亜希と沙希

 沙希と私は、生まれた時、いや――生まれる前から一緒だった。名前だって「亜希」と「沙希」と、音の響きも漢字の画数も揃えてある。いかにも双子の名前にありがちな、ふたりで一組の名前。私が姉で、沙希は妹。

 

 おそらく両親は単に五十音順で姉の私の名前に「亜」、妹の沙希の名前に「沙」の字を使ったのだろう。だけど、小四の頃に書棚から漢和辞典を抜き出し、「亜」のページを開いて意味を確認した時、私は「変なの」と思った。「亜」の字の持つ意味として、「つぐ。つぎ。次位。二番目」と書かれていたからだ。


 ――名前に使う字を決めるにあたり、両親は意味を確認しなかったのだろうか。私たちはふたりきりの姉妹であり、「二番目」の子供は沙希になるのに。私は、この家の一番目の子供なのに。だから、一番目の私の名前に「二番目」という意味を漢字が当てられるのは、おかしいのに。どうして私が「亜希」なんだろう。そんな疑問を抱いたのだった。


 私は沙希より十分だけ早く生まれたから、ただそれだけの理由で生まれ順でいえば「上」の子、「長女」となったが、それは私の方が優れているからなどではもちろんない。単に、私の方が母のお腹から、出てきやすい位置にいただけのことだ。そもそも、双子の生まれ順が「後に生まれた方が兄・姉」とされていた時期だってあるのだし、結局のところ今の法律と慣習の上では「先に生まれた方が兄・姉」となるから、私がふたりのうちでは「姉」にあたる、というだけのことだ。

 しかし沙希は、自分の方が「後」に生まれたという事実に強く拘っていたのかもしれない。沙希は小さい頃に、生まれ順でいうと自分が「次女」で「妹」だと知って以来、私のことを大真面目に「お姉ちゃん」と呼ぶようになり、そこに沙希の拘りが現れているように、私には感じられた。私の知る限り、他に自分の片割れをそんなふうに呼ぶ双子のきょうだいはいない。みんな当然のように互いを気安く、親しみを込めて呼び捨てにしていた。そんなよその双子と比べると、私がいくら呼び捨てでいいと言っても聞かずに私を「お姉ちゃん」と呼び続ける沙希は、少々奇異に感じられた。


 生まれる前はふたり一緒、生まれた時間は十分だけ違う。そんな沙希と私の差は、生まれた後でだんだんと付いていった。一卵性双生児である私たちふたりは父ですら時に取り違えるほど似通った顔立ちをしていたが、沙希の方があらゆる面でほんの少しだけ、私より優れていた。学校の成績とか、友達付き合いとか、大人の前での振る舞いとか、行動の早さとか――そうした、ひとつひとつは些細な事柄が。

 ほんの僅かな差異ではあるが、ひとつひとつは些細でも積み重なると大きくなるということか、それとも、なまじそっくりだからこそ僅かな差異が際立つということか。いずれにせよ、私と沙希の違いは年を追うごとに際立って行き、それとともに沙希の方が「上」、私は「下」という力関係がゆっくりと、ゆっくりと形成されて行った。


 

 私が漢和辞典を引いて「亜」の字の意味を知ったのは、沙希との間ででき上がりつつあった上下関係をうっすらと自覚し始めていた頃だった。だから「変なの」の後には、「でも、その通りだな」と、シンプルにそう思った。

 

 確かに、そう。

 私は二番目。沙希が、一番目だ。 

 だから私は「亜希」で、いい。

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