18話

 お昼を回ると三十六度八分まで熱が下がった。

「勉強しようかな……」

 身体を起こすとスマホが鳴る。

 すぐに鳴り止んだところをみると、メールの着信らしい。



件名 :生きてる?

本文 :知恵熱って聞いたけど……。

   もし身体を起こせるなら、

   いつものメンバーでこれから行こうと思う。



 佐野くんからのメールだった。

「行くって……ここへ来てくれるということ?」

 すぐにメールの返事を送ると、今度は電話が鳴り始めた。

「もしもし?」

『御園生? 起きられるなら俺たちこれから行こうと思うんだけど、いい?』

「大丈夫だけど……。でも、みんなテスト前なのにいいの?」

『だからだろ? 今日の分のノートもあるし。とにかく行くよ』

「……ありがとう。待ってるね」

 通話を切ると洗面を済ませ、ルームウェアに着替えてリビングへ出る。

 栞さんの姿を探すと、栞さんはキッチンでお昼ご飯を作っているところだった。

「あら、もう起きられるの?」

「はい。今から――たぶん一時間くらいしたら、かな? 友達が来てくれることになって」

「あら、そうなの? じゃ、何か軽く摘めるものを作るわね」

 栞さんはすぐに冷蔵庫をチェックし始めた。

「栞さん……。自分の中で整理がつかないことを相談するのって、どうしたらいいんでしょう……」

 栞さんは冷蔵庫を閉じてこちらに来てくれる。

「起きた出来事や、そのとき感じたことをそのまま話せばいいと思うわ。そして、一緒に考えてもらったり意見を聞いたり。最後に自分で答えを出せばいいのよ」

 こういうときに栞さんの笑顔を見ると、ほっとする。

「起きたことと思ったこと……。それなら話せるかも?」

 そんな会話をしていると、佐野くんから追加のメールが届いた。

 どうやらお昼ご飯を途中で食べてくるので、着くのは二時ごろになるらしい。

 私のお昼ご飯は野菜のドロドロスープではなく、ちゃんと固形物が入っている野菜スープ。

 ポトフのようなスープを食べ、しばらくすると時計が二時前を指していた。


 インターホンが鳴り、栞さんが出迎えに出てくれた。

 私はというと、自室のソファに転がってぼーっとしている。

 案内されて私の部屋まで来た四人には呆れられた。

「あら、見事に飽和状態ね」

「「だな」」

「だね」

「……反論できず、かな」

「こりゃ重症だ」

 と海斗くんに烙印を押された。

 四人はソファに座ったりラグに腰を下ろし、「何があった?」と訊いてくれる。

 私は身体を起こし、少しずつ話すことにした。

 この四人になら話せる。何が起こったのか、そこから話せばいいのだ。

「あのね、一昨日、ウィステリアホテルで司先輩がお見合いをしていたらしきことを知って、胸がぎゅって鷲掴みにされた気がしたの。でも、どうしてなのかよくわからなくて混乱してる中、秋斗さんに『お試しで恋愛してみない?』って言われて飽和状態。……意味伝わる?」

「「「「はっ!?」」」」

 ……あれ、だめ?

「御園生、簡略しすぎ。もーちょい詳しく話してみ?」

 佐野くんに言われて、「もう少し詳しく」を試みる。

「一昨日は秋斗さんに森林浴へ連れて行ってもらったの。こちらに帰ってきてもウィステリアホテルでディナーの予約がしてあって……。なぜかドレスにまで着替えさせられて、四十階の個室でおいしいご飯をいただいたの。ホテルから帰ろうとしたら前方のエレベーターホールに二組の家族がいて、その中のひとりが司先輩だった。先輩は女の子をエスコートしてエレベーターに乗ったの。そしたらね、胸がぎゅって苦しくなって、ひとまず秋斗さんに手を引かれるままに二階のお店でドレスを着替えたのだけど……。秋斗さんから司先輩のお見合い話を聞いたら、もっと胸が苦しくなって……。そのときにね、秋斗さんに『僕と恋愛してみない?』って言われてびっくりしたの。おうちに送り届けてもらったときには、お試し恋愛なのは私だけで、自分は本気だからって言われて――以上が起こった出来事のすべて」

