帰還
「わはは、んでなんだ。ここ、県警じゃないな? このカプセルも、よく見たら単なる警備グレードだな? おい」
大笑いするセイラを見たモローは、目を疑った。セイラの顔が徐々に変型していく。
なんだ……これ。
目の前で起こっていることに、モローは釘付けになった。
俺だ! 俺の顔だ! こんなことが!
「おまえの名前、モローってんだな、じゃあ、こうだ」
セイラはモローの顔で、モローの声を発した。
「モロー・全カプセル・警備モード解除」
セイラを捕獲していたカプセルが消失した。ゆうゆうとモローに近づいて来る。
驚愕のあまり身体が動かない。なんだこいつは。俺の顔と声を使って警備を全解除しやがった。そんな能力を持ったバイオリッドがいたとは!
セイラは固まるモローの顔をジロリと睨め上げ、不敵な笑みを作っていた。
モローは自分の顔に睨まれるという異常事態に、ただ震えながら立ちすくんでいた。
「残念だったな。ん? これは何だ?」
セイラは、モローの手から出納帳を奪った。
「あ、それは!」
奪った出納帳を興味深げに眺めるセイラ。そしてそれを片手で弄びながら、モローの表情を眺めている。
「ほう、相当大事そうなもんだな。なら、保険のために貰っとくよ。おっと、動いたら、これ、握り潰すよ。俺の握力、七百キロあるからな」
ニヤリと笑うセイラ。
ちょ、出納帳が無いと、世界が。
「じゃあ早速、外に案内してもらおうかなあ」
セイラがモローの首を片手で掴み、軽々と持ち上げる。セイラは平然とした表情のままだ。しかしなんてパワーだ。パワードスーツでも着てるのか。重労働特化型のバイオリッドだったのか。
ぐ、苦しい……。首が痛い。両手でセイラの腕に掴まらざるをえない。足が床から離れる。それにつれてセイラの手の力も増していく。こっちの手は限界だ。もうダメだ。楓くんの言うとおり体重減らしておくんだった。意識が遠の……
「ぎゅべ」
突然の変な声とともに、モローは床に放り出され、バランスを崩して床に尻もちをついた。その衝撃で意識がはっきりする。
あれ?
見上げた瞬間、セイラの体がぐらりと揺れた。同時に頭が横にずれて落ちる。
目を落とすと、出納帳を握った腕も落ちている。そして、灰色の体全体がドサリと崩れて床に横たわった。首と腕の断端からは、赤紫色のバイオリッド灌流液がどくとくと流れ出ていた。セイラの顔は、既に元の顔に戻っていた。
なんだこれ! 何が起こった!?
全身がわなわなと震えた。立つどころか手足もまともに動かせない。
ひっくり返りながらセイラの体から離れた。
人の気配にふと見上げると、両手にカタナを持つカタナ男が立っていた。
「危なかったな、モローよ。さっきこの気持ち悪い奴が自分で警備とやらを解除したとき、俺も出られてしまった。まあこいつの自業自得って奴だ。しかしなんとまあ、硬い体だったぜ。人間じゃねえんだな」
言うやいなやカタナ男の体が縦に伸び、そして細い筋となって天井に吸い込まれた。天井には直径三十センチほどの穴が開いている。
〈モローくん! 大丈夫!? ごめん、さっきのゲラソン本物じゃ……うわなにそれ〉
接続が復活して窓に出てきた麻耶が驚愕の表情をする。そこで麻耶の顔が止まってしまった。接続が不安定なようだ。
「あ、その、大丈夫……じゃない。いや、大丈夫かな、ちょっといろいろ」
慌てて音声だけは繋がっている麻耶の窓に返答する。何をどう説明すりゃいいんだ。
〈今度こそ本物のゲラソンを確保! 一分後にそっちに到着するから、スタンバって。こんどは体格データも完璧だから、誤差ゼロよ。だけど、そのう〉
「どうしたんですか!」腰が抜けたままモローが叫ぶ。
〈時間がないから、指示だけするね。留置カプセルを普段より一回り大きくして、転送されたらすぐに内部を静止固定モードにして。お願い。多分、ものすごく驚くと思うけど、驚かないでね。調べればわかる。あとは任せる……〉接続が途切れた。
「は、はいッ!」
一分か。
モローは切り落とされたセイラの腕から出納帳の束をおっかなびっくり取り上げると、必死の思いで這うようにしながらよろよろと身体を起こし、急いで当直室に行く。ジローのカプセルの横で、楓がボーっとしていた。こっちは大変だったのに!
