18~19 Side 桃華 01話

「ねぇ、今日翠葉休み?」

 訊いてきたのは海斗。

「いつもだったらもう来てる時間だよね?」

 飛鳥も不思議そうに、私と海斗の間にある席を指差して言った。

 昨日も一昨日も、私が登校してくる八時過ぎには姿があった。けれど、その席は主なき空席。

 この日、彼女はホームルームが始まっても姿を見せなかった。

 そしてホームルームの最後に、担任の口から体調不良で休みであることを知った。

 思い当たる節がないわけじゃない。

 昨日、彼女のお昼ご飯はスープのみだったし、午後には話しかけても反応が鈍かった。

 熱でもあったのかしら?

 私が冷静に思い出しているのに対し、飛鳥はどんよりとした空気をかもし出す。

「翠葉、大丈夫なのかなぁ……。昨日はスープしか飲んでなかったし……」

「まぁ、休むくらいには体調が悪いってことでしょう?」

「そうだよねぇ……」

「何、飛鳥も桃華も翠葉の携番やアドレス聞いてないわけ?」

 海斗に訊かれて舌打ちしたくなる。

「だってさ、高校始まってまだ四日だよー?」

 飛鳥の言葉に便乗して頷く。

 迂闊だったわ。とっとと訊いておけばよかった。

「あー……今日はかわいい翠葉の声が聞けなーい……。あのさらっさらの髪の毛にも触れなーい……。あのかわいい顔も拝めないなんてえええっっっ」

 うるさい飛鳥を横目に、

「とりあえず、今日の授業ノートの分担をしましょう」

 私が提案すると、その話にもうひとり加わった。

「それ、俺も手伝う。人数多いほうがいいだろ?」

 もうひとりのクラス委員、佐野明だ。

 何よ、「クラス委員なんて柄じゃないんだけど」なんて言いつつ、ちゃんとクラス委員ぽいことできるんじゃない。

 そんなことを思いつつ、彼にも一教科担当してもらうことにした。

 

