第6話「姉であるうちの仕事や」
俺は、動物というのがあまり好きではなかった。
嫌いというわけではないのだが、殺し屋の仕事をする上で、番犬などの存在が邪魔だったこともあって、特に犬は好きにはなれなかった。
困り顔のサヤさんに、その訳を問うと、彼女は足元にあった木箱を、そっと割れ物を扱うように机の上に置いた。さほど大きくはない箱は、重さもそう無いようだ。
玄関の掃除をしていたら、外の扉の前にこの木箱が置かれていたそうで、それがサヤさんの困り顔の原因のようだ。
「静かにお願いしますね」
俺に一言そう言ったサヤさんは、ゆっくりと蓋を開いた。
そっと俺は、その中身を覗き見る。
沈黙。
そして、
「犬……ですね……」
「はい、わんちゃんです……」
中には、敷かれた毛布の上で丸まって寝息を立てる、子犬の姿があった。
俺は、動物の種類というものに疎いのだが、茶色い短い毛が身体中を多い、腹の部分だけ少し白いこの小さな獣が、犬だということは分かる。
小さな歯がチラチラと見える寝顔は穏やかで、起きる気配がないほどぐっすりだ。
「捨て犬ですか」
「みたいなんです。それに、これも」
そう言ってサヤさんは、一枚の紙を手渡してきた。
俺がそれを受け取り、目を向けるとそこには、たった一文だけ、
『月光の皆さん。この子のことをお願いします』
差出人の名前は書かれていない。なんとも身勝手な手紙だった。
「これ、心当たりは?」
「ありませんね……少なくとも、いつも来て下さるお客さんで、わんちゃんのことを話している方はいなかったと思います」
そうなると、この子犬を送り返すわけにもいかない。
かといって、ここは宿屋だ。穏やかな寝顔のこの子を、素直に引き取るわけにもいかないだろう。
「どうしよう……」
そうして、サヤさんの困り顔が出来上がったわけか。
大方の事情に納得した俺は、サヤさんと共に悩む。
これを捨てた人間に返すこともできなければ、引き取ることもできない。また、どこかに捨てるなどは論外だ。というより、そんなことサヤさんがしようと思うわけがない。
「ジンさーん。何やっとるん?この店で迷子になるなんて方向音痴にもほどが…………って、ほんまに何やっとるん?紗綾はともかく、ジンさんは表情筋鍛えるほど老けてへんやろ」
「香菜?どういうことかな?」
「じょ、冗談やんか。場を和まそう思ってな。そんな怖い顔せんといて」
俺の帰りが遅いので、様子を見に来たカナは、サヤさんの鋭い睨みに目を泳がせた。
気を取り直したカナは、俺たちの方に歩いてくると、机の上に乗った問題の木箱を覗き込んだ。
「なんやこれ?わんこ?」
「そうなの……」
「なんで?どこで拉致してきたん?」
「そんなわけないでしょ。捨てられてたの、店の前に」
「捨てられてたゆーてもな……なんやこれ、手紙付きやん」
木箱の近くに置かれた、先程の手紙を見つけたカナは、それを拾い上げ、目を通す。
「なんなんこれ。身勝手すぎるやん」
「そうよねぇ……どうしよう」
「そやなぁ……でも、引き取るわけにはいかへんからな……」
「やっぱり、引き取るのは難しいのか?」
「当たり前やん。ここは宿屋や。犬が苦手ってお客さんもおるやろ。そんなお客さんが泊まり難なってしまうわ」
確かに。宿に来た客は、少なくとも一晩はこの建物の中で過ごすのだ。神経質な人間ならば、例え自分の泊まる部屋に来なくとも、犬が建物の中にいるだけで気にしてしまうという人もいるだろう。
いつもよく言えば明るく、悪く言えば脳天気なカナだが、しっかりと店のことは考えている。彼女にとって、客が過ごしやすいように目指すのが、当たり前のことなのだろう。
「まぁ、そうは言っても、このまま捨てる訳にもいかへんのやけどなぁ……」
店のことをしっかりと考えていても、何でもかんでも店のために切り捨てるほど、人情に欠けているわけではない。
