第3話「小躍りしながら喜んでくれてええことやで?」

 歴史ある国レトナーク。その国で、首都の次に栄えている街、ヘブリ。

 レトナーク建国以前に使われていた、古代の言葉で、放浪を意味するらしく、この街は、東西南北様々な方向に伸びる街道の中心に位置し、旅してきた様々な人が訪れる。

 僕も、その一人だ。

 故郷である南の港町から、馬車で五日。さらに徒歩で二日かけ、この街へと来た。

 その目的は、商人としてこの街の人に素晴らしい商品を売りにきた。というわけではなく。旅芸人として人々に笑いを届けにきた。というわけでももちろんない。

 貴族の位を持つ叔父の屋敷へ、働きに来ただけだ。

 叔父が貴族の位を持っているということは、その兄である僕の父も貴族なのだが、僕は父の跡を継ぐための修行として、叔父の手伝いをしながら、色々と学んでこいとのことだそうだ。

 しかし、僕は知っている。

 父は、僕を跡継ぎにするつもりなどないことを。

 僕の弟は、僕より出来が良かった。文武ともに才能があり、教えられたことをなんでもすぐに吸収していった。

 僕はその二番目、にすらなりえない。

 いつも弟の出来ることの、半分が限界だった。

 弟は、変わらず故郷で父に、政治について教わっている。

 対して僕は、こんな遠くの地で、叔父の手伝い。

 僕が肩を落として道を歩いているのは、この厄介払いのような修行ともう一つ。その修行先からの帰り道ということもある。

 叔父の僕の扱いは、酷いものだった。

 まず最初に渡された仕事は、床の拭き掃除だ。

 召使いにでもやらせればいいものを、なんだかんだと理由をつけ、僕にやらせた。召使いがやったことと言えば、桶に入った水と、ボロボロの雑巾を持ってきたことくらいだ。

 その後、仕事は全く関係のない部屋の片付け。書類の整理とかをやった方まだマシだったかもしれない。僕が整理したものは、難しそうな本でも、複雑に書き込まれた帳簿でもなく、壊れた椅子と、へばりつく根性だけはある蜘蛛の巣だ。

 一日中そんなことをやらされ、屋敷の中で風呂には入れてくれたが、きっと、掃除のせいで汚れた僕を屋敷で歩かせたくなかっただけだ。

 そうして叔父の屋敷を後にした頃には、すっかり日が落ちかけてしまっていた。

 残念ながら叔父の部屋には空き部屋が無いらしく、父から渡されていたお金を使って、この街にいる間は宿に泊まることになっていた。

 懐には、1ヶ月この街で贅沢をして過ごすには足りないけど、生きていけるだけの金がある。

 早く温かいご飯を食べ、寝てしまおう。

 そう思い、大通りに並ぶ宿に入ることにした。

 そこで僕は、絶望することになる。

 空き部屋がないのだ。

 その後二軒、三軒と回ってみたが、どこも結果は同じ。

 さすが旅人が集まる街。宿の需要は高いらしい。

 って、感心している場合じゃない。このままでは、寒空の下野宿することになってしまう。

 しかし、大通りの宿は満室で、泊まることは出来ないと突き返されてしまった。

 大通り最後の宿で断られた時、店主は心優しくも、大通りに面していない宿屋を教えてくれた。

 大通りに面していない宿屋は、あまり良いものは期待できないが、この際贅沢は言ってられない。野宿よりマシである。

 僕は店主に教えられたとおりに、大通りから外れた路地へと入っていく。

 街灯に照らされたその路地は、他の路地と比べると人通りが多く、雰囲気がいい。

 この街は衛兵が優秀なことでも有名だ。なんでも、ここ数ヶ月で衛兵たちのやる気が爆発的に上がっているのだとか。

 どういうわけか知りたいが、あまりよくわかっていないらしい。まぁ、平和なのはいいことである。

 しばらく歩くと、目的の宿屋はすぐに見つかった。

 宿屋『月光』

 大通りの宿の店主に教えてもらった店名が、看板に大きく書かれていた。

 空き地のような広い土地の上に、ぽつんと建てられた、レンガの外観に所々木が組まれている、四階建ての建物。

 街灯の光と、建物から漏れ出ているオレンジ色の光が、全体的に暖かな雰囲気を醸し出している。

 いい宿だ。

 一目見て、そう確信した。これは、いい所を紹介して貰えた。

 あとは、部屋が空いてくれればいいのだが……。

 僕は、大量の手荷物を引きずって、『月光』の玄関を開いた。

 

「いらっしゃい!」

 

 扉を開いた僕を迎えてくれたのは、元気な黒髪の店員だった。

 白のブラウスに、胡桃色に白と黒の線が引かれたチェック柄のスカート。この店の制服だろうか。

 

「おひとり様でええかな?本日はご宿泊?それとも食事?」

 

 宿に来て宿泊以外の選択肢を出されたのは初めてだが、今回は宿泊だ。とにかく泊まる所が欲しい。

 

「宿泊でお願いします。部屋、空いてますかね」

「空いとるよ〜。今日お客さんが一組帰ってな。一部屋空きがあるんよ」

 

 人当たりのいい笑顔を浮かべ、受付の宿帳を見ながら言う店員に、僕は胸を撫で下ろした。どうやら、大丈夫そうだ。

 

「お客さん、飯はもう食べたんか?」

「いえ、まだ。何分空いてる宿が見つからなかったもので」

「そら大変やったな〜。この街は朝の内に宿見つけんと、すーぐ埋まっちゃうやんね。ま、それならちょうどええわ。今は食堂で夕飯出しとるからな。ご飯食べてくるとええわ。ちょっと混んどるかもやけど、席くらい空いとるやろ」

