03~07 Side 司 03話

 五時半を回るとキリのいいところとなり、今日の作業を終えることにした。

 仕切っているのは茜先輩。会長はいるが、写真のこととなると箍が外れるため、このときばかりは茜先輩が指揮を執る。

「最後にお茶でも飲みませんかー?」

 嵐が提案したことでメンバー全員がテーブルに着き、各々飲み物を飲んだりお菓子をつまみ始めた。

 茜先輩が出したお菓子は、クッキーにチョコレートがコーティングしてあり、見るからに甘そうだ。

 先日食べた、翠が作ったという焼き菓子は甘すぎず、コーヒーと食べるのにはちょうどよかった。

 ふとカウンター奥のドアに目をやる。いつもなら、御園生さんが来れば三十分もしないうちに帰るのに、今日は一向に出てくる気配がない。

 くそ……一度気になるとキリがない。

「司、このお菓子、翠葉ちゃんたちにおすそ分けしてきてくれる?」

 茜先輩にお菓子の包みを手渡される。

 これは仕事部屋へ行く口実を作ってくれたのだろう。

「……渡してきます」

 カウンター内に入り、ドアのロックを解除する。中に入り部屋を見回すも、翠の姿がない。

 あるのは気まずそうな顔をした男ふたりの顔。

「翠は?」

「そこ」

 御園生さんが指したのは仮眠室。

「……具合、悪いんですか?」

「いや、なんていうか……篭ってる」

 ……は?

「色々と考えることがあるようで、穴を掘って隠れたいと言うから、それらしい場所を提供してもらって早……五十分くらいかな?」

 と、手元の時計を見た。

「俺の不注意だけど……司、これ見ただろ?」

 秋兄がノートパソコンを指差した。頷くことで肯定すると、

「それをどうしようかと対処法を悩んでるみたい」

 秋兄が仮眠室につながるドアに目をやった。

 対処法、ね……。

「篭らせたはいいんだけど、どうしたら出てきてくれるのか、思案中なんだ」

 苦笑する御園生さんにはため息しか出ない。この人は翠に甘すぎる。

「……その役、自分が引き受けても?」

「できるならお願いしたいね。因みに、うちの妹は素直ないい子だけど、結構頑固だし意地っ張りだよ? 司の手に負えるかな?」

 若干挑発された気がしなくもない。ふたりは「お手並み拝見」――そんな顔をしている。

「……そろそろ手懐けたいと思っていたので」

 茜先輩からの差し入れをテーブルに放置すると、俺は仕事部屋を出て、さらには図書室を出た。


 外に出ると、太陽が山に沈むところだった。

 だいぶ日が伸びはしたけれど、数分後には稜線がきれいに浮かび上がるだろう。

 部室棟へとつながる階段を下りながら、スマホを取り出す。

 電話には出ない気がする。

 そう思いながら、期待をせずにコール音を鳴らす。

 一コール、二コール、三コール、四コール――

「やっぱり出ないか……」

 呼び出しを切り、メールアプリを起動させた。

 何を――なんて言えばいい……?

 バイタルチェックが必要な理由は、俺が考えているものでほぼ間違いはないだろう。なら、翠がバイタルチェックを受け入れた理由は? 隠したがった理由は?

「翠ならどう考える……?」

 いや、あの摩訶不思議な思考回路の持ち主のことだ。また変なことを考えているのだろう。

 それを聞かせてほしい――

 伝えるのは、現時点で俺がわかっていること。思っていること。それだけで十分だ。



件名 :いつまで篭ってるつもり?

本文 :かれこれ一時間近く篭ってるって聞いた。

   さっき、秋兄の部屋に入ったときに

   バイタルをモニタリングされてることには気づいた。

   その理由もなんとなくわかってるつもり。

   翠が言いたくないなら話さなくていい。

   ただ、もっと自分を大切にしろとは思う。



 何も難しいことはない。翠以外の人間から聞くのが癪ならば、翠から聞けばいいだけだ。

 ただ、無理に聞き出す必要もない。

 伝えたいことはひとつ――もっと自分を大切にしろ。

 翠、お前は俺をなんだと思っている? モニタリングされているからといって、見る目が変わるとでも思っているのか?

