第6話  倭王 入鹿暗殺

 大和朝廷内では、大化の改新直前の倭の国、聖徳太子(しょうとくたいし)により遣隋使(けんずいし)として派遣(はけん)されていた学生たちが、次々に帰国して官職に就いておりました。帰国した学生たちは、政治行政のあらゆる要職に就いていたのです。そして皆が盛んに、

「中国における、王中心の政治でなければ、この倭の国は亡びる」

「倭の国はやはり天皇中心の政治をして、律令(りつりょう)国家(こっか)として確立しなければならない!」

と唱(とな)えておりました。

 この天皇中心の政治とは、亡き聖徳太子が理想として掲(かか)げていた中央(ちゅうおう)集権(しゅうけん)の律令制(りつりょうせい)の政治体制です。

中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、近年の世界情勢、特に近隣アジアの情勢から、この倭の国のことを鑑(かんが)み、

(今の様に、一部の豪族と、それに結び付いた王族のみが好き勝手に権力を行使している現状から、早く、倭の国、大和の国の体制は、変わらなくてはならない!)

と、考えておりました。そして、ある日、意を決して宮中での蹴鞠(けまり)の会で中大兄皇子(なかのおおえのみこ)に近づいたのです。

 その時、中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)に、自分が密かに心に秘めている蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺と、クーデターを起こす考えと、その計画には朝廷内に仲間があることを打ち明けました。

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、飛鳥の寺院を訪れ、そこの高僧が、

「蘇我入鹿(そがのいるか)を殺しなさい!」

と、強く言い放ったのを思い出しました。その折、高僧は続けて、

「聖徳太子の意思を継ぐ者は、宮中にも何人かは居(お)ります。必ず皇子の意思に協力してくれる筈(はず)です。」

と、呟(つぶや)いたのでした。

 その日から、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と、中臣鎌足(なかとみのかまたり)により、この国の行く末(ゆくすえ)が夜な夜な話し合われるようになりました。

 そう、後に、大化の改新と言われる素案が練られていたのでした。

 蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺計画は着々と進んでゆき、その実行計画の最終打合せが、中臣鎌足の宅で行われたのです。参集したのは中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と、中臣鎌足(なかとみのかまたり)、そして蘇我入鹿(そがのいるか)の従兄弟にあたり、こどもの頃より、蘇我入鹿(そがのいるか)に妬みを持っていた、倉山田石川麻呂(くらやまだのいしかわまろ)、そして佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)、葛城稚犬養連網田(かずらきのわかいぬかいのむらじあみた)でした。


そして、クーデターは、決行されたのです。


 皇極天皇(こうぎょくてんのう 中大兄皇子の母)の主催として、三韓(さんかん)の義(ぎ)という、儀式がありました。

 朝鮮半島の三か国(高句麗・百済・新羅)の使者が倭の国、大和朝廷の天皇に貢物を贈り、挨拶をかわすというものです。

 儀式では、剣などの武器の帯刀(たいとう)は許されません。勿論、大和朝廷側の人物の警護の者達の同席は出来ません。

 客人たちも剣などの武器の帯刀(たいとう)は許されておりません。

 いわば、この時だけは天皇の前、皆は丸腰となります。また、儀式開始から全ての門は、閉められますので何人も、中に討ち入ることも外に出ることなども出来ないのでした。

 儀式は、古人大兄皇子(ふるひとのおおおえのみこ)と、蘇我入鹿(そがのいるか)、倉山田石川麻呂(くらやまだのいしかわまろ)らが皇極天皇(こうぎょくてんのう)の前に、進み出て、始まります。

 そのような場所で、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、一本の槍を持ち、細身の刀を腰に帯刀して会場となる宮殿の柱の陰に隠れています。そして、中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、弓矢を持ち、他に二人の刺客と一緒に軒下に息を殺して身を潜めて、儀式が始まるのを待ち構えていました。

 倉山田石川麻呂(くらやまだのいしかわまろ)が皇極天皇(こうぎょくてんのう)に奏上文(そうじょうぶん)を読み始めたのを合図に、刺客(しきゃく)が飛び出して蘇我入鹿(そがのいるか)を斬りつける、はずでした。


 倉山田石川麻呂が皇極天皇に奏上文を読み始めた。しかし、刺客は出ない⁉

 中臣鎌足も、二人の刺客の怯(おび)える姿に影響され、手が震えてなかなか弓を引けない。

 奏上文を読みあげる倉山田石川麻呂の声も震えてしまっていました。

 この震える石川麻呂の奏上に不審(ふしん)がる蘇我入鹿は、石川麻呂に小さく声を掛けました。

「どうされました?石川麻呂?」

 その瞬間、柱の陰から|業を煮(ごうをに)やした中大兄皇子が飛び出し、蘇我入鹿を槍で刺し、剣で斬りつけようとしました!

