第10話「くそ不味い」

 宿での仕事というのは多く、殺し屋をしていた時に比べると、激しい動きをしなくはなったが、立っている時間が長くはなった。

 しかし、そうは言ってもずっと働き続けるわけでは無い。

 『月光』では、昼の食堂での営業が終わった後、交代で休憩をとっている。

 少しだけ寝たり、趣味に時間を使ったり。その時々によって、その休憩の過ごし方はそれぞれ違う。

 趣味など無い俺は、その休憩時間を使って寝ていることが多かったのだが、最近ではペコの小屋に行くことが増えていた。

 最近では外に繋いでいる子犬は、いつも元気いっぱいで、元々犬がそう好きでは無かった俺も、暇な時に面倒を見に行く。まぁ、一番こいつのことを可愛がっているのは、やっぱりレイなのだが。

 今日の休憩も、ペコの小屋で子犬の遊びに付き合っていると、レイが入ってきた。

 

「ちょっと来て」

 

 たったそれだけ言って、小屋から出ていってしまったレイに首を傾げながら、俺は遊びで興奮気味のペコを落ち着かせてから、小屋を出た。

 小屋の外にレイがいなかったため、宿に戻ってこいとのことなのだろう。

 そう思って『月光』の扉を開け中に入ると、何やら甘いいい匂いがしてきた。

 サヤさんが料理でもしているのかと思ったが、今サヤさんは買い出しに行っており、もう一人の料理担当のカナも出かけている。

 ということは、必然的にこの匂いの正体はレイが関わっているわけだが。あいつが料理を出来るのかは、知らない。

 俺が食堂に行くと、厨房ではなにやらレイが鍋を突っついていた。

 

「何やってるんだ?」

「試行錯誤ってやつ」


 何を試行錯誤しているのかわからないが、鍋からはくつくつと心地いい音がする。

 

「料理できたのか?」

「うん。簡単なのだけだけど」

 

 なるほど。簡単なのだけ、というのは、サヤさんやカナと比べたら、ということなのだろう。サヤさんはもちろん、カナも中々に料理が上手い。サヤさんが作品のように洗練された味なのに対し、カナは少し大ざっぱなところがあるが、逆にそれが良さを生んでいる、家庭的な味だ。

 トントンと具材を切る音がする。包丁を持つレイの手際はいい。

 「座って待ってて」と言われたので、カウンター席に腰掛ける。客が来たら、俺が応対すればいいか。

 

「何を作ってるんだ?」

「肉じゃが」

 

 返ってきた答えに、俺は記憶を探る。

 確か、以前サヤさんが作っていた。肉と野菜を、ショーユやミリンという調味料で味付けしたタレで煮込んだ料理だ。なんといっても、米が進む。無限に米が食べていられるのではないかと、錯覚したほどだ。

 先程昼食を食べたばかりだが、何も入らないほど満腹というわけではない。

 しばらく待っていると、レイが食器棚に行って深めの皿を取ってくると、そこに鍋の中身をよそい、箸と一緒に俺の前に置いてくれた。

 湯気を立ち昇らせるそれに、俺はどんな味かと期待しながら目を向けると――――

 

「………………なんだこれ」

「肉じゃが」

「………………………………そうか」

 

 目の前にあった食べ物を、肉じゃがとは言えない気がした。というか、食べ物とも言えないかもしれない。

 未知の物体。そうとしか思えなかった。

 薄茶色のはずのタレは紫色に、具材はなぜか素材本来の姿を、肉に至っては生の状態の場所と、真っ黒に焦げた状態の場所が見事なチェック柄を作っている。

 色々言いたいことは山ほどあったが、まず言いたいのは、これは断じて肉じゃがではない。

 

「さっき、何か包丁で切ってなかったか?」

「それは……醤油とか」

 

 衝撃の答え。

 俺の記憶が正しければ、醤油は液体だったはずだ。

 というか、調味料を切るよりも、もっと切った方がいいものはたくさんある。

 

「タレはどうやって作ったんだ?」

「紗綾姉がやってるのと同じように作ったら、なんかボンッてなって、こうなった」

 

