第16話 薬屋の弟子、亡き夫を偲ぶ。



「……リーリスさん、遅いデスね……。」


 僕は1階の窓際で、何度目になるか分からない呟きを繰り返した。

 もう、とっくに薬草の仕分けは終わっている。


「冒険者は仕事に出たら、数日戻らないなんてザラだからな。」


「……そうデスか。」


「……でも、まぁ、今回は、その、遠出する装備でもなかったし、

遅くても、明日か明後日には戻って来るだろう。」


「……そうデスか。」


 このやり取りも何度目か分からない。

 オズヌさんも、良く付き合ってくれるよな。


 申し訳ないな、と思いながらもついつい、外を見てしまう。


 外は真っ暗なので、僕の目では……このメガネをかけていたとしても……ほとんど何も見えない。

 つまり、僕達が、ここで、ひたすら外を眺めている事に、意味は無い。


 むしろ、夜風に当たり過ぎると体を冷やすから、病み上がりの僕にとっては、あまり好ましいとは言えない。


「……ひっぷしっ!」


 うぅ、やっぱり、ちょっと寒い。


「おい、体を冷やすなよ?」


 くしゃみをする僕に、温めたお茶を入れた木のカップを近づけてくれるオズヌさん。

 これ、湯たんぽ代わりにくっついてると暖かいんだよね。


「はい、ありがとうございマス。」


 トントントン……


 その時、部屋の階段から人の降りて来るような音が響いた。

ふと見れば、エリシエリさんが階段から降りて来る。


 もうすでに、夕ご飯の時間もとっくに終了しているし、2階の自室でくつろいでいたのだろう。

 昼間のキッチリした黒のロングドレスを脱ぎ捨て、ゆったりしたグレーのバスローブみたいな姿だ。

 手には、灯りを持っている。


 エリシエリさんは僕達が窓辺に陣取っているのを見ると「おや?」と小さく呟いた。


 しかし、あゆみは止まらない。

 どうやらお手洗いに用事があったようだ。

 所用を済ませると、エリシエリさんが少し眉をひそめて僕達に声をかけて来た。


「……アンタ達、そんな所で何を見てるんだい?」


「いえ、リーリスさん、遅いなと思って……へっぷしょん!」


「ほら、熱がぶり返すよ?! きちんと布団で寝な!

オズヌ、アンタ、このチビをさっさと部屋に連れてって布団に放り込んでおいで!」


 エリシエリさんの雷が落ちる。


「……デモ……」


「デモ、もクソも無いよ。アンタがこの寒い所で外を眺めていた所で、あのポンコツが帰って来る訳じゃないんだからね!!」


 はい、正論です。

 ぐぅの音も出ません。


「それよりも、体調を崩されちまった方が迷惑さ。

明日はオズヌも城に戻るんだよ?!」


「……ご、ゴメンナサイ……」


 しおしお~と、茹でたほうれん草のようになった僕にオズヌさんがフォローの言葉をかける。


「ま、まぁ、エリシエリも、ずっとトキ殿を待って居るんだろ?

レイニーの気持ちは汲んでやっても……」


「トキ殿?」


 誰デスか、それ?

 と、思わず口にしそうになった瞬間、エリシエリさんの放つ圧迫感の色が変わったのが分かった。


 どちらかと言うと迂闊な発言や失言の多そうなリーリスさんに比べると、寡黙で冷静沈着なオズヌさんだ。

 その彼が「しまった」と言う顔で冷や汗を流している。


 や、ヤバイ。絶対、トキさんとやらの事は触れちゃいけない話題だ!!

 どうしよう、この空気感ッ!!!

 また、エリシエリさんが無言なのが、より一層怖いんだよッ!!


 ツンドラなんて生易しい!! 瘴気とでも言うのか?

 これ、ヒトに属する者が出して良い雰囲気じゃないよ!?

 僕とオズヌさんの世界が凍り付いた、その時だった。


 ばたーんっ!!!


「ただいまーっス!!

あれっ? レイニー? 姐さんに兄貴も……どうしたんスか?

