03~07 Side 司 02話
自動ドアが開き、最後の生徒会メンバーが入ってくる。
美都朝陽――俺以上に語学が堪能な人間。確か、英語、フランス語、イタリア語が話せる。
小さいころから長期休暇に入ると、語学留学と称して海外で過ごしてきたという。
学校では、群がってくる女どもにフェミニストな対応を一貫しているわけだが、正直、秋兄の上を行くフェミニストを初めて見た。
「朝陽、遅い」
どうせ女子と話していて遅くなったのだろう。そう思って声をかけると、
「悪い、最後の回収に手間取ってた」
残りの念書を渡され、
「これで最後?」
「そう」
念書の枚数と名前の確認を済ませ、一息つく。
やっと揃ったか……。
その紙の束を翠に手渡し、
「これで全部だから安心していい」
「ありがとう、ございます……」
「翠葉ちゃんの念書を集めるのに暗躍したのは簾条さんと佐野くんと司なんだよ」
優太の言葉に、「え?」って顔をして翠は俺の顔を見た。
「因みに、茜先輩のは私と会長と優太が動いてたの」
嵐が翠の隣で茜先輩の念書を手に取って見せる。
「生徒の自主性や自由は縛らない。でも、節度を持たせたりこういう部分でしっかりけじめをつけさせるのがうちの方針」
会長は自慢げに話すが、この人はただ、茜先輩を守りたいだけだと思う。
ふたりは付き合っているよう見えるが、実際は違うらしい。会長の長き片思いという話だ。
茜先輩は会長の気持ちを知ったうえで普通に接しているのだから、存外不毛な関係なのかもしれない。
「その子なの?」
朝陽は俺にたずねながら翠の方へと歩みを進める。
「二年B組、美都朝陽です。よろしくね」
朝陽はにこやかに手を差し出したが、翠は相変わらず人の手をすぐには取らない。優太のときと同じで、差し出された手をじっと見ては、警戒包囲網を発令中。
「翠葉ちゃん、大丈夫大丈夫。それも人畜無害だから」
翠の警戒包囲網を緩めようと試みたのは優太。
翠は優太の顔と朝陽の顔を交互に見てから、
「一年B組の御園生翠葉です。お手数をおかけしてすみません……」
結局のところ、翠は朝陽の手を取ることはなかった。しかし、朝陽は気にせず話を続ける。
「そんなお礼を言われるようなことでもないよ。これも生徒会の仕事だしね」
翠の、朝陽を観察する視線は外れない。隠れて見るのではなく、全身全霊で朝陽を観察中。もっとわかりやすく言うなら、フルスキャン。
思い返してみれば、初めて会ったときは俺もそんな視線を向けられた。初対面なのに、真っ直ぐ正面から見据えてくる目。不躾と言えばそれまでだけど、見て得られるものをすべて感じ取りたい――そんなところだったのだろう。
「噂には聞いていたけど、本当に人のことをじっくり観察する子だね」
朝陽の言葉に、翠ははっとした様子で謝罪する。
「気にしないで? 見られるのは慣れてるから」
実に朝陽らしい返事だったが、翠は面食らったようだ。大きな目をパチパチと瞬かせている。
「俺、格好いいからね。女の子によく見つめられるんだ」
皆が翠をかまい始め、作業が完全にストップしていた。
翠がここにいると作業が進まない、か……。
人と接する翠をもう少し観察していたい気はしたが、作業が詰むことを考慮して声をかけることにした。
「翠は外に行くんじゃなかった?」
「あ、そうでした……。加納先輩も今日は部活お休みです?」
「うん。こっちやらなかったら後ろのおっかないのに怒られる」
直後、翠の視線がこちらを向く。
「翠、何を考えているのか当てようか」
にこりと笑みを添えると、
「いえ、結構です。私、写真撮りに行ってきます」
翠は今さらのように慌てて図書室を出ていった。
図書室の窓から桜香苑へ向かう翠を見て思う。
今日は意外と暑い。
炎天下にずっといるなよ。少しは日陰で休むとか――……俺は御園生さんか?
