第4話「どう大成するかです」

「カレー、ですか」

 

 聞きなれない名前に、僕は聞き返してしまった。

 

「はい。今日は香辛料からしっかりと選んで、頑張っちゃいました」

 

 むんっと、可愛らしくガッツポーズをするサヤさん。可愛い。

 しかし、カレーとはどんなものなのか。父が貴族ということもあって、僕はそれなりの食事をしてきた。と、思う。

 他の貴族と比べると、父の統治する領土はあまり大きいとは言えないため、もっと広い土地を治める貴族の方が、良い食事をしているかもしれない。


「お水です」

 

 そう声をかけてきたのは、いつの間にか隣に立っていた少女。

 サヤさんとカナさんと同じ服を着た銀の髪のこの子も、この宿の店員なのだろうか。手には、水の入ったコップの乗った盆を持っていた。

 

「ありがとうございます」

 

 少女に礼を言って、コップを受け取った。

 ガラスのコップか。これまた贅沢な。

 ガラスで作られた物というのは、昔から高価なものとされてきているため、コップなどの日用品は木のものを使うのが一般的だ。

 しかし、ここは物流で発展している街。意外とこういったものは手軽に手に入るのかもしれない。

 しっかりと冷えた水の入ったコップに口をつけ、中身を喉へと通す。

 仕事で疲れた体に染み渡る。

 

「おいしい?」

 

 隣に立っていた少女にそう問われ、僕はコップの半分ほどを一気に飲むと、一息ついてから「美味しいです」と返した。

 すると少女は満足そうに、

 

「軟水にしてみました。疲れてるみたいだったから、飲みやすい方がいいと思って」

「軟水……?」

「あぁ、軟水っていうのは、水の中のミネラルやマグネシウムが少ない水のことを言うんです。逆に多いものを硬水っていって、軟水は硬水よりもさっぱりしてるので飲みやすいんです」

 

 料理中のサヤさんが、そんな説明をしてくれる。

 なるほど、この店では水にも種類があるのか。

 

「月光のアクアソムリエとは私のこと」

「レイちゃんはお水好きだもんね」

「だってお酒飲ませてくれないんだもん」

「さすがにレイちゃんは子供だからね」

 

 ムスッとしながらサヤさんとそんなやり取りをした、レイと呼ばれた少女は、トテトテとどこかへ行ってしまった。

 

「あんな小さい子も働いているんですね」

「はい。あんまり表に出て働くことはないんですけど、今日はなんだか機嫌がいいみたいで。ああ見えて、うちのお酒以外の飲み物は、あの子がソムリエみたいなことしてくれてるんですよ」

 

 まだ幼い少女が店の手伝いをするのは、珍しいことではない。それに、しっかりとした大人びた子だった。将来聡明な女性になるだろう。

 水を片手に、僕は食堂の中を見回してみることにした。

 僕が見ていない間に、空いていた席は全て埋まってしまったようで、室内は大いに賑わっていた。大通りの飲食店でも、こんなに賑わうことはなにかを祝う時くらいなものだが、そういう雰囲気は感じられない。

 客層は男女共にいいバランスだ。男が多すぎるというわけでも、女が多すぎるわけでもない。こうやってバランスのとれた客層は、どちらかの性別の者が入りにくいという空気がないため、非常に良い。

 テーブル席には二箇所ほど、衛兵の鎧を着た男たちが座り、談笑をしていた。衛兵が宿に泊まっているというのもおかしな話だが、仕事はいいのだろうか。

 どのテーブルにも、卓上に食べ終わった皿が置かれ、空になったコップが置かれている。それをカナさんが軽やかに片付けていく。

 テーブルの間を歩き片付けながら、さらにお客さんとも談笑をするという並行作業を見事にこなす彼女の手際は、非常に洗練されており、食後の散らかった場所も、素早く食器を回収し、客の邪魔にならないような滑らかな動きで汚れた箇所を拭いていく。

