第5話 逃亡奴隷、ゴンドラを乗っ取る。

 おっさんに捕らえられた僕は、何とか逃れようと全力でじたばたする。

 が、全く歯が立たない。


 だって、大きさ的には大人と新生児以上の差があるもんね。

 いや、身長は新生児でも、体格は児童だから、もっとガリガリひょろひょろだ。


 ……そりゃ、敵わんわ。


 これは何としても同情心に訴えかけるしか手がないッ!!


 ウオォォォ……ゆるめ涙腺! この際、まばたき禁止!! 

 それだけで乾燥した眼球は液体を生み出す!!


「おねが、い、タスケッ……もがっ、ふごごっ!」


「っち、うるせぇな。おい、コレ、その辺に縛って置いとくぞ、踏みつぶすなよ。」


 僕の口の中に薄汚れた布切れを押し込み、猿轡を噛ませる赤髪のおっさん。


 チクショウ、動作に迷いが無い!


 デカい手で、器用に僕の両腕を後ろ手に縛り上げる。

 ふわっとした無重力感に、僕はゴンドラの脇に放り出されたのだと気づいた。


 がっ!


「……ぐ、ふっ!」


 衝撃に、思わず息を詰める。


 何とか呼吸を整え、腕の自由を取り戻そうと、一応、足掻いてみる。


 あのおっさんからすると、凧糸みたいな細い紐だが、僕からすると動きを封じられるのに十分な太さと強度を備えていた。


 幸い、下半身は、怪我のせいでまともに動けないと踏んだのか、縛られてはいない。


 作業員の中には、僕に気の毒そうな眼差しを向けて来る者も居るが、リーダーであるおっさんの決定を覆す猛者は居ないらしい。


 くそぅ……

 まだ、諦めんぞ、僕は。


 あそこに連れ戻されるくらいなら、ココから飛び降りた方がマシ、と過去の記憶が訴える。


 大丈夫だ、記憶。

 任せておけ。僕に自殺願望は無い。


 僕が体力維持のために大人しく倒れ込んでいるのを、諦めたと勘違いしたらしい。

 作業のおっさんたちは、次第に僕に対する興味を失ってゆく。


「よし、急ぐぞ、お前たち!」


「「「へいっ!!」」」


 まぁ、作業自体は「キツイ・クサイ・キタナイ」の3Kだもんね。

 しかも、さっさと終わらろ、と雇用主にせっつかれてる。


 そりゃ、死にかけた奴隷になんぞに構っている余裕はないのだろう。


 この隙に何とか逃げ出す方法を探らねば。

 ゴンドラから脱出するだけならば、正直、さほど問題は無いのだ。


 変身してしまえば、こんな拘束、あって無いようなもの。

 それに、割と年季が入っているこのゴンドラには、僕の腕くらい、するりと出せるだけの隙間がそこかしこに空いている。


 問題は、この乗り物が現在、ワイヤーの様な物で吊るされていて宙ぶらりんな点か。

 何とか隙を見て僕だけで地上に降りられないかなぁ……。


 ぐるりと、ゴンドラ内部を観察する。

 どうやら、放り込まれ時に背中をぶつけて倒れ込んでいるココが操作盤の直下であるらしい。

 その操作盤には▽ボタンと、注意書きらしき文字が書かれていた。


『扉の開閉注意。 扉が閉じたことを確認して押す。 ▽おりる。』


 日本語とは違う表記形態だが、そんな内容が記されているのが見えた。


 何故、僕がこの世界の文字を読めるかと言うと、単に子供の僕が、かなりの文字情報を持っていたからに他ならない。


 黒小鳥ブラックロビン族の中でも特に読み書きスキルの高い子供だったらしい。

 族長とか……それに近しい家系だったのかな?

 捕まる前は、そこそこ奇麗な服を着ていたみたいだし。


 おかげさまで助かります。


 ちなみに、この世界の文字表記ってかなり日本語に近い気がする。

 いや、形そのものは全然違うんだけど、法則が近いって言うのかな?


 「て・に・を・は」による『癒着語』形態である事は間違いなさそうだ。


 そんな訳で、思いの外ゴンドラを操作しやすいポジションをあっさりゲットしていた事に、ほくそ笑む。


 うん。あの高さなら、僕でも何とか▽ボタンに手が届きそうだ。


「お~い、あと8個、カラの樽頼む!」


「おう!」「ああ」「ほいよ」


 作業員さんの掛け声で一瞬、全員の視線がゴンドラから作業場へ移り、手助けの為に移動を開始する。

 こちらに対しての注意は、無い。


 ……今だ! 変身!


