第9話 逃亡奴隷、お人好しの家に着く。
「レイニー、着いたっスよ~。」
まだ周りを見ることが出来ない僕は、リーリスさんの声で到着を知る。
「姐さ~ん、ただいま帰ったっス~。」
「おや、今回はやけに遅かったじゃないか。アタシの薬はきちんと売れたのかい?」
少し遠くから、女性の声と、とんとん、と何かを叩いているような作業音が響く。
さっきから、鼻水が詰まってしまっていて、ニオイは良く分からない。
リーリスさんのご家族なのかな?
『姐さん』って事は……お姉さん?
お人好しでちょっと天然入ってるリーリスさんの血縁者にしては、「有能そう」とか「厳しそう」と感じる口調だ。
そう思えるのは、話し方が少し早口でぶっきらぼうだからだろう。
優しそうな印象を受けるリーリスさんの喋り方は、少しのんびりしている。
「は~い、ちゃんと売れたっス~。」
ほら、ね?
やっぱり、気持ちゆっくりとした喋り方の方が、聞いていて安心できるよね。
まぁ……あまりに遅いと、それはそれで違和感なんだけれども。
リーリスさんは、そう言いながら、何やら、ごそごそと探っている。
おそらく、荷物を取り出そうとしているのだろう。
どじゃりん。
金属片がたっぷり詰まったものをどこかに置いたような音が響く。
「姐さん、これ、売上っスよ。」
「ああ、助かるよ……って、アンタ、何を拾って来たんだい!?」
その怒鳴り声にリーリスさんの身体がビクン、と飛び上がる。
も、もしかして、子供が捨て猫とか野良犬を拾ってきちゃって、お母さんに叱られるあのシーン?
リーリスさんの不安と焦りが僕にも伝わる。
思わず、ぎゅっ、とリーリスさんの服を握り締めた。
「にゃ、にゃはは~、こ……この子、レイニーって言うんスよ。」
「名前を聞いた訳じゃ無いよっ!! 何だい!? この、小汚いのは!?」
「ぴぃっ!?」
雷が落ちる、とはまさにこの事。思わず、変な声出ちゃったよ。
「にゃはは~……あの~、ほら、エルズの街で行き倒れてたっス。
一応、姐さんの薬の売れ残りを使って俺が治療したんスよ?」
へー……僕が捕らえられていた所ってエルズって言うんだ?
「ふん!」
ちょっとした僕の現実逃避を鼻息一つで吹き飛ばす。
「まったく! 小人族を連れ込むなんて、何を考えてんだい!!」
びくぅっ!
飛び上がったのは、果たして僕なのか、リーリスさんなのか。
姐さんと呼ばれた女性が怒りを込めて、再度鼻を鳴らした。
リーリスさんが慌てたように彼女を説得し始める。
「だって、ホラ、こんなに小っこいのに、傷だらけで倒れてたんスよ!?
可愛そうだったから、声、かけてみたら、まだ生きてたし……」
「……で?」
こ、こんなに迫力のある「で?」を耳にしたのは初めてだ。
マンガなら背景に「ズゴゴゴゴ……」とか言う効果音が表示されているに違いない。
全然、姿は見えないんだけど、その気迫だけで、微振動が止まらない。
「それに、ほら、見て欲しいっス、ココ!
元奴隷だったみたいで、行く当てもないって言うし!
たから、俺も
あと、エルズは俺たちみたいな亜人への風当たりがキツイから……」
あ、リーリスさんも亜人ってことは、
「だから、俺、あんまりあの町は好きじゃないっス~……えーと、その~……」
「……それで、この治療はアンタがやったのかい?」
「う、えっと、……ハイ……ッス」
どんどん声が小さく、か弱くなるリーリスさん。
「このポンコツ!! 助けたいなら仕事が雑なんだよっ! 」
えっ!?
「ほら、そのチビ助、アタシに貸しな!」
えっ??
リーリスさんより細い指が僕の身体を持ち上げにかかる。
僕はどうしたらいいのか分からなくて、リーリスさんの服をきつく握りしめた。
それを掴んだまま、ふわりと、浮遊感が襲う。
アーッ!? ど、どうしよう!?
この人の手の中で暴れるのも怖いけど、リーリスさんから離れるのは、生きた心地がしない。
「レイニー、大丈夫っスよ? 俺より姐さんの方が治療に関しては『本職』っス! だから、離して欲しいっス~。」
そ、そうなの?