 しかし寸前のところで中大兄皇子は、蘇我入鹿に剣をかわされてしまいます。それどころか、逆に、剣を持つ手をねじ上げられて、中大兄皇子は剣を落としてしまいました。

「小僧、何の真似だ!」

と、蘇我入鹿は中大兄皇子の落とした剣を拾い上げ、剣を中大兄皇子の喉元にあて、怒りを露わにいたしました。蘇我入鹿は、勉学だけでなく、戦い方にも年期が入っております。

 このままの状況では、自分、こちらが蘇我入鹿に、やられると中大兄皇子は判断しました。そこで、片手に残った槍を両手に持ち替え蘇我入鹿に立ち向かいました。

 蘇我入鹿と中大兄皇子の、剣と槍の攻防が続きます。

 最初は、槍で間合いを取っていた中大兄皇子ですが、接近戦では、どうしても、槍は不利であり、剣のほうが有利でした。

 接近戦で、中大兄皇子は防御一辺倒(ぼうぎょいっぺんとう)となってしまいます。

 中大兄皇子は、蘇我入鹿から振り下ろされる剣を槍で防ぐのが精一杯です。周囲を見回しましたが、皆がおびえて逃げていく。鎌足、刺客も出て来そうにありません。 何処(どこ)にいるのかも分かりません。

 蘇我入鹿に対し防戦一方の中大兄皇子でした。

 中大兄皇子は、蘇我入鹿から振り下ろされる剣を何度か槍全体で止めていましたが、槍の柄が、徐々に傷ついて折れそうになっているのが、目の当たりに(まのあたりに)見ることが出来ました。

中大兄皇子は、とっさに、サッカーでいうオーバーヘッドシュートの要領で、後ろに回転しながら蘇我入鹿の剣を蹴り上げます。

 蹴りは入鹿の剣を持つ手に当たり、剣は、空高く舞い上がりました。

グサリ!

 舞い上がった剣は、床下に隠れて震えていた鎌足たちの目の前の地面に突き刺さります。それで鎌足たちは、やっと我に返りました。

 我に返り、恐れを払い正気を取り戻した鎌足は、周囲を見回し、やっと今なすべきことを判断できる状態に戻ったのです。

 中臣鎌足は、弓をひき、入鹿めがけて射ました。

そして、両脇の、刺客に

「それ、今ぞ!」

と、鼓舞(こぶ)し、二人を追い立て、自分は二の矢を入鹿めがけて射たのです。

 一の矢は、蘇我入鹿に寸前で見事に避けられましたが、二の矢は入鹿の左胸を貫いたのです。

 その時、鎌足は、入鹿が驚いたように自分を見つめるのを感じました。


 鎌足は目をそらします。 この二人も幼馴染・・・


 鎌足の二の矢が、入鹿の左胸に突き刺さり、一瞬、動きの止まった蘇我入鹿!

 中大兄皇子はそこで、入鹿の腹を槍で刺し貫きます。

 ここで、剣を持った二人の刺客が、入鹿に飛びつき、その首、背を切りつけたのです。ここに、クーデターという形で、蘇我入鹿大臣(そがのいるかおおおみ)の暗殺は実行され、事はなりました。

 目の前で起こったことに驚いた皇極天皇(こうぎょくてんのう)は、

「皇子(みこ)、何ということを!何故、このようなことを・・・」

と玉座(ぎょくざ)から立ち上がられ、中大兄皇子に叫んだのでした。

 中大兄皇子は厳しい顔で、母、皇極天皇に直訴(じきそ)します。

「入鹿臣(いるかおみ)は、この国と大王を滅ぼそうとしておりました。このようなことは許されてはなりません。わが大和王朝、倭の国のためです」

 そして、より強く、

「蘇我から大和を取り返すのです!」

と、言ったのでした。

 皇極天皇は、中大兄皇子の訴えに静かに頷(うなづ)いて、宮の奥に引き下がられたのでした。

 外は、土砂降(どしゃぶ)りの雨となりました。

 天は、蘇我入鹿(そがのいるか)の死を悲しんだのでしょうか?

 蘇我入鹿(そがのいるか)の亡骸(なきがら)は、その雨の中、外にそのまま一晩中、放置されたのでした。

 蘇我入鹿(そがのいるか)を殺害した後、中大兄皇子(なかのおおおえのみこ)、 中臣鎌足(なかとみのかまたり)たちは、蘇我氏本家の反撃に備えて仲間をつのり集結しておりました。しかしながら、蘇我入鹿(そがのいるか)の父親、先の大臣(おおおみ)の蘇我蝦夷(そがのえみし)は自宅に火を放って自害したと伝えられています。


西暦六四五年六月一二日のことでした。


後にこの日のクーデターのことを、

「乙巳(いっし)の変」

と呼ばれることになります。

そして、大和朝廷による大化の改新が始まるのでした。


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