第3話 擬態
彼は二、三の冒険をして、他の猫と争ったりして、ひさしぶりに家に戻った。床下からの彼専用の入口はふさがれてはいなかった。いつもの部屋で、女主人がくれる上等な餌も恋しいものだ。ひさしぶりに帰ったのだから、高級缶詰を奮発して開けてくれないだろうか。床の小さな板を跳ね上げ、部屋に入ったが女主人はいなかった。
あれ、こんな部屋だったかな……彼は思った。特に何か増えているわけではない。そこは書斎のような部屋で、座り心地のよさそうな椅子が三つと、小さなテーブルと、書棚がある。あと、クローゼットもある。女主人はここで着替えもしていたのだ。彼は奇妙な印象の原因に気づいた。椅子の脚がどれも奇妙に曲がっていた。まっすぐではない。触手のように伸びて曲がっていて、ある椅子の脚の一本はクローゼットの引き出しにつっこまれ、別の椅子の脚の一本は、上の方まで曲がって窓の縁に引っかかっていた。
「おい、どうなってるんだこの部屋は?」
彼は椅子の一つに声をかけた。するとその椅子が気づいたように動き出した。
「なんだ、あんたか。何日もどこに行ってたんだ?」
そう言って引き出しから脚を引き抜く。もう一つの椅子も窓にかけてある脚を下ろした。
「俺が何日か家を空けるのは珍しくない。俺はこういう生き物だ。主人はどうした?」
「ここにいるよ」
「いるなら椅子が動いちゃまずいだろ」
人間は椅子が動かないものだと思っているから、動くと知ったら驚いて死んでしまうかもしれない。それでは椅子だって困るだろう。
「そこ、見なよ。もう一つの椅子」
「ん?」
テーブルの脇の椅子は、他二つよりもやや豪華で、草花の模様のついた布張りになっている。脚は曲がっていなかった。
「これがどうしたんだ?」
「よく見なよ。座っているだろ」
言われた通り、よく見た。そして気づいた。女主人が座っている。しかし顔や腕や服まで、椅子の布張りの模様と同じだった。さすがに彼も驚く。
「おい、な、なんだ? これ? なんで椅子と同じ格好してるんだ?」
「知らないよ。ある日外から帰ってきて、座って、考え込んで、それからそのままさ。だんだん椅子と同化してる」
「同化してるだと? どうかしてるんじゃないか?」
「シャレのつもりか? とにかく俺達にも何が起きてるか分からん。ずっと動かないんで、俺達も退屈して、動き始めたってわけさ」
彼は座っている女主人の膝の上に乗った。何を言っていいか分からないので、とりあえずニャアと鳴いてみた。女主人の反応はなかった。目は開いている。時々瞬きもしている。生きてはいるのだろう。
彼は膝の上で丸まった、こうしているとたいてい撫でてくれるものだが、そんなこともない。今度は膝の上で立ち上がり、爪を立てて威嚇してみた。瞬きぐらいはするが、他の反応がない。彼はため息をついた。
「病気だな」
「猫もため息をするんだな」
「うるさいな……薬はどこだ?」
「病気とは思えんが……カメレオンは病気じゃないだろ」
「人間がカメレオンになったら病気じゃないか」
その時、別の椅子が口を開いた。
「擬態でしょうな」
「なんだそれは?」
「そこにいないかのように見せかける技ですよ」
「じゃあなんで擬態しているんだ?」
「さあ」
「きっかけがあったはずだ。擬態する前どうしてた?」
「この部屋に男性を連れてきてましたな」
「ちょっと再現してみようじゃないか」
そう言うと、椅子はさらに自由に変形し、四本の脚が手足となって、背もたれが顔になった。まるで人間だ。
「お前ら器用だな」
「高級な椅子なもんでな」
椅子の一つがクローゼットから長いドレスを出して着込んだ。もう一つの椅子は男性用の服がないので、ケープを肩らしきところからかぶった。
「女は……」
そう言ってドレスを着た椅子は、やたらくねくねと体を曲げて、ケープを着た椅子のところに近づいていく。
「こんな感じで近づいて『あら、もうお帰りになるの? 嫌だわ、夜はまだこれからじゃございませんか』という感じで延々とやっておりまして」
「そうそう男は汗をかきながら『いや、僕はこのあと予定がありまして』って帰りたがってたね」
「『私をこんな気持ちにさせておいて、ひどいじゃありませんか』ってもうしつこいのなんの」
「ありゃみっともなかったねえ」
「『どうかお帰りにならないで、ねえあなた』という具合に」
ドレスを着た椅子が、相手の腕をつかみもたれかかり、ドレスの裾を乱したりして、その醜態に彼も笑い出した。
「うわははははこりゃひどい。俺の知ってる主人はもっと知的で冷静だぞ」
「上辺だけ上辺だけ。実際はこうして鼻息荒くして迫っていくんだよ」
「うはははははこりゃ傑作だ」
彼は床に転がって大笑いをする。
その時、女主人がいきなり立ち上がった。
「私はそんなことしていない!」
見ると、顔や手足の模様がなくなり、普通の肌に戻っていた。顔を赤くして怒っている。椅子はあわててドレスやケープを脱ぎ、元の椅子になって元の場所に戻った。椅子の脚も曲がっていない。あまりの早さに彼も目を丸くする。女主人は我に返った。
「あれ、私どうしたのかな……椅子がしゃべってるように見えたけど……」
そして見上げている彼に気づいた。
「おお、帰ってきたのね。よしよし」
そう言ってしゃがみ込み、彼の頭を撫でる。
「じゃあごちそう持ってきましょ」
女主人は立ち上がって部屋を出ていった。
彼は椅子達に話しかける。
「おい、あんなことしてないって言ったぞ」
すると椅子が答えた。
「自分はしていなくて、椅子がしたと思いたいんだろう。だから椅子に擬態してたんだ」
「そんなバカな……」
彼はそう言うが、頭の中はこれから来るごちそうのことが占めてくる。
(参考)
https://artthrob.exblog.jp/iv/detail/?s=15584980&i=201206%2F17%2F68%2Fa0244868_22321245.jpg
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