第7話「歓迎しましょう」

「ただいまー」

「…………ただいま」

 

 宿兼自宅である『月光』に戻ると、途中になっていた掃除などは、全て完了しているようだった。

 私がレイちゃんを追いかけて、ここを出たのが一時間ほど前。香菜とジンさんの二人でやってくれたのだろう。早く、丁寧な仕事が為されていることに、私は安堵した。

 厨房から「おかえりー!」と、香菜の声が返ってきた。

 食器の音が聞こえているところから察すると、昼食の食堂解放に向けても準備してくれているようだ。

 『月光』の料理担当は私だが、香菜も料理は出来るので、こういう時間が無い時には非常に助かる。

 レイちゃんは、まだ香菜と顔を合わせづらいのか、受付の奥、私たちの自宅になっている方へと行ってしまった。

 今はあまり声をかけない方がいいだろう。あの子は幼いけど、時間があればしっかりと、整理を付けられる子だ。

 とりあえずまずは、営業のことを考えるべきだろう。

 そう思い、私が食堂に入って厨房の方へ行くと、エプロン姿の香奈が鍋をかき回していた。

 

「ごめんね、やってもらっちゃって」

「気にせんといて。うちこそごめんな、献立変更してパスタにしてもうた」

「それこそ気にしないで。やってくれてるだけでも、助かるんだから」

 

 元々今日の昼食は、焼きそばにするつもりだった。同じ麺類なら、大して気にすることでもない。

 私は、パスタの麺を茹でている香菜の横で、ソース作りに取り掛かった。

 ある食材で、手早く。もう昼の食堂解放まで、三十分もない。

 そこで私は、ここにいるべき二つの存在がいないことに気づいた。

 

「あれ、ジンさんとわんちゃんは?」

 

 今日新しくこの宿の店員となった男性と、先程の一件の中心となっていた木箱に入った子犬がいない。

 私の問いに、香菜は麺の調子を確かめながら、

 

「わんこの方はうちの部屋や。ご飯もあげたから、大人しくしてるはずやで。そんでジンさんは……」

 

 そこで香菜は、人差し指を顎に当てて、しばし考える。

 

「まぁ、有給休暇みたいなもんやな」

「ゆ、有給休暇?」

 

 初日から有給休暇というのもおかしな話だし、ジンさんがそんなことを言い出すような気もしない。

 どういうことなのかと、香菜に聞こうとした私だが、食堂の窓から常連さんの姿が見えて、準備の方を急ぐことにした。

 しばらくして、準備も一段落したので香菜が「表の看板出してくるわ」と言って、店の入口に営業中の看板が掛けられた。

 そう間を置かず、鎧を着た一団。常連の衛兵の皆さんが入ってきた。

 朝以外の毎食、ここに訪れてきてくれる方もいる一団で、ここで昼食をとって、午後の巡回の活力を養ってもらっている。

 その一団の先頭。うちの店でも名物のような立ち位置の、お酒大好きラドンさんが、私の方まで歩いてきた。

 大柄で背も高いラドンさんは、もう四十代後半なのにがっしりとした体つきで、足音も重い。強面だけど、衛兵になる前の将来の夢が花屋だったそうだ。

 

「サヤちゃん」

「はい、どうされました?」

「一つ聞きたいことがあるんだが。ここの近くってなにか建つのか?」


 何か建つ?

 うーん、よくわからないが、まぁここは色々と目まぐるしく変化する街でもある。建物の一つや二つ、新たらしく出来ることがあっても、不思議ではない。

 

「聞いてはいませんが、そうなんですかね?」

「そうか。いやな、別に大したことじゃないんだ。ここに来る途中、大量の木材を担いで歩いている男がいたもんでな。気になってたんだ」

「大量の木材、ですか?」

「あぁ、ありゃ一人で持てる人間はそうそういねぇ。俺でも難しいかもしれん」

 

 大柄で力持ちのラドンさんでも難しいことを一人でやっているとは、すごいことだ。


「まぁ、少し気になってただけだ。忘れてくれ。そんなことより、今日の飯も美味そうだなぁ」

「はい!すぐにお持ちするので待っててくださいね」

 

 私はカルボナーラのソースを麺に絡めながら、笑顔で答えた。

 ラドンさんは、「邪魔したな」と一言言うと、部下の衛兵の方たちがいる席へと戻っていった。

 レイちゃんがいないけど、昼時くらい私と香菜でどうにかなる。

 ジンさんがいないのが気になるが、香菜の心配していない様子を見ると、ひとまず目の前の営業に集中した方が良さそうだ。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 昼の時間が過ぎ、新たに来たお客さんを迎えたり、帰ってきたお客さんを出迎えたり、午後になっても仕事はいっぱいある。

