03~07 Side 司 04話

 さっきこの部屋を出てから十五分近くは経つか……。

 そんなことを考えながらインターホンを押した。すぐにロックが解除され中へ入ると、秋兄と御園生さんが依然変わらない様子でこちらを見ていた。

「突破口開いたんで、仮眠室に入ります」

「さすがは従弟殿」

 秋兄が席を立ち仮眠室をノックする。

「翠葉ちゃん、司が入るって言ってるけど大丈夫?」

「了承なら得てから来たけど?」

「そうは言っても声はかけるべきでしょ」

 言いながら、秋兄はドアをそっと開けた。

「えっ!? 電気点けてなかったのっ!?」

 秋兄が照明のスイッチに手をかけると、

「やっ――」

 怯えの混じる声がした。

 俺はその声に反応し、秋兄の手を押さえる形で照明を消す。

「秋兄、いい。照明点けなくていいから」

 言うと、「あとは任せる」と秋兄の口が動いた。

「翠、入るよ」

 声をかけると、部屋の突き当たりに座る翠の頭が上下に動くのが確認できた。

 しっかりとドアを閉め、蹲るようにして座っている翠のもとまで行く。

 室内は小窓から差し込むかすかな光のみ。まだ完全に陽は落ちていないらしい。

 それでも、この部屋はやはり寒いだろう。

 なんでベッドじゃなくて床に座ってるかな……。また髪の毛が床についてるし……。 

 翠には自分の髪の毛が長いという自覚がないのだろうか。

「とりあえず……」

 ベッドの上に置かれていた毛布を肩からすっぽりとかけてやる。

 その動作の続きで、膝の上に組まれていた手に触れる。

 両手で、まるでお守りを持つようにスマホを握りしめていたその手に。

 やっぱり冷えたか……。ご丁寧に手首まで。

 電話で訊いたときは無反応だったし、なんでこんなに世話が焼けるんだか……。

「言っただろ? ここ、意外と冷えるって」

 困らせる前に手を放し、ベッドに腰を下ろした。

「さっきの話の続き。俺が気になるって言ったのは、体調云々の話じゃない。ただ、人間として興味があるって話」

「え……?」

 ずっと下を向いていた顔が、こちらを向いた。

 やっと顔が見えたかと思えば、目を大きく見開いて「何?」って顔。

「やっぱり勘違いしてたか……」

 目の前にいればわかる。ひとつひとつ反応を見て確認できる。通信機器で話すより確実で安心。

 今じゃスマホも通信手段としては文明の利器と言えるのだろう。けど、翠が相手だとあまり役に立たない。

 何しろ、かけてきておきながら話さない人間だし……。

「翠は反応が面白い。コロコロ変わる表情は見ていて飽きないし、会話の受け答えも新鮮だと思う。だから、興味がある」

「人として……?」

 呟くように訊き返された。

「そう。だから、死んでほしくはない。もっと自分を大切にしてほしいと思う。それも負担? 迷惑?」

 油断したらすぐに下を向かれそうで、やっと見えたその顔が見えなくなりそうで、そうはさせないために顔を覗き込んだ。

「そんなこと、ないです……。負担も迷惑も、かけているのは私だから」

「それだけど、俺は負担も迷惑もかけられた覚えはないけど? ……要は、そのあたりが原因でバイタルをモニタリングされてるんじゃないの?」

 目が泳ぐってこういうことを言うんだろうな。見て取れたのは明らかな動揺――

「話せるなら話して。翠以外の人間から聞くのは癪だから」

 今話してくれなかったとしても、ほかの人間から聞くことだけは避けたい。それなら知らないほうがまし――

「私、体調が悪いことを隠すとか意識してそうしているわけではなくて、ただ、好きな人たちに迷惑をかけたくなくて、負担になりたくなくて、ただそれだけで――」

 少しずつ、自分の思いを紡ぐように言葉を選んで話しだす。普段、思ったことをポロッと零すのとはまったく違う話し方。

 翠にとってこの話題は、そんな恐る恐る話さなくちゃいけないようなものなのだろうか。

 そう思うくらい、声は小さく、肩は震えているように見えた。

「いつも倒れるたび、誰かに迷惑をかけるたびに思うんです。すごく情けないなって……。情けなくて情けなくて、消えてしまいたくなる……。湊先生が言うには、こういう気持ちが具合が悪いことを申告できなくさせてるって……。それに、こういう考え自体が不整脈の原因にもなるって……私、知らなくて……」

