任務遂行

「あの小僧――いや、小娘か。どこかに忍び込んでるぞ。あの緊張した不安げな顔、危ねえ場所で何かを探ってるんだな」

「え、何を。いや、なんで。そんなこと、やめてほしいなあ」

 心臓が高鳴る。冷や汗が出る。

 まったく。十七世紀で静かに安全に、犬と仲良く暮らしていてくれさえすれば、そのうち自然に自分のいた二十一世紀に戻れる……はず、なんだから。まあ麻耶先輩がちゃんと戻ってこれば、の話だけど。

「よくわからんが。ちょっとその、のぞき窓か? もっと全体を観られるように出来るか?」カタナ男が不満を口に出した。

 この際仕方がない。モローは言われるがままズームを縮小して広い範囲を窓に出す。荒れ地の中に建つ、四角い大きな建物の中のようだ。

「中、もっと見えるか?」

 さらにホロテーブルの上で手を動かした。ところどころ信号が破綻している部分があるが、リンクされているアオイを中心としたエリアは何とか見える。

 建物の中の広い場所では沢山の人間が集団で活動している。物を物理的に加工したり移動させたり、次々と流れ作業のようなことをしているのだ。

 労働集約、という奴だな。モローは思い出した。ジラソリウム加工場でも、ワームホールから出るパラリウム波の影響でロボットが使えない現場では、同じようにバイオロイドやバイオリッドが集まってまるで機械のように働いている。

「ははーん。ここな、工場だよ。団子の。恐らく、そのアレだ、さっきの出納帳の――笠羽団子とやらの工場だ。そこの天井裏に忍び込んでるんだな。ここで作ってるのは団子だ」

「え、なんでそんな所に!」思わず突っかかってしまうモロー。

「そんなことは知らん。けどまあ、この場所、この小娘の動き、表情、何やら穏やかじゃないことをやってる、ってのは判る。しかしこの小娘、大した度胸だよ。誰かに無理にやらされてるって風でもないしな」

 モローの額に脂汗が流れる。

 いったい何やってんだ。これでもし、怪我、いや、死んだりしたら。あわわわわ。

 慌てて窓を操作して過去の動きや周辺状況など様々な部分を確かめていくが、時間的にも飛び飛びなので、アオイのはっきりした目的が分らない。

「ほれ、あそこ、危ないぞ。あいつ、この小娘の気配を察知してるぞ」

 急いでカタナ男が指す部分を見ると、廊下にいる棒を持った一人の男が視線を上に向けながら、アオイに合わせてゆっくりと移動していた。警戒心を示すオレンジ色のインジケーターが光っている。