 佐野とはこれをきっかけに話すようになった。

 佐野は、私が登校してくる時間にはいつも教室で寝ている。きっと朝練の疲れか何か。そして、その佐野を飛鳥が起こすのが日課のようになっていた。

 その佐野から渡されたルーズリーフを見て目を瞠る。

 外部生なのだから、それなりに勉強はできるのだろうとは思っていた。でもそれが、ありありとうかがえるノートに息を呑む。

「私が休んだとき、ノートは佐野にお願いしたいわ」

「簾条って学校休みそうに見えない」

「失礼ね……。熱を出せば休むわよ」

「そう? じゃ、そんな日には頼まれてやるよ。だから俺が休んだ日のノートは海斗に任せないでくれ」

 クリアファイルに入っていた、海斗が担当した英語のノートを見て苦笑する。

「本当に……。海斗のノートだけはごめん被るわ」

 海斗には英語をお願いしたものの、ルーズリーフには単語の走り書きしかされていない。

 こんなの、教科書のどこを授業でやっていたのかすらわからない。

 思い切り深いため息をつく。

 まぁ、翠葉宛の一言メッセージが書いてあることだし、翠葉は喜ぶかもしれない。

「簾条、シャーペン貸して」

「え?」

「俺も一言書きたい」

「どうぞ」

 シャーペンを貸すと、その場でサラサラと翠葉へのコメントを書いた。

「でも、これを渡せるのは明日か……。御園生、明日の授業大丈夫かな?」

「それなら安心して。今日中に届ける予定だから」

「え? 簾条、御園生の家まで行くつもり?」

「まさか……。携帯の番号もアドレスも知らないのに、自宅の住所なんて知ってるわけないじゃない」

「そりゃそうだ」

「翠葉のお兄さんが大学にいるのよ。だから、そっちを捕まえるつもり」

「なるほど。じゃ、あとは頼んだ」


 授業が終わると、すぐに大学へ向かった。

 確か建築がどうのって話を聞いた気がするから、そのあたりの人間を捕まえればわかるだろう。

 大学敷地内に入り、カフェの前を通り過ぎようとしたとき、オープンカフェに座っていたふたり組に声をかけられた。

「大学に用?」

 ふたりの内、右側のとても軽そうな男に訊かれた。

 いつもなら無視するところだけれど、今日は利用させてもらう。

「あの、御園生蒼樹さんをご存知でしょうか?」

 珍しい名前だしあの容姿だ。名前くらいは通っていそうなもの……。

「理工学部建築学科の?」

 詳しくは知らないからにこりと笑みを返した。すると、左側の男が、

「それなら木藤教授のとこじゃないかな」

 続けて右側の男が、

「何? 蒼樹に気があるの?」

 などと訊いてくる。

 なんて無粋な……。

「いえ、妹さんに渡していただきたいものがあるので、それを届けに来ただけです。木藤教授は今どちらに?」

「ちょっと待ってね」

 今度は左側の人間がスマホを取り出した。

「あ、蒼樹? うん、カフェで息抜き中のたまきだよ。――怒るなよ~。あのさ、今、妹さんの友達って人が蒼樹を訪ねてきてるんだけど。――え? 名前なんて知らないよ。ちょっと待って」

 スマホから耳を離してこちらを向く。

「ごめん、名前訊いていい?」

「簾条です」

「あ、もしもし? 簾条さんって黒髪の女の子。――今カフェだってば。――わかったー」

 スマホを切ると、にこりと笑顔を向けられる。

「今からここに来るって言うから少し待っててもらえる?」

「ありがとうございます」

「それまで一緒にお茶でもどう? ご馳走するよ?」

 右側の人にお茶に誘われたけれど、そんな気はさらさらない。

「私日焼けしたくないので、あちらのベンチで待たせていただきます」

 そう言って断ると、左側の人へと向き直り、

「お手数おかけして申し訳ございません。とても助かりました。ありがとうございます」

 笑顔で礼を述べその場をあとにした。

 カフェが視界に入る木陰のベンチに座り、本を取り出したけれど、蒼樹さんは五分と経たないうちにやってきた。

「お呼びたてしてすみません。あの、これ……今日の授業のノートです。翠葉に渡していただけますか?」

 クリアファイルを差し出すと、蒼樹さんは驚いた顔をした。

「このためだけに来てくれたの?」

「はい。あとは図書館に所用がありましたので」

「そうか、ありがとう。翠葉、喜ぶよ。すごく学校に来たがってたから」

 と、少し寂しそうに笑った。

 そんなにも具合が悪いのだろうか。

「風邪、ですか?」

「んー……ちょっと張り切りすぎて疲れちゃったみたい。少し発熱してるだけだから大丈夫だよ」

 その割には表情が浮かない。

 ま、本人が出てくればわかることね。

「お呼びたてして申し訳ないのですが、本当に用はそれだけなんです」

「いや、ありがとう」

 そのあと、蒼樹さんは私を図書館まで送ってくれた。

 途中人とぶつかりそうになれば何気なくかばってくれたり、無言にならないように話題を振ってくれたり。短時間ではあったけれど、優しい人だということがうかがえた。

 妹と同じ年だから慣れているのかしら……? でも、年下を扱うような感じで話されているわけではないし……。フェミニスト、というよりは紳士的。

 海斗とは一味も二味も違う「人当たりのよさ」を感じた。

 結局、読書コーナーの害虫どもを振り切ってその奥のコーナーに行くのが面倒だという話をしたら、蒼樹さんは笑いながら目的地まで送り届けてくれた。

 翠葉をここに来させたくないと思うのも無理はない。だからと言って、クラスメイトの私にここまで親切にしてくれると、少し勘違いしてしまいそうになる。

 翠葉。あなたのお兄さん、相当できた人よ?

「蒼樹さん、翠葉の好きな人の理想を訊いたことありますか?」

「え? ないけど……どうして?」

「いえ、少し知りたくなっただけです」

「……それ、情報を得たら俺にも教えてくれない?」

「……どうしましょう?」

 クスクスと笑いながら答えを渋る。

 目的地に着くと、蒼樹さんは軽く手を上げて来た道を戻っていった。

「こんなに格好よくて、できたお兄さんがいるんだもの。翠葉の理想が低いわけないわ」

 翠葉は恋愛で苦労しそうなタイプね。

 そんなことを思いながら、今日借りる予定の本に手を伸ばした。

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