第6話 無重力現象

 空を見ると今日も曇りだ。この先人類は、工場さえあればいくらでも物が生産でき、幸せに暮らせるという話だったが。町に工場が増えて以来、曇ってばかりで晴れ間が見えない。太陽をもう何日も見ていない。

 俺はため息をつきつつ、椅子に座ろうとしたが座れなかった。座れないどころか、立っていても足が地面につかない。宙に浮いてしまっている。見ると、部屋にある物がどれも浮き上がっているのが分かった。どうにかその場にとどまっているが、風でも吹いたら動いてしまう。

「何だ? 何が起きたんだ?」

 大声で言うが、この家には俺しか住んでいない。机の上のコーヒーが、生き物みたいにカップから漂い出てきていた。

「まずい!」

 とにかくあれを飲んでしまわないと、どこに行き当たっても、そこを汚してしまうだろう。俺は泳ぐようにして漂っているコーヒーに迫ると、顔を近づけ、口をつけて飲み込んだ。

「あちちちち……」

 熱かったが無理にでもどうにか飲み干し、漂うカップはそのままにして、俺は電信機に近づいた。スイッチを入れると、地球の反対側にいる研究者に打電した。こちらは朝なので、向こうは夜のはずだ。

 しばらくして電信機から紙テープが吐き出されてきた。さっきの返事だ。テープを読むと、やはり向こうでも重力が失われているという。他の研究者にも打電して確認してみたが同じだった。研究者のネットワークは十数名だが、世界の様々な場所にいる。現在、地球のあらゆる場所で同じような無重力現象が起きているようだ。

 研究者同士で打電のやりとりが続く。俺達は地球科学を研究しているので、こういう事態になったら真っ先に考えて動かなくてはならない。

 一人の研究者が意見を送ってきた。ニュートンが発見した万有引力の法則によれば、重力の強さは質量に比例する。つまり、現在地球の重力が弱まっているということは、地球の質量がどこかへ逃げてしまっているのだという。

「質量が逃げる? バカな……」

 今度は別の研究者から、別の意見があった。それによると、地球の質量が逃げていく場合、その可能性は一つしかないという。それは南極および北極にある穴からだと。

「こいつは、またその話か!」

 この研究者は地球空洞説なるバカげたものを信じている。地球内部は空洞で、北極と南極に大きな穴があり、空洞の中心には小さい太陽があるという。その証拠として、数年前に北極を横断しようとした飛行機が、いつの間にか極地の氷の世界ではなく、緑の大地の上を飛んでいたという事件があった。

「パイロットが夢でも見たんだろう」

 俺は彼に会う度にそう言うのだが、彼はかたくなに信じていた。今回の意見もバカバカしいが、他に誰も何も思いつかない。極地方に偵察に行く必要があるという話がまとまり、軍に知り合いがいるという研究者が、偵察の依頼を引き受けてくれた。しばらくはその結果待ちだ。

 俺は食事しようと、また漂うようにキッチンに行き、冷蔵庫を開けたら中はめちゃめちゃだった。ミルクだのジュースだのの液体が、そこらじゅうを汚している。

「くそっ……」

 その時、キッチンの入り口で声がした。

「おい!」

 見ると、猫が来ている。飼っているわけではない。外から勝手に入ってきて、餌をねだる奴だ。今日は入り口でなんとなく浮いている。

「なんだ、今忙しいんだ」

「ミルクくれよ」

「こんな無重力状態でやれるわけないだろう」

「なんだか分からないが、ダメなら何か食わせてくれ」

 俺はしかたなく、袋入りのキャットフードを皿にあけて、猫の前に出そうとしたが、重力がないと皿も使えない。粒状のキャットフードがバラバラになって漂い始めてしまう。

「早くしてくれよ」

「うるさいな」

 俺はしかたなく紙袋を持ってきて、その中にキャットフードをあけて、袋の口を軽く閉じて、猫の方に差し出した。

「その中に首を突っ込んで食べるといい」

「ほう、さすが研究者、頭がいいな」

 猫は袋を受け取った。その時、電信機のテープが動いた。俺はそれを読んだ。

「それ見たことか! 何もありゃしないんだ!」

 極地方に飛行機で偵察に行ったが、質量が出ていった痕跡も何も見つけられなかったという。当然だ。

「しかしそうなると、この現象は何だ?」

 俺は漂いながら腕を組んで考える。

「おい、助けてくれ!」

 そんな声がするので、見ると猫が紙袋を頭からかぶって、四本の足をバタつかせていた。

「何やってるんだ?」

「見りゃ分かるだろ。何も見えん。俺はどうなってるんだ?」

「頭から袋かぶってるよ」

 俺は、笑いをこらえながら答える。猫は紙袋を取ろうとはしているが。うまくいかない。

「どっち向いてるかって言うんだ! どっちが上だ? 見えないから方向が分からん!」

 俺は猫のところに行き、頭から紙袋を引き抜いた。猫は何度も瞬きをして見回した。

「おう、こっちが上か」

 気取ったようにそう言うと、漂っている餌の残りを、手で引き寄せて食べ始めた。

「やれやれ……」

 俺は苦笑する。待てよ……見えないから方向が分からん? もしかして地球もそうなったのか?

「あっ!」

 俺はあることを思いついた。外に出てみる。空を見ると、頭上一面、地平線まで雲で覆われている。もう何日も、星も月も太陽も見ていないのだ。だから、地球は自分の方向が分からなくなったのだ。袋をかぶった猫のように。

 俺は家を出て、近くの採掘工事現場に向かった。地面の手がかりをつかんで這い進む。この状態に慣れてはきたが気分が悪い。現場は瓦礫が浮いて漂っていて、工事は中断している。俺は両手に抱えるほどの爆薬を譲ってもらい、一旦家に戻った。そしてこの辺りの地図を広げる。猫もそれをのぞき込んだ。

「何を始めるんだ?」

「雲を吹き飛ばす。上を向いた穴はないかな」

「ふーん、ここはどうだ? 山の上に穴があるぜ」

 猫が前足で指し示した。

「死火山か……よし」

 俺は爆薬を抱えて、その山に向かった。重力がないので登る必要はなかった。木が多い場所は、木から木に飛び移れるので楽だ。

 頂上に着き、上を向いた穴の奥に爆薬を置く。といっても、うっかりすると爆薬も漂ってしまう。導火線を穴の外まで延ばし、俺は火をつけた。数秒後、激しい爆音がして、穴から真上に爆風が起こった。そして真上の雲が飛ばされ、そこに円形の青空が広がった。

 次の瞬間、重力が戻ってきた。浮いていた石や瓦礫が一気に落ちてきて、危うく怪我をするところだった。

 俺は家に戻った。空気を汚す工場を減らすように、世界に打電しないといけない。

 その時、猫が不機嫌そうにやってきた。

「もう大丈夫だろ。ミルクくれよ」


(参考)

http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/varo/remefen.jpg

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