「楓くん! これ、ジローさんに返して。すぐにゲラソンが戻ってくる。同時にジローさんも十七世紀に戻ると思う。早くゲラソン迎えに倉庫に行かないと」
「了解ッス!」
楓はジローのカプセルの中に六つの出納帳を入れる。ジローはそれを受け取ると、会釈した。
「ここにいてください。あとはひとりでに戻れます。頑張って下さい」
モローはジローの十七世紀でのタスクに思いを馳せ、深くお辞儀をした。
楓に支えられながら倉庫に入ると、留置グレードのカプセルを操作して直径を二倍にし、麻耶の指示通り、内部を自動静止固定モードに切り替えた。
このモードは、カプセル内の時間進行を一時的に極端に遅くすることで事実上時間を「止めて」しまうものだ。ただし、そのモードでは膨大なエネルギーを使うため、長期間にわたって続けるのは難しい。
その直後、フンッと空気が動いた。
すぐにカプセルの中心に境界不明瞭で小さな黒い球が現れた。亜空間摩擦熱を吸収しながら急速に拡大していく。そしてそれが消えると、音もなく灰色の大きな体の人間が出現した。長年、警備室に出入りする度に見ていた、見慣れた顔がついている。静止固定モードになっているため、まるで彫刻のように微動だにしない。足先から採取した組織のバイオリッドDNAIDマッチングを見る。やはりゲラソンだ。じっくり観察する。顔面は、手配画像よりも色がまだらになっている気がする。
「楓くん、これ、確かにゲラソン……だよね?」
なんだか胸騒ぎがした。なんだろう。この感じ。
「そうだと思うんスが、なんがちょっと違和感あるッスね」
楓がカプセルに表示された数値を見ながら首をかしげる。
「そうそう、実はさ、さっき二十一世紀の麻耶先輩からバイオリッドが一体送られてきたんだ。先輩もゲラソンだって言ってたんだけど、実はそれ、違ったんだよ。違う奴だった。セイラとかいう奴で」
「えええ!? どうしたんスか? それ」
モローは先程警備室であった顛末を話した。
「そんなバトルがあったんスか。いや、すみませんッス。いろいろ考え事してて、気が回らなかったッス」
まあ確かに楓くんはそんな感じだったけどね。
「いいんだよ。こっちも咄嗟のことで混乱してよく分からなくなって助けも呼べなかった。自分の意外な脆さにショックだったよ。なんせ自分自身に首を締められたんだからな」
苦笑いするモロー。
「え、じゃあ、ちょっとおかしいッスよ。いったんそのセイラとかいうのをゲラソンだと思って転送した時、一つ目の環状関係は終了したんッスよね。えーと、二十一世紀の犬と、十七世紀のあの、カタナ男。それで、セイラが転送された時に同時にこっちにカタナ男もいたってことッスよね。同時に押し出されなかったんスか?」
「それは不思議だったんだけど、多分、麻耶先輩が言ってた『誤差』なんだと思う。時間で数分誤差が出るって言ってた。二十一世紀のテクノロジーでの計算誤差と目測での体格の推測で」
ああ、なるほど、という表情で納得する楓。だが、すぐにまた困惑した顔になる。
「……いやいや、それでもおかしいッス。そうすると、残りの環状関係は、麻耶先輩・アオイ・ジロー、になるッスよ。んで、なぜか本物のゲラソンがここに。そして、アオイは二十一世紀に戻ったのでトレース出来ない、ジローはここにいない、十七世紀に戻った。それで環状関係は終了ッス」