カナも、俺とサヤさんと同じ、矛盾した行き場のない考えへたどり着いたようだ。
「カナ、終わったよ。ばっちり直してきた」
そんな頭を悩ませる俺たち三人に新たに加わったのは、上の階から降りてきたレイだ。手にはドキドキなんとかケースを持っている。
「レイちゃんのドキドキキュンキュンアタッシュケースだよ」
「なぜ今それを言った」
「名前思い出せてなさそうな顔してたから」
もう一度言われたところで、覚えられないのだがな。覚える気もないし。
改名希望である。
「何してるの?紗綾姉はともかく、二人は表情筋を――――」
「悪いレイ。そのネタもうやってもーた」
「むぅ……」
遮られたレイは、不満げに息を漏らす。
カナとレイの間で、そのネタは鉄板ネタなのだろうか。
アタッシュケースを近くのテーブルに置いたレイは、俺たちの元まで歩いてくると、箱の中身を覗き込んだ。
「……どこで拉致――――」
「そのネタもやった」
ここまでネタが被るとは、事前にしっかり打ち合わせしといて欲しい。
しかし、レイの反応は先程のカナとは、少し違った。
横に置かれた手紙を読み、その後箱の中を覗き込んで、じっと子犬の横顔を見ている。
「一度、衛兵さんに相談した方がええかもしれんなぁ」
「でも、衛兵の方に迷惑じゃないかしら」
「まぁ、相談しても困らせてしまいそうですね……」
俺たち三人が、そんな話し合いをしていると、子犬から目を離したレイが、不思議そうに言った。
「え、飼わないの?」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
「あんなぁ、レイ。そういうわけにもいかへんやろ」
「なんで?別に問題はないはず」
「問題ありまくりや。ここ宿屋やで?」
「知ってる。だから、マスコットとして活躍間違いなし」
「あかんて。人によってはマスコットやけど、人によってはモンスターにもなってまうねんで?」
「わかってる。でも、ちゃんとしつけすれば」
「それは誰がしつけるん?それに、誰が世話するん?犬にかまけて、仕事が疎かになったら、本末転倒やで」
「それは……そうだけど……でも!」
「でもやあらへん。あかんわ」
「なんでやってもないのにそんなこと言うの!」
「やってみて、それであかんかったらどうするんや!余計めんどうなことになるやん!」
「私が、私がどうにかする!」
「子供にそんなこと出来るはずないやろ!」
「っ!もう知らない!!」
「あっ!ちょっとレイちゃん!」
言い争いの結果、それは駆け出していくレイの後ろ姿だった。
慌ててサヤさんがその後を追いかけ、慌ただしい音と共に、二人は店を出ていってしまった。
「…………これだから、子供は嫌いやねん」
いつも明るいカナが、沈んだ声で力無く近くの椅子に座った。
太陽に照らされているような温かな雰囲気のあるはずの食堂は、まるで日没を迎えたようだった。
「なぁ、ジンさん。うちなんかあかんこと言うたかな?」
「いや、少なくとも間違ったことは言ってなかった」
自信の無い声に、俺はキッパリと返した。
カナの言っていたことは、何一つ間違っていなかった。この店のことをしっかりと考え、その上で非の打ち所のない言葉を並べていた。
それに対し、レイは子供でわがままな、後先を考えていない言葉を並べていた。
それが事実だ。
「だが」
沈みきった空気の中で、俺は続ける。
「レイは、それが原因で飛び出していったわけじゃないと思うぞ」
レイは、幼い。
いつも大人びた口調で、無表情で、人の弱みを握って働かせるようなやつだ。
でも、幼い。
それと同時に、聡明でもあるから、そのことをしっかりと自覚しているのだろう。
だからこそ、カナの言葉にショックを受けた。
ただ、それだけのことだ。
