第17話 薬屋の弟子、決意する。


 数週間後、病魔は、リーリスさんの指先に現れた。


「あれ? リーリスさん、その指、どうしたんデスか?」


「はにゃ?」


 その頃には僕の傷はかなり回復し、残すは左足の切断面や奴隷印の火傷痕などで、大部分は痛みを主張しない「傷跡」となっていた。


 数日前からは食事も病人食ではなく、皆さんと同じメニューをいただいている。


 いつも通りエリシエリさんの朝食を食べている時にふと、気になった指先の傷。

 ちょっとした「しこり」のような潰瘍かいようが右手中指にポツン、と現れていた。


「ん~? 何っスかね……ちょっと硬いくらいで痛くは無いっスよ。」


 ふにふに、と中指のしこりを触るリーリスさん。


 何だろう? 膿んでいる訳では無いし。

 何の気なしに【鑑定】を発動させる。


 【鑑定】

 名前:リーリス・リン

 状態:ステイタス異常

 「梅毒」感染第1期


「ぶばぼっ!!! ごほっ、ごほっ、げはっ!!」


「うわっ!? レイニー!? 突然、スープを吐き戻さないで欲しいっス!!」


 リーリスさんが、僕の噴き出したテーブルのスープを奇麗にふき取る。

 今日はカレーのような奇麗なウコン色のスープだから、服にも黄色いシミが複数ついてしまったが、気にしている余裕は無い。


「リ、リーリスさん! ……ッ! 3週間くらい前に遊女と関係を持ちマシたか?」


「唐突にどうしたっスか!? 無いっスよ!? そんなの!」


「正直に話してくだサイ。」


「本当っスよ!! 第一、レイニーをここに連れて来てからと言うもの、夜はずっと一緒じゃないっスか!」


 俺がちょ~っとトイレ行ってるだけで夜泣きする癖にそれは無いっス~、とぶちぶちのたまうリーリスさん。

 僕の記憶からすでに抹殺されているが、目覚めたら誰も居なくてぎゃん泣きした過去が無かったとは言わない。


 え? それは一昨日の事デスか? 

 ははは、何をおっしゃいマスやら……記憶にございませんな。


 だって、仕方ないじゃないですか!

 また、夢であの超リアル・ホラームービー自動上映ですよ!?

 僕の基本設定には、ビビりでチキンな日本人のDNAがみっちみちに詰まってるんですよ!


 そんなもん見せられた直後に、気づいたらリーリスさんが居ない訳ですよ!? 

 冷静に「あぁ。お手洗いか。」などと考えることが出来るとでも思ったら大間違い!


 眼球からの緊急放流なんて、条件反射以外の何物でもないじゃないですか!?


 それはともかく! 


 昼間は基本的に別行動。

 リーリスさんは冒険者のお仕事へ。

 僕はエリシエリさんのお手伝いでちょっとした小銭を稼いでいる。

 ま、ごはん代をエリシエリさんに払ったら手元に残るのは、雀の涙だけどね。


「いえ、夜でなくても昼間でもヤる事はヤれマス。」


「そんな万年発情期みたいな種族は人間か龍族だけっス!!!」


 え? そうなの?


「じゃ、誰か……『梅毒』か『腐肉腫病』の方と、体液の付着を伴うような交わりをされマシたか?」


「体液の付着って……ん? あぁ……そうっスね……そう言われると……」


 3週間前かどうかは記憶に無いらしいが、僕をオズヌさんに預けて、ユイシア酒場のツケを清算した日……思い当たる節があるらしい。

 詳しく聞くと、その日は「ゴツール墓場」の警備をしていた、との事。


 この「ゴツール墓場」と言うのは俗称で、実際は町の犯罪者等を閉じ込めておく牢の一種なのだ。

 正式名称は「ゴツール刑務所」。


 冒険者によく回って来る仕事は、その中の「第4棟」の警備だそうだ。

 そこは、実験や薬等で頭のおかしくなってしまった犯罪者を隔離したり、収容されている人で、病気のために余命いくばくも無い……と言うヤツを看取る為の施設なのだとか。

 この「第4棟」を通称、ゴツール墓場、と言うらしい。


 ……ある意味、直球なネーミングセンスだよな。

 これ、日本だったら炎上ものだよなぁ……


 お給料が安い上に、精神的にも肉体的にもハード、と割に合わない仕事だ。

 だが、人気が無いが故に、いざという時でも受けられるメリットは有るそうだ。


 そして、あの日、「腐肉腫病」に罹患している者同士の喧嘩があったとの事。

 リーリスさん達警備員で、喧嘩を止めたのだが、その際に、中指を噛まれたらしい。その場所に、ちょうど、この「しこり」が出来ている。


「……それ、デス、ね……」


 梅毒トレポネーマは傷口から感染する。

 僕は、思わず手に持ったままだったスプーンを、指が白くなるまで握り締めた。


 くそっ……元の世界の梅毒は、初期の方が感染力が高く、後期になるほど感染能力が低いはずなのに……!


 どうしよう。

 このまま放っておくわけにはいかない。


 いくら個人差があって、人によっては「腐肉腫病」にならない、とは言っても放置しておいたら、そこまで悪化してしまう可能性が、十分に、ある。


「リーリスさん!!!」


 彼の金色の瞳を射抜くつもりで見据える。


「な、何スか?」


 僕ののっぴきならない視線に、思わず姿勢を正すリーリスさん。


「今すぐ、小金貨3枚、準備できマスか!?」


「小金貨3枚ィ!? む、無理無理、それは無理っスよ! そんな割の良い仕事……ダンジョンで運よく宝箱でも見つけない限り、パッと手に入る金額じゃないっス!」


 不可能を象徴するように、リーリスさんは、パタパタと右手を目の前で振った。

 やはりそうか。


「では、『精霊樹の丘』に生えている、リポキロの原料になる薬草を取って来る事は出来マス?」


「……レイニー……そんなの、もっと無理っスよ。」


 何を言い出すんだ、と言わんばかりのげっそり顔。

 ですよね……。


 僕は俯いて考え込んだ。

 だいぶ伸びて来た黄緑色の前髪が眼鏡に影を落としている。


 もう、これは……やるしかないだろう。


 作るのだ、この手で。

 奇跡の抗生物質、ペニシリンを!!

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