楓が窓をいくつか開いた。当直室が映し出される。ジローが入っていたカプセルはすでに無人になっている。また、十七世紀のアオイの痕跡は消失し、ここからは辿れなくなっていた。すでに二十一世紀に戻っているということだ。
え、とすると。
「ま、麻耶先輩が! 麻耶先輩の代わりに、本物ゲラソンをこっちに!?」
「そうッス。二十一世紀に、まだ残ってるってことじゃないッスか?」
「いや、それじゃ、やばいんじゃないか。もともとこの環状関係――麻耶先輩・アオイ・ジローにはゲラソンは関係してない。これじゃ環状関係が破綻して、先輩が全宇宙に薄く拡がって。あわわわわ」
二人は顔を見合わせた。
「ちょっと麻耶先輩呼び出すね」
モローは麻耶にリンクしていた窓を呼び出し、応答を待つ。しかし、リンクは切れている。というよりも、ナビゲーション不明と表示され、トレースは不能な状態だ。
「麻耶先輩、これだと、もう二十一世紀からは離脱したみたいだな。こっちからだと亜空間内には繋げないんだよな」
「しかしどうやって離脱したんスかね。あ、それに、単独で現代に戻ったらまたこっちの何かが玉突きになるッス!」
楓が訝しげな顔でモローの方を見た。
確かに。どうなってんだ?
ゲラソンの顔面をじっと見つめる。ぴくりとも動かないが、生きてるわけだ。これでも。
しかし、麻耶先輩は、いったいどうしてこんな状態を指定したんだろう。カプセルが心配ならば、留置グレードにするだけで、いかに怪力のバイオリッドでも破れない。またセキュリティレベルも格段に高く、さっきセイラがやったようななりすましハッキングも不可能だ。ゲラソンを捕まえたんなら普通に留置モードのカプセル内に送りつければ、それで終了のはずだ。わざわざ結構なエネルギーを食う静止固定モードを指定するってのは……?
「モローさん、これ、ちょっと見て下さいッス」
楓に促されてカプセルに浮き出た情報を見る。
「何がおかしい?」
ぱっと見、おかしな部分がよくわからない。というか、細かい内容はじっくり見てもわからない。
「楓くんみたいな医学生じゃないと解らないんじゃないの?」
「いや、とりあえずここ見てくださいッス。これが、こっちで把握している手配犯のゲラソンの体格データで、こっちがカプセル内のゲラソンの体格データッス。なんか違うんスよ」
とりあえず示された部分を見てみる。
確かに楓が言うように、質量としても体積としても本来のデータよりも二割ほど大きい。
「で、なんだか嫌な予感がして」
楓が別の窓を指す。またなんだか複雑な数値や記号の羅列に見える。
「これ、なんだい?」
「これ、このゲラソンの顔、まだらな部分のバイオリッドDNAIDなんスが……ここッス。よーっく見て下さいッス」
指された場所を、目を凝らしてじっと見る。
《麻耶・ミホロボッチ》
と、見慣れた文字列が。
「え、えええ!? 麻耶先輩だ。どゆこと!?」
「それが、論理的に考えると、なんというか、このゲラソン、麻耶先輩と混じってるッスよ」
混じってるって!?
