第10話 逃亡奴隷、エルフと姐御と出会う。


 そんな会話を交わす内に、僕はすっかり包帯を解かれ、衣類を脱がされ、そのまま、とぷん、と温かい液体の中に沈められた。


 ほ、ほわぁぁぁぁぁ~~~!!?

 な、ナニコレ、ナニコレ!?


 ぷちぷち、しゅわしゅわぁ~、と体に触れたお湯が弾ける。


 ぬ、ぬくい! そのうえ、気持ちいい!!


 緊張と痛みに強張っていた全身から、じゅっわぁ~、と悪いモノが抜けて行くような感覚。


 姐さんの手が首と頭を支えて、全身をお湯に預ける。

 浮力による解放感!

 絶妙な力加減で、柔らかな筆のようなものが、全身をゆるゆると撫でてゆく。


 ああああぁぁ、脳が吸われて行くようだァ……

 やっべぇ、よだれ出ちゃうぅ。


「なんだい、あんた、女の子だったのかい?」


 こくり。


 僕は小さく頷く。

 そうなんだよねー。ぼろぼろ過ぎて分からないじゃろ? 

 声も潰れたよーな、掠れたよーな感じだし、頭皮はところどころハゲてるし、顔も一部腫れ上がってるし、皮膚病っぽいし、萌え要素なんざ皆無ですよ。


 ま、日本の頃から、僕の女子力はご臨終していたし、あまり問題は無い。

 OLやってる頃も、友人達から良く言われたよな。

 「お前の乙女心はつぼみのまま腐った」とか「乙女回路崩壊系女子」とか。


「リーリス、アンタはあっち向いてな。」


「あ、ハイっス。」


 リーリスさんが、姐さんの指示で、素直に回れ右をする音がした。


「全く……まぁ、でも小人族の子どもでよかったね。

アンタ、もう少し育ってたら、女の尊厳を奪われてたよ。」


「?」


 いやいや、それは無いでしょ?

 よく見て下さい。この見た目ですよ、姐さん。

 欲情する側にだって選択権は有るでしょ?


「……信じてないね? 本当だよ。

小人族を無理やり壊すのが良いって下衆も多いのさ。」


 え? そうなの?

 でも、中身はこの性格だよ?


 僕の態度に業を煮やしたのか、彼女は声色を少し強くして言い張った。


「いいかい!

中身や外見なんざ問題じゃないんだよ?『若い女』ってだけで十分価値があるのさ。

男なんて生き物は、女の孔さえ付いていれば顔が付いてなくても良いって奴が多数派だからね!」


「ぴぃっ!」


 何それ怖い。それは流石に上級者過いいすぎじゃありませんかね!?

 「顔が付いてなくても良い」は、パワーワードすぎるぜ。


「ねぇ、そうだろ? リーリス。」


「ふごっ!」


 突然、話題を振られたリーリスさんが、何かを気道に入れてしまったような、激しくむせる音を響かせる。


 姐さん……それ、女性から若い男性に振る話題じゃないデス……


「ごほっ、げほっ、ごほっ……え、ま、えっ!?」


「このポンコツも、このナリで立派な中年オヤジだからね。」


「あ、姐さぁ~ん、流石に、俺、もうちょっと大人相手じゃないと無理っスよ~。」


 え? リーリスさんって中年だったんだ?

 口調とか、声の感じでもっと若いイメージだったけど……


「あー、でも、姐さんの言ってる事もあながち間違ってはいないっスねぇ……」


 間違っては、いないんだ……


「レイニーだって、傷が治れば、可愛いんスからこれからは気を付けるっスよ。」


「……は、ハイ……デス。」


 二人から、口々にこう言われては、頷くしかなかった。

 そっかぁ……

 じゃ、全裸ゴキブリ走法は色々と捨てちゃいけない物を捨てたやり方だったんだね。

 あそこで見つからなくて本当に良かった。


 ほこほこ、と脳天まで温められたお陰で、一気に鼻の通りが良くなる。

 胸に広がるハーブの香り。


「顔にお湯をかけるよ。」


 姐さんはそう僕に断りを入れてから、何度か、顔も洗ってくれた。

 色々痛いトコロがあったはずなのに、このお湯の中では、ほとんど痛みを感じない。

 極楽はここにあった。


 ああ、このまま、ここで今生こんじょうを過ごしたい。


「ふん、瞳の方の処理は悪くないね。」


「えへへ~。良かったっス。」


 姐さんのお墨付きを貰って、リーリスさんが嬉しそうな声を上げた。


 そのまま僕は、湯舟から引き上げられ、もふもふのタオルで水分を拭きとられる。


「……さ、目を開いてごらん。」


 その言葉に、僕はゆっくりと瞳を開く。


 ぼやぁ~……


 何度か瞬きを繰り返すと、視力0.5とは言え、この近距離だ。

 それならば問題が無い、と、二人の人影がしっかりと僕の網膜に映し出された。


 一人目の男性が、ミルクティー色の長い茶色の髪を一つに束ね、はちみつを溶かしたような黄金色の瞳をした長いとんがり耳のお兄さん。


 えっ!?

