04 Side 明 01話

 まさか同じクラスになるとは思っていなかった。

 窓際の、前から三番目の髪の長い女の子――御園生翠葉。

 誰も知っている人がいない高校の中で、俺が唯一知っている女の子。

 知っている、というのは少し語弊がある。

 正しくは、何度も彼女を見かけている、だ。それも、俺たちの年には似つかわしくない場所、病院で――


 最初はリハビリ仲間の噂に登場した。

「すっげーかわいい子が入院してんの知ってるか?」

 そう言い出したのは青田省吾あおたしょうご

 高校二年の彼は、バイク事故で足や腕を骨折して入院していた。

「あ、知ってる! たまーにお昼時にここに来ますよね! 髪の長い子っ」

 うんうん、と頷きながら話に加わったのは、俺と同学年の山田太郎やまだたろう

 いかにもマンガに出てきそうなバカキャラチックな名前だけど、意外と頭はいいらしく、たまに英語を教えてもらったりする。

 こいつは自転車で悪ふざけしてこけたそうだ。

 俺は利き足に問題があって、それを短期間で治すために入院した。

 三学期の終わりから春休みいっぱい入院して、徹底的に治療に励んだ。今は週に一度、通院している程度。

 五月には本格的に練習に戻れる予定。

「どうやら東棟三階の病室らしいことはわかったんだけどさ」

 省吾さんがなけなしの情報を開示した。

 でもこの人の病室、確か南棟の二階だった気がする……。どうやったらそこまで調べられるんだろう。

「東の三階ってことは循環器ですね」

 太郎が無駄な知識を披露した。

「でもさ、この間すっげーかっこいい人と一緒にいたんだよねぇ。あれはさぁ、美男美女過ぎて反則。絶対声かけらんねーって思ったもん」

 あっという間に省吾さんが撃沈。

 ふーん、彼氏持ちか。

 そんな話をしている最中だった。

 リハビリルームのドアが少し開き、顔だけを覗かせて、中をキョロキョロとうかがう女の子がいた。

 不思議に思って見ていると、ほかのふたりも気づいたようで、そちらに目をやる。

「あっ、あの子だよ、あの子っ! 超かわいくね?」

 省吾さんが興奮気味だ。

「そうそう、色白でさ。ロングストレートの髪が清楚でいい!」

 なんて、太郎も涎を垂らしそうな勢いで見ている。

 確かに、ふたりが騒ぐのも頷けるほどにかわいかった。

 かわいいっていっても甘ったるい感じじゃなくて、きれいっていうのとも少し違う気がする。一言で言うなら美少女。

 彼女はリハビリルームの一番奥にあるマットに誰もいないのを確認すると、そろり、と入ってきた。

 それに気づいた理学療法士の朝田あさださんが声をかけ、近くに寄る。

「翠葉ちゃん、今日は許可が出たの?」

「はい、ちゃんと許可もらってきました。マット、お借りしてもいいですか?」

「いいわよ。無理はしないようにね?」

 それだけの会話で朝田さんは違う患者のもとへと移動した。

 どうやら、補助が必要なリハビリではないらしい。

 そのままなんとなく目で追っていると、マットの上でストレッチを始めた。

 うわ、身体柔らけー……。

 あっさりと開脚をした。そして、のべーっと身体をマットに倒す。

 自分も身体は柔らかいほうだと自負しているけど、あれには負けるな。

「おい、明。そんなにじろじろ見てると怪しいから止めろよっ」

 省吾さんに小突かれる。

「ま、見惚れるのはわかるけどよ~。しょせんは目の保養だよな」

 太郎は俺の影から不振者全開で彼女を見ていた。

 俺はそのまま自分のリハビリに戻ったけど、どこかで見たことがある気がして、どこでだったかを必死に思い出そうとしていた。

 集中してリハビリをすることもできず、ひたすら頭の中をひっくり返す。

 どこかですれ違ったと思うんだけど……。

 時期的にもそんなに前の話じゃない。

 今年だったと思うんだよなぁ……。

 その日のリハビリをこなすと、

「じゃ、俺帰るわ」

 と、廊下に出た。

 いつもと同じように表玄関ではなく、救急外来の搬出口へと向かう。

 本当はいけないんだけど、こっちの方がバスの停留所が近くて。

 そのとき、救急車が到着してストレッチャーで運ばれてきた人がいた。

 反射的に壁際へ身を寄せる。と――

「……思い出した」

 そうだ、俺が退院するときに運び込まれてきた子。

 すっごい真っ青で今日見た印象とはずいぶん違ったし、酸素マスクしてたから顔の半分は見えなかったんだ。

 え……? ちょっと待てよ?

 俺が退院したのは三月二十六日だろ? ……ってことはあれからずっと入院してるってことか? 早一ヶ月半?

 太郎が循環器って言ってたけど、どこが悪いんだろう?

