第8話 逃亡奴隷、孤児院に拒否される。
気付くと、僕は両腕を一つに縛られ、宙吊りにされていた。
全体重を支える手首と肩が悲鳴を上げている。
『……ごめんなサイ、許して、くだサイ……お願い、し、マス……ッ!』
目の前の金髪ウェービーヘアの男に向かって必死で懇願する。
絶対に開放される事など無い、と頭の片隅で分かっている。
それでも、情けなく泣きじゃくる姿を見せた方が、相手が早く満足する事も理解していた。
あー……これ、奴隷として捕らえられていた時の記憶映像だわ。
目を閉じて、外界からの情報を遮断しているせいで勝手に浮かんで来ちゃうんだね。
流行りの3D映画よりも、さらにリアル。
この後、この男は、僕の体の中を散々かき混ぜてたっぷり啼かせると、満足したように「壊せ」って命令するんだよな。
その時のコイツのホオズキを光らせたような真っ赤な目が禍々しいのなんの。
『体の中をかき混ぜる』って日本人の僕からすると意味不明じゃろ?
これ、別に、比喩じゃないんだぜ。
そのまま、相手の右手が自分の体の中にずぶ、って入って来る訳ですよ。
僕の身体の大きさだと、物理的に成人男性の握りこぶしなんて、体内に収まるサイズじゃないはずなのに、手首までずっぽり。
かと言って、皮膚が破けて、血が出るって訳でも無い。
見た感じ、自分の身体と相手の腕が融けて混ざり合ったかのような感じになる。
で、何かを馴染ませるような? 探すような? 不可解な手つきで、こう、ぐるぐると体内をこね回す訳だ。
他の痛みに例えづらい嫌悪感交じりの鈍痛と、自分の体内を「得体の知れない何かが這いずり廻っている」感覚だけは、ものすごく強烈。
えげつない程の不快感と呼吸困難を伴う吐き気が、ひたすら襲ってくるのだ。
よく、薬物中毒とかで『皮膚の下を蟲が這っている感覚』って表現を聞いた事があるけど……もしかしたら、それに近いのかもしれない。
実際は中毒になった事が無いから断言はできないけどね。不快感の比喩表現として。
しっかし、何なんだろう?
この世界の拷問ってアレがデフォなのかな?
でも、普通に鞭で打たれたり、殴られた記憶の断片も有るんだよなー。
魔法とか呪いの一種なのかな?
この行為は、金髪ウェーブ男の専売特許なんだよね。
そー考えてみると、コイツ……あの乗り物に乗っていた貴族の男なんじゃないか?
着用している服が、妙に奇麗だし。
そんな事を考えていたら、記憶映像の方がまさに右手を差し込む瞬間になっていた。
これ、ガチで絶叫しすぎて喉痛めるんだよな。
「ヤ、嫌……っ! やめ、やあぁあああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ……!!!」
ほらね。直ぐに声がひび割れちゃう。
まぁ、最初の息を吐き出しきったら、後はそれほど絶叫出来ないんだけど……
「レイニー! レイニーっ!! 落ち着いて! ほら、ここは怖くないっスよ?」
唐突に、記憶に無い声が割り込んで来てくれた。
瞬時に映像が霧散する。
「あ”ー……あぇ?」
……夢? え? 僕、今、本当に叫んでた?
おぅふッ! 夜分遅くにごめんなさい!!!
あれっ? 何も見えな……あ、そっか。目の所は薬塗って包帯巻かれてたっけ。
うわ、寝汗べっとり。
指先が完全に冷えてて、体の震えが止まらない。
でも、この強制ホラームービー上演会の中断は大歓迎ですよ!
ありがとう、リーリスさん。
何か、一気に呼吸が楽になった気がした。
「起きたっスか? 大丈夫っスか?」
こくり。
頷いてみたけど、大量に掻いてしまった冷や汗で、かなり体感温度が寒い。
喉や瞳の奥はカッカと熱くて、頭はぼんやりするから、結構高熱が出ているのかもしれない。
首の辺りに触れたリーリスさんの手がひんやり冷たく感じるもんな。
「熱、高いっスね……もしかして、寒いんスかね?」
……こく。
ちょっと遠慮がちに頷く。
僕が何枚もお布団を使ってしまうのは申し訳ない。
「ちょっと待ってるっスよ?」
そう言うと、リーリスさんは作業を始めたようだ。
火でも焚いてるのかな?