我に返った瞬間、
「あの子が司のお気に入り?」
隣に並んだ朝陽も窓の外を見ていた。
「そういうわけじゃない」
「ふーん……。でも、司がここまで人をかまってるの、俺は見たことないよ?」
朝陽は無駄に笑みを添えて訊いてくる。
「手がかかる――それだけだ」
「……ま、そういうことにしておくよ」
「朝陽」
「ん?」
「翠には手を出すなよ」
「ひどいな。俺は手を出されることはあっても、自分から出しはしない主義なの」
言って選別作業に戻る。と、今度は茜先輩がやってきた。俺の視線を追うように外を見ると、
「司、あの子はただ見守ってるだけじゃ気づかないと思うわ。言葉にして伝えても怪しいかもしれないわね」
何を言われているのか意味がわからなかった。
「何が、ですか?」
「あれ……? ……ううん、こっちの話。今のは忘れて」
珍しく茜先輩と意思の疎通が図れなかった。
今のはいったいどういう意味だったのか……。
「司ー、とっととピンはねして写真吐き出してくんない?」
優太に急かされ、俺は窓辺から離脱した。
ぶっ通しで作業を続け、気づけば四時を回っていた。
メールに送られてきた写真は専用フォルダに振り分け、半分以上はプリントアウトを済ませている。二台のプリンターはそろそろインク切れの頃合いだ。
「隣から予備のインク取ってきます」
茜先輩に断り席を立ち、窓の外に目をやると、少し雲が出てきていた。
翠が出ていってからずいぶん時間が経っている。
……大丈夫なのか? そもそも、ひとりで行動させて平気なのか? 今日はとくに具合が悪そうには見えなかったが――
この作業もまだ終わりは見えない。一度休憩を入れて、様子を見にいくか……。
カウンター奥のドアロックは自分でも解除することができる。が、中に秋兄がいるときは極力開けてもらうようにしていた。
今日もそのつもりでインターホンを押そうとしたら、次の瞬間にはドアが開き秋兄が飛び出てきた。
ほぼ正面にいた俺に目もくれず、秋兄は血相を変えて図書室を出て行く。
作業に集中していたメンバーが手を止め、その背を見送る程度には慌てていたと思う。
何……? あんなに余裕のない秋兄は見たことがない。仕事でトラブルでも……?
いや、仕事のトラブルで慌てる人間ではない。
「秋斗先生、どうしたんだろうね?」
嵐が閉まったドアを見て言う。
「職員室じゃないみたいよ? 桜香苑に向かって走ってる」
ノートパソコンから目を離し、窓の外を眺める茜先輩が口にした。
桜香苑……? まさか、翠――!?
不安に駆られ秋兄の仕事部屋に入る。と、普段となんら変わりない光景があった。しかし、どこか違和感を覚える。
いつもと違うもの、違和感の正体は――
目に留まったのは秋兄のプライベート用ノートパソコン。
いつもなら、席を外す際には必ず持って出るノートパソコンの、電源が入ったまま。
不審に思い、数歩でデスクに近づきノートパソコンを覗き込む。
「……んだよ、これ――」
モニターには、「Suiha Misono Online Vital」というウィンドウが表示されていた。そこには、数秒ごとに変動する血圧、脈拍、体温の数値が並ぶ。おまけに、別窓には翠の現在地と思しき場所が表示されていた。
「こんなもの、いつつけた……?」
知らなかったのは俺だけなのか?
戸惑いながら数値を見るも、血圧はさほど低くはない。ただ、体温が異様に低く、脈拍もひどくゆっくり。
「睡眠状態……?」
っ……桜香苑でっ!?