そんな窓辺に張り付いて……」


 けたたましい音を立てて、そんな絶対零度をぶち破る救世主の声。


 リーリスさんッ!!!

 待ってた!! 超待ってた!!! 色んな意味でッ!!!


「このポンコツエルフ! 扉は雑に開けるなって何度言ったら覚えるんだいっ!!

しかも、今、何時だかわかってるのかい!」


「あっ! にゃ……にゃはは~……つ、つい~……」


 リーリスさんを躾けるエリシエリさんの雰囲気からは、あのヤバさが消えている。


「ふんっ、三人とも気が済んだだろ? これでさっさと寝るんだよ!」


 エリシエリさんは、そう言うと2階へ戻って行く。


「た、助かった……リーリス。」


「へぁ? 助かったのは俺の方っスよ、兄貴。」


 リーリスさんがきょとん、と首を傾げる。


「それにしても遅かったな。もう、ツケは良いのか?」


「にゃはは~! バッチリっスよ!

何て言ったって『ゴツール墓場』の警備の仕事っスからね。」


 そう言ってリーリスさんはペロリ、と右手の中指を舐める。

 見れば、ちょっとした怪我をしているようだ。


「リーリスさん、その怪我、大丈夫デスか?」


「ん、こんなの唾つけとけば治るっスよ。」


 大して痛みも無いらしい。そう言うと、リーリスさんは、僕の頭を優しく撫でた。


「じゃ、俺は明日の仕事があるから、先に上に行かせて貰うぞ。」


「あ、オズヌさん、今日、ありがとうございマシた。」


「……む、うむ。またな、レイニー。」


 そんなオズヌさんを見送り、僕達も自室へと足を向ける。

 足を向けると言っても、僕はリーリスさんに抱っこされて運ばれるだけですけどね。


「ところで、リーリスさん……あの、トキさん、ってどんな方か、ご存知デスか?」


 僕は、部屋に戻って、だるん、とした服に着替えたリーリスさんに尋ねる。


「トキのあにさん? 知ってるも何も、姐さんの旦那さんっスよ。」


「旦那様!?」


 いや、エリシエリさんなら、ご結婚されてても何の疑問も無いんだけど……


「ん~、俺があにさんに拾われたのが10歳の時だから……

えーと、もう30年以上も前っスね。あにさんが行方不明になったのも。」


 聞けば、エリシエリさんの旦那様のトキさんは、30年以上前に貴族から依頼された仕事の関係で行方不明になってしまったのだとか。


 その際に、エリシエリさんに「この『リシスの薬屋』を頼む、仕事が終わったらすぐ帰るから」と言って出て行ったっきり……だそうだ。


 当然、あまりに遅いため、依頼主の貴族に問い合わせたりもしたけれど、「そんな話は知らない」の一点張り。


 しかも、どうやらお二人の結婚は、トキさんの実家に大反対されていたらしい。

 二人は駆け落ち同然でこのダリスに愛の巣を構えていたそうだ。


「俺は良く知らないっスけど、多分、あにさんって元・貴族なんじゃないっスかね?」


 ここまでで「貴族」という人種に対してあんまり良いイメージ無いんだけどな……

 ふと、頭によぎった金髪ウェーブヘアの男の面影に思わず鳥肌が立つ。


 どうやら、よほど嫌そうな顔をしていたんだろう。

 リーリスさんが少し困ったように微笑んで頭を撫でてくれた。


「デモ、どうして……そう思うんデスか?」


「ん~、そうっスね。たぶん、亜人同士だったら、姐さんとの結婚に反対する理由が無いっスよ。」


 当時のエリシエリさんは町でも評判の美女だったし、頭も良いし、気立ても良いし、肝も据わってるし、料理も上手いし、薬作りのスキルも高いし、【嘘発見】と言う【祝福】も持っている。