 僕は、自分の顎辺りを起点に、小鳥サイズに小さくなる。

 と、同時に、緩んだ縄が床に落ちた瞬間に変身を解く。


 そして、立ち上がって▽ボタンに手を伸ばす。

 衣類を身にまとっている余裕は無い!


 全裸のまま右足一本でつま先立ちして手を伸ばせば、何とか、そのボタンを押す事ができる。

 ぐぐぐ……あと3センチ、1センチ、5ミリ……!


 ぽち。


 ふごぅん……


「!? 何だっ?」


「あっ、ゴンドラが……!!」


 出入口の扉は開いたまま、ゴンドラがゆっくり……いや、するすると、なめらかに下りはじめる。

 作業員さん達が、泡を食ったように階段を駆け出す気配がした。

 僕は念のため、彼らの目から逃れるように、操作盤の影に身を潜めている。


 しかし、らせん構造の階段を人の足で降りて行くのと、最短距離直下型のゴンドラ、とでは勝負にならない。


 僕は、そのままワンピースと猿轡に使われていた布きれ、僕を縛っていた紐を一纏めにして右手に握りしめると、積み重ねられた臭い樽とゴンドラの隙間に身を隠す。

 ちょっと寒いし臭うけど、ここは我慢。


 これで、地面に着いたら門番とやらの目をかいくぐって脱出する必要があるのだ。


 心臓の音がうるさいくらいドキドキ早鐘を打っている。

 握り締めた手がぷるぷるする。

 大丈夫、大丈夫。僕はできる。落ち着け。


 逃亡ミッション成功の明暗を決める正念場だ。


 がたん。


 するる~ん、と下っていたゴンドラの速度が急激に落ちる。


 お、木々の緑!

 ゴンドラの外側を擦っているのだろう。わしゃわしゃ、と緑の葉っぱが音を立てる。

 地面がかなり近いらしい。


 ふしゅ~ん。


 着いた!!

 宙づりによる不安定な横揺れが完全に収まった。

 手を伸ばせば、ゴンドラの隙間から自由の大地に触れることができる!


 でも、今はまだ早い。


 誰もいないゴンドラを不信がって門番さんが乗り込むまで、じっと我慢、我慢。


 下肥樽の隙間で息を殺す。

 ……くさい。


「どうした? あのゴンドラは、何で扉が空きっぱなしで降りて来たんだ?」


「クソ回収の獣人共のヤツだ。作業中に誤って下降ボタンを押したんじゃねぇか?」


 ゴンドラの隙間から覗いていると、門番らしき兵士さんが二人。

 その二人ともが口々に文句を言いながらこのゴンドラに近づいてくる。


「あぁ、ほら、誰も乗ってねぇみてぇだな。」


「ゴンドラを、この精霊樹だいちの丘の上まであげるのにどんだけ魔力がかかると思ってるんだ!? これだからケモノ頭のクソ野郎どもは!!」


 二人は、不備を確認するためか、ゴンドラに乗り込んで操作盤辺りを弄っている。


 よしっ!!


 僕は、操作盤からは死角になっている桶の影から、外に向かって右手を伸ばす。


 ざらり……

 指が、自由の大地に触れた。


 触れるやいなや、変身移動でゴンドラの外に降り立つ……いや、四つん這いだから「立って」はいないけど。


 どうやら、このゴンドラを「上り」に変えるにはいったん荷物を全て降ろすしか方法が無いらしい。


 し尿がたっぷり詰まった樽に「俺たちがこれをここから降ろすのかよ!?」「ふざけんなよ!?」と不満をぶつけている門番の声が響く。


 ガタンッ!


 怒りに任せて樽を蹴ったのだろう。しかし、びくともしないようで「痛ぇッ……」と言う屈辱まみれのうめき声が聞こえた。


 チャンスは今っ!!!

 をおおおおおおお!!!

 駆け抜けろっ!! 僕っ!!! ゴキブリの様に早くっ!!!


 カサカサカサカサカサっ!!!


 普通には走れない僕は、両手・両膝を使って大地を駆ける。


 えっ? 人としての尊厳? 

 さぁ? あのゴンドラの中にでも落ちてるんじゃないかな?


 大きめな石や木の影を利用して、身を隠しながら進む。


 カサカサカサっ!!!


 幸い、体の小さな僕が隠れる隙間は意外と多い。

 途中で、ワンピースを着用する余裕すらあったくらいだ。


 こうして、僕は貴族の敷地らしき門を突破する事に成功したのだった!!


 やったね!!


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