 午前中に出来なかった分もあるから、今日の午後はいつもより忙しかった。

 午後になるとレイちゃんも部屋から出てきて、いつも通り仕事をしてくれた。でもやっぱり、まだ香菜とは顔を合わせづらそうで、いつも以上に裏方に徹していた。

 香菜の部屋にいるわんちゃんの様子を見たりしつつ、夕飯に向けての準備をしていると、玄関の方で物音がした。

 新しいお客さんだろうか。でも、今日はもう満室になってしまったから、心苦しいけどお断りしなければならない。

 接客は香菜に任せよう。

 そう思っていると、玄関に向かった香菜が、程なくして食堂に戻ってくると、話したいことがあるからレイちゃんを呼んできて欲しいと頼まれた。

 もう仲直りにはいい頃合いだろう。

 そう思って、私はレイちゃんを呼ぶために、玄関の方へと向かった。

 するとそこには、

 

「ジンさん!?」

 

 行方がわからなかった、この店の新たな店員、ジンさんの姿があった。

 

「どこに行ってたんですか!?」

「いやちょっと、野暮用で。すみません、仕事もしないで」

「いえ、なにも問題は無かったからそれはいいんですけど……」

「ごめんな。うちの頼み事を聞いてもらってたんよ」

「頼み事?」

 

 私がそう首を傾げると、「続きはレイが来てからや」と言われたので、私はレイちゃんを呼びに、彼女の自室へと向かった。

 レイちゃんの部屋をノックすると、すぐに扉が開いて、レイちゃんが顔を覗かせる。

 

「どうしたの?」

「香菜とジンさんが、話があるって」

「話?っていうか、ジン帰ってきたの?」

 

 そんなやり取りをして、レイちゃんを連れて玄関へ戻ると、二人はさっきの位置から変わらず、私たちのことを待っていた。

 

「それで、どうしたの?」

 

 私がそう聞くと、ジンさんと香菜がアイコンタクトをとって、それから香菜が口を開いた。

 

「見てもらいたいものがあんねん」

「見てもらいたいもの?」

 

 聞き返しはしたが、見て欲しいものがあるのだったら、耳で聞くより目で見た方がいいのだろう。

 私とレイちゃんは、ジンさんと香菜に連れられて、店の外へと出た。

 既に藍色に変わった空の下、向かったのは『月光』の建物の横。横も横。真横だ。店に触れるか触れないか、という程の近い距離に、それはあった。

 なにも無い芝生だったはずのそこには、小さな建物が新しく出来ていた。

 それは、小さいが人一人なら住めてしまうような三角屋根の小屋だ。しかも、しっかり屋根は赤く塗られている。

 こんなもの、今朝見た時は無かった。

 

「ちょ、ジンさん!なんやこれ!話と違うやん!」

「いや、言われた通りに小屋を作ったんだが……」

「誰が人が住める小屋建てて、なんて言うたんや!大きすぎや!」

 

 何やら言い合う香菜とジンさん。小声だが、丸聞こえである。

 

「いや、もう作ってしまったんは仕方ないな……ま、まぁ、中案内してや」

 

 気を取り直したように香菜が言うと、ジンさんが珍しく得意げに、小屋の中へと招き入れてくれた。

 中に入ると、綺麗に掃除されている。

 家具はないが、代わりにどこから持ってきたのか、干し草が小さな山を作っているところがあり、絨毯も敷かれている。

 

「ほんまこれ半日で作ったんか?どっかの小屋丸々引っ張ってきたんやないやろな?」

「失礼な。しっかり木材一つ一つ組み立てて作ったぞ」

 

 話によると、この小屋はジンさんが半日で、一人で作ったそうだ。

 その上、部屋の隅に椅子が三つほど置いてある。これも手作りだそうだ。

 手先が器用、どころではない。熟練の大工でも、一人でこんな立派なものを建てるのは難しいだろう。

 

「えっと……ジンさん、この小屋はなんなんですか?」

「あぁ、新しい客室です」

 

 客室?そんな話聞いていないのだが。それに、ここは宿の外だ。

 

「香菜はこの事知ってたの?」

「知ってたもなにも、うちが頼んだんやもん。…………まぁ、うちはもうちょっとこじんまりしたのを、想像してたんやけどな」

「すまん。張り切りすぎたかもしれない」

「かもしれない、じゃなくて張り切りすぎや。人間業じゃないで」

 

 そんなやり取りをしていると、今まで黙っていたレイちゃんが動き、香菜の袖を引っ張った。

 香菜がそれに気付き、レイちゃんの方を向くと、レイちゃんはいきなり頭を下げた。

 

「香菜姉、ごめんなさい」

「うちもごめんな、レイ」

 

 お互いに謝り合う二人。突然のことに私は驚いたが、ジンさんはまるでこうなることがわかっていたように微笑んでいた。

 