 

 そう言って店員が示した方向を見ると、何やら賑やかな部屋があった。ここが食堂か。

 

「ありがとうございます。では、荷物を部屋に持って行ってから……」

「あ、ええてええて。そんくらい先持っとっとくわ。早よ食べんと無くなってまうで。みんな今日は飲み物みたいに食うてるからな。お代も帰る時でええよ。最後にまとめてお勘定やから」

「いや、しかし……」

「ええから、そこ置いといて。レーイ!!仕事やでー!!」

 

 何やら受付の奥に向かって叫ぶと、店員は僕を食堂に案内してくれた。

 随分と綺麗な食堂だ。それに広い。

 カウンター席が八つ。さらに四人がけのテーブルが四つと、二人がけのテーブルが五つ。席がびっしりと埋められているわけではなく、それぞれの間はしっかりと余裕が持たれている。

 そのほとんどが埋まっていた。

 そして漂ってくる、香ばしい空腹を誘う匂い。

 この場に立っているだけで腹が鳴る。

 

「宿泊客さんご案内やで〜。ほら、ここ座りぃ」

 

 店員に案内されたのは、空いている二つのカウンター席の内の一つを引いて、座るように促してきた。隣には、黒髪の男が一人、水を飲んでいる。所々包帯が見え隠れしているが、随分と大きな怪我を負っているようだ。だが、見たところ無事な様子。

 

「あんま明るいのが隣やないけど、これはこれで面白い人やから」

「なんか喜びづらい言葉が聞こえたんだが」

「なんやジンさん、小躍りしながら喜んでくれてええことやで?」

 

 店員がからかうように言うと、男は困ったような苦笑い。常連なのだろうか。

 すると、食堂のテーブル席の一つから、男の声が聞こえてきた。

 

「おーい!カナちゃーん!注文お願い!」

「はーい!今行くからちょっと待っときー!」

 

 カナと言うのがこの店員の名前なのだろう。

 明るく返した彼女は、僕の方に向き直る。


「そやった。まだ名前聞いてへんかったな。宿帳に書いとくから教えてくれへん?」

「メル・ストローツと申します」

「メル・ストローツさんやな。それじゃ、ごゆっくり〜」

 

 手をヒラヒラとさせながら呼ばれたテーブルの方へ歩いて行く後ろ姿を見ていると、今度はカウンターの向こう側、つまり厨房から声が聞こえる。

 

「もう。香菜ったら新しいお客さんの注文取るの忘れてるんだから」

 

 厨房の下に戸棚があるのか、そこを探っていた人影が立ち上がり、不満げに言う。

 そこには、女神がいた。

 不思議なグラデーションの入った絹のような茶髪。カナさんという店員と同じ、ブラウスにチェックのスカートを、優雅に着こなした美しい女神。

 僕は、その一枚の絵のような光景に目を奪われ、絶句した。

 

「メルさん、ですたっけ。いらっしゃいませ、宿屋『月光』へ。私は紗綾。この宿の一応店主です」

 

 見蕩れるほどの満面の笑みで、歓迎の言葉を紡ぐ彼女に、完全に心を奪われていた。

 サヤ、サヤというのか……。こんなに早く人の名前を覚えたのは初めてだ。

 

「ご注文は、ここから好きなのを」

「は、はい!」

 

 厨房に立つサヤさんに見とれていると、突然隣から声を掛けられて変な声が出てしまった。

 隣の包帯男が渡してきたのは、一冊の薄い本。

 表紙には、繋がるように書かれた「menu」の文字。

 

「今日はメインディッシュが決まっちゃってるので、ドリンクしか注文できないですけど」

 

 少し申し訳なさそうにサヤさんが言う。

 「大丈夫です」と少し上釣りながら返し、僕は本を開いた。

 ずらりと並んだ文字。幸い、僕は読み書きは人並みに出来るため、スラスラと読むことが出来る。

 最初のページはサラダと題が付いており、それだけで七種類ほどの種類がある。次のページからしばらく、聞いたことのない料理が続き、興味がそそられたが、今日のところはドリンクだ。

 最後の方のページにドリンクの項目があり、それだけで20種類近くある。

 色々と飲食店や宿に行ったことのある僕だが、こんなにたくさんの種類を提示されたのは初めてで、何を頼むのが正解なのか迷ってしまう。

 

「あの、おすすめは?」

 

 迷った挙句、サヤさんに聞くことにした。断じて、目の前の美しい女性と言葉を交わしたかった訳では無い。…………いや、正直その思惑は少しある。

 問われたサヤさんは、厨房で鍋をかき回しながら、迷う素振りなく、

 

「今日はシンプルに水か牛乳ミルクがいいと思いますよ」

 

 と答えた。

 水と牛乳ミルクとはまたシンプルだ。


「普段は先に水をお出ししてるんですが、今日のメインディッシュは飲み物の好みが分かれますからね。水も選べるようにしてるんです」

 

 笑顔のサヤさんの言葉に、僕はうなづく。

 それでは、ここは水にしようか。どこでも飲めるものだが、だからこそに外れることはない。

 臆病者の僕の、相変わらずの保険だらけの選択である。

 

「はーい、じゃあちょっとまっててくださいね。もうすぐ追加分ができますので」

 

 サヤさんのかき回す鍋から、より一層香ばしい香りが漂ってくる。

 中身を見てみたいが、背の高い寸胴鍋で、ギリギリ中身が隠れている。

 たまらずに聞くことにした。

 

「今日のメインディッシュというのは?」

「今日はですね、みんな大好きな――――」

 

 そしてこちらを向いて、得意気に。

 

「カレーです」

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