「で、さっきの体格データ、二割くらい大きいってのが、丁度麻耶先輩の体格と一致するッスよ。なので、やっぱ、混じってるってことッス……」
「ど、どんな風に!? 完全に混じり合ってるってこと!?」
「い、いや、そうでもないみたいッス。これ、二つのバイオリッドDNAIDを色分けして、このゲラソンに簡易マッピングすると、こうなるッス」
表示された窓を見ると、ゲラソンの身体部分を示す緑色をした3Dシェーマの一部に、ぼんやりと赤い部分がある。ゲラソンの上半身、背中の部分に集中して麻耶の身体組織があるようだ。境界が不明瞭なのは、「くっついてる」というよりも、やはり境界部分を中心にして「混じってる」ということか。
「そこ、実際にはどうなってんの?」
「ちょっと回転させてみるッス」
楓が手をゆらゆらと動かすと、留置カプセルの中でゲラソンがゆっくりと回転し、隠れていた背中側がこちらに向いた。
「ちょっと明るくするッス」
倉庫内とカプセル内の両方が明るくなった。
岩のようにゴツゴツした背中には大きな瘤のような盛り上がりがあり、そこに大量の緑色の長い毛が付着していた。その下には、ゲラソンが着ている灰色のケミカルスーツとは異なる、カラフルな布のようなものが付着している。
「こ、これ、麻耶先輩の」
モローは二十一世紀を映す窓の中にいた麻耶の格好を思い出していた。
「そうッスね。多分、麻耶先輩の髪の毛……じゃないッスね。人工物質ッス。かつら、ッスね。その下のは二十一世紀の衣服みたいッス。ゲラソン捕獲の時に着てた奴ッスね」
マジか。麻耶先輩、ヅラだったのか!
「で、本体、いや麻耶先輩は……」
「ちょっと待って下さいッス」
楓が両手をリズミカルに動かすと、留置カプセルの横にゲラソンの立体像が再現された。そして半透明になり、骨格のようなものが見えた。
「透視像はこうなるッス。ゲラソンの首の後ろの部分にコブみたいなのがあるッス。そこ、よく見ると」
透視像のその部分が拡大される。
「ゲラソンの首の骨の後ろに、もうひとつの頭蓋骨の痕跡みたいなのがあるんス。そこから、多分背骨と、あとは手足っぽく見えるッスが、もう曖昧になってるッス」
「痕跡?」
楓が指すあたりをじっと見る。そう言われればそんなようにも見えるが、なにぶん医学知識はあまり無い。人間は、知ってるものしか見えないように出来ているのだ。
「要は、それが麻耶先輩の身体、ってこと?」
「そうッスね」
モローは楓の顔と融合ゲラソンの身体を交互に見ながら唸った。この背中に、麻耶先輩の身体が混じって埋まっているのだ。
これが「ものすごく驚くと思うけど」か。もはや、高卒中年の想像力の圏外だよ。驚きを超越してるよ。
「これ、どうすりゃいいの」
「ちょっと思いつかないッス。だいたい、静止固定モードになってたら、何も手出し出来ないッスよ」
そりゃそうだ。
「これ、静止固定解除したら、どうなる?」
「どうッスかね。ちょっとやってみるッスか」
「いや、やばいんじゃないの? あの麻耶先輩が自分でこのモードを指定したんだから。わざわざこんな特殊なモードを指定したってことは、必要かつ重要、って奴じゃないのか」
不安げなモローの言葉に、楓の眉が動いた。
「大丈夫ッス。ほんの一瞬だけ――たとえば一マイクロ秒だけ動かしてまた再度静止固定モードにするッス。その前後でのターゲット分子の動きを比較して、予測シミュレートすればいいんス」
真剣な表情でそう言うと、楓が何やらまた両手を動かす。
「出来たッス。あとは計算ッス」
何も変わったようには見えない。一マイクロ秒だけじゃあ、目視では分からんか。
楓が腕組みをしながら窓を見つめ始めた。そして数秒。
「計算終了ッスね。これでいくと――」
カプセルの横にある、先程の立体像をじっと見る。赤い色でマッピングされた麻耶の細胞が徐々にゲラソンの緑色の全身に散らばっていき、そして急速にゲラソンの骨格や筋肉、脳構造を破壊し、身体の各部分の結合が連鎖的に解離して床にグズグズに崩れ落ち、すべてが不定形の塊になってしまった。
「こ、これ、静止固定を解除してからこうなるまでの時間は?」
「えーとこのシミュレーションは等速ッスから、今見た時間ッスね」
マジか。二十秒ほどだ。ギリギリの限界だったのか。よくもまあそんな危ない橋を。