驚きに桜香苑を凝視する。
普通なら、桜香苑で寝たりしない。だとしたら、ひとりでいるときに倒れた……? いやでも――
再び数値を見るも、血圧はそこまで低くない。
倒れたことで体位が変わり、血圧はもとに戻ったという可能性もなくはない。
そこまで考えて一度深呼吸をした。
「俺がこんなに焦る必要はないし、秋兄が迎えに行ったんだ。問題はない……」
問題があれば秋兄が姉さんを呼ぶはず。
ただ、面白くない……。なんで自分に隠されていたのかが、理解できない。
それに、こんなものを装着することになったいきさつは?
思い当たる節はいくつかある。翠の性格と体質的症状――あれを放置しておくのは危険すぎる。
翠は具合が悪いことを人に言わない。助けを求めない。いつか取り返しのつかないことになることは目に見えていた。そんなことは会って数日後には気づいていた。でも――そんな翠の性格からすれば、こんなものは絶対につけたがるわけがない。
わからないことが多すぎる。イラつく――
……何に? 話してもらえなかったこと? それとも、未だ頼ってもらえないことか……?
頭を軽く振り、翠のことから意識を逸らす。
「俺には関係ない」
インクを持ってこの部屋を出よう。
最後にもう一度だけ翠のバイタルを確認して、俺は仕事部屋を出た。
図書室に戻ると、秋兄と翠が戻ってきたところだった。
顔色がいいとは言えないが、翠は自分で立って歩いている。体温が低くとも、大した問題はないのだろう。
俺が怒るのは筋違いだ。だけど、どうしようもなくイラつく。
秋兄からは聞きたくない。御園生さんからも姉さんからも聞きたくない。
翠以外の人間から聞かされたところで癪なだけだ。
秋兄の「しまった」って顔が最悪……。
それは俺に隠しておくことだった、という意味で間違いないはず。そしてそれは、秋兄の考えではなく、ほかの誰でもない翠の意思。
それが何よりも面白くなかった。
声をかけることなく窓際の席へ戻ると、茜先輩が使っているプリンターのインクカートリッジを替える。
黙々と単純作業をこなしていると、茜先輩に声をかけられた。
「司、何かあった?」
「いえ、何も」
「そう?」
「はい。これでそっちのプリンターまた使えるようになりましたから」
そして今度は自分側のプリンターに取り掛かる。それが終わり顔を上げると、御園生さんが翠を迎えにきたところだった。
入り口付近にいた嵐に、「毎年のことだけど、すごい分量だね」と声をかける。
……くそ、イラつく――
「司、何か気になることがあるんじゃないの?」
俺から視線を逸らさずにいた茜先輩に訊かれた。
こういうときのこの人は厄介だ。指摘することの的を外すことがない。
俺は今、そんなにも思っていることが顔に出ているのだろうか。
翠じゃあるまいし、そんなことがあってたまるか――
「単なる眼精疲労です。茜先輩は大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ」
「俺はサプリを飲んできます」
席を立ち、すぐに図書室を出た。
確かに眼精疲労は溜まっていた。でも、サプリを飲むほどではなかった。ただ少し、頭を切り替えるきっかけが欲しかっただけ。
「なんで――なんで俺が振り回されなくちゃいけない?」
たかが少し身体が弱い同い年の後輩。たかが知り合いの妹。たかが従弟のクラスメイト。たかが生徒会に入ってくるかもしれない女子――それだけだ。
とくに深い関わりがあるわけではない。
今まで周りにはいなかったタイプで、どこか世間ずれしてて――違うか。あれは世間知らずというほうが正しい気がする。そのくせ、警戒心だけが強くて。なのにふざけたくらい無防備で。
懐きそうで懐かない小動物……。
「考えてもわからないものってあるんだな……」
とにかく気になる、それだけ――
夕方になって少し冷たくなった空気を肺に入れる。そのあと、何度か腹式呼吸をするとだいぶ落ち着いた。
これで図書室に戻って茜先輩に何を言われることもないだろう。
そう思っていた俺は甘かったようだ。図書室に戻ってすぐ、
「司は上手よ。でも、無表情に拍車がかかるみたいね」
茜先輩は俺を見るでもなく、俺以外には聞こえない声で淡々と口にした。
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