「……で、何がどのようにわからないの?」

 飛鳥ちゃんに訊かれて悩む。

 何がどのように――

「何もかも、全部……」

「だってそれって――」

「飛鳥そこまで。……これは前者に関しては翠葉が自分で考えて答えを出さなくちゃいけないことだと思うの。でも後者は――ちょっと考えちゃうわね」

 桃華さんの言葉に海斗くんと佐野くんが頷いた。

「飛鳥ちゃんの好きな人は秋斗さんなのでしょう? どうしよう?」

「いや、そこじゃないだろ」

 ペシ、と佐野くんに額を叩かれる。

「え? 違うの?」

「違います……」

 佐野くんに真顔で返された。

「えぇと……実のところ、秋斗さんに言われたことは要領を得てなくて、ちゃんと理解できてないかもしれない……」

「その件なら俺が補足してあげられるかも……。秋兄、たぶん本気だと思うよ」

「……はい?」

 思わず訊き返してしまう。

「俺が知ってる範囲の話だけど……。昨日秋兄が珍しく藤山の家に帰ってきてさ、今来てる見合い話を一掃していった。あと、スマホをふたつ持ってたんだけど、その片方を解約したとかなんとか。一気に身辺整理始めたから何かあるとは思ってたけど、その原因がまさか翠葉とは……」

 気分的には飽和指数が増した気分だ。

「ゆっくり考えてから返事をしてほしいって言われたの。でも、どこかからかわれている気もしていたし、本気なのか冗談なのかわからなくて……。そもそもどうしてこんなことになっているのかもわからなくて……」

 それが正直なところだった。

「いまいち信用ならないけど、それは翠葉に好意があるからでしょう? それに、『本気だから』って言われてるじゃない」

 確かに本気だとは言われた。でも、その言葉を額面どおりに受け取ることはできなかったし、もし額面どおりに受け取ったとしても、現実味がない。何をどう考えたらいいのかの指針にはなりそうにない。

「くっ……いるんだなぁ。世の中にはこういうやつ」

 海斗くんがおかしそうに笑うと、

「いるみたいねぇ……。恋愛に疎い子」

 ソファにもたれかかる桃華さんも呆れたような物言いだ。

「御園生って苦労しそうだな?」

「その言葉嬉しくないよ? 佐野くんに真顔で言われたら、本当に苦労することになりそうでちょっといや」

 しばし見つめ合うと、飛鳥ちゃんが「コホン」と咳払いをした。

「翠葉、ひとつ訂正が……。私が秋斗先生を好きなのは、恋愛じゃなくてファン的なアレだから、まったくもってお気になさらず!」

「えっ、そうだったの!?」

「そうなの。ま、その話はまた今度ね? とりあえず、秋斗先生は騒ぎたい人ってだけだから」

 そう、なのね……。

「ゆっくり考えればいいじゃない。……そうよ、焦らすくらいに長時間悩んでやりなさいよ」

「お前が鬼なのは知ってたけど、やっぱ鬼なのな」

 海斗くんが桃華さんをまじまじと見る。

「だって、相手は九歳も年上なのよ? あまりにも余裕がありすぎて、ちょっと悔しいじゃない……。きっと、待たせるくらいがちょうどいいのよ。そのくらい待ってもらわないと本気が見えないわ」

 桃華さんはどんなことに対しても容赦なかった。

 でも、とりあえず飛鳥ちゃんの件はクリア、かな。

「それにしても、あの男がお見合いっていうのが納得できないのよね……。藤宮司ってそんな人間じゃないでしょ?」

「あぁ、それは俺も不思議に思ってたとこ。見合い話が来るのは仕方ないにしても、司が黙ってお見合いするとは思えない」

「でも、藤宮先輩が婚約するかもって話はテニス部女子の中では噂になってたよ? 確か、マリアンヌ女学院の中等部三年生が相手って噂」

 飛鳥ちゃんの言葉に、また胸がぎゅってなった。すると、

「立花、噂ほどあてにならないものはないよ」

 佐野くんが真面目な顔で指摘する。

「でも、火のないところに煙は立たないっていうじゃん」

 飛鳥ちゃんがクッションを抱えながら反論すると、

「それでも。……じゃないと、その人に対して失礼だ。噂なんて悪意さえあればどこにだって簡単に広まる」

「……それもそっか」

 飛鳥ちゃんは渋々と納得する。

 今の佐野くんの言葉は心に残りそう。とても重みのある言葉に感じた。

「佐野、ムカつくくらいいいこと言うじゃない。ちょっと見直したわ」

 桃華さんがソファから身を起こして佐野くんに声をかけると、

「簾条に見直されるとは、俺もなかなかやるな」

 佐野くんは少しおどけて見せた。

「話をもとに戻すけど、司のことはさ、翠葉が気になるなら本人に直接訊いてみればいいと思う」

 言われて、そのとおりだと思った。

「そっか、そうだよね? わかりもしないことをうだうだ考えてても仕方ないものね?」

 ……ん? あれ?