 どの客も、この店によく来るのか、別々のテーブルなのに言葉を交わし合い、仲がいい。

 

「さ、追加出来ましたよー!」

 

 僕がキョロキョロと辺りを見回しながら水を飲んでいると、カウンターの向こう側から、サヤさんが大きい声で言った。

 その言葉に、食堂中から歓声が上がる。

 口々にカナさんへ注文を飛ばす客たち。それをカナさんは、まるで一度に何人もの言葉を聞いているかのごとく、淀みなく注文を聞いていく。

 

「メルさんは、甘口、中辛、辛口、どれにします?」

 

 サヤさんにそう選択肢を出され、迷う。というより、あまりよくわからない。

 まぁ、無難そうな中辛とやらにしておくか。

 

「中辛でお願いします」

「中辛ですね」

 

 うんうんと頷きながら、サヤさんは釜からなにやら白いものを平皿に盛り、さらにその上に、寸胴鍋の中身をかける。

 

「はい、中辛です。お待たせしました」

 

 カウンター越しに、木匙と一緒に料理が出された。

 白いものの正体は、見たところライスのようだ。以前食べたことがあるが、少しべっちゃりしたもののような気がする。

 そして、その上にかかっている茶色い液体。野菜などの具材も入っている。

 茶色い食べ物というものを、食べたことがなかったが、漂ってくる香ばしい匂いと、客たちが待ち望んでいるものだと思うと、食べたいという好奇心が芽生えた。

 目の前にある物に好奇心を抱き、それを食べるまでに障害などない。

 僕は、木匙でライスと共にその液体を掬うと、口の中へと入れた。

 するとどうだろうか。

 記憶にあった米のねっちゃりとした感覚はなく、舌に乗ったそれはツヤの様なものを感じられるほど、しっかりと自分の形を保ったもので、そして次に舌に当たったあの茶色の液体は、奥深い旨味を解き放った。

 まるで、その内に秘めたマグマを解き放つ火山のように、口いっぱいに心が奪われる旨みが広がる。

 いろいろな物が混ぜ合わさったことで生まれているその旨みは、確かなコクと一緒に、口の中で踊っているようだ。

 そして、咀嚼することで湧き出てくるスパイス。

 嫌な辛さではなく、深みのある味わいにアクセントを加えてくれるような、そんな適度な辛さだ。

 しかもそのスパイスは、一つではない。四つ、いや、五つか。

 複雑で繊細な味わいの前では、僕の舌でわかるのはその程度で、もっと奥に隠された味の正体がある気がした。

 ライスとの完全な調和。踊っている。口の中で、カレーが優雅なダンスを披露している。

 最後にやってくる、優しいフレッシュな後味。スパイスに負けずに、僕の舌の上で踊っていた旨味に、華麗な幕引きをし、そして、新たな一口を迎えるための準備を整えてくれた。

 カレー。こんなにも美味しい料理が、この世にあったのか。

 

「美味しい……」

 

 噛み締めるように僕が言うと、サヤさんは、新たなさらにカレーを盛り付けながら、楽しそうにクスクスと笑った。

 

「お口に合ってよかったです。腕によりをかけて作った甲斐があります」


 サヤさんは、盛り付け終わった皿を、僕の隣に座っている包帯男の前に置いた。

 

