第86話湯煙【温泉】和みの湯
「ふぁ……まだかな……?」
眠気を堪えながらも僕はイブの結果を待ち続けていた。
近くではカイザーが「キュピーキュピー」と身体を丸めて寝息を立てている。
「うむむむ……こ、これは……」
イブは理系女子がするような白衣姿でコアを観察すると右手で眼鏡をたくしあげる仕草をしてみせる。わざわざポニーテールなのは聞くまでも無いが理系女子とはポニーテールをしているものという僕の価値観の影響だろう。
あれから、僕はダンジョンから脱出することなくザ・ワールドへと引っ込んだ。
先に進むにしろ帰るにしろ身体を回復させて状況を整えてからの方が良いと判断したのだ。
「ぴこーん! 解りましたよマスター!」
「おっ。わかったか!」
というわけで、本日手に入れたばかりのコアの鑑定をお願いしていたのだが……。
「今回の恩恵は【温泉】ですね。使うには設置する必要がありますけど、お風呂場にしますか?」
手に入れた恩恵は【温泉】とのこと。どのような効果があるか解らないが、多分恩恵というからには役立つ能力を秘めているに違いない。
そうなると重要なことは決まっている。僕は真剣な瞳でイブに言った。
「温泉と言えば露天風呂に決まっている!」
「おおっ。本当に温泉だ……」
家をでて庭にいくとイブに指示をして【温泉】を設置した。
岩で囲まれた浴場に天井には屋根が建てられていて雨除けを兼ねている。
贅沢に源泉を掛け流したお湯は排水口からどこぞへと流れていくようでお湯が流れる音に懐かしさを感じる。
立ち上る湯気からは何とも心を湧き立たせる臭いが漂ってきて疲れと相まってか吸い寄せられるように温泉に近よってしまう。
「そういえば【クリーン】があるからって風呂に入ってなかったな」
この世界でも風呂はあるのだが、前提条件として水魔法と火魔法が必要になる。
なので、それが出来ない人間は毎日風呂に入ることができないのだ。
僕はダンジョンコアのおかげで4属性の魔法が使えるのだが【クリーン】の魔法が素晴らしく、風呂の存在を忘れていたのだ。
「この【温泉】の効果は中々に凄いですよ」
「というと?」
イブの自信満々な顔に質問すると彼女は嬉しそうに答えた。
「なんと……入ってると体力と魔力が回復するんです」
それは現在の僕がもっとも欲してやまない能力だった。
流石は温泉だ。疲労回復効果があるとは素晴らしい。
「それじゃあ早速入ろうかな」
話を聞いたからには早く温泉を堪能したい。こう見えて前世では無類の温泉好きだったのだ。
毎日の仕事でくたびれた身体を癒すため、大型連休になるとせめてもの自分への御褒美ということで温泉旅館を予約したものだ。
そんなわけで、久しぶりの温泉を堪能しようと考えていたのだが…………。
「マスター。イブからの提案なんですけど」
「ん。なんだよ?」
「昨日店で買ったコアあるじゃないですか、あれを【温泉】に付けたらどうでしょうか?」
「ああ、確かにその方がいいよな」
先日、店で購入したランクⅤのコアを鑑定してみたところ【他のコアの効力を3割増加させる】となっていた。
とりあえず保留にしていたのだが、これからも頻繁に魔力切れを起こすかもしれないのなら確かに【温泉】に使うのはありかもしれない。
「ん。そんじゃ使ってくれ」
今は身体を最短で回復させた方が良い。僕は気軽に答えると服を脱ぐのだった。
「うああーーー。染みわたるーーーー」
両手でお湯をすくい顔にかける。
暖かい温泉が全身の筋肉を弛緩させ天にも昇る心地だ。
「見渡せば綺麗な景色に見上げれば輝く星々」
イブの幻惑魔法により周囲の風景は変えられている。今映っているのは最高級温泉旅館の露天風呂から覗く絶景だ。
更には温泉に気持ちよく浸かるために周囲の温度も下げており湯煙が立ち込めている。
全ては完璧な温泉を演出する為にイブがおこなったことだ。
「今日は色々疲れたからこのじわじわ効いてくるのが堪らない」
僕は温泉の恩恵効果を感じると思考を放棄して流れる源泉の音を聞き続けた。
温すぎず少し熱めに調整された温泉は程よいほてりを身体に与え、少し湯冷まししたくなれば岩に腰かけ、寒さを覚えればお湯に浸かるということを繰り返す。
転生してから一番贅沢な時間を過ごしていた僕だったが……。
「ん?」
湯煙の先に何かが動くのが見えた。
「マスター、周囲の温度と湯加減はいかがですか?」
「うん。バッチリだよ」
どうやらイブが気になって見に来たらしい。僕は機嫌よく答えるのだが…………。
「良かったです。イブも一緒させてもらいますね」
そう言って現れたイブは髪を結い上げてバスタオル一枚の姿で現れた。
「イブって実体ないよな。温泉入れるのか?」
意外な姿に驚いた僕はもしかするとイブが何らかの手段で温泉を堪能できるのかと思い聞いてみた。
「勿論ふりだけですよ。イブだってマスターとこうして温泉気分を味わいたかったんです」
少し拗ねた様子を見せるイブ。僕やカイザーが美味しそうに物を食べると羨ましそうにしていることがある。
こうして温泉に入ろうとするのも仲間外れにされたくないという思いからだろう。
僕が許可を出すとイブは「隣失礼しますね」と温泉に身体を沈める。
頬が紅潮し、お湯に濡れた様子は本当にその場でイブが温泉に浸かっているのではないかと錯覚してしまいそうになる。
「たまにはこうしてのんびりするのも悪くないですね」
星空を見上げるイブは女神と言っても信じてしまいそうなぐらい美しい姿をしていた。
「マスターはこの後どうするつもりですか?」
その言葉に僕は暫く考えこむ。
温泉の効果のおかげもあってか明日は万全の調子を整えることができそうなのだ。
「デュアルダンジョンは表のダンジョンよりもランクが2つ上か特殊なダンジョンに繋がっているはずなんだ」
今回攻略したダンジョンはランクⅤだった。つまりあの魔法陣の先にあるダンジョンは世界でもトップクラスのレア度と難易度を誇るランクⅦもしくは特殊ダンジョンということになる。
「もしかして自信が無いんですか?」
僕が言い淀んでいるのを見てイブはこちらを向くと無垢な視線を向けてきた。
「流石に今日のモンスターを見ると万全にしてもリスクは高そうなんだよな」
Sランクモンスターのケルベロスは何とか撃破した。
だが、ランクⅦともなればAランクモンスターがうようよしていてもおかしくはないのだ。
「流石にイブとカイザーの負担も心配だしな」
コアから力を引き出すとはいえイブにも負荷は掛かる。カイザーだって生身なのでずっと戦うわけにもいかないのだ。
「イブ達はマスターのお役に立てるのが何よりの幸せですよ?」
正面からはっきりと言われるとありがたさで胸がいっぱいになりそうになる。
「どうするのかは今夜一晩しっかり考えて結論をだしてもらえればいいと思います」
イブは僕が決めかねているのを察してか助け船をだしてきた。
「だからですね、マスター」
「うん?」
イブはチャプンとお湯を鳴らすと少しだけ僕との距離を詰めると見上げてくる。
「今日のところは一ゆっくりと温泉で疲れをとってくださいね」
柔らかく微笑むとそんな気遣いをしてくるのだった。
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