 私はお見合いだったのかどうかを知りたかったのかな? 何か違うような……。

 少し考えて、どうしても知りたかったことを思い出す。

「あの……恋って胸がぎゅって痛くなるの?」

 訊くと、四人から無言の視線が集まった。

 どうしてみんな無言なのだろう。加えて言うなら表情が硬い。

「参考までに……。御園生の初恋っていつよ」

「え? あの……初恋未経験早十六年で、あと一ヶ月もしないうちに十七年目なのだけど……」

「「天然記念物?」」

 飛鳥ちゃんと海斗くんが顔を見合わせる。

「いや、これは絶滅危惧種の間違いじゃね?」

 いつかの春日先輩と同じことを言ったのは佐野くんだった。

「本当、世話のし甲斐がある子ってかわいいわね……。翠葉、恋にも色んな形があるし、色んな想いがあるわ。だから、それは自分で見つけなくちゃ。時と場合によっては秋斗先生とのお試し恋愛も悪くないんじゃない?」

 秋斗さんとのお試し恋愛……。

 昨夜のことを振り返ると、ひとつ思い出したことがあった。

「あのね、そのお試しなのだけど……。どうもクーリングオフ制度もついてるみたい」

「翠葉……。非常に申し訳ないんだけど、間違いなく秋兄本気だわ。これは心してかかってね?」

「え? それはどういう意味?」

「いや、普通に。すごく翠葉のこと好きなんだと思う。俺、秋兄がこんなに人に執着してるの初めて見るし……」

「まぁ、秋斗先生のは態度見てたらわかったけどねぇ……」

 飛鳥ちゃんの言葉にびっくりする。

 それはどこら辺の態度を指しているのだろう。

「まあさ、これから中間考査だし、秋斗先生のことはちょっと置いておいて、テストが終わったらゆっくり考えてみれば? 時間を置いたほうが、物事見えてくることもあるし」

 佐野くんの言葉に少し救われる。

 そっか……。そしたら一週間ちょっとは考えなくて済むよね?

 そう思ったら少し落ち着いた。

 その頃合を見計らったようにスマホが鳴り出す。

 でも、誰から……? 秋斗さんがスマホをいじってくれてから、友達や家族からのメールや電話はオルゴールの着信音が鳴るようになっている。けど今の着信音は、ごくシンプルな音だった。

 不思議に思いながらスマホを見つめていると、

「メール、見ないの?」

 飛鳥ちゃんに覗き込まれ、

「知らない着信音だったから……」

 私の一言に、

「見るだけ見てみたら?」

 桃華さんに促され、意を決してメールを開く。

 みんなに覗き込まれたディスプレイには――



件名 :秋斗です

本文 :熱は下った?

   湊ちゃんから知恵熱って聞きました。

   知恵熱の原因が俺だと嬉しいんだけど……。

   とりあえず、俺の連絡先を登録しなおしてほしい。

   これ、翠葉ちゃん専用の回線だから。

   いつでもメールくれていいし、電話も可。

   待ってるからね。


   090-xxxx-3180

   you_are_everything@xxxx.ne.jp



「うっわー……。秋斗先生言うねぇ? 翠葉、いつもこんななの?」

 飛鳥ちゃんに訊かれて少し困る。

「これ、どう取ったらいいの? 冗談なのか本気なのかわからない……」

 両膝を抱えて蹲ると、

「いや、本気でしょ。見なよ、この電話番号にアドレス。『3180』って翠葉ってことでしょ? しかも、アドレスなんて、自分の兄ながら目を逸らしたくなる溺愛っぷりじゃん……」

 言いながら、海斗くんがラグに転がる。

「翠葉、意外と本気なのかもしれないわよ?」

 桃華さんに言われ、

「俺には冗談だとは思えないけどな……」

 佐野くんに止めを刺された。

「……海斗くん、ひとつ質問が……」

「苦しゅうない。言うてみよ」

「秋斗さんって、いつから『俺』って言うようになったのかなぁ……。私の前ではいつも『僕』だったのに……」

「……それ、警戒されないためかなんかだったんじゃないの? だって秋兄、俺と話すときは常に『俺』って話すよ?」

 海斗くんのその言葉に、四人がフリーズしたのは言うまでもない。

 おかしいな……。私、蜘蛛の巣に引っかかった被食者だったりするのかな?

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