「じゃあ、解除するのも無理だな……。そのままか」
「でも、このままじゃ、ガリアリウム情報にアクセスするためにゲラソンの脳にダイブすることも出来ないッスよ」
「え、そうなの?」
「そうッス。解除して二十秒じゃ、ダイブの準備だけで終わってしまうッス。だからといって静止固定モードのままでは生体反応速度がほぼゼロッスから、ゲラソンの脳内で記憶を再現させることが無理ッス。動かないものは観測出来ないッスから」
「え、じゃあ、今のシナプス構造を精密スキャンして記憶そのものを取り出して再現するのは」
「それは可能かもしれないんスけど、具体的なピンポイントの意味記憶だけを抽出して論理を再構成するには、現代の技術じゃすぐには無理ッスね。多分、あと半世紀くらいかかるッス」
それじゃ、ガリアリウム変性症の蔓延でバイオリッドは全滅してしまっている。
「――じゃあ、麻耶先輩の部分を静止固定のままで削り取って」
モローは、そこまで言って黙ってしまった。そして言ったことを後悔した。麻耶先輩を削り取るだって? そんなことをすれば、もう生きてはいられまい。
「こっちの手にはもう負えないかなあ」
「そうッスねえ。自分らのアイデアだけじゃ、ちょっと無理ッス。これまで学んだどんな知識からも、こんな状態から分離できるイメージが出てこないッスよ。このままサケタマ県警に引き渡すッスか」
引き渡すと、どうなるんだ。
結局県警でも、出来ることは限られている。県警はゲラソンからガリアリウムの情報を引き出すために、麻耶先輩を削り取ってしまうに違いない。社会的にも、ガリアリウム変性症の解明は最優先事項だ。なんせ、数百億のバイオリッドの命がかかっている。一人の命のために、全て諦めるという判断はしないだろう。だいたい麻耶先輩は、これまでも様々な細かいトラブルを起こしていることもあって、県警からもあまり好かれていないようだし。
「……それは、やりたくない」
楓も、同じことをイメージしたようで、複雑な表情を浮かべて黙ってしまった。
だが、このまま座して待っていては、結局自分も含めバイオリッドは全滅する。すでにガリアリウム変性症に罹っている麻耶先輩も同じことだ。というか、エネルギーインフラを担うバイオリッドが大量に死にエネルギーインフラが不安定になった時点で、カプセルの中は動き出して二十秒で麻耶先輩はぐずぐずの細胞塊になる。
モローはパイプ椅子を出して座り、カフェラーゼをすする。それを見て楓も真似をする。こうしてカフェラーゼを飲みながら、ガリアリウム変性症がすべてのバイオリッドに拡がっていき、そして社会が崩壊していくのを眺めていくのか。だとすると、死ぬのは始めのほうがいいのか、後のほうがいいのか。下から見るか、横から見るか。様々なパターンが頭をよぎる。
ちょっと待てよ。麻耶先輩は最後の通信で、「すごく驚く。調べればわかる。あとは任せる」と言ってた。すごく驚いたのは確かだ。そして一応調べた。調べて絶望したが。そして残ったのは……
「あとは任せる、だ」
「何スか?」
モローの言葉に、楓が反応した。
「さっき、最後の通信で、麻耶先輩が『あとは任せる』って言ったんだよ。多分、何か解決策があるんだけど、言う時間は無かったんだ。それを我々に任された。任せたってことは、どこかに出口はある。あるはずなんだよ。そしてそれは、きっと我々の能力でも可能なことなんだ。じゃないと、そんなことは言わないはずだ」
モローは留置カプセルの前に立ち、ゲラソンの背中を見る。張り付いたカラフルな服。緑色のかつら。うっすらと盛り上がって変色した部分。これが、麻耶先輩の身体……の、痕跡。
楓も立ち上がり、立体像とカプセルの情報を交互に見て、操作する。しかし、表情は変わらない。
出口があるにしても、それがどこに、どの方向に、どんな形をしているのか、全く解らないのだ。探しようがない。人間は、知ってるものしか見えないように出来ているのだ。
〈私設ミホロボッチ警備室〉
声が聴こえた。声がしたほうの窓を見ると、サケタマ県警の本部長だ。
〈そちらの警備室から大量のバイオリッド灌流液が検出されたという緊急アラートが届いた。何かあったかね?〉
あ、やばい。カタナ男に斬られたセイラがそのままだった!
