第5話「いつでもどうぞ」

 『月光』に来て、一週間が経った。

 生死の境をさ迷うような怪我は、不思議なことに劇的な回復を遂げた。

 未だ所々包帯を巻いていなければならないところもあったが、それでも動き回って開く傷口は無くなったし、痛みもほとんどない。

 メル青年の一件から二日後には、俺は『月光』の店員として働くこととなった。

 

「それじゃ、新しい店員さんに、かんぱーい」

 

 そんなサヤさんの音頭で、俺たち四人は手にもつグラスをお互いに鳴らし合った。

 朝食の時間が過ぎ、宿泊客は仕事に行く者と、宿を後にする者で食堂も上の階の部屋にも、俺たち以外いない。

 そんな静かな食堂で、サヤさんが入れてくれたミルクティとかいう、甘い飲み物を飲む。サヤさんとカナは、アイスコーヒーとかいうのを飲んでいるが、あれは苦くて俺はあまり好きじゃない。レイは、水を飲んでいる。硬水という種類の水を片手に、「ミネラル、大事」と言っていた。

 

「そういえば、この店もそろそろ一周年やなぁ」

 

 コーヒーを啜りながらのカナの言葉に、サヤさんとレイが頷く。

 

「うん、感慨深い」

「そうねぇ。お祝いキャンペーンでもやってみようかしら」

 

 そんなことを楽しげに話しているが、まだ一週間しかこの宿のことを知らない俺は、まったく実感がわかない。

 かなり客が来ているのに、まだ出来て一年というのには少し驚いたが。

 それに、サヤさんもカナもレイも、熟年の宿の店員以上の洗練された動きをしている。

 サヤさんの料理には、奥深い伝統のような技術があるし、カナの接客は、客との距離を絶妙に調整しながら仲良くなり、楽しませるという才能を感じさせるもので、レイは普段あまり表には出てこないが、裏で掃除や洗濯などをこなす、無くてはならない存在だ。

 正直、俺の出る幕はないのではないか、とも思ったのだが、そうでもないらしい。

 非常に優秀な三人の店員がいるのだが、どうしても手が回らなくなることがある時間帯があるのだそう。

 それは、朝昼夕の飯時。特に夕飯の時間帯は、とんでもなく忙しくなる。

 この宿の食堂は珍しいことに、飯時には宿泊客以外にも解放しているようなのだ。

 この宿の飯は美味い。

 最初の頃は、宿泊客以外も利用できるということが知られてなく、あまり一般的ではなかったこともあったため、そう宿泊以外の目的で訪れる人は少なかったようだが、飯が美味いとそれを人と共有したくなるのが人間というもので、そうして広まった噂のおかげで、飯時の『月光』は大繁盛。大通りの飲食店顔負けの盛況っぷりなのだ。

 いろんなお客さんに喜んで欲しい、との思惑で解放するようになったそうで、普段は要領のいいカナのおかげで、しっかりと回せているようだが、それでもやはり大変ではある。

 そこで、俺がそこに加わることで、もっと効率よく仕事をしていこう。

 っと、ここまでが、昨夜語られたレイの思惑である。

 サヤさんとカナも、考えていることは同じらしく、俺の持ち場は飯時はカナと共に給仕の仕事、それ以外の時はレイと一緒にその他の雑事を担うことになった。

 

「まずは、仕事を覚えてもらうことからやなぁ」

「とりあえず、私が仕事教える」

「いいけど、レイちゃん。あんまりジンさんにいっぱい働かせちゃダメよ?まだ病み上がりなんだから」

「ん、大丈夫。こう見えて、ジンは頑丈」

 

 なにをどう見たら、頑丈に映るのだろうか。

 

「ジンさんも、あまり無理しないでくださいね?」

「えぇ。わかってます」

 

 微笑みながらそう返すと、俺はミルクティを一口飲んだ。

 紅茶の茶葉をミルクで溶かしたそれは、上品な甘さと紅茶の豊かな香りが、高貴な味わいを広げてくれる。

 

「ジン。飲み終わったら、さっそく」

「あぁ、部屋の掃除か」

 

 宿というのは、やるべき仕事が多い。

 宿泊客がいない間に、部屋のベッドのシーツを取り替え、簡単な掃き掃除をする。

 こういった細かな掃除をしないで、客が帰ってからであってり、三日に一回程度の頻度でしかやらない宿がほとんどなのだが、『月光』では毎日手間のかかる掃除をやっているようだ。

 カナに大変ではないのかと聞いたことがあるのだが、

 

「それが、お・も・て・な・し、ってもんや」

 

 と言っていた。

 細かな気遣いを怠らないところが、大通りに面しておらず、あまり立地がいいとは言えない場所にあるのに、満室が普通という人気の理由なのだろう。

 飲み終わった食器を、厨房の洗い場に持っていくと、あとの片付けはサヤさんに任せ、俺とカナ、レイは上の階の掃除へと赴いた。

 

