第14話 薬屋の弟子、現実を思い知る。
「確かに……薬師や神官の中には、アンタと同じ意見の人間もいたのさ。
『腐肉腫病』は、『梅毒』の悪化した病だ、ってね。」
エリシエリさんは、そう言うと小さなため息をついた。
しかし、現在、その意見は異端に属するものとされているらしい。
まぁ、細菌学が発達していないなら、そう思われているのも、ある意味仕方がない話と言える。
逆に、同じ病だと気づいた方が多少なりとも存在する方が凄いのかもしれない。
では、何故、異端なのかと言うと、その理由は大きく分けて二つ。
一つ目は、この「梅毒」と言う病、全く治療をしなくても、第2期から第3期へ移行しない人が一定数存在する点。
確かに、元の世界の「梅毒」も第2期から第3期へ病状が進行するのは全体の何割か、だったような記憶がある。
怖い病気ではあるが、致死率100%の病、と言う程ではない。
二つ目が、特効薬であるリポキロの原材料問題である。
原材料となる薬草は「精霊樹の丘」と呼ばれる、断崖絶壁でしか取れないらしい。
この世界は、「精霊樹の丘」を支配するのが、貴族としての必須条件なのだとか。つまり、「精霊樹の丘」イコール「貴族の館」でもある訳だ。
当然、そこに生える薬草の所有権は、お貴族様にある。僕達平民には、なかなか手が届かない。
しかも、その
この「精霊樹の丘」は貴族の身分によって、支配できる高さが違う。
例えばココ、ダリスの領主さまは「子爵」と言う位らしいんだけど、そのクラスだと原材料の薬草が生える高さに満たないのだ。
もっと高い「精霊樹の丘」を支配している
さらには、この「梅毒」と言う病の恐ろしい所は、例え薬で完治させても、原因菌が再度体内に侵入すると、何度でも、感染・発病してしまう事だ。
一度罹患し、回復すれば、もう二度と罹らないタイプの病ではない。
かりに高価な
そのたびに、大金を使って治療していては、費用対効果が悪すぎる。
そこで考えられた苦肉の策が「梅毒」を経験した遊女の価値を上げる、と言うやり方なのではないだろうか?
この町で遊女をしている人は、借金のカタか、お金に困っている人が、ほとんどだ。
第3期に病状が進行する前までに必要経費を稼いでしまえば、約9割の遊女が、引退してしまう。
そして、それを裏付けるように、ある程度の格がある花街では、梅毒を経験した高級遊女が引退する際に【診断】された量に応じたリポキロを贈るらしい。
世知辛い話だが、個人差はあれども、病気になってすぐに死亡するような病ではないので、こういう手段が取られているのではないだろうか?
エリシエリさんの話からは、彼女がそう疑っている……いや、半ば確信しているような、そんな思いが透けて見えた。
でも、そのやり方だと、結局、感染の拡大を防ぐ事はできない。
……だって「梅毒」って別に女性だけの病気じゃないし。
それに、最悪のケースだと母子感染もあり得る病だし。
「あの、でも、そうすると……感染しちゃった男性はどうするんデスか?」
「ハンッ!
花街にお金を落とせるような男は自力でリポキロ買って何とかすりゃいいのさ。」
ふんす! と、腕を組んで鼻を鳴らすエリシエリさん。
青銀色の髪に挿している青い花が小さく揺れた。
「……エリシエリさんって、もしかして、男性嫌いデスか?」
「別に、好き嫌いに性別は関係無いね。
ただ、彼女みたいな娘を遊女と言うだけで見下したりする愚か者が嫌いなだけさ。」
……そりゃそうか。
リーリスさんやオズヌさんを自宅の3階に間借りさせてる大家さんだもんな。
「デモ、それだと、感染の拡大を防ぐ事は出来ないデス……よ、ね?
お母さんから、生まれたばかりの子供に感染しちゃったら……困り、マス……。」
思わず語尾が弱々しくなってしまう。
それを聞いたエリシエリさんは、イエス・キリストを失って10年たった聖母マリアのような表情を浮かべた。
しかし、それは綿菓子に水をかけたように消え失せ、いつもの顔に戻る。
「『梅毒を経験していると妊娠する確率は下がる』なんて言われてるけど、彼女達は元々『妊娠を避ける薬』を飲んでるからね。母子感染なんて、そんなのはレアケースだよ。」
そして、エリシエリさんは何かを吹っ切るように胸を張った。
「それに、だとしたら何か方法は有るってのかい?
リポキロと同じ効果を持っていて、尚且つ、安く大量に作れる夢のような薬がある、とでも言うのかい?」
「……。」
僕は思わず俯いてしまった。
現代日本では「ペニシリン」と言う、「安く」「大量に作れる」「夢のような薬」が存在している。
僕は……実験室レベルでペニシリン単離をしたことは有るけど「大量生産」なんて、考えたことは無かった。
それに、現代日本の「実験室レベル」でさえ、ここに再現するのがすごく難しい事であるのは、僕でもわかる。
「だから、今は、これがベストの判断なのさ。
『腐肉腫病』まで悪化する前に引退できる遊女は、案外多い。
下手に不安を煽ったら、百害あって一利も無いんだよ。」
それは、普段のカッコイイ姐さんの台詞にしては、酷くゆっくりとしたものだった。
まるで、自分自身に言い聞かせているかのように。
「……ハイ……」
思わず下唇を噛む。
「ほら、さっさとそのシフキ草を分けちまいな。」
結局、今、僕が出来る事と言えば、薬草の区分けの手を動かす事だけだった。
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