 心的ストレスから不整脈。よくある話だ。それに翠は胃潰瘍の治療も受けている。痛み止めの副作用を疑っていたけれど、あわせて心労からもきているのだろう。

 ……どこまで繊細にできているんだか。

「そういう話をしたとき、バイタルチェックの装置を見せられたんです。体調が悪いことを自己申告できないなら、これをつけないと命の保証はできないって言われました。私が人に助けを求めないから。私が自分を大切にしないから……。それは人から見たら、自殺願望に思われても仕方ないって」

 つけさせたのは姉さんだったのか……。

「言われて初めて、自分のしていることに気づいたんです。でも、本当にそんなつもりはなくて――」

 一瞬泣いてるのかと思った。そのくらいに声が震えていた。

 そんな姿を見て悟る。

 ……あぁ、そうか。自分でもショックだったんだ。だから人に話すことに抵抗があった。

 さらには、聞いた人間が受ける衝撃だとか、そんなことまで考えたのだろう。

 だいたいにして、話すからといって全部を話す必要はないのに……。

 きっと自分をごまかすことはできても、人に対してはそういったことができない性分。

 どこまでも不器用で、どこまでも正直で――純粋過ぎて少し困る。十六年も生きていれば、少しくらい狡さだって覚えるだろ?

 俺は呆れの境地で、

「そんなことだろうと思ってた。翠はうちの生徒のくせに頭が悪い」

 ベッドの上から見下ろすと、

「もともとそんなに良くはないんです」

 小さいながらも、意外とはっきりとした声が返された。

「そういう返答、そこらの女子からは返ってこない」

 思わず笑みが漏れる。

 泣きそうな顔をしていたのに、今は少しむっとした顔をしてるんだ。

 本当に表情がよく変わる。

「バイタルチェックの装置ってどんなの?」

「え……?」

「モニタリングされてることには気づいたけど、どういうシステムなのかは知らないから」

 装置自体に興味があった。何よりも秋兄が開発したものだから。

 翠は無言で左腕のブラウスを捲り上げる。

 ブラウスから現れた細く白すぎる腕にも驚いたけど、その腕にピタリとはまっているシルバーのバングルに目を奪われた。

 それは唐草模様を彷彿とさせる曲線のバングルで、アクセサリーとして売られていても違和感のないもの。

 一見して、医療器具という感じは一切受けない。

 何よりも、似合っていた。まるで、そこにはまっているのが当たり前みたいな顔をして、はめられていた。

「秋兄、珍しく凝ったもの作ったな」

 そんなふうにしか言えなかった。ほかにどう言ったらいいのかがわからなくて。

「これで少しは楽になれたの?」

 それを苦痛に思ってはいないだろうか。

「まだよくわかりません。でも、蒼兄に『大丈夫か?』って訊かれる回数は減ったかも……? それに、ひとり行動も許されちゃったし、湊先生がこれは私の代弁装置だって言うくらいには画期的なアイテムなのだと思います。今ではパソコンとスマホからチェックできるみたいで、湊先生、秋斗さん、蒼兄、両親、栞さんが常にモニタリングしてくれています」

「……ならいいんじゃない」

 何よりも、姉さんや栞さんがチェックしてくれているのなら、安心できる。

 ふと気づけば、翠が俺をじっと見ていた。

 最近はあまりこういうことはなかった。けど、何を考えているのかはなんとなくわかる。どうせ、ろくでもないことだ。

「あのさ、俺のことなんだと思ってるわけ?」

「今日はすごく優しいなと……」

「いつも冷たいって……?」

 翠は迷わずコクリと頷いた。

「翠には甘いほうだと思う」

 朝陽に言われたとおり、自分でもそのくらいの自覚はある。

「基本的に、自分から女子には話しかけない」

「え?」

「前にも話したけど、女子はうるさいし面倒だから苦手。でも、翠にはそれを感じないから別枠と認識している」

 眩しいと思ったら、小窓から差し込む光が自分の顔に当たっていた。

 その俺を見ている翠も眩しそうに目を細めるから、俺のほうが眩しい、と文句を言いたくなる。

 ……あともうひとつ。今なら訊けば教えてもらえるだろうか。

 黙りこまれることも想定して問いかける。

「バイタルチェックのこと、なんで話すのを怖がった?」

 翠は少し困った顔をして、諦めたように口を開いた。

「……先輩が指摘したとおりです。どう思われるのかが怖かった……。これをつけることになったいきさつを話さないと、なんかごまかしている気がしてしまうし……。だからといって、根本的な部分は自分が衝撃を受けたばかりだったから、それを話してどう思われるのかがすごく怖くて……」