 ま、俺には関係ないか……。

 とりあえず思い出せてすっきりしたので良しとした。


 それからも俺は、一週間に一度病院に通っていた。

 術後の経過もいいし、陸上の練習も再開している。

 けれど気になることがあった。

 彼女だ……。

 もう七月だというのに、未だに院内で見かける。

 ごくたまに、リハビリルームで見かけることもあるし、点滴をしながら車椅子を押されているところも見たことがある。

 かと思えば、中庭で小さいハープ弾いてたり。

 すごい意味不明だった。

 だけど、楽器を持つ姿は様になってたし、音も柔らかくてきれいな音だった。

 病院に来ると彼女を探す癖がついてしまった。

 ま、探したところで見かけることのほうが少ないんだけど。

 その日、中庭でパンをかじっていてふと顔を上げたら彼女がいた。

 いた、と言っても東棟三階。

 あ、マジで東棟の三階だった……。

 たぶんだけど、泣いていたと思う。

 誰かに呼ばれたのか、パジャマの袖で涙を拭うと部屋の中を振り向いた。

 その彼女の隣に背の高い、確かに格好良さ気な男が立っている。

 彼女が泣いていたことに気づいたのか、彼女を抱きしめ宥めているようだ。

 あぁ、確かに……。あれは省吾さんも太郎も声かけらんねーわ……。

 すると奥からもうひとり。親かな? って思うような女の人が現れて、男と彼女の背中をポンポンと叩いた。

「なんだ、親公認じゃん」

 シルエットのみではあるものの、とても様になるふたりを一階中庭から眺めていた。

 あれ? 俺、何してるんだ……?

 これって単なる覗きじゃねーの?

 そう思った途端に恥ずかしくなって、周りをキョロキョロ見て誰もいないことを確認すると、足早にその場を立ち去った。

 こうやって、彼女の記憶は断片ばかりが溜まっていった。


 十一月に入ると彼女を全く見かけなくなった。

 退院したかな?

 そりゃ、あれだけ長く入院してたんだ。そろそろ退院しててもおかしくないだろう。むしろ、遅いくらい……。

 ……まさか、亡くなってたりしないよな。

 なんだか変なことを考えてしまう。

 自分の治療もほとんど終わって月一で通院してくるだけになった。

 今は来年の高校受験に向けて、勉強が追い込みで忙しい。

 俺は来年、憧れの人が通っていた高校へ行く。

 いや、まだ受験してもいないから行く予定。

 スプリンターの御園生蒼樹さん――あなたが俺の目標です。


 俺の受ける高校は少し変わっていた。

 自分は陸上の特待枠で受けるわけだけだから、一般に言うところの推薦入試ってやつだ。

 けれど、この学校は推薦入試と一般入試の日が一緒である。

 試験を受ける教室も同じ。

 上限二十人という枠だけど、受験者は一〇〇人に届かないらしい。

 かなり有名な進学校ではあるものの、レベルが高すぎてチャレンジする人はいても一〇〇人前後というのが毎年のことなのだとか……。

 因みに、特待枠でも学力レベルが満たなければ受からないというシビアな学校。


 一月の中旬、ひとりブラブラと願書を出しに行った。

 ほかの高校は、受ける人間が一団となって願書を提出しに行くが、ここを受けるのは俺の学校で俺ひとり。よって、願書もひとりで出しに行く。

 広い敷地内を十分ほど歩くと、職員棟らしき建物が見えてきた。

 入り口を入って窓口を見たとき、正直目を疑った。

 あの彼女が立っていたからだ。

「よろしくお願いします」

 と、封筒から願書を取り出し渡すところをバッチリ見た。

 すれ違うとき、なんともない振りをしたけれど、内心はすごく驚いていた。

 心臓がバクバク鳴る中、自分も願書を窓口の人に渡す。と、前に出されたであろう願書が見えてしまった。

 見えてしまったのは一瞬で、一部しか見ることはできなかった。

 でも、見えた部分に違和感を覚えた。

 なんでなのかをすぐに考える。

 名前の下に見えたのは生年月日――自分と同じ生まれ年ではない。

 俺が早生まれだからとかそういう問題じゃなくて、物理的に一学年上……。

 留年、したんだ……。

 すぐに謎は解けた。

 それはそうか……。

 去年の三月二十六日に運びこまれて、少なくとも俺は彼女が十月頭までは病院にいたことを知っている。

 ……留年、したんだ。

 でも、死んでなくて良かったと思った。

 なんでかな……。病院で泣き顔を見てしまったからだろうか。

 退院できて良かったな、って思った。思わず追いかけて、声をかけそうになるくらい。

 外に出た彼女は、背の高い男と並んで歩いている。

 もしかしたら、あのとき病室にいた男かもしれない。

 手をつないで、どこかふわふわと歩く彼女。それをつなぎとめておこうとしているように見える男。

 お互い、入学が決まったら話す機会はあるのかな?

 入学するには、まずその前の試験を勝ち抜かなくちゃいけないし、入学が決まったとしても同じクラスになる確率は七分の一。


 そう思っていたのに――

 このクラスの窓際には、窓の外をぼーっと眺めている彼女がいる。

 自己紹介のときは、ひどいうろたえぶりだった。

 前の席のやつに何か言われたのか、そのあとはスラスラと話し始めたものの、声はどんどん小さくなる始末。

 年上には全然見えない。

 思わず笑みが零れる。

 話しかけたいなとは思ったけど、どうやらホームルームが終わったら早々に、職員室へ行かなくてはいけないらしい。

 彼女はクラスメイトに囲まれて、きょとんとしている。

 まあいいや。一年間は同じクラスだし、話す機会もあるだろう。

 けど、安心して。

 君がひとつ年上なことも、入院していたことも、誰にも言うつもりはないから。

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