「はい、ジンさん。甘口ですよ」

「ありがとうございます」

「ジンさんが甘口だなんて、ちょっと驚きました」

「辛いのは苦手なもので」

「意外です」


 そんなやり取りのあと、男はカレーを口に入れる。

 途端に男の周りに広がる、幸せオーラ。なんというか、見ていて幸せになる姿だ。

 視線を戻し、僕は再度カレーを掬った。

 今度匙の上に乗っていたのは、飴色になった玉ねぎ。

 玉ねぎは、少し辛みがある野菜だ。この絶妙な旨みの均衡を、崩さなければいいのだが。

 そう願いながら、口へと運ぶ。

 そして、僕は感動する。

 少し辛味がある?とんでもない。

 甘い。野菜のくせに甘かった。

 砂糖のようなわかりやすい甘みでは無いが、シャキリとしっかりとした歯ごたえで噛み締めるごとに、まろやかな甘みが溢れ出した。

 堪らず次の一掬い。

 今度は肉。これは、豚か。

 肉としてもっとも安価で、もっとも流通している種類の肉だ。

 先程の一口を飲み込むと同時に、口の中へと入れる。

 油分の多い豚肉は、案の定その肉汁で濃い味で、口の中を満たす。

 これはこれで美味いのだが、あまりいっぱい食べると、しつこいような気もする。

 そんなことを思っていると、そこに救世主が現れる。

 先程から後味で現れていた、優しくもフレッシュな味わい。それが口の中のしつこさを、まるで畑を手入れするように、滑らかに慣らしてくれる。

 この救世主の正体は……林檎。林檎だ。

 あの赤いフレッシュな果実の顔が、この複雑で繊細な味の奥深くに見えた。

 料理に果実を使うというのは、よく行われていることだが、大抵はメインとして果実中心の料理が多い。

 しかしこれはどうだろうか。果実は、味の奥深くをよくよく探さないと見つからないほど裏方に徹している。しかし、隠れてばかりではなく、仕事はきっちりとこなしているから驚きだ。

 

「これ、よかったら食べてみるとええよ」

 

 僕がカレーに舌づつみを打っていると、接客の合間を縫ってカナさんが、厨房にあった小鉢の中身を小皿に移し、持ってきてくれた。

 

「これは?」

「福神漬けゆーてな。カレーの合間に食べると、もう最っ高に美味いんよ」

 

 カレーだけでも美味しいのに、さらに美味しい……だと。

 渡された小皿の上には、赤い細切れになったものが乗っている。

 僕は、小皿に盛られた福神漬けを、少量掬うと口の中に入れてみる。

 シャキシャキと確かな歯ごたえ、そして、さっぱりと口の中が洗われるような感覚になる。

 林檎の後味もフレッシュで次の一口を迎えるのを助けてくれるが、これはもっとわかりやすく、口の中をリセットし、次の一口を新しいものとする食べ物だった。

 カレーを食べ、福神漬けを食べる。そして、喉をやさしく流れてくれる水を飲み、またカレーを食べる。

 これを、無限に繰り返せる気がした。

 終わりのない、至福のループ。

 しかし、物には限りがある。

 気づくと、掬おうとした匙は、空を掻いた。

 

「すみません、もう一杯いただけないでしょうか」

 

 僕がそうサヤさんに躊躇いがちに言うと、サヤさんはそれをわかっていたかのように「もちろん」と言って僕から空の皿を受け取った。

 

「カレー、気に入って貰えました?」

「えぇ、すごく美味しいです」

「よかった。来た時のメルさん、少し落ち込んでるように見えたので、元気になってくれたみたいでよかった」

 

 サヤさんの言葉に、僕は今日一日の出来事を思い出す。

 良い出来事ではない。だが、ここでこうして美味しいご飯を食べれたという事は、今日一日にそんな出来事を、上書きした上に幸せのお釣りまでくれる程素晴らしい事だ。

 

「領主の仕事の手伝いは、大変だろう」

 

 そう言ったのは、隣の包帯男。

 思いがけない言葉に、僕が驚くと、男は「悪い、違ったか?」と聞いてきた。

 

「いえ、その通りです。僕は今日、この街の領主の屋敷で働いてきました」

「ストローツの名を聞いてひょっとして、と思ってな。確か、南の港町の領主は、この街の領主の兄、だったか。そこから来たのか?」

「な、なぜそのことを……?」

「ん?あぁ、この街の領主には子供がいないからな。それと、長旅で疲れた顔をしてた」

 

 よく見ている。素直にそう思った。

 だが。

 はて、叔父は跡継ぎがいないことを隠してたような気がするが。

 