「あ、す、すみません。先ほど賊が侵入しまして」
〈賊だと?〉
まずい。とても説明しにくい。
「そうなんです。亜空間から突然、室内に直接現れまして」
〈亜空間だと? 記録を見せろ〉
「記録ですか……少々お待ちください」
急いで警備室の遠隔像を確認する。セイラは床に広がる赤紫色の大量のバイオリッド灌流液の中に倒れたままだ。腕と首が胴体から離れて転がっている。これはどう見ても死んでいる。念のため生命反応を調べるも、完全に消失している。
かなり説明しにくいとはいえ、記録の改ざんは不可能だ。モローは仕方なくセイラが出現してからの警備室の映像記録へのアクセスを承認した。
しばらくして、県警から応答がある。
〈よく分からんのだが、この、バイオリッドを殺害した奴は何者だ?〉
「あ、それは、その」
モローは焦った。全ての筋道を話すのは難しい。
「これをやったのも亜空間から突然出現した純粋種で、武器のようなものを所有しており危険だったので一時的に捕獲していたのですが、このバイオリッドが認証をハッキングしてカプセルが開いてしまい、そのせいで解放された純粋種に殺害されたんです」
〈それは記録を見ればわかる。こっちが知りたいのは『なぜ』そんな奴らがそこにいるのか、だ〉
そりゃそうだ。だがこれがまた説明しにくい。
「えーと、それはわかりません。目下調査中です」
そう答えるしか無いではないか。この一件の全体像を整合性と説得力を持って説明できるのは恐らく麻耶先輩だけだ。
〈誤魔化すのは為にならんぞ。仮に事故だとしても、バイオリッドが一体、殺されたんだ。その報告が遅れたのはペナルティだろう。保有するテクノロジーの性能を見込んでそちらの警備室には様々な特権を貸与してあるが、それを剥奪する必要もあるかもしれんな〉
揺さぶってきた。
「も、申し訳ありません。さしあたり殺害されたバイオリッドは迅速に提供します」
モローは緊急配送ロイドに音声指示を出した。ほどなくセイラの死体は回収されるだろう。
〈それとな、こちらに、ンマムニが来ている〉
なんだって!? ンマムニは何しに県警なんかに。ひょっとして、こっちでやっていることをチクりに?
モローは平静を装おい、丁寧に応える。
「え、そちらにいたんですか。急にいなくなって心配してたんですよ。無事なんですか? ちょっとンマムニの様子を見せてもらえますか?」
本部長の横に窓が出て、ンマムニの顔が出てきた。
〈すみません。心配かけました〉
しょぼんとしている。まあンマムニはもともとこんな顔だが。
「ンマムニくん。どうしてそこに?」
〈それが、警備室に帰ってこい、って言われて、ライドを呼ぼうとしたら、ちょうど掃除ロイドが走ってて、あ、これ、ひょっとして、って思って開けて中を覗こうとしたら、足が滑って、掃除ロイドの中に身体が半分入っちゃって、あれーって思ってたら、掃除ロイドといっしょに、サケタマ県警に入っちゃって、それで、それで〉
泣きそうになっている。なんてこった。
「なんだそうか。まあ、今度こそライドに乗って帰っておいでよ」
〈その、それが〉
どうしたんだ。様子が変だ。
〈モローくん、いや、ご心配をかけちゃったかな〉
ンマムニの窓に、頭をかきながら室長が出てきた。
「室長! そちらにいたんですか!」
思わず大声を上げてしまった。
〈いやあそうなんだ。ンマムニくんを探してたら途中で痕跡が消えて、不思議だと思ってたら、県警から呼ばれた。急いで引き取りに行って。いまここ〉
なんだ。二人ともずっとそっちにいたのか。
「あれ、でも、なんで県警にいること、こっちからトレース出来なかったんですかね? それに、ずっと連絡も無しに……」
〈それは、こういう理由だ〉苦々しい顔をした本部長が横から口をはさむ。〈ンマムニは、清掃ロイドに隠れて県警に侵入した容疑で留置されている。なので、一切のトレースと情報の遮断をしていた〉
