逢えるわけないだろう、そんな期待はしとらんよ。兄者は、会えるかも?何て思っておるのか?」
と言う。
中大兄皇子は、弟をなじるように、少し照れながら、
「何のことだ?粗相をして、僧兵に殴られるなよ!」
と、中大兄皇子は、弟の願いを聞き入れ、同行することを許しました。
中大兄皇子は大海皇子と軍隊百名を引き連れ、斑鳩(いかるが)を出で、二列の隊列を組んで、北の村に向かった。
中大兄皇子と大海皇子は、乗馬して、ともに従者に馬を牽かせていた。用心のために、槍隊 三十名、徒歩(かち)四十名、弓隊 三十名を従えた。
百名の軍隊を引き連れていれば、かなりの大戦(おおいくさ)にみえるが、村が襲われたあの当時でさえ、僧兵は、千人はいたのであるから、僧兵と戦うことになれば、どうやったってかなうわけはないのである。
中大兄皇子は、山の中腹に聳える寺の前に着いた。軍隊を整列させ、弟を騎乗にしたままにさせ、自分は、馬を降りた。そして、ひとり、山門に向かったのだ。
中大兄皇子は、その大きな山門を見上げながら、
「開門せよ、中大兄皇子子である!」
と声高に叫んだ。
門は、二人の強靭な身体をもつ、僧兵の門番により、左右観音開きに開門された。
本堂の前の広場で、若い僧兵が、幼子も含め、戦闘訓練の真っ最中であった。数百名は居ようかと思われた。
そこに、本堂で訓練していた、強者ぞろいの者達が、次々と、前の庭に、本堂から吐き出されるように隊列を組みながら出てくるのであった。そして、戦闘訓練に加わり、本堂前の庭では、千名以上の僧兵によって、軍事訓練がおこなわれたのである。
いつかどこかで見た風景。中大兄皇子が一歩踏み出したのを合図に、僧兵たちは動きを止め、本堂までの一本道をつくるように、左右二手に分かれた。
デジャブ。
ただ、何かが違う?何かが違っていた。
中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、何か違和感がある気がして仕方ない。そこに、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)がやってきて、兄の後ろに立つ。
「兄者、あの、お堂の前で我々を待っている坊さん、前と違うな?」
二人で本堂前にいる住職とみられる僧をみつめる。目を凝らしてみる。
「いつかの、あの爺さんじゃないぞ、えらく若そうじゃないか?えらそうな顔をして老けて見えやがるがな?」
中大兄皇子も大海人皇子にそういわれて、本堂前の扉前に立っている僧を凝視した。
中大兄皇子が小さな声で囁いた。
「確かに以前あった住職、高僧ではないな。亡くなられて代替わりしたか?」
しかし、なんというか、どこかで見たような感じがした。
ただ、何処かで会ったことがある感じであって思い出せない。彼は僧には似合わないような強靭な肉体をしている。ガサツさのある体躯は、高僧とか、住職の品格がない。ただの大男としかみえなかったのだが。
高僧?を凝視しながら、必死にその姿を思い出そうとしながら、中大兄皇子は、後ろに控える弟とともに、本堂に向かったのである。
中大兄皇子と大海人皇子が、一歩中に入るや、僧兵は訓練中の動作を止め、全員が中大兄皇子と、大海人皇子に平伏した。以前と違うのは、大海人皇子がいること。
中大兄皇子と大海人皇子は、本堂前の僧を凝視した。この寺の最高責任者と思われる。
住職というには、位がもっと低そうでもある。高僧とも呼べない雰囲気でもある。
中大兄皇子が、その本堂の前の僧呂に向かおうと一歩踏み出した途端、前庭に平服した僧兵たちが、皇子たちを守るように両方向に道を開け移動した。
その僧までの、一本の道筋と両側に壁ができた感がある。両脇には、こん棒を縦に持った僧兵が固める。
中大兄皇子と大海人皇子は、本堂の扉前にたつ僧のほうへ歩みを進めた。そして、その大柄の僧の前で立ち止まった。
その僧は本堂の扉をさし、二人を、本堂の中に招き入れようとした。そして、此処までは、以前と似た光景ではあった。
中大兄皇子は、恐る恐る、僧に切り出してみた。
「私は、中大兄皇子という者であります。失礼ながら、どこかでお会いしておりませんでしょうか?」
大柄な僧は、振り返り満面の笑みで、
「気付くの遅い(おせい)じゃねーか!」
大きく両手を左右に開き、叫んだ。
「斑鳩(いかるが)村の安倍(あべ)じゃ!」
そこで中大兄皇子と大海人皇子は、大きく目を見開いた。
確かに、成長した年齢ではあるが、サッカーをよくした、村のチームの安倍である。
中大兄皇子は、巨漢の僧に抱き着いた。
僧も抱きかかえた。
中大兄皇子は、叫んだ。
「良かったー。生きていたのか。良かった!」
「この野郎、やっぱ、殺しても死なないと思ってたよ!」
大海人皇子も抱き着いていきたいところであったが、二人とは年齢が少しばかり遠慮がいるくらい離れていたので、感情をおもむろに出すには少しばかり
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