「ジンさん、よく知ってますね」

「そんなことないですよ。こういう情報は、無いよりはある方がいいですから、少し知っていただけです」

 

 ジンと呼ばれた男は、感心したようなサヤさんの声に、謙遜して返すと、新しいカレーを受け取る。

 続いて渡されたカレーは僕のもので、これを受け取って、僕は再度至福のループを始めた。

 少しさっきの時と違うのは、食べながらジンさんと話している事だ。

 

「ここの領主は僕の叔父でして、その下で修行をしてこいと父に言われ、ここまで旅をしてきた、というわけです」

「なるほど。だったら、その領主の家に泊まるんじゃないのか?なんで宿に?」

「なんでも、余っている部屋がないらしく、僕は宿に泊まるしかないんです……」

 

 遠路はるばる来た甥のために、広い屋敷の部屋一つも空けれないとは、なんとも腑に落ちない話だが、落ちこぼれの僕に貸す部屋など無いということかもしれない。

 

「ん?たしかあの屋敷は部屋が一つ余ってたはずだが……」

 

 ボソリと言った男の言葉は、上手く聞き取れなかった。

 僕に言った言葉ではなく、独り言かもしれない。聞くのはよそう。

 

「まぁでも、期待されてるんじゃないか?」

「期待?そんなのされてませんよ。僕より弟の方が、ずっと期待されてます」

「弟さんがいるんですか?」

 

 注文が一段落したのか、厨房に立つサヤさんも、話に加わってきた。

 

「はい。今は故郷で父に色々と教わっています。大して僕は、厄介払いのように、旅に出されてしまって……」

「「厄介払い?」」

 

 僕の言葉に、ジンさんとサヤさんは揃って首を傾げた。

 なにかおかしな事を言っただろうか。

 

「弟は父の元で修行をしているのに、僕はこんな故郷から遠く離れた地。厄介払いですよ」

「そんなことはないと思うが」

「はい、それは考えすぎだと思います」

 

 返った来たのは、双方ともに否定の言葉だった。

 

「どうしてですか?」

「だって、この街は、この国で王都に次ぐ、物流で栄えた街じゃないか」

「そうですよ。この街で勉強できることは、いっぱいあると思います」

「それに、ストローツ家が治める南の港町と言ったら、この街へ海産物を最も多く流している場所だ。きっと、この街にいた方がわかることは、たくさんある」

 

 …………そう、なのだろうか。

 だが、かと言って、期待されているかは別の話だ。

 

「それでも、弟は僕より優秀です。僕は、弟の出来ることの半分が限界で……」

「ええやん。そんなの」

 

 話の輪に、次に加わってきたのはカナさんだった。

 他の客たちは、カレーに夢中の様子。こちらも仕事が少し落ち着いたのだろう。

 

「別にええやん。弟の半分しか出来なくっても」

「…………いいのでしょうか……」

「うん、ええと思うで。そんなの、半分しか出来へんなら、弟の倍頑張ればすぐ解決やん」

 

 何を当たり前のことで悩んでいるのだ。

 そう言われた気分だった。

 弟の、倍頑張る。

 思えばそんな発想、したことがなかった。

 いつも、僕は父から与えられたことにそれなりに取り組み、弟は、僕と同じことをしていたように思う。


「それが、努力いうもんちゃうん?」

 

 努力。

 努力か。

 今までの人生、努力をしてきたのかと問われれば、僕は胸を張って肯定の言葉を言えただろうか。

 答えは否だ。

 僕は、目の前に出された事を、大した努力もせずに、ただ過ぎるのを待っていただけだ。

 

