沙希はこんなはずじゃなかったと言う

 沙希はまず、みんな私なんかよりできる、それに比べれば私なんて全然だ――と言った。

 ちょうど私も同じような感覚を味わい、克服していたところだったから、私もそうだよ、でも、話してみたら結構みんな普通だったりするんじゃない――と答えた。

 ところが沙希は満足しない。

 そして言うのだ。こんなふうに。

 「お姉ちゃんはレベルが高いところにいたことがないから、私の気持ちがわからないんだよ」

 この言い様にはカチンと来たが、あぁそうだねそうかもしれないね――と流した。


 そして沙希は、般教パンキョウの授業がつまらない、とも言った。どうして大学入ってまでこんなことしなきゃならないのかわからない、バカバカしくて出る気になれない――と。

 どんな答えが返ってくるかわかっていたけれども一応、般教なんてそんなもんじゃないの――と言った。案の定、そうかもしれないけど、このレベルの大学でこんなくだらない授業を受けなきゃならないなんて――と言われたので、それ以上何も言わないことにした。 


 沙希の悩みの最たるものは、私は法学部に入ったけど、本当は文学部に行きたかったと入学してから気付いた――というものだった。

 高校生の頃は「検事になって法廷に立ってバリバリ活躍するのが夢なの」と熱く語っていたはずの沙希が、法律って杓子定規だし何言ってるのかわからなくて全然興味が持てない――などと不満を並べ立てる様子には違和感を抱いた。法律ってどういうものなのか、多少なりとも知った上で法学部を志望したのではないのか――と。

 泣きながら「こんなはずじゃなかった」と言う沙希に対して、さすがに何も言えなくてただ話を聞いた。それにしても沙希は、誰も法学部を受けることに反対してくれなかったとか、私は本当は歴史を勉強したかったのに間違えて法学部に入っちゃった、だって法学部がどんなところか誰も教えてくれなかったから――とか、責任の所在が自分以外のところにあるかのような言葉ばかりを繰り返して我が身の不幸を嘆いた。

 そして決まって言うのだ。

 「お姉ちゃんはいいよね、史学科にも行けるんだから」と。

 

 確かに私の大学の人文学部からは史学科にも進めることになっている。でも、みんなが無条件に行きたい学科に行けるわけではなく、人気のある学科には成績順で規定の人数が割り振られるルールである。般教がつまらないだの自分は本当はこんな学部に興味がないだのと言ってロクに授業に出ない、単位も取らない沙希のような子は、まず間違いなく成績で撥ねられる。努力もなしに希望通りの学科に行くことなど、できはしない。

 しかし、沙希にそのことを説明するつもりはなかった。どうせ、私の大学のシステムに興味があるわけではないのだろうし、そもそも沙希は札幌の、北海道一の大学の法学部生として大学生活を始めているのだから、今いる環境の中で最大限の努力をしなければならないはずだ。余所の大学を羨ましがっている場合ではないのだ。

 沙希はどうするのかと思ったら、学部を移るための試験というのを目指すことにしたようだ。それはとても狭き門だけど、歴史を勉強するためなら頑張るんだ、私――と意気込んでいた。

 

 そううまく行くものだろうか――と内心では疑いながら頑張ってね、沙希ならきっとできるよ、などと前向きな言葉をかけていたのだが、沙希は更なる落とし穴に嵌り込んだ。

 それは――男である。


 私が入ったサークルを何それ、オタクっぽい――と笑った沙希は、天文同好会に入った。そして、そこの四年生の先輩だとかいう人と、そういう仲になったと聞かされた。なんでも、前期の打ち上げで飲みすぎて迷惑を掛けてしまったからと思って先輩の一人暮らしの家に謝りに行ったらそのまま――だそうである。私にはまだそういう間柄になった相手はいなかったが、濁された言葉のその先は、容易に想像が付いた。

 迷惑を掛けたからといって一人暮らしの男性の家に上がり込むのはどうかと思うし、サークルの部室なりで謝ればいいものをわざわざ謝りに行くというのも私から見ると理解不能なのだが、謝りに行ったはずが結局はいいようにされているのではないか、なんというかそれは先輩にしてみれば据え膳食ったというだけの話ではないのか――私はそう思ったが、沙希はその先輩の男の家に、通うようになった。

 しかし沙希と相手の男の関係は、私の知っている彼氏彼女のそれとは異なっていた。沙希から聞く限りでは、なんでも、彼がシたい時だけ呼ばれるの、彼、私のこと何だと思っているのかな――だとか。

 それはセフレというものではないのか、というかそれ以外の何物でもないのではないか、その男は大丈夫か、そしてあんたはそんな男に都合よく遊ばれていていいのか――とまぁ、言いたいことは山ほどあったし、実際、「セフレ以外の何物でもないんじゃない」という言葉は喉元まで出かかった。だが、沙希はあくまで「彼氏ができた」と認識しており、お姉ちゃんより先に彼氏作っちゃったね私――などと嬉しそうに言ってくるのだから、それを聞いたらもう、沙希がそれでいいならいいのかそれで――と、何かを言う気が失せてしまった。


 沙希はその男との“付き合い”に夢中になってしまって、そのせいもあってか、学部を移る試験――転学部試験、と沙希は呼んでいた――に落ちた。

 「枠がすごく少ない試験で、一回で通るのは難しいみたい。二回も三回も受ける人もいるんだって。だから私も、また来年受けようと思ってるんだ――私、通るまで頑張るよ」

 沙希はそう言ったが、どうせロクに単位が取れていないのだから、いっそのこと退学して、別の大学に入り直す方が早くて簡単なのではないかと私は思った。心機一転、生活を立て直す意味でもその方がよさそうに感じた。だから沙希に、他の大学に入り直すことをそれとなく勧めもした。しかし沙希は、転学部をあくまで目指すと聞かなかった。

 

 地域で一番の高校から北海道で一番の大学に行った沙希は、その立場を手放したくない。だから、あくまで大学の中で学部を移ることに固執している。


 私は、そう受け取った。

 どこまでも沙希らしい態度ではある。

 感心すると同時に、確かな反感を覚えた。北海道で一番の大学に行っているから何なのか、それだけですごいのかあんたは――と。

  

 沙希への反感は思いもよらないところにぶつけられ、結果的に、私の人間関係を大きく変えるきっかけとなった。

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