私の大学生活はまあまあ順調に始まって
きっと誰もが通る道なのだとは思うが、やはり、地方から上京して一人暮らししながら大学生活を送るというのは、戸惑いの連続だった。料理や洗濯、掃除といった家事をどうにかこなし、朝はきちんと起きて大学に行く。大学には一応クラス分けがあるが、高校までと違ってクラス単位で行動する機会の方が少ないし担任の先生なんてものもいないから、クラスメイトと少しずつ面識を深めながらも、基本的には単独行動することになる。東京生まれ東京育ちの子がなんだかすごく垢抜けて見えて気後れしてしまう。高校ではできる方だったと自負していたけれど、大学でまわりを見回すとみんな自分よりずっと頭がよさそうに見えてしまう――といった具合だ。
娘二人を同時に大学に通わせることになる両親の金銭的負担を考えると、全面的に甘えるわけには行かず、入学式を終えた二週間ほど後から、大学から二駅ほど離れたコンビニでアルバイトを始めた。そうすると更に時間配分が難しくなるし、初めてのアルバイトの負担感もずっしりとのしかかってくる。
仲のよかった高校の同級生で、東京の大学に進学した子はいない。北海道の子は進学で地元を離れるとしても道内か、せいぜい東北地方までしか行かない場合が多い。滝口は関東の私大にも合格したが、帯広畜産大学の獣医学部に進学した。牛しかいないような田舎よりは関東がよかったけど、俺、弟いるしな――と言って。瑞穂の進学先は、山形の芸大だ。本命にしていた日大の合格を勝ち取ることはできなかったが、浪人してでも、どうしても行きたいってわけでもなかったし――そう言った瑞穂は屈託なく笑っていた。
とにかく大学の中で孤立しないこと、できるだけ単位を落とさないこと。もちろんバイトに穴は空けられないし、家事をしなければ部屋の中は荒れて行く。やらなければならないことに追われながら毎日を過ごした。大学のキャンパスは東京とはいってもほとんど神奈川に近いような場所にあり、私のイメージする“東京の大学”像とは全然違う落ち着いた雰囲気で、私みたいな田舎者でも実際のところ、溶け込みやすかった。自分とはかけ離れた存在のようにばかり見えたクラスメイトは話してみるとみんな結構普通で、空き時間を一緒に過ごしたりする程度の仲の顔見知りも何人かできた。
クラスメイトよりも強いつながりは、サークルで得られた。
私は当初、大学にも新聞部のようなところがあったら覗いてみようかな――と考えていたのだが、大学新聞編集部は偏向したグループに乗っ取られているとかで、大学公認団体から外されていた。全国紙にも右寄りのもの、左寄りのものがあるし、その延長のようなものかとも考えたが、どうも違うらしいと、新歓イベントの日にキャンパス内に立って「新聞編集部にはかかわらないでください」と注意喚起をしている人たち――大学自治会の役員だったらしい――の様子を見て、悟った。どうやら本当に危ない団体のようだ、と。
当てが外れてなんとなくうろうろしていて、通りかかった教室で新歓イベントをやっていたサークルがあって、入口に「クイズ研究会」というおざなりなチラシが貼ってあった。クイズを研究とはどういう意味なのかよくわからなかったがクイズ番組を観るのは好きな方なので、ちょっと惹かれて立ち止まった。そうしたら中にいた話しやすそうな女の人に呼び込まれて、入ったところにいたのが、後に夫となる諒太だったが、もちろん初対面では名前も知らなかった。
促されて席に座り、「一応誰が来たか記録を取っておきたいだけだから、学部と名前書いてくれる?」と差し出されたノートにボールペンで線を引いただけの簡単な名簿に、井口亜希、とフルネームを書いたところ、思わぬ反応があった。
「あ、いいなぁ。画数少なくて、読みやすそうな苗字で」
「そう、でしょうかね……」
戸惑いながら答えると彼はノートの余白にさらさらとシャープペンシルを走らせ、纐纈、と書いた。
「これ、読める? これでコウケツっていうんだよ。画数多くて書くの大変だし、電話とかで名前伝えてもまずわかってもらえないの。ホント不便。その点井口っていいよね」
なるほど確かにそうかもしれないが、これはどう答えればよいのか――と困っていると、私を呼び込んだ女の人がほら、新入生にいきなりそういう話をするのやめてね――とか言ってぞんざいに彼をどかせたので、コウケツと名乗った彼との会話は終わりになった。
コウケツと名乗った彼と替わった女の人は、ここってどんな活動をしているんですか、バイトとかしてても大丈夫ですか、男女比ってどんな感じですか――といった私の質問に優しく答えてくれた。週二回例会をやってるけど参加は義務とかじゃないよ、ウチはユルいからバイトとか全然大丈夫だよ、男が多いけど、女の子もいないわけじゃないよ、今は私を入れて四人かな女の子は――と、そんな感じに。
コウケツさんも、私の質問に答えてくれた女の人も、嫌な感じではなかった。だから新学期が始まって最初の例会とその後の新歓コンパに出て、その後も出られる限り例会に出て、空き時間には部室にも行った。クイズ研究会を名乗っていたがストイックにクイズに打ち込むサークルというわけではなく、麻雀とかゲームとかカラオケとか、その時の気分次第で各人がやりたいことをする――といった本当に「ユルい」サークルだった。考えてみたら高校時代は結構真剣に新聞部の活動に打ち込んでいたから、こういうユルいサークルでのんびり過ごすのもいいな――と居心地のよさを感じた。
ちなみに、彼――纐纈諒太――と、私の質問に答えてくれた三浦さんという女の人は、仲がよさそうだから彼氏彼女の間柄だったりするのかな、と初対面の印象では思ったのだが、二人は単に同じ三年生だから気心も知れているだけのことのようだった。纐纈さんは初対面ではあんなだったが、なんと現会長なのだと聞いて、少し驚いた。むしろ三浦さんの方が向いていそうだったし、実際、彼女が引っ張る場面の方が多くはあったのだが。
札幌で大学生活を始めた沙希とは、よく長電話をした。決まって沙希の方からかけてきて、沙希が言いたいことをいうのを適当に相槌を打ちながら聞いた。
地域で一番の高校から北海道で一番の大学に行った沙希は、きっと嬉しくてたまらなくて、楽しい大学生活を送り始めるのだろう、と私は思っていた。
だが。
予想に反して、沙希の生活はうまく行っていないようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます