第4話 トレーラーハウス

 愛はどこに行ったの? ……というのは、世界がこうなる前に流行った歌の、歌詞の一部だったろうか。男は木々や道の様子を見ながら、トレーラーハウスのハンドルを握っている。一応車が通れる道は続いているが、行けども行けども、町もなければ村もない。人にも会わない。

 トレーラーハウスの中からは、ピアノの音だけがしている。女が弾くピアノの旋律は美しく、その音楽を聴くだけで心が安らぐ。そしてハウスの中は快適に保たれ、ハウスを引く車の動力源となる。ピアノの音色がなければ、車は動かない。そのかわり、この車に燃料はいらない。男はもう何日も、いや何ヶ月も、こうして車を運転していた。しかしいつまでも、どこにも着かない。

「少し中に入ってもいいかな。寒いんだ」

 男はハウスの中の女に声をかけた。運転席には屋根も扉もない。シートとハンドルだけがあるのだ。

「だめよ。私は今、この曲を止められないの」

「僕が中に入ったっていいだろ」

「ハンドルを操作しなかったら、どこかに落ちたり、ぶつかったりするじゃない。こっちに来ないで」

 そう返され、男はぶつぶつ言いながら運転を続ける。そしてピアノの音に耳を傾ける。いい曲だ。心が安まる。といっても限度がある。それに少しも温かくはならない。それどころか、空に雲がかかり、小雨も降ってきた。体が震えてくる。

 男は再びハウスの中を見た。窓を通し中が見える。女が一心にピアノを弾いている。女の上で輝いている照明に、新しい光が点々と増えた。そしてその点はガラスで囲まれて、宝石のようになった。女はピアノでシャンデリアを生み出している。また、いつの間にか部屋がもう一つ増えていた。その壁には大きな風景画がいくつも飾られ、部屋の中には大理石でできた人物の彫刻が、いくつも並んでいた。

「あのさあ、聞いてる? この運転席に屋根と扉を付けてくれるかな?」

 その時、シャンデリアの光が二つ三つ落っこちた。

「ああもう! つまらないこと言うから、光が落ちちゃったじゃないの!」

「雨が降ってきたんだ」

「あなたは濡れたって平気でしょう?」

「風邪をひく」

「大丈夫よ。私がピアノ弾いてるんだから。何の病気にもなりません!」

 確かにそうなのだが、この風雨にひたすら耐えろと? 震えたままでいろと? 自分は暖かい部屋でピアノを弾いていて。

 男はまた黙って前を向き、運転を続けた。雨が小降りになり、やがて止んだ。しかし今度は風が強くなってきて、濡れた体が冷たくなる。風が何か独特の匂いがする。海が近いのかもしれない。男の震えが止まらなくなった。前方の道はまっすぐだ。速度も遅い。男は運転席を離れ、連結部を伝ってトレーラーハウスに移動した。そして入口のドアを開けた。

「もう限界だ。少し入れてくれ」

「運転席を離れないで!」

「道はまっすぐだ。しばらく大丈夫だ」

「ハンドルが勝手に動くかもしれないじゃない。早く運転席に戻って!」

「このままあそこにはいられない。僕だって人間だ。暑さ寒さも感じるんだぞ!」

「人間かどうか、だから何なの? 今のあなたは私がいなければ存在できない。あなたは今このトレーラーハウスの部品と同じなのよ。世界がそうなったのだから受け入れなさい!」

 女がそう言うと、ドアが勝手に閉まって二度と開かなくなった。男は外に閉め出された。

「くそっ!」

 男は運転席に戻った。左右を見渡し、そしてハンドルを切って道から外れた。トレーラーハウスはやや凹凸のある地面をガタガタ走っていく。後ろを見ると、女は気づいていない。衝撃を吸収するようにしてあるのだ。車は進んでいく、前方の風景が切れている。その時、中から女の声がした。

「ねえ、どこを走っているの?」

 男は黙って運転席から地面へと飛び降りた。車はそのままハウスを引いて進んでいく。そして車はすぐ前の崖から落ちた、それに引っ張られ、トレーラーハウスも音を立てて落ちていった。大きなものが砕ける音がして、何も聞こえなくなった。ピアノの音も止んだ。

 男は、崖の下を見ることもなく歩き出した。

 その時、周囲から背の高い草が立ち上がって、男を取り囲んだ。男は思い出した。なぜ世界がこうなったかを。植物が人間や、その文明に襲いかかり、飲み込んでしまったのだ。

 しかし女のピアノは、その植物をもなだめることができた。

 自分の背丈の倍もある草の一つが、巨大な口を開いた。そこには棘のような歯が並んでいた。


(参考)

http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/varo/rv24.jpg

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