 …………それは、サヤさんが奇跡を生み出すのが上手いのか、それをレイが下手なのか。

 そういう問題ではない。間違いなく、レイはどこかで何かを間違えたのだろう。それに、料理をしててボンッなんて聞いたことないぞ。

 

「……肉は?」

「煮込んだ」

 

 だとしたら、もうそれは一種の芸術である。

 肉でチェック柄とか、初めて見た上に、それを煮込んで作ったということで、衝撃が十倍以上増加している。

 比例するように、恐怖も増加しているのだが。

 

「まぁまぁ。食べてみて」


 急かすように言われるが、俺の箸は動かない。

 俺の本能が、目の前の謎の物体を拒否している。

 だが、せっかくレイが作ってくれたものだ。それに、レイは簡単な料理は出来ると言っていたではないか。

 そんな葛藤をする俺が、結局決断した理由はこの料理から漂ってくる匂いだった。

 甘く濃厚な匂いは、以前にサヤさんが肉じゃがを作ってくれた時のものとは少し違うが、それでもどこか似ていた。

 その匂いで、俺は目の前のこれが肉じゃがであることを認め、俺は小ぶりな馬鈴薯を箸で掴んだ。

 そして半ば震えながら、それを口の中に入れた。

 一噛み、二噛み。


 辛っ!苦っ!渋っ!甘っ!酸っぱっ!

 

 味が爆発したのかと思った。

 あらゆる味が、限界値を振り切って俺を襲う。

 あらゆる味があるくせに、旨味は一切ない。

 今まで俺に、温かさと幸福を与えてくれた味覚という感覚が、味の暴力に晒されて、悲鳴をあげている。

 それぞれの味の良さが潰れ、悪さというより絶望が生き生きとしている。

 なんとか顎を動かし、ほとんどそのままの形で飲み込み、喉につっかえかけたのを、レイが持ってきてくれた水で流し込んだ。

 

「ぶはっ!し、死ぬかと思った!!」

 

 未だ足跡を残す味を、水で押し込む。

 吐かなかっただけ良かったが、これは明らかに毒物だ。以前のサヤさんのクリームシチューとは違う。ホントの毒物だ。


「だ、大丈夫?」

 

 殺す気か!そう飛び出しかけた言葉は、レイの顔を見て飲み込むこととなった。

 いつもの無表情ではなく、不安そうな、それでも俺を心配してくれている顔に、俺はコホンと咳払いを一つ。

 この顔、恐らくレイは、この肉じゃが(?)を、本気で作ってくれたのではないだろうか。

 下手したら俺の暗殺を企てていたのかとも思ったのだが、実際はその逆。俺のために作ってくれたのだ。

 そう思うと、今ここで箸を置くのは躊躇われた。

 

「すまん、熱かっただけだ」

「ジンって、基本的に食べる時に冷まさないよね」

 

 クスクスと笑うレイに、俺は苦笑いを返してから、目の前の課題に向き直った。

 さて、どうするか。

 一口目はなんとか誤魔化せたが、次はそうもいかないだろう。

 誤魔化すのではなく、乗り越える。

 そうだ、この味に慣れてしまえばいいではないか。

 それに、たまたま馬鈴薯に味が染みすぎてただけかもしれない。………………いや、そんなことはないか。

 心苦しいが、この肉じゃがが超が付くどころか、それを通り越す程不味いのは認めよう。認めざるを得ない。

 だが、慣れることができないというわけでは、決して無いはずだ。

 

「ジン?」

 

 覗き込むようにレイに見られ、俺は意を決して人参を摘んだ。

 そして、その人参をゆっくりと口の中へと入れ――――

 

「ス、トーーーーーーーーーーーーップ!!」

 

 ――――ようとして、腕を掴まれ止められた。

 

「ジンさん!何食べようとしてるんですか!」

「サ、サヤさん!?」

 

 俺の腕を掴んでいたのは、サヤさんだった。

 軽く息を切らしているところを見ると、玄関からダッシュで俺の腕を掴んだのだろう。後ろを見ると、サヤさんが買ってきた袋が、テーブルの上に無造作に置かれている。

 