やんわりと指を外され、咄嗟にじたばた空を掴む。
「安心しな。『リシスの薬屋』って言ったら、ダリスでも一、二を争う名店さ。」
うぅ……よ、よろしくお願いします。
観念して、大人しくなった僕を抱えて、姐さんがリーリスさんにダメ出しを始めた。
「ったく、良いかい、リーリス。最初はきちんと清潔に洗う!
アンタもアタシの弟子なら、その位は頭に叩き込んでおきな! このポンコツ!
薬と一緒に呪いも塗り込んじまったらどうするんだい?」
の、呪い?
「よく洗ってやらないと、傷口が化膿したり、下手したら病気になるんだよ!」
それは「呪い」と言うより、細菌学の分野の現象だと思うんだけど……
この世界では、そう言う学問は、まだ未発達なのかな?
「そ、それはそうなんスけど、水で洗ったらそれだけで死んじゃいそうで……」
「バカっ! そん時ゃ、沸かした薬湯を薄めて使うんだよ!」
「あれ? 薬湯は、飲ませた方が良かったんじゃないっスか?」
あの、甘くてちょっと苦いお薬の事かな?
へ~……飲める消毒薬みたいなもの? 何それ、汎用性高いなぁ。
「もちろん、飲ませたって構わないさ。
ただ、これだけ外傷が酷いなら、塗り薬以前に清潔を保つ事だね。」
そう言うと、姐さんは、スルスルっと僕の瞳を覆っていた包帯を解き始める。
「ほら、さっさと薬湯を沸かして来な!」
「は、ハイっス!」
ばたばたっと、人が駆けて行く音がこだまする。
台所か何処かでお湯を沸かせているのだろう。
遠くからリーリスさんの「アチッ!」と言う声が聞こえて来た。
「温度は人肌だよ!! このチビ助を茹でて喰う気かい!?」
姐さんが、慌てたように、僕に「ちょっとここで座って待ってな」と断りを入れる。
そして、すたすたと歩いて行く気配があった。
きっと、お湯を準備しているリーリスさんの所へ向かったんだろう。
僕が退屈を感じるよりも早く、戻って来る音が聞こえた。
と、同時に、たぽん、たぽん、と緩やかな水音も耳に飛び込んできた。
……たぶん、桶か何かにお湯を持って来ているのかな?
うーん、しかし、目が見えないって不便。
「さてと、待たせたね。……ん? こりゃ、シフキ草?!
リーリス!! アンタ何でこんな危険なモン使ったんだい?」
えっ!? 危険?
「お、俺、そんなの、使ってないっスよ!?」
リーリスさんが慌てたように声を上げる。
僕のせいで、折角助けてくれた恩人が叱られるのは気がひける。
「ち、違い、マス! はぁ、はぁ……あの、これ、自分デ……ヤり、マシ、た。」
「おや?」
どうやら、僕が自己主張をするとは思っていなかったんだろう。
僕に触れていた姐さんの指の動きが一瞬止まる。
「アンタが……? 何でこんな事したんだい?」
あれ?
リーリスさんと会話している時より、僕に話しかける時は、幾分穏やかな声だ。
姐さんって、口では厳しいけど、結構、優しい人なのかな?
「この……草、ひゅ~…ひゅ~…、どく、消し、に、なり……マス……」
「確かに、この草にゃ、傷に付いた呪いを消したり、毒を吸い取る効果はあるよ。
ただね、シフキ草は、中に猛毒の株が混ざって生えてくる危険な草なんだよ?
知ってンのかい?」
ああ、あの『シフキダマシ』ってやつの事か。
僕は、小さく頷いた。
姐さん曰く、どうやら、シフキ草は、猛毒の株と通常の株の見分けが難しいらしく、素人は手出しできない薬草の代表格なんだとか。
確かに。見た目の違いは無かったもんな。【鑑定】さまさまです。
「あれが見分けられるのかい?
……へぇ、リーリス、アンタより有能かもしれないよ、このチビ助は。」
「あー……だから、あんなに緑色に汚れてたんスね。」
ただ、そのせいで体温が奪われてしまった一面もあるらしい。
確かに、良い気になって全身に塗り付け過ぎたかもしれない。
難しいもんだ。
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