そうか。っていうか。なんつー。そんなアホがいるわけが無いだろう。いるわけが……。まあ、意図はともかく、状況的にはそうか。参ったなあ。
呆れたモローがさらに質問する。
「でも室長のトレースも出来なかったんですよ」
室長の窓が大きくなる。
〈それがどうもね、僕が首謀者だと思われちゃったみたいなんだ。僕がンマムニに侵入を命令したんじゃないかって。それで、一緒に〉
首謀者って。
フッと本部長の窓が大きくなり、室長の顔が映る窓が消えた。
〈ここまでだ。二人はしばらくこちらで預からせてもらって、捜査することになる。そちらでこの二人を探すのにまた色々とトラブル起こされると困るので、一応連絡したまでだ。では〉
本部長の窓が消えた。
色々とトラブル、か。まあ、これまでも麻耶先輩がサケタマ県警をいろいろ振り回したことがあるからなあ。県警本部長の気持ちも分からなくはない。
しかし室長やンマムニくんは実際に悪いことをしたわけでも無いから、調べればそのうち解放されるだろう。あまり騒がず、戻ってくるのを待つしかない。いろいろ状況を報告したいところだが、唯一繋がる県警公式の本部長チャンネルを使ってこっちの状況を細かく教えるわけにもいかない。室長とンマムニくんには県警で休んでもらって、こっちはこっちで出来るだけのことを……。
とはいっても。こんなのどうすりゃいいの。
ゲラソンと麻耶が融合した彫像をじっと眺めながら、陰鬱になる。
「ほんと今回、麻耶先輩の名前が出てきた瞬間から、なんか嫌な予感がしてたんスよね」
楓が同様に、やや諦めたような顔でカプセルの中を眺める。
まだらになったゲラソンの顔は、手配画像のそれと比べると、幾分か柔和な印象も受ける。麻耶が混じってるからだろうか、勝った、とでも思っているのか。見ようによっては笑顔にすら見える。
「ふう。考えててもよく分からん。ちょっと気晴らしに警備室と当直室、見てくるよ。もうセイラの死体も処理されてると思うし」
沈滞した空気をかき混ぜるように、モローが立ち上がった。
そう、こういう時は、軽く歩き回ると良いのだ。見える景色を変えることで、脳に違う刺激を送り込む。同じ場所にいて頭だけでウンウンと考えていると、延々と堂々巡りになる。
楓がこちらも見ずに無言で右手を上げ、「いってらっしゃい」とでも言うように、ひらひらと力なく動かした。
当直室は、静かだった。ジローは、麻耶とゲラソンが戻ってきた時、環状関係の解消で十七世紀に無事に帰ったのだろう。出納帳も無い。ちゃんと持って帰ったようだ。うまくやってくれれば良いんだが。
空のメディカプセルの記録を確認する。ジローがここで体験した新規記憶の自動消去も、うまくいっているようだ。
ふと天井を見ると円形の穴の修復跡があった。そういえば警備室のカタナ男が消えた時も天井に穴が開いていた。自動修復機能が稼働しているので今頃もう塞がっているだろう。
警備室に移動する。セイラの死体はすでに無い。さっき手配した緊急配送ロイドが持っていったようだ。床面にはまだ紫色をしたバイオリッド灌流液の跡が残っているが、一両日中には吸収と代謝剥離で綺麗に消失するはずだ。
はあ、疲れた。
モローは、灰色のパイプ椅子を出すと、そこにゆっくりと座った。
出来るだけのことは、やった。考えられるだけのことは、考えた。
『あとは任せる』
麻耶の言葉が耳に残っている。しかし、もう分らない。麻耶みたいな、あんな天才と自分が違う。任せられても困る。ふう。
ふと思い立って、楓から紹介された体力キャパ増強のためのエクササイズメニューを見てみる。最初はスクワットが二十回か。試しに十回ほどやってみて、もう立ち上がれなくなった。息が切れる。もうだめだ。いきなりハードルが高い。諦めた。