 リーリスさんってエルフだったの!?


 その特徴的なとんがり耳に人懐っこそうな、へにゃん、とした笑顔を浮かべている。

 興味深そうに耳をぴこぴこ動かしている所とか、好奇心に満ち満ちた瞳とか……

 見た目20代前半のお兄さんなんだけど、これが中年オヤジ!?

 むしろ、子供っぽい印象すら、ある人だよ!? 

 良くあるファンタジーモノみたいに、エルフって成長速度が遅いのかな?


 ちなみに、キリリ! とした表情をしたら神秘的な雰囲気すら漂わせることができるだけの顔面偏差値を所持しているイケメンさんである。

 しゅっと引き締まった細マッチョ系で、日本に行ったら絶対モテる気がする。


 それなのに、あの感じの口調だったの!?


 何故だろう? この「美貌の無駄遣い」とか「残念なイケメン」とか、そんな言葉が頭をよぎってしまうのは……


 いやいや、世の中「ギャップ萌え」こそ正義! と叫ばれているんだから、むしろ、リーリスさんこそ、流行最先端だ。


 そして、もう一人。


 僕を支えてくれているこの女性が姐さんに違いない。

 そう言えば、姐さんってお名前、何て言うんだろう?


 【鑑定】

 名前:エリシエリ・リシス


 ああ、エリシエリさん、ね。


 年の頃なら50代後半か60代前半だろうか。

 そのかんばせには、月日による年輪が、額や目じりに刻まれている。

 でも、きっとお若い頃は美人だったんだろうな~。


 リーリスさんとは対照的に、鋭い眼光を放つ深い藍の瞳を長いまつげが彩る。

 慈愛に満ちた表情をしているものの、怒らせたら怖そうな雰囲気が有る。


 だって、このかっちりした長袖の袖をキッチリと返された折り目や上品な黒いロングドレスが、規則に厳しい女学院の学長先生を彷彿とさせるんだもん。


 瞳に宿る強い意志と深い知性の煌めきが、彼女の厳格そうなたたづまいを際立たせていた。


 蒼銀色の長い髪は、後ろの方でお団子? シニヨン? 上品に結い上げられていて、その髪に5枚の青い花弁を持つ小さな花を挿している。


 生花なのかな? アクセサリーにしては瑞々しい。

 声の印象とそれほどかけ離れていない外見で、ちょっと安心。


 僕は、ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返す。


「どうだい? …あの壁に貼ってある文字は見えるかい。」


 そう言って姐さんこと、エリシエリさんが指さす先には、何かが貼ってある。と言う事は認識できた。


 照準を絞ろうと、目を薄目にして、書かれている内容を読み取ろうとしたが、残念!

 文字までは認識できない。

 流石に、近眼乱視の瞳だと、壁までの距離では離れすぎのようだ。


「……わか、り、マ、せん。」


「ふむ。リーリス、あの氷室に置いてある目薬とアンタの魔道具を持ってきな。」


「はーいっス!」


 あ、そう言えば、ここに来る途中で立ち寄った孤児院でも視力矯正の魔道具がある、とか言ってたな。


 その間に、エリシエリさんは筆のようなもので、ゆるゆる、と僕を優しく撫で回す。

 どうやら、これ、薬を塗ってくれているみたい。

 茶色いジェルみたいなものを、きちんと温めてくれている。


 ……こ、この気遣い。超プロだ!


 しかも、サッと塗ると、直ぐに馴染んでベタベタもスースーもしない!


 流石に傷が炎症を起こして裂けてる所は沁みるけど、我慢できない程じゃない。それに、この筆の毛、すっごく柔らかいのね。


 熊野筆も真っ青のさらふわ加減だ。


 だけど、こうやって見ると……

 汚れが奇麗になればなるほど、素肌に刻まれた傷が明らかになって……痛そう。


「……この左足は、多分折れてるね。」


 あー、やっぱり?


 目立つ裂傷部分には、包帯を巻くエリシエリさん。

 僕の左足を見て難しい顔をしていたが、治療を行う手つきは慣れてて、素早い!


 一連の作業で、僕の身体は包帯だらけになってしまった。

 でも、スッキリして、気持ちよかった!


「とりあえず……これを飲みな。」


 有無を言わさず、奇麗な青色の液体を口に入れられる。

 条件反射で飲み下したけど、特に味もニオイもしない。

 何の薬だろう? 薬剤マニアとして気になるなぁ……


 ……と、その途端に、僕の視界がぐわん、ぐわん、と回り出す。


 ん? これ、薬の影響? それとも、突然の入浴に体力を消耗してのぼせたのか?

 これは、ちょっと目を閉じてゆっくり深呼吸した方が良い。

 僕は、その体の要求に従い、瞳を閉じた。


「ああ……しんどいなら、寝て構わないよ。」


 エリシエリさんの声に小さく頷いた所で、また僕の記憶は途切れた。

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