 廊下のその場所から天井裏のアオイは見えてはいない筈だが。気配、か。感じてるんだ。フォースか。

「小娘、捕まったらやばいんじゃないのか?」

 そりゃ分かってる。やばい。これはやばい。かなりやばい。

 モローは工場の廊下にいるそのフォース男を窓からポイントすると、ホロテーブルの上で何やら操作した。

 その直後、窓の中にフォース男は、不思議そうな顔をして頭を手でゴンゴンと叩いた。そして周囲を見回すと、度々首をかしげながらフラフラとその場を離れていった。

「ふう」口から熱い溜息がでた。何とかなった。

「お、おぬし、今、何をやったんだ?」カタナ男が驚愕の表情でモローの顔を見つめてくる。

 やばいなあ。部外者に見られちゃったよ。いや、当事者か? ならいいのか? いやまあどっちでもいいが。

「いえその、こうした不測の事態に対処するのが私達の業務なのです」

 こういう時は淡々と機械的に答えるに限る。

「なんだかわからんが、まあ、カラクリを使った用心棒、ってとこか。おぬしはちょっと頼りないが、それをカラクリが補ってるというわけか」

 カタナ男がニヤニヤしながらモローをからかう。

 また挑発か。スルーするに限る。

「お、ほれ。また来たぞ」カタナ男がまた、窓の中に何かを見つけた。

 今度は二人組だ。インジケーターは緑だ。

「警戒していないようです。大丈夫じゃないですかね」

「何言ってやがる。このまま行くと、小娘とこの二人の場所が交差するぞ。その瞬間、気配を察知するんだ。見てろ」

 カタナ男の剣幕に、モローは仕方なく二人組を観察した。すると、天井裏を這うアオイと廊下を歩く男達がクロスした瞬間、廊下を歩く二人の動きが止まった。そして片方がもう片方に耳打ちしている。耳打ちされた方は、視線を上に向けた。インジケーターがオレンジ色になった。そして次の瞬間、その一つが赤くなり、男の一人が棒のようなものを天井に向かってゆっくりと突き上げる。

 や、やばい!

 慌てて窓の中の棒にポイントを絞って物理特性パラメータを一気に変える。

 男の持ってる棒が床に転がった。男は慌てた表情で床に落ちた棒を広い、それで床を数回叩いて、また棒をじっと見つめた。そしてもう一人の男と何やら話をしている。インジケーターの光は薄くなった。

「なんだ。物の重さを変えられるのか、それ」

 カタナ男が関心した顔をしている。

「ははーん。さっきのは、それか。思わずカタナを落としてしまったが」

 するどい。よく分かったな。

 モローが操作して男が突き上げた棒の質量を一瞬だけ三百倍にしたのだ。動きが阻まれる強烈な違和感で、棒を取り落したわけだ。この操作にはかなりのエネルギーを食うが、仕方がない。緊急避難だ。

「まあ、そんなところです」モローは面倒くさそうに応える。

「そんな凄いカラクリに頼ってっから、そんなボンクラになるんじゃないか」

 またニヤリとするカタナ男。モローの心中がモヤモヤしてくる。

 まあ正しい。モローはそう考えて自分をなだめた。

 カタナ男は挑発をするのが得意なんだ。カッとなってしまっては相手の思う壺。俺は挑発されるのが嬉しい、むしろどんどん挑発してほしい、それが俺を滾らせる、そういう性癖なのだ。

 そういう風に思うことでやり過ごすことにした。

 ふと、窓が一瞬乱れ、また時間が「飛んだ」。

 今度はちょっと広い明るい部屋で、アオイが数人と並んで座っている。マップを確認すると、先ほどの工場とは全く異なる場所のようだ。アオイの対面にも三人の男がいる。皆、やや緊張した表情をしている。そこでアオイが身振り手振りをしながら何やら必死で説明しているようだ。

 とりあえず安全な場所にいるようには見える。さっきの天井裏アクション以降は致命的な場面に遭遇しなかったということだろう。

 いやマジ、ヒヤヒヤするよ。あんなのが監視の隙間時間にたびたび起こってたら手出しも出来ないし、ジエンドじゃんよ。頼むよもう。

 窓の中のアオイの顔つきは真剣だ。やめてよもう。また危ないことやるのかよ。マジ、犬と静かに暮らしてなさいって。おじさん、本当に心配だよ。

「これは、あれだな。御用屋敷か番所、ってとこだな。あの小娘の前にいるのが、恐らく同心とか与力とか、そんな奴だ」カタナ男の解説だ。

 よし、全然わからん。

 そんなモローの様子を見て、笑い出すカタナ男。

「なんだ、物知らずだなあ。悪いことをやった奴を捕まえて、罰を下すところだよ」

 げっ。

 じゃあアオイは、結局、屋根裏で捕まってしまってたのか! やばい、酷い刑罰で死んでしまったら、非常にまずい。

「これ、周りの奴らを動けなくして助けないと……」

 慌てて操作しようとするモローをカタナ男が止める。

「いやいやモロー、待て。見てると、態度や表情からいってこの与力、どうもこの小娘の味方のようだ。心配いらぬな。むしろこの小娘を守ってくれそうだ」

 その言葉を聞いて、そのヨリキとかいう男を見る。確かにその男がアオイの方を見るときにも緊張感はない。インジケーターも緑色のままだ。なら大丈夫か。とりあえずアオイさえ生き延びれば、何とかなる。味方は多いほうがいい。やっぱり犬だけじゃ心許ない。