時々、薪の爆ぜる小さな音が響く。
「こんなもんっスかね? レイニー、これ温石っス。
寒かったら抱きしめて、熱かったら横に置いておくと良いっスよ?」
そう言うと、厚く布にくるまれた温かい塊を僕の手に触れさせてくれた。
ほかぁ……。
ぬくい。
僕からすると、結構大きい湯たんぽサイズなのだが、思いのほか軽い。
これをお腹の上に乗っけて、ぎゅっと抱きしめると、体の芯に居座る寒気が少しづつ逃げて行くようだ。
ありがたや、ありがたや。
「あ、レイニー、だいぶ汗もかいてるみたいだし……お水、飲むっスか?」
この気配り! 惚れてまうやろ。
そんな訳で、水分摂取にまたあの甘い薬を飲ませて貰って、僕は改めて眠りについたのだった。
ご迷惑おかけしてます。
結局……僕はリーリスさんに運ばれている間中、寝る・起きる・薬を飲ませて貰う、のいずれかの行動しかできなかった。
あの甘いお薬に眠くなる成分が入って居るんじゃないかな?
そんな訳で、いつの間にか目的地であるダリスに到着していたらしい。
突然、ぐわん、と誰かの手が、僕を持ち上げる。
その力に、うつらうつらと半分休眠していた意識が急浮上した。
誰だっ!?
いつものリーリスさんの手とは全然違う!
指が太いし、僕を掴む力加減が強い。
寝起きと言う事も相まって、思わず叫び声を上げてしまった。
「たすケテーッ!! リーリス、さんっ!! リーリスさんっ!」
「うお、待て待て、落ち着けっ!? 暴れんな!? 落ちるっ!!」
聞き覚えの無い男性の声と同時に、僕を握り締めている手の力がさらに強くなる。
「ひぎっ…! 痛ッ!」
「レイニー、落ち着いて! 俺はココにいるっスよ!
あー、もう、ソディスの旦那、持ち方はこうっス!」
とりあえず、リーリスさんの声が聞こえた事で、僕の混乱はかなり緩和された。
抜け出そうともがいていた体からゆっくり力を抜く。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
たったこれだけの時間暴れただけなのに、どえらく体力を消耗したな。
僕が暴れなくなったので、ソディスの旦那、と呼ばれた男性も、僕をきつく掴んでいた指の力が緩やかに解いて行く。
「悪いな、脅かしたな。」
どうやら、そんなに怖い人では無いらしい。
だけど、力加減が強ぇよ!
本人的には、ぽふぽふ、のつもりかもしれないけど、こっちは結構しっかり叩かれてる感じだよ!?
もしかして、リーリスさんの知り合いなのかな?
「……はぁ、はぁ…ぇ、だい、じょ、ブ……デス」
いいえ、大丈夫です、と言おうとしたんだけど、声がしぼんでしまった。
さっき、思い切り叫び過ぎた反動か。
しかし、僕のそのおぼつかない台詞でも、満足してくれたらしい。
ソディスの旦那さんは、布の上に僕を降ろして頭をぐわし、ぐわし、と豪快に撫でてくれた。
「いや~、旦那、助かったっス。お風呂。」
「構わないが……お前さん、何でそんなに懐が下痢まみれだったんだよ……」
え? リーリスさんって、そんな惨状だったの?
別に、臭わなかったけどな……? まぁ、半分は鼻が詰まってたけれども。
「あははは~……姐さんの薬は、よく効くのは分かってたんスよ?
だから、レイニーのサイズなら半分で良いかな、と思ったんスけど~……」
「いや、このチビなら四分の一でも多いだろ?
毒消しは飲ませすぎると、毒を下痢として出すからな。」
……んん?