「部屋の片付けは、スピードが命。あんまり長々とやってると、全部の部屋を回りきれない。要所要所をしっかりとやるよ」

 

 この言葉は、箒を片手に胸を張って言ったレイの言葉だ。相変わらずの無表情だが、得意気なのは伝わってきた。

 この宿は四階建てで、二階から上が宿泊部屋となっている。

 二階にあるのは、二人用の部屋で、一人で宿泊する客もこの階の部屋となる。

 この階の部屋の数は全部で六。上に行くと四人用の部屋で、数は四つとなり、最上階は六人用で、数は二つとなる。

 カナは最上階の部屋から順番に、下へ降りるように、そして俺とレイは、二階から上へ上がるように掃除をしていくこととなった。

 

「これ、持って」

 

 渡されたのは、水の入ったバケツと真っ白の雑巾。この宿では、雑巾や布巾もしっかりと洗濯され、清潔だ。

 レイの手には、大きめで直方体の角のはっきりとした鞄と、箒。

 階段を上がり、一番手前の部屋、201と書かれた扉を、レイは一度しっかりとノックしてから、誰もいないのを確認して、ポケットから取り出した合鍵を使って開ける。

 中は、綺麗に整頓されていた。

 部屋の隅にベッドが二つと、中央にテーブルが一つと椅子が二つ。テーブルの上には、難しそうな題が書かれた本が、三冊ほど積まれていた。入口付近にクローゼットがある。窓際には小さな花瓶が置かれ、小さな赤い花と白い花が生けられていた。

 

「ここは三日前からいる二週間契約の学者さんの部屋。ジンは一旦そこで見てて」

 

 レイはそう言うと、箒と鞄を床に置いて、まずは窓を開けた。

 その後、ベッドのシーツと掛け布団を剥がし、枕も纏めて包むと、部屋の外、つまり俺がいる廊下に放り投げた。

 「そのままにしといて」と言われたので、言われた通り放置しておく。

 次にレイは、箒で部屋を一通り掃くと、俺から受け取ったバケツに、雑巾を浸すと固く絞り、それを使って窓枠を手早く拭く。

 そして最後に、扉を少し開け閉めして蝶番の調子を確かめると、扉の下の部分に黒い物を挟んで固定し、箒、鞄、バケツ、雑巾を持って部屋を出た。

 

「終わり」

「早いな」

 

 その時間三分程度。

 無駄のない動きで、一つ一つ丁寧に終わらせてしまった。

 しかも、速さ重視で適当にやっているわけではなく、床には埃一つ無く、部屋に入ってきた時とは比べ物にならないほど、清潔な空気で満たされている。

 

「シーツは重いから、後で香菜姉がまとめてやってくれる。こうやって、最後にストッパーをはめて閉まらないようにしとくのが、掃除完了の目印」

 

 そう言いながら、ドアの下の部分に挟まった黒い物を、足でつつく。

 なるほど、あれはストッパーと言うのか。扉を手で押えておかなくていい上に、目印になるとは便利だ。

 

「さ、次はジンも」

 

 レイは、隣の部屋の扉もノックして鍵を開けながら、言った。

 そして、作業に取り掛かる。

 と言っても、俺が作業する速度よりも、レイの速度の方が圧倒的に早く、俺が床の掃き掃除をしている間に、その他の作業を完了させていた。

 

「ジン、埃残ってる」

「ジン、木目に沿って」

「ジン、ベッドの下は深追いしなくていい、そこはいかがわしい物の隠し場所」

 

 一つの部屋を掃除するだけで、レイに何度も注意されてしまった。しかも、レイは手を止めることなく、さらにこちらを見ていないのに、的確に注意してくるのだから恐ろしい。

 というか、この子の中でベッドの下は、どういう認識なのだろうか。

 結局、俺がレイに合格を出してもらえるよう掃き掃除を完了させるまでに、レイは次の部屋の片付けを完了させてしまっていた。

 

「遅」

「レイが早すぎるんだよ」

 

 俺の倍の速度で、しかもより丁寧に仕事を完了させてるとは、驚きすぎて言葉も出ない。

 

「まぁ、慣れていけばいい」

 

 優しくそう言って、レイは次の部屋へと進んでいく。

 そこで、俺はレイを呼び止めた。

 

「なぁ、どうして俺を雇ったんだ?」

「今更?そんなの、男手が欲しかったからだよ」

「それなら、もっといい人材はいるだろ。それに俺は、死んだ男だ」

 

 殺し屋として、俺は失敗し、そして死にかけた。

 依頼に失敗したことを、依頼主には言ってないので、仕事に向かい帰ってこなかった時点で、きっと俺は今まで生きた裏の世界では、死んだも同然の扱いだろう。前払いの依頼金を受け取ってなかったことが、幸いか。受け取っていたら、今ごろ俺の捜索が少なからずあるはずだ。そして、それによって見つかっていたら、口封じと失敗の罰を受け、殺されているだろう。