フラフラとしながらホロテーブルを無意識に撫でる。意味のない動きで反応に困った端末が、まるで戸惑っているかのように、モローの手の動きに沿って様々なインジケータの残骸を表示させては消していく。
なんだかなあ。
何気なく、先ほどまでの麻耶とのやり取りを再生する。麻耶が二十一世紀にいた間は、うまく繋がらなかった。だから、向こうでの行動そのものの詳細なログは無い。麻耶の記憶を取り出そうにも、あの状態では無理だ。脳の原形すらないのだ。
麻耶に絡む情報を集めていくが、いずれも過去の業績だ。多方面の分野に跨がる膨大なデータに唸る。さすがの天才少女だ。それと同様に、アクセス可能な範囲でもトラブルの記録が散見される。まあ、あの調子じゃ、いろんなところでこういうことが起こってるわけだよなあ。
どちらも大量で、とても全てに目を通すことはできない。直近のデータから遡って見ていくことにする。最後の「あとは任せる」からずっと逆行する。こちらと直接接続して受け取っている情報以外にも、亜空間内外、こちらのリソースに接続を試みた痕跡が確認できる。ほとんどのものはあまりうまくいかなかったようだ。
あれ? なんだこれ。
断続的な麻耶の認証コードが見つかった。モロー達との連絡記録と紐付いてない、ここ数時間の認証だ。他の接続は失敗が多かったが、これら一連の認証コードは全て正常に終了していた。
その認証コードが記録された場所を探っていく。接続先は亜空間内外いくつかのパターンがあったが、最終接続先はすべて同一のものだった。そしてその共通項として、見慣れた自分のコードが絡んでいるのが見えてきた。さらにその自分のコードについて関連を見ていくと――
これ、あれ、アレじゃん。マクスウェル。
なんで麻耶先輩が自分のマクスウェルちゃんに……。
急いでフィギュアを出してみる。ホロテーブルの上には、暗い灰色をした高さ五十センチほどの気持ち悪い骨ばった人形が出てきて、ゆっくりと回転を始めた。で、でかい。背中が曲がり、黒い羽根が生え、頭には角、口には牙がある。そしてこの禍々しい表情。
なんじゃ、こりゃ。楓くんにスタート部分の一パーセントを頼んだ後、その後のオート成長モードでこんな風になっちまったのか。それにしても、丸一日ほどでここまで、というのはおかしい。
制御ログを確認する。先ほどの、麻耶の認証コードがずらりと並ぶ。向こうから勝手にハッキングしてたのか。なんてこと。それでフィギュアがこんなにキモくなったってわけか。っていうか。
これ、一ヶ月以上経ってるじゃん。
楓がスタート部分の調整をして以降のフィギュアへのアクセス記録は、全て二十一世紀から麻耶が直接ハッキングしていたものだった。
その過程で、フィギュア内部時間の設定が変になったのか。
フィギュアを具体像化させている情報の構造は、実際に一ヶ月分以上、いや、もう何年も手をかけて熟成させたような複雑な情報とそれらを互いに関連付け動き続ける信号の塊と化していた。大きさも、表面の造形の緻密さも、単に一ヶ月間放ったらかしておいただけのものとは思えない状態だ。亜空間経由で制御していて、情報成熟の期間にも大きな影響を与えてしまったようだ。
しかも情報量や情報構造そのものがこの通常空間に展開されるフィギュアには収まりきらず、一部は亜空間にまで広がり、複次元をまたいで一体化していた。
これがあの天才、麻耶先輩が触った結果か……。
はっきりとしたことは分らないが、実空間で不可能な形で亜空間に情報構造を重畳しながらそれ自体が生み出すエネルギーを実空間で自律的に受けさらに成長しつつあるようにも見える。なんということだ。
ふと、先ほどの、麻耶の最後の連絡メッセージを何度も再生して確認する。
『あとは任せる』
モローは顔を上げると、足早に楓の待つ倉庫へと向かった。
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