「しかも痛み止めは感覚を麻痺させるから、尿意や便意に気づきにくくなるし。」
「いや~、思い知ったっス。にゃはは~。」
ちょ。
ま……えっ!?
も、ももも、もしかして、僕、命の恩人の懐の中で、もよおした!?
ノォォォォォォっ!!! ご、ごめんなさいいぃぃぃっ!!!
あ、う……確かに。
何か、色々飲んだ記憶は有るけど、排泄した記憶は無いなあぁぁぁぁ!!
そーだよね! 普通、入れたら、出ていくよね!?
体調の不良とは別の意味で背筋が凍り付く事実が淡々とお二人の口から語られる。
しかも、僕の身体は乾いているってことは、リーリスさんが奇麗にしてくれた……?
ぎゃー!! 恥ずかしすぎて、顔面太陽フレア炸裂じゃぁぁぁ!!!
死んだ!!! 今日、僕はこの世界でも社会的に死んだッ!!!
「ご、ごべん、だざいっ!!」
ずざぁっ!
土下座は左足が動かしづらくて出来ないけど、可能な限り頭を地面に擦りつけて声のする方向に謝罪する。
「ああ、お前さんの責任じゃねぇぞ?」
「そっスよ。気にしない、気にしない。
むしろ、毒素がたくさん出せて良かったっス。」
明るい調子で、にゃはは~、と笑いながら答えるリーリスさん。
あなたは神か!?
「さてと。それで、リーリス。お前さんには悪いんだが……
この子はウチの孤児院ではあずかれない。」
その言葉に、僕は、ここがリーリスさんが僕を連れて来た目的地だったと認識する。
だが、それと同時にダリスまで来たのが徒労に終わったのだ、と悟った。
ソディスの旦那さん曰く、半年前に近くの貴族領同士のいざこざがあったらしい。
聞けば、いくつかの街が戦場になったせいで、戦災孤児が大量発生してしまい、この孤児院も定員をオーバーしている状況だそうだ。
「しかも、この怪我に……体調だって本調子とは程遠いだろう?
さらに、目もこれじゃ……」
「あ、一応、俺、視力矯正の魔道具はウチにあるっスよ?」
「それ以前の問題だ。申し訳ないが、この子一人にそこまで手が回せない。」
ソディスの旦那さんの声は、少し悔しそうな響きが宿っていた。
苦渋の決断、なのだろう。
顔は見えないけれど、きっと辛そうな表情をしているに違いない。
「分かったっス。……レイニー。」
リーリスさんに呼ばれて、ビクリと体が震えた。
「何処か行くあては有るっスか?」
優しい声に息が詰まる。
アテ、なんて無い。
そうだ。
あの時は「死にたくない」と衝動的に逃げ出してしまったが、「生き続ける」のは、そう簡単では、ない。
実際、あの時、運よくリーリスさんに出会えたから、僕は、今、生きている。
だけど、そうでなければ、どうなっていたか……火を見るよりも明らか。
どんどん、顔が俯いてしまう。
……どうしよう。
これから、どうやって生きて行こう……
「……無いんスね。じゃ、とりあえず、ウチ来るっスか~?」
「ふぇっ!? い、良いん、デス……か?」
思わず声が上擦ってしまった。
「へ? だって、行くアテ、無いんスよね?? じゃ、他に手が無いっスよ。
たぶん、姐さんも許してくれると思うんスよ。」
そう言うと、ひょいっと、いつものあの優しい手が、僕を抱き寄せる。
僕は、思わずその腕に思いっきり抱きついた。
……この人には、絶対、恩返しをしよう。
絶対に、だ!!
「……っ、い、イぎ、だい、デス!」
勝手に流れ落ちる涙に呼ばれて、鼻水まで溢れて来た。
「わー!? 泣いたら目薬がっ、それ、口に入ると滅茶苦茶苦いっスよ!?」
「えへへ……気を、づけ、マス。」
リーリスさんが、焦った声を上げて僕の顔を拭う。
確かに、口の端から侵入した薬交じりの涙はびっくりするほど、苦くて……どこか妙にホッとする味だった。
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