 やっぱり「怖い」だったか――

「顔、上げて」

「無理です」

 こんなときばかり即答する。でも、引くつもりもない。

「それでも上げて」

 どうやら拒否らしい。

 黙秘権行使のうえにこれか――本当に手のかかる……。

 御園生さんの甘やかしすぎを責めずにはいられない。

 強硬手段で翠の目の前にしゃがみこんだが、それでも翠の表情は見えない。

 髪、きれいだけどこういうときは邪魔だ。もしかして、顔を隠すために伸ばしてるんじゃないだろうな……。

 そう疑いたくなるくらい翠はよく、髪で顔を隠す。

 でも、こうすれば見える。

 顔を隠しているサイドの髪を耳にかけると、白い頬が露になった。

 そうされてもなお、視線は落としたまま。

 本当に頑固で意地っ張り……。

 無理に視線を合わせると、その目が揺れた。

「もし仮に自殺願望があったとして、それを知ってもさっき言ったことに変わりはない。自分を大切にしてほしいと思う。死んではほしくない。生きていてほしいと思う」

 翠は息をすることも忘れたみたいに口を少し開けている。

 そのまま視線を合わせていると、目に涙が滲み出した。

 泣くなら泣け……。

「もし、誰かに変な目で見られたなら、俺のところへ来ればいい。俺は変わらないから。それと簾条も、見方を変えることはないと思う」

 直後、自然と身体が動き、毛布ごと翠を抱きしめていた。

 自分がこんな行動に出るとは思わなかったし、何より自分が自分に驚いた。

 ただ、そのままにはしておけなかった。

 見ないでいてやる……。泣き顔は見ないから、だから泣いていい。

 いくら目が大きくて表面積が広めでも、これだけ水分が出てきたら留めておけるものじゃない。

 水面張力にだって限界はある。

 そうは思いつつも、頭の隅には御園生さんの顔が浮かぶ。

「……これ、御園生さんに怒られるんだろうな」

 翠を抱いたまま天井を見やる。

「え……?」

「事情はどうあれ、泣かしたことに変わりはない」

「先輩、大丈夫……。これ、嬉し涙だから……。嬉し涙っていうか、ほっとしたら涙が出てきちゃって……。先輩、ありがとうございました」

 あぁ、それもどうにかしたい。

 抱きしめたままに問う。

「それ、どうにかならない?」

「え?」

「藤宮先輩はやめてほしい。……言ったろ、もう少し近づきたいって」

「でも、なんて呼んだら……」

 腕から翠を解放して顔を見る。翠も俺の顔を見ていた。

 そうだな、願わくば――

「司」

「却下です」

「……妥協して名前に先輩」

「司、先輩……?」

 首を傾げる翠に、それで決定と言わんばかりに言葉を投げかける。

「次に藤宮先輩って呼んだらペナルティつけるからそのつもりで」

 立ち上がり、翠に手を差し出すと、翠は戸惑うことなく手を重ねた。

 ただそれだけの出来事。なのに俺は、どこかほっとしていた。


 仮眠室を出ると、仕事部屋の照明がひどくきつく感じた。

 翠も同じだったのか、右手を顔の前に翳し光を遮る。

「暗闇の世界から生還おめでとう」

 照明並みに明るい秋兄の声。

 入る前と変わらず、ふたりはダイニングスツールに掛けていた。

「司、翠葉のこと泣かせただろ……」

 御園生さんに少しむっとした顔を向けられる。

 予想はしていたけれど、

「無事生還したってことでチャラで」

 俺は御園生さんの視線を感じつつ、テーブルの前を横切った。

 翠は物珍しいものでも見る顔で、御園生さんを観察している。

 ……この人、翠の前ではどれほど完璧な兄を演じているんだか――

 若干呆れた眼差しを御園生さんに向けると、

「翠葉、大丈夫か?」

「うん、大丈夫。司先輩が珍しく優しかったから、なんだか得した気分だった」

 翠の言葉にいち早く反応したのは秋兄。

「……翠葉ちゃん、司の呼び方変わった?」

「はい。本当は同い年だから先輩をつけて呼んでほしくないって言われたんですけど、それだとほかの人にも留年しているの悟られちゃうので、司先輩で妥協してもらうことになりました」

「そっか……。司、どさくさに紛れて距離縮めたな」

「さあ、なんのことだか……。俺、生徒会の仕事に戻るから」

 御園生さんを前にして、防壁が取れた翠をもう少し見ていたいと思った。けど、これ以上秋兄にいらぬことを言われるのはいやで、図書室へ戻ることにした。

 いつか、御園生さんの前で見せるような笑顔を、自分にも向けてもらえるだろうか――

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