「レイちゃん!?私がいない時に料理しちゃダメって言ったでしょ!!」

「あぅ……ごめんなさい……」

「ジンさんも!見た目があれでも味は大丈夫とか、あるわけないじゃないですか!!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 腰に手を当てて怒るサヤさんに、俺とレイは小さくなって謝った。

 確かに、レイの表情を見て油断していたが、下手をしたら俺は次の一口で死んでいた。命が無事だったとしても、味覚が死ぬことは避けられなかったと、断言出来る。

 俺は箸で掴んでいた人参をゆっくりと皿へと戻し、箸も揃えて置いておいた。

 俺の腕を離したサヤさんは、レイにため息を吐きながら、

 

「レイちゃん……あなたの料理は、なんというか、個性的なんだから、ジンさんがびっくりしちゃうでしょ?」

 

 オブラートに包んで言っているが、サヤさんもレイの料理を食べたことがあるのだろう。

 あれを個性的と言うのには、少し個性が強すぎるのではないだろうか。少なくとも、常識を塗り替える程度には。


「でも、私も料理が出来るようになったら、紗綾姉と香奈姉の負担も減るでしょ?」

 

 すごくいい子だ。

 飯時に忙しくなる二人のために、自分も貢献したいという気持ちは伝わってきた。

 だが、レイが料理担当になったら、下手したら死人が出る。

 見た目と味が反比例していば、全く問題は無いのだが、残念ながらレイの料理は見た目と味が綺麗に比例している。匂いだけはそうではないようだが。

 レイの料理の不味さを、個性的と伏せた表現をしていたところを見ると、レイは不味さを自覚していなく、サヤさんはやんわりとレイが料理をしてくるのを避けてきたのだろう。

 しかし、サヤさんは困ったように俺の方を見た。

 月光の店員に俺が加わったとはいえ、俺はまだ素人で、しばらくはそれぞれが負担している仕事が減ることは無いだろう。

 つまり、今のレイの負担を減らしたい、という思いは消えない。

 

「ところでレイ、これってちゃんと味見したのか?」

「したよ、問題なしだった」

 

 再び衝撃を受ける。

 こいつ、舌の機能がどうかしているのではないだろうか。だが、いつもの美味しい食事は、普通に美味しそうに食べている。普通の味も美味しく感じ、この半毒物も問題なしとは、味の許容範囲が広過ぎやしないか。

 サヤさんは悩む。

 困ったように顎に指を当て、眉間にシワを寄せ考える姿は、絵に描けば憂いの女神とでも間違われるのではなかろうか。

 サヤさんが悩んでいることはわかる。

 ここで不味いとはっきり言ってしまうか、何かしらの理由をつけてレイを料理から遠ざけるのか。

 だが、俺はサヤさんが出す結論がわかった。

 この宿ができて一年。それは、少なくとも一年以上はレイの下手な料理の問題を、サヤさんは知っていたということになる。

 それで変わらない現状。一年以上、同じことを繰り返してきたのだろう。

 そしてまた、同じ結論に至る。

 

「レイちゃ――――」

「くそ不味い」

 

 サヤさんを遮って、俺ははっきりとそう言った。

 レイは子供だ。こういうことははっきり言わないといけない。

 二人は驚きに固まり、俺を見る。

 

「えっと、ジンさん、何を言って……」

「ぶっちゃけ一口目で毒殺されるのかと思ったくらいだ」

 

 俺は、さらに正直な気持ちを続ける。

 レイは子供だが、子供じゃない。はっきり言っても、しっかりと割り切ることはできる。

 だけど、

 

「というわけで、練習するぞ」

「え?」

「えぇ!?」

 

 俺の一言に、硬い顔をしていたレイはほうけた顔をし、戸惑っていたサヤさんは大きく目を丸くした。

 レイは子供だが、子供じゃないが、子供だ。割り切ることは出来ても、解決はできない。

 

 そうして、俺はレイと料理の練習をすることにした――――

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