「わかってんねん。あの子がほんとは、賢いことくらい」
カナの言葉は、何かを噛み締めるようだった。
だから俺は、あえてカナから視線を外し、横を向いた。
「あの子な、あんなちっさいのに、私より学歴上なんよ」
学歴、というのがわからずに首を傾げると、「学校でどれくらい勉強してるかの基準みたいなもんや」と教えてくれる。
学校というのはあれか。子供が世の中のことを勉強するための機関だ。確か、この国には王都の方に行かないとなかったはずだ。
「あの子今十三歳なんやけどな。十二歳の頃には、飛び級でもう高校卒業の資格もってたんよ」
高校というのが、なんなのかもわからないが、それはきっとすごいことなのだろう。
「うちは頭使うことよりも、体使う方が得意な人間やし、この宿が出来た一年前は、ほとんどレイに頼りっきりやったんよ。でも、紗綾はもう大人やし、元々この宿を開こうってことを決めたんは紗綾で……あかんなぁ……うちなんもしてへんやん……」
どんどんと消えていく声は、震えていた。
俺は、相槌を打ちつつも、視線はカナの方には絶対に向けなかった。
でも、言いたいことがあったから、それには迷わず口を開く。
「なんもしてないことは、ないと思うぞ」
「なんもしてへんよ。うちは、紗綾とレイがいないと、なんもできへん女なんやから」
「それは、サヤさんもレイも同じさ」
「同じ?」
「あぁ、同じだ」
俺には、この一週間でそう見えた。
「一人じゃできない。だから、三人いる」
美味しく、温かい料理を作るサヤさん。明るく楽しく接客するカナ。快適に過ごせるようにしようと、裏で働くレイ。
この三人の誰か一人でも欠けては、この宿は成り立たないだろう。
確か、常連の人達が言っていたのは……
「『月光』三姉妹。なんだから」
血は繋がっていない。それは見れば分かる。サヤさんもカナもレイも、容姿も性格もバラバラだ。腹違いであっても、こうも違うというのはありえないだろう。
それでも、彼女たちは立派な姉妹だ。
お互いがお互いを助け合って、生きている。
たった一週間の付き合いだけど、どういう経緯でこの宿が始まったのかも知らないけど、彼女達のお互いを想い合う心は、はっきりと伝わってきた。
「姉妹……うちら、姉妹になれてるんかな……」
「むしろ、姉妹以外のなんなんだ」
その表現以外に、彼女たちを表せる言葉があるのなら、教えて欲しいくらいだ。
食堂に再び沈黙が流れた。
「わん!」
沈黙を破ったのは、そんな高い鳴き声だった。
俺とカナは同時に鳴き声の聞こえてきた木箱に目を向け、そこでこちらを覗いている元気な子犬を見た。眠りから覚めたようだ。
元気いっぱいに嬉しそうに尻尾を振る子犬を見て、カナは呆れたように笑った。
「わんこは呑気でええなぁ」
「そりゃあ、犬だからな」
俺もつられて笑うと、「ジンさん」とカナに呼ばれ、そちらを向いた。
そこには、目を赤くしたカナの顔。
「この子はやっぱり引き取れへん。せやから……」
そうして、カナは俺に一つ頼み事をした。
その頼み事は、少し難しいことではあったが、出来なくはない。
「いいのか?」
「しゃーないやろ。うちは宿が一番の仕事やけど、妹のわがまま聞くんも、姉であるうちの仕事や」
カナがそう決めたのなら、止める必要も無いだろう。
だが、実行するには、必要なものがある。
「わかった、だが足りないものがある。時間と、給料を前借りでもらえないか?」
「もちろん。なんなら、うちの給料も使ってええ。というか、使ってください」
カナに頭を下げて頼まれてしまった。頼みを聞く理由はないが、断る理由も無い。
仕方ない。恩人の店のためだ。
俺が一肌脱ぐとしよう。
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