 ――もっと信用してくれていいし、頼ってくれていいのに。

 メールを送信し終わると、桜香苑のとあるベンチにたどり着く。そこは翠をよく見かける場所だった。

 昼休みや放課後、翠がここにいるのを何度か見たことがある。ベンチに座ってみるも、何がいいのかかさっぱりわからない。

 見てわかる違いといえば、ほかのベンチの周りにはないリスの石造が五体あるくらい。ほかは、目の前の芝生が少し広いのと、部室棟からの小道がきれいに見えることくらいだろうか。

 何を思っていつもここを選ぶのだろう……。

 考えていたらスマホが鳴った。

 メールじゃなくて電話――

「もしもし」

 かけてきておきながら返答なし。これじゃ通信機器の意味を成さないし……。

「そこ、意外と冷えると思うんだけど」

 仮眠室は仕事部屋とはまったく異なる部屋だ。コンクリート打ちっぱなしで部屋の広さは五畳くらい。なのに天井はかなり高め。

 L字型に作られた部屋の一辺にはベッドが置かれ、もう一辺は三階へと続く階段になっている。そんな部屋でも空調はガンガンに利いていて、仮眠する際に毛布をかけないと風邪をひきそうなくらいに寒い。

 翠は今、その部屋にいる。まるで人を寄せ付けず、ひとり孤立するように……。

「翠は、人にどう思われているのかが気になるんだろ? 中学の同級生に会えばそのくらいは察する」

 翠は、人間不信の気があるのだろう。

 そこまでひどいものではないかもしれない。けど、間違いなく片足は突っ込んでいる気がした。

 あんな人間たちの中にいたんだ。無理もない。

「……でも、そいつらと俺って同類なわけ?」

『違うっ』

 翠の少し高めの声が間髪容れずに否定した。

 これでようやく話しができそうだ。

「やっと喋った……」

 思わず笑みが漏れる。

「俺はまだ怖い人?」

『それも、違う……』

「じゃ、何?」

 少し間があった。そうして聞こえてきた声は、

『先輩、かな』

 決して間違いではない。学年で言うなら俺は先輩だ。

「先輩、か。それ、もう少し近づけない? 学年は違う。でも、年は同じだろ」

 俺は先輩かもしれないけど、同い年であることをもう少し気にかけてほしい。

 翠と初めて会ったあの日、俺は一足先に十七歳になった。翠だって今年には十七歳になるだろ。そう考えたら、もう少し身近に感じてもらえないか?

「俺はもう少し翠に近づきたいんだけど」

『……どうして?』

 きょとんとした顔が脳裏に浮かぶ。「どうして?」の答えは――

「気になるから」

 自分の中に明確な答えは見つけられていない。ただ、気になる。気になって目が離せない。

 翠からの返事はなかなか聞こえてこない。

 なんでこんなに間が空く……?

 っ――ちょっと待て。翠はバカ正直で素直なくせに、どこか変な思考回路を駆使してくる。

「翠、顔を見て話したい。たぶんだけど、翠は勘違いしていると思う」

 たぶん間違いなく、翠は今心配されていると受け取ったに違いない。目の前にいたら、顔さえ見えていたら、考えることは手に取るようにわかるのに。

 今、目の前に翠がいないことが、ひどくもどかしく思えた。

「仮眠室に入れてくれない? もしくは、迎えに行くから外で話そう」

 また沈黙のまま時が流れる。

「無理にとは言わないけど……」

 声が一向に聞こえてこない。ただ少し、動揺しているのか、息遣いがわずかに聞こえるのみ。

 その息遣いだけがつながっていることを教えてくれる。

 御園生さんが言った、「手ごわい」という意味をひしひしと感じていた。

 しばらくして、か細い声が聞こえてきた。

「翠?」

『あのっ――……話はしたくて、でも、外に行くのは無理で、だから……』

 内側から鍵を開けさせることには成功したらしい。

「了解。そこで話そう」

 通話を切ると、深く長く息を吐き出した。

「……電話で話すのってこんなに緊張するものだったか?」

 ふと疑問に思って空を仰ぐ。

 それも束の間、俺はすぐに立ち上がり足早に図書棟まで戻った。

 人の心の中へ入っていく、ということはしたことがない。

 朝陽が言ったとおりだ。人にここまで関わろうとするのはこれが初めてのことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る