「才能の違い。というのは、誰にでもあると思いますよ。問題は、そこからどう努力して、どう大成するかです」

「そう……ですね……。僕は、努力を避けてきたのかもしれません……」

「ほな、これから頑張っていけばええねん」


 カナさんに背中をバシバシと叩かれ、それと同時に、僕の中の何かも叩き直されたような気がした。

 そうして、僕が辛さと深みのある温かなカレーの最後の一口を、口に入れた。

 美味しい。辛いだけじゃない、優しさのある、そんな味。

 僕がふうと一息つくと、宿の玄関の扉が開く音が、微かに聞こえてきた。

 カナさんは、パッと僕の側を離れると、玄関へと去っていく。

 走っているようには見えないが、とても素早く、そしてしなやかな動きだった。

 それから、数秒後。

 

「メルさーん、お客さんやでー」

 

 カナさんの声が聞こえて、僕は首をかしげながら空になった皿をサヤさんに渡し、玄関の方へと歩いていった。

 

「メル様!ここにおられましたか!」

 

 玄関に着くと、そこにいたのは燕尾服を着た初老の男性。

 もう若くないというのに若々しく背筋を伸ばした彼は、カナさんに一礼すると、僕の前まで来た。

 この男性には見覚えがある。確か、叔父の家で執事を務めていた者だったはずだ。

 

「いやよかった。大通りの宿を回ったのですが、どこにもおられないので心配致しました」

「は、はい。あの、どうかしましたか?」

「ご主人様がお呼びです。お荷物はどちらでしょうか」

 

 主人というのは、叔父のことだろう。

 だが、なぜ?

 

「荷物はいいですよ。用が済んだらここに戻ってきますし」

「いえ、そういうわけにはいきません。ご主人様より、荷物も持って呼んでくるよう、仰せつかっておりますので」


 まさか、このまま帰れとでも言うのではなかろうか。

 落ちこぼれの僕は、この街にいるのも邪魔だと。

 

「メル様の部屋に案内していただいてもよろしいでしょうか」

「あ、ええよ。荷物くらい私たちが持ってくるわ」

「いえ、そういうわけにもいきません。女性にそのようなことは……」

 

 執事とカナさんのやり取りが、どこか遠くに聞こえる。

 僕はこのまま、送り返されてしまうのだろうか。

 

「おーい!レーイ!」

 

 カナさんが受付の奥の方へ叫ぶと、少しの物音の後、銀髪の少女が顔を出した。

 

「メルさんの荷物、下ろすから案内してあげてくれへん?」

「え、さっき上に上げたばっかでしょ?」

「なんや訳ありらしいで」

「むぅ、わかった」

 

 やや不満げに言うと、少女は執事を伴って、奥の階段を上がっていった。

 執事に「メル様はここでお待ちください」と言われた僕は、受付で立ちつくしてしまった。

 

「そうだ、お代」

 

 荷物を持っていくということは、少なからずこの宿に戻ってくることはないかもしれない。だったら、せめて飯代だけでも払うべきだろう。

 そう思い、懐にある財布に伸ばした僕の手を、カナさんが制する。

 

「ええて。払わんでも」

「でも……」

「今は、払わんでええよ」

「今は……?」

「出世払いや。ちゃんと修行して、そしたらちゃんと払いに来てくれたらええ」

「っ!ありがとうございます」

 

 カナさんの言葉に、僕は胸が締め付けられるような感覚にあう。

 いい店だ。店員も、客も、料理も、全て温かい。

 そう時間がかからず、僕の荷物を抱えた執事が下りてきて、僕は宿屋『月光』を後にした。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 屋敷に着いた僕は、真っ先に叔父の執務室へと通された。

 ノックし、「入れ」の言葉を聞いてから、扉を開ける。

 両側にずらりと本が並んだ、赤い絨毯の敷かれた部屋の窓際に、叔父はいた。

 外を眺めている叔父に、僕は「失礼します」と言って、中に入った。

 執事が僕の荷物を隅に置き、一礼して部屋から出ると、叔父はゆっくりと僕の方を向いた。

 背は低いが、がっちりとした体つきの、厳格な顔をした叔父。

 叔父は、僕を厳しい目で見ながら、口を開いた。

 