 モローは胸をなでおろしてパイプ椅子にもたれかかった。

「やばいよやばいよ」

 またですか。

 目をぐっと閉じてため息をつく。そして体を半分預けていたパイプ椅子から振り返ると、室長が青い顔をして近づいてきた。

「大丈夫ですか。ンマムニはどうしました」

「それが、見当たらないんだ。最後にポイントされた場所に行ってみたんだが、そこにいない。ライドに乗ったら記録が残るはずだが、それも無い。消えた。出納帳も消えた」

 室長はパイプ椅子を出すと、トスンと腰を下ろした。放心している。

「掃除ロイド集積所にも行ってみたんだが、ロイドのほとんどは巡回中で居ないし、ンマムニはいないし、ここに入ったロイドの行方を管理人に訊いても意地悪して教えてくれないし。っていうかあいつ、俺の同期だったんだよねえ。警備作法学の。ちょっとズルを指摘したらキレていきなり横にいた教授をブン殴って単位剥奪になったんだ。いまだにそれ、根に持ってるんだよ。だから意地悪してるんだ。もうだめだぁ。おしまいだぁ」

「分かりましたよ。私が行ってきます。室長はアオイの監視をお願いします」

 もう。


 モローは警備室を出ると、まずはライドに乗って掃除ロイドの集積所に向かった。掃除ロイドは街のあちこちを自在に動き回る権限が与えられている。そのため保安上の理由で詳細な巡回経路は公開されていない。モローがいる警備室も保安業務を担当しているとはいえ、麻耶が作った私設の警備室である。細かい経路を知る権限まではないのだ。

 ライド内で簡易モニターの窓を確認する。アオイはホッとした表情で十七世紀の人々と話をしている。まあとりあえずアオイには味方が沢山いる。しかし俺には味方はいるんだろうか。

 ほどなく掃除ロイドの集積所に着いた。

 入り口にライドが近づくと、自動的に集積所の扉が開いた。ライドを降りて一歩入ると扉が閉まり、同時に目の前に立ち塞がるように窓が現れた。びくんとしてその場に立ち止まる。

「ご用件は」

 血の気が薄いバイオロイド特有の顔だ。これが室長の言っていた管理人だろうか。

「私設ミホロボッチ警備室をつい先ほど巡回した掃除ロイドの所在を知りたいのです。室内に放置されていた物品を誤って持っていってしまったようです」

「ああ、モロー・デ・ヤンスさんですね。私がここの管理人のアイビです。確かに、例の警備室の人間ですね」

 管理人はちらりと視線を外して答えた。モローの認証を確認したようだ。

 しかし「例の」か。室長に対する個人的な恨みのトバッチリが職場にまで。やれんなあ。

「先ほど、そちらの室長が来て同じ質問をされました。しかし繰り返させていただきますが、外部の者に掃除ロイドの巡回の詳細を教えることは保安上の理由で出来ません」

 管理人が応える。丁寧だが有無を言わせぬ空気だ。にべもない。

 まあこの管理人が言っていることは正しい。そこに直接反論しても仕方がないだろう。戦略を変えないと。

「いえ、掃除ロイドそのものじゃなくていいんです。警備室から回収されたものを取り戻せさえすれば」

 モローは気持ちを落ち着け、できるだけ下手に出た。

「ほほう。放置物品を探していると。相当貴重なものなんでしょうね?」

 嫌な雰囲気だ。さっき室長が「意地悪して教えてくれない」とか言っていた。管理人の表情を見ても、やはりそんなネチネチした意図がじわじわと増えてきているようにこちらにも伝わってくる。