 そりゃ、引く手数多の超優良物件。


 しかも、彼女は亜人とは言え、白甘藍ネージュキャビジ族と言って、婚姻にリスクや制約がほぼ無い種族だそうだ。

 見た目も体格も普通の人間と変わらず、この種族の特徴といえば「近くの植物の育成が推進される」と言うものらしい。


 ほら、例えば、僕のような黒小鳥ブラックロビン族だと、成長しても標準の人間と比べてはるかに小柄。

 だいたい、大人でも成人男性の膝上~股下くらいの身長にしかならない。

 体格的に普通の人間の三分の一だ。


 これだけ体格差が出てしまう種族間の婚姻だと、夫婦生活に色々支障が伴うケースが多い。


 そう言う事も無いエリシエリさんの場合、親側が反対する理由は、無いはずなのだ。


「それに、あにさんって、何か、ちょっと浮世離れしてるって言うか……

あ、そういえば、姐さんに良く花冠を贈っていたっスね~。

姐さんが今も髪に挿している、あの青い花のかんざしもあにさんの手作りっス。

器用っスよね~。」


 あぁ、あの髪飾り!

 ……生花みたいに見えたけど、プリザーブドフラワーみたいな感じの物なのかな?

 30年以上も持つなんて、プリザーブドフラワーにしても凄すぎる。

 流石、異世界。


 確か、プリザーブドフラワーを作るには乾燥剤のシリカゲル、グリセリン、密閉できる容器、着色材……結構、色々な素材が必要だったはずだ。

 しかも、ムラなく奇麗な発色をさせるのは素人には難しいとか。

 それを踏まえると、確かに一般庶民では無さそうだ。


「それに、魔法みたいな凄い薬とか、サラッと作っちゃうんスよ。」


 そう言うと、リーリスさんは器用にぴこぴこと、その長い耳を上下させる。


「ほら、この耳も普通に見えるっスよね? 俺、左耳をこの辺で切られちゃった事が有るんスよ。」


 言われて、指差された左耳の真ん中辺りを見ても、全然わからない。

 傷跡らしきものすら、全く無いキレーな状態だ。


 切られたなんて、本人が言っても信じられないレベルだ。


「でも、あにさんの薬でキレーに治っちゃったんス。それに、難しい本をいくつも持ってたんスよ。」


 そう言えばエリシエリさんも獣人けものびとで本を持っているのは「知識階級」か「変人」だと言ってたな。


「あぁ、髪とか眼の色は、レイニーにちょっと似てるっスよ。」


「へ? そうなんデスか?」


 ちなみに、僕の髪の色は、あの記憶の中に有るお父さんと同じような若草色だ。

 鏡を見ていないから分からないけど、リーリスさん曰く、瞳の色は濃い緑系らしい。


 つまり、今の僕は、緑髪・緑目・メガネっ子な訳だ。

 それを聞いた僕の第一印象は「そのデザイン……ギャルゲーだったら、ぶっちぎりで不人気・爆死キャラ確実だな」でした。


 ま、元々、女子力壊滅系だから別に良いけどさ。

 でも、どーせなら「美少女」とまで言わなくても「中の上」くらいがよかったなぁ。

 あ、いやいや、奴隷だった事を考えると今のままで十分か。


 不人気最高! 緑の髪万歳!! ビバ眼鏡っ子!!!


「一応、今も冒険者ギルドに『尋ね人』の依頼は出しているんスけどね~。」


 しかし、現在までほとんど手がかりは無い。

 なるほど、確かに。

 そんな事情が有るならエリシエリさんの前でトキさんの話題が禁句になる訳だ。


「でも、あにさんは、優しくて良い人っスよ。

それに……あにさんの事だから、きっと帰って来るっス。……絶対。」


 そっか、リーリスさんにとっても恩人に当たる人なんだ……

 リーリスさんは、何処か遠くを見つめて独り言のように何度か「絶対」と呟いた。


「さ~てと、そろそろ寝るっス」


 そう言うと、僕達は、歯磨きとトイレを済ませてベッドへと潜り込む。

 ちなみに、僕の寝床はリーリスさんの枕元に置かれた大き目の籠の中である。


 その中にもふもふのお布団と体が痛くならないように座布団のような敷布団を入れてくれてあるのだ。

 ありがたや。


「おやすみなサーイ。」


 その時、僕はまだ気づかなかったのだ。



 この時点で、すでにリーリスさんの身体が病に侵されていた事に。


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