「わがままばっかり言っちゃって、ほんとにごめんなさい」

「うちもカッとなって言ってしもうたわ。ほんま、ごめんな」

 

 香菜がしゃがむと、レイちゃんも頭を上げた。

 同じ高さになった視線を合わせながら、二人は笑った。

 

「さ、レイ。あんたはうちよりずっと賢いからな、もうわかっとるやろ?」

「うん、あの子は引き取らない。だよね」

「そや」

 

 笑ったかと思うと、今度は頷き合う。

 私はまったく話についていけず、訳知り顔のジンさんの方を見ると、彼は肩をすくめてから言う。


「ここは、新しいお客さんを迎えるためのものですよ」

「新しいお客さん、ですか?」

「そうや。ここは、宿屋やからな」

 

 香菜はそう言ってから立ち上がると、小屋の外へと出ていってしまった。

 

「えっと……どういうこと?」

「紗綾姉。二人は、すごく綺麗に犬の問題を解決してくれた」

「うーん、わかんないよ」

「つまり、引き取れないなら、泊めちゃえばいい。ってこと」

 

 程なくして、香菜が小屋へと戻ってきた。

 手には、何やらガサガサと音が聞こえてくる木箱。わんちゃんが入っていた箱だ。そして、音が聞こえてくるということは、中身も入っているのだろう。

 

「さ、ええ子にするんやで」

 

 そう言って、香菜が箱の蓋を開けると、中から薄茶色の毛のわんちゃんが、元気よく飛び出してきた。

 わんちゃんは、部屋を一周駆け回ると、こちらに戻ってきた。その小さな瞳で、私たち四人を交互に見ている。

 小さな赤い舌を出しながら、尻尾をちぎれんばかりに振っている様子は、元気いっぱい幸せいっぱいといった感じだ。

 

「引き取ることは出来へんけど、宿泊客として泊めることは出来る。ここなら、お客さんに迷惑かけないで、たまに外に繋いであげれば可愛い可愛いマスコットにもなる、ちゅーわけや。もちろん、ちゃんと大人しくできるようになるまで、この中で過ごしてもらうことになってしまうけどな」

「お客を引っ張ってきてくれるなら、給料を出す理由があるから、その給料でこの宿に泊まってくれればいい。ということです」

 

 香菜さんとジンさんの説明を聞き、ようやく納得した。

 新しいお客さん。それがこのわんちゃん。

 

「まぁ、そうは言ってもここの店主は紗綾や。紗綾があかん言うたら、この案も取り消しやな」

 

 香菜のこの言葉に、私はずるいな、と思う。

 ここで断れるわけがないじゃない。断るつもりも無いのだけれど。

 

「わかったわ。いいわよ、新しいお客さんを歓迎しましょう」

「紗綾姉、ありがと。香菜姉もジンも」

 

 レイちゃんが、私と香菜をぎゅっと抱きしめる。

 低い位置にある彼女の頭を撫でながら、香菜と顔を見合わせて笑う。

 新しいお客さん、ということは、あれも必要だろう。

 

「名前、決めないとだね」

「せやな、名前わからへんと、宿帳に書けんからなぁ」


 元気いっぱいのわんちゃんを前に、私たちは頭を捻る。

 すると、しゃがんでわんちゃんの頭を撫でていたレイちゃんが、ポツリと言う。

 

「ペコってどう?」

「ペコ?」

「うん、ずっと舌出してるから」

 

 その理由を聞いて、私と香菜は記憶の中にある、あるキャラクターを思い出し、納得する。

 唯一理由がよくわかってないジンさんだったが、私たちが納得しているのを見て、特に異論は無いみたいだった。

 

「ほな、ペコのことは、ちゃんと宿帳に書いとくで」

「うん、お願い」

「さ、じゃあお客さんに夕飯持ってこないとだね」

 

 私たちは、笑いあって一度店に戻ろうと、小屋の扉に手をかけた。

 そこで私は、ある疑問が浮かんで、振り返る。

 

「ねぇ、ジンさん。この小屋を建てるためのお金って、どうしたんですか?」

 

 この小屋は小さいが、それでも人一人住めてしまうサイズだ。少なからず、それなりの費用がかかっているだろう。

 

「それは香菜に言って、俺の給料を前借りして」

「そこにうちの給料を加えたんや」

 

 二人の説明に納得する。

 だとしたら、

 

「二人とも、この小屋を作るための請求書を全部後で出すこと。それ全部経費にするから」

 

 この小屋は、新しい客室だ。だったら、その制作費用を経費とするのは、当たり前のことだろう。

 二人はその言葉に顔を見合わせると、「わかりました」「わかった」と、頷いた。

 

 こうして、今日私たちの宿『月光』には、新たな店員と、新たな特殊なお客さんが加わった。

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