「何も言わずに帰るとは何事だ」

「す、すみません……でも、今日の仕事は終わりだと言われたので……」

「何も言わずに帰った上に、もう外で食事をしてきたそうではないか」

「は、はい……」

 

 なぜ知っているのだろうか。と、思ったが、執事がすでに報告していたのだろう。

 

「おかげで、夕飯が一人分無駄になってしまったでは無いか」

「えっ?」

 

 叔父は何を言っているのだろうか。

 

「まさか、甥が遠路はるばる来たというのに、飯の一つも出さない男だと思っていたのか?」

「え、いや、あの、それは……」

 

 叔父にそう凄まれ、僕は縮こまってしまう。

 この人は、なんというか、威圧感がある。

 

「それに、わざわざ宿を用意せんでも良かったのだ」

「あの……それはどういう……」

「角の部屋を掃除したのだろう?」

「は、はい」

 

 叔父の執務室のある階の、一番角の部屋は、今日僕が掃除をした部屋だ。

 

「新しく買った家具はもう運ばせてある。そこを使いなさい」

 

 叔父の口から出てきた言葉は、僕を驚かせるには十分だった。

 送り返されると思っていた、自分がバカらしい。

 

「兄に領主になれるよう修行してやってくれ、と頼まれたのだ。領主たる者、全て執事に頼らねば生きていけんなど、情けなくて仕方がない。そう思って、掃除をさせたんだが、使う前に帰りおって」

 

 叔父の言葉に、僕は涙を堪えていた。

 期待。されていたんだ。

 ちゃんと。こんな、落ちこぼれの僕にも。

 

「それから、その自信の無い目は、今後一切許さん。自分を落ちこぼれだなどと思ってる者に、土地を治めることなどできんだろう」

 

 酷い人だと思っていた叔父は、とても温かく、優しい人だった。

 そして、そんな叔父が治めるこの街を、僕はもっと知りたいとも思う。

 

「お前が行った宿には、あとで料金を支払いに行かせる。だからお前は、早く荷物を持って、部屋に行け」

「あ、あの!」

 

 僕は、下を向いていた顔を上げると、真っ直ぐと叔父の目を見た。

 

「あの宿屋、『月光』への料金は、僕が支払います!父のお金でも、叔父さんのお金でもなく。僕がちゃんと働いたお金で、支払いたいんです!」

 

 僕の言葉に、叔父はフッと笑った。

 

「よかろう。それならば、明日から色々と教えてやる。覚悟しておけ」

「はい!」

 

 僕は、新たな一歩を踏み出せた気がした。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

「よく知ってたね」

 

 夕飯時を終えた『月光』の食堂。そこで俺が片付けの手伝いをしていると、レイが唐突にそう言った。

 

「何を?」

「領主さんの家。一部屋空いてたはずだって」

 

 聞いてたのかよ。

 

「いるなら声掛けてくれてもよかったんじゃないか?」

「カウンター裏の見えないところが、私の特等席」

「変な場所が好きなんだな」

 

 テーブルを布巾で拭きながら、そう返すと、レイは俺の視界に入るように椅子に乗って、

 

「なんで知ってたの?」

「別に。前に仕事で、領主に用があったもんでな。その時見たのさ」

「用?」

「あぁ、まぁ、その用を致す前に、依頼主が失踪して仕事は無くなったんだけどな」

「ふーん、そうなんだ」

「というか、手伝ってくれよ。店員さん」

「それはジンも同じ。店員でしょ?」

「俺はまだ違う。手伝いだ」

「でも、もうそろそろ動き回れるくらいに怪我も治る。そしたら店員。早いか遅いかだけ」

「お前なぁ……」

 

 大体、誰のせいで店員になる事になったと思ってるんだ。

 

「そこ拭き終わったら、香菜姉のとこに行って、食器運ぶの手伝ってあげて」

 

 この娘、人使い荒いな。

 だがまぁ、美味い飯を食わせてもらってるんだ。文句を言うこともないだろう。

 

 こうして、夜は深まっていった。

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