 まぁ、死んだと思われているから探されない、というのもあるが。

 

「むしろ、死んだからだよ」

「は?」

 

 部屋の片付けをしながらのレイから返ってきた答えに、俺は疑問の声を上げる。

 

「人には言えないような仕事をして、それであんな重症を負った。そんなことがあったなら、少なからず仕事から切り離される。というより、足を洗える」

 

 確かに、それはそうだ。

 ここにいる理由は、目の前のこの少女に、俺が去ることが出来ない状況を作られているからなのだが、それが無く、ここを去っていたとしても、また同じ仕事を始めるかと聞かれると、肯定することは躊躇われる。

 

「それに、ジンって意外と良い人だし」

「良い人?」

 

 良い人なものか。

 俺が何者か知ってるくせに、なぜそんな言葉が出てくる。

 

「だって、悪い人だったら、私が探し物を持ってるって知ったら、脅して暴力振るって、手段を選ばず奪うはずでしょ?」

「いや、それは、怪我してたし……」

「じゃあ……」

 

 すると突然、俺の顔に枕が投げられる。俺が当たるギリギリでキャッチし、何をするんだと文句を言おうと枕をどけると、そこには両手を広げたレイが立っていた。

 

「いつでもどうぞ。もう動けるんでしょ?」

 

 挑発するような言葉。

 相変わらず無表情だが、宝石のような青い瞳の奥には、確信の光が輝いていた。

 しばし、見つめ合い、沈黙が流れる。

 

「……わかったよ、降参だ」

 

 俺が白旗を上げたのを見て、レイはクスリと笑った。

 

「ほら、遊んでないで仕事するよ。サボってたら紗綾姉に怒られちゃう」

「サヤさんって怒るのか?」

「うん……それはもう……シベリアに半袖半ズボンで旅に出た方がマシなくらいに、怖い」

 

 シベリアというのがどこかわからないが、とりあえずサヤさんを怒らせない方がいいことだけはわかった。

 

「まぁ、ホントに怒んなきゃほっぺ膨らませて怒るだけだから、むしろ可愛いけど」

「…………それは見てみたいな」

 

 そんな言葉を零すと、なぜかレイから冷たい視線を送られた。なんでだ。

 

「なんや、二人ともおサボりか?」

 

 二階の最後の部屋の掃除をしていると、上の階から掃除をしていたカナが、扉の前に立っていた。

 上の階の方が部屋が広いというのに、俺たちが一つの階をようやく終わらせる間に、カナはすでに三階と四階の掃除を終わらせたらしい。なんて早業。

 

「ごめん。ジンがサボってた」

「いや、一応やってたんだが」

「でも、ほとんど私がやってたのは事実」

「初めてなんだ、大目に見てくれ」

「二人とも、責任押し付け合わんでええから、はよ手ぇ動かし」

 

 俺とレイの言い合いを、カナは呆れたように咎めると、廊下に積まれたシーツ類を、まとめ始める。

 これまた手際がよく、俺たちが掃除を終わらせ、部屋を出る頃には廊下はキレイさっぱり片付けられていた。

 

「レイ、四階の机が壊れとったから、ちょっと来てくれへん?」

「わかった。レイちゃんドキドキキュンキュンアタッシュケースの出番だね」


 先程からなんの役目を果たしているのかわからない鞄を掲げて、得意げに言うレイ。無骨な鞄なのに、なんでそんな可愛い名前が付いてるんだ。しかも、長いし。

 「この前までレイのハッピーセットって名前やったで」と、苦笑いでカナが教えてくれる。何が違うのだろうか。

 

「ジンさんは、悪いんやけど替えのシーツとか取ってきてくれへん?場所はサヤが知っとるから」

「わかった」

 

 そう俺に指示し、レイと一緒に上の階へ上っていくカナを見送って、俺は一階へと下り、サヤさんのいる食堂へと歩を進めた。

 俺達が上の階を掃除している間、玄関と食堂はサヤさんによって掃除されていたらしく、さっき通った時よりも綺麗になっている。

 

「うーん……どうしよう……」

 

 食堂に入ると、テーブル席の一つに座ったサヤさんが、困ったように眉根を寄せていた。

 

「サヤさん?」

 

 俺が声をかけると、サヤさんは少し驚いたような顔をして、俺の方を向くと、優しく微笑んだ。

 

「ジンさん。掃除は終わったんですか?」

「はい、一応は。どうかしたんですか?」

 

 俺がサヤさんに、困り顔の訳を聞こうとそう問うと、サヤさんは微笑んだまま眉根を寄せた。

 サヤさんの足元には、簡素な木箱。そう大きさは無い。その上には、封が切られた封筒が乗っている。

 

「それが……さっき玄関の掃除をしてたら、入口の近くにこれがあって……」

 

 そう言うと、サヤさんはゆっくりと木箱の蓋を開いた――――

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