第211話帝国コロシアム

「さてと、ちょっくら揉んでやるからピーピー泣くんじゃねえぞ」


 周囲を見渡すと階段状の観客席がある。以前アスタナ島で使った闘技場よりは狭く大規模な戦闘を想定していない場所のようだ。


「この帝国にはよぉ。いくつかこういったコロシアムがあるんだ。なぜだかわかるか?」


「いいえ、まったく」


「それはなぁ。帝国貴族の娯楽だからなんだよ」


 下卑た笑いを浮かべる男。VIP席と思われる場所には着飾った人間が、普通の観客席には何人か観客が入っている。


 どうやら挑発に乗ってこのような場所に誘い込まれたらしい。


「今は俺たちを見て観客の皆さんが賭けに参加しているところだ」


 男はそういうと僕から視線を逸らす。そして…………。


「どうやら俺のオッズの方が圧倒的に低いな。1分以内に倒されるが1.1倍だとよ」


 どうやら連れていた連中からサインを受け取ったようだ。


「へぇ。それはそれは……」


 単なる勝ち負け以外にも時間での項目もあるようで、VIP席や一般席の人間達も僕と男を見てはひそひそと話をしている。


 この場のほぼ全員が僕の負けを期待しているようだった。


「先輩っ! 負けないでくださいっ!」


 イブは健気な声を出すと潤んだ瞳で僕を見ている。今日は可愛い後輩のキャラクターを演じるつもりらしいのだが、手に持っている賭チケットのせいで台なしである。


 もっとも、ただ働きではなくなったので僕としても俄然やる気がでてくるのだが……。


「あまりびびってあっさり終わらせるんじゃねえぞ。せっかくの見物客もあまりにもあっけなく終わっちまうと楽しむ暇がねえからよ」


 そういうと男は剣を抜き放つ。粗野な印象のわりにはセンスの良い剣を使っている。


「ちなみにコロシアムに参加した人間の生死は勝者が決めることができるんだよ。俺が優しい人で良かったな。大事の前だから半殺しで許しておいてやる」


 なるほど、賭け以外にも刺激を求めて集まっているのか。観客の楽しみは僕が苦痛でのたうち回ることのようだ。


「それはありがとうございます。じゃあ僕は軽傷で済ませるようにしてあげますね」


 相手が約束してきた以上は僕も宣言しておく。本当は彼が言うように半殺しにするつもりだったのだが、ここで彼以上の仕打ちをしてしまうのは忍びない。それに…………。


「はっはっは。最強の探索者の俺を軽傷でだと。どこの国のぼっちゃんか知らねえが随分と優しいじゃねえかよ」


 ギラついた視線を男は僕に向けると……。


「あまり調子に乗るんじゃねえぞ! てめぇは散々嬲ってやることに決めたからな」


 その言葉と同時に試合開始の宣言がされた。






「おらっ! そんな細腕で俺の剣が受けられるもんかよっ!」


 意外と俊敏な動きで男が飛び込んでくる。口で言うだけあってか中々の鋭さだ。だが…………。


 ——ギインッ――


 僕は剣を抜くと正面に構えてその突進を受け止める。


「ほっ、ほおっ! 思ってるよりも力があるじゃねえか」


 ギリギリと剣の押し合いをしていると男は笑みを浮かべると押し込んでくる。


「そちらが貧弱なのでは? せっかくの名剣が泣きますよ?」


 僕は余裕をもってそう返すと……。


「くそがっ!」


 突如蹴りが飛んでくる。男は僕よりも体格が良いので自分の身体能力を利用した良い攻撃だ。


「おっと!」


 だが、その程度の攻撃を食らうつもりはない。僕は男の剣を力をこめて押し戻し、少しバランスを崩させる。すると蹴りの威力が落ちるのでゆうゆうとその場を脱出した。


「いっとくがな。この剣はあのアスタナ島に隠匿しているという伝説の名工が打った剣。その中でも極上の1振りなんだぜ。雑魚が扱っても武器に振り回されるだろうが、俺に扱わせればドラゴンの皮膚だってたやすく斬り裂けるんだ」


 本人を前にしてあまり褒めないでほしい。そんなにベタ褒めされると悪い人に思えず戦意が鈍る。


「どうやら言葉もでないようだな。それじゃあ、観客も退屈しているだろうしいくぞっ!」


 何やら勘違いをしたのか突進をしてくる。僕はその剣に合わせるように自分の剣を動かした。






「くそっ! このっ!」


 男の剣を躱すたびに僕は剣を振るう。僕の剣は男の身体の各部を浅く斬る。

 先程から何度もこの繰り返しをしている。


「て、てめぇっ!」


 優れた力量を持つもの程他人の実力には敏感だ。

 男は僕が手を抜いていることに気付ているだろう。


「どうしました? 稽古をつけてもらえるのではなかったのですか?」


 先程から僕が斬っている場所は男にとっての死角にあたる場所だ。

 僕は戦いながら男に稽古をつけているのだ。身を斬られることで自分の隙を教えてやっているのだ。


 男の身体に無数の切り傷が作られ血が流れている……。


「くそっ! やってられるかっ!」


 剣を投げ捨ててしまう。これ以上は勝ち目がないと考えて戦うことを放棄したようだ。

 地面にどっかりと座り込む男。覚悟を決めたように僕を睨んでいる。


 観客席を見るとVIPを中心に首をかっきる仕草をしている。どうやら殺せということらしい。

 何故僕が無意味に人殺しをして気分を悪くしなければならないのか……。


 上段に剣を振り上げる。このまま当たらないように振り下ろしてブーイングを言ってくる観客に冷めた一言でも放って帰ろう。そう考えると剣を振り下ろすと…………。


 ——キィーーーーーーン――


 恐ろしく滑らかな音がする。僕の剣が受け止められたのだ。

 受け止めたのは目の前に飛び込んできたエメラルドの瞳をした女の子。メイド服を着ていてこの場には似つかわしくない。更に似つかわしくないのは彼女が剣を持っているところだろう。


 力を込めて押し返してきたので僕は剣を引くと後ろへと下がった。


 両サイドにまとめた栗毛にイブをも凌ぐ程の胸。透き通るほどの白い肌に完全な無表情。彼女は剣を収めると。


「我が帝国の人間が失礼をしました」


 深々とお辞儀をするのだった。


 

 

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