「そうなんです。今やっている業務に必須のものですから」

「ほほう。あなた達が、今やっている業務に、必須のもの、ですか」

 管理人はニヤニヤしながらゆっくりと、モローの言葉を区切りながら繰り返した。

 なんだよもう。まずはストレートにいこう。

「巡回経路の情報は残念ながら諦めます。先程私どもの警備室に来た掃除ロイドが回収した物を取り寄せていただけませんか」

 モローの要請を片眉を上げながら聞いていた管理人が、わざとらしい笑みを浮かべると切れ長の口を開いた。

「そう、先程、そちらの室長がここに来ましたっけね。ちょっとこちらでもその所在は分らない、とお答えしましたが、なぜ、あらためて貴方がいらしたんですか?」

 まあそりゃそうだな。先だって室長に返した管理人の話を信用してないからまた来た、と取られても仕方がないかもしれない。

 ちょっと作戦変更だ。

 モローは目を見開いて額に手を当て、おどおどした雰囲気で軽く周囲を見回した。そして、やや声のトーンを下げて応えた。

「いや、そのですね。ちょっとうちの室長の、いやちょっと言いにくいんですが、とある企みを耳に挟んでしまいまして……。あっ、いやその、理由は勘弁して下さい。忘れてください」

 慌てた様子のモローを見た管理人は一瞬眉をひそめて不思議そうな顔をしたが、すぐにまた眉を上げて口を開いた。

「室長の企み、って何ですか?」

「いやそれは勘弁してください。我々と室長の問題ですから。証拠が掃除ロイドに……いやとにかくその証拠さえあればいいんです。さっき室長が来たのは、それを回収して、隠蔽するために」ハッとした表情で口に手を当てるモロー。

 管理人は腕組みをし、モローを見つめながらじっと考え込んでいるようだ。

「お願いします。その掃除ロイドさえここに呼んでいただければ、あとは私が探しますから。お手間は取らせません。さっき警備室を訪問した掃除ロイドが回収したものさえ入手できれば、あの室長を退任に……いや、すみません。呼んでいだだけますか」

 管理人の目がすこし大きくなり、ゆっくりと頷いた。先ほどモローに向けたよりも、嬉しそうにも見える。

「それはお困りでしょう。私も協力させていただきますよ」

「いえいえ、そんな。お忙しいところ、そんな手間を掛けさせられません。それにこれはとても重大なものなので、私が自分で」

「それほど重大なものなら、なおさらです。私がここの責任者です。責任をもってお手伝いしますよ。その代わり、教えていただけますか? その、室長の企み、とやらを」

 管理人が手元で何かを操作しているようだ。掃除ロイドに司令を出しているようだ。

 やった。食いついた。

「ここだけの話です」モローは左右を見回し、意識してさらに声を小さくした。「実は室長は、自分の地位を脅かす優秀な従業員に、毒入りのオムニペーストを食べさせようとして。それを告発しようとした有志の者が、その従業員の医療記録を骨董品に封じて……いやほんと、これ、ここだけの話にしておいて下さいね」

 ちらりと管理人を見る。わずかに目を見開いたまま、口角が上がってきた。

「分かりました。決して口外いたしません。いま、該当すると思われる掃除ロイドをここに呼び出しています」

 程なくして正面の扉が開き、ベージュ色をした円筒形のロボットが音もなく入ってきた。なんだ。もう戻ってたんじゃん。しかし掃除ロイドってほんと、まるで存在感がない。掃除で業務の邪魔をしないように作ってあるので当然だ。

「じゃあ、開けますよ」

 管理人の言葉と同時に、ロボットから一瞬コクッと音がした。そしてゆっくりとロボット後部の蓋が開く。後ろに回って確認してみる。

 あった。六つの出納帳だ。モローはそれを大事に取り上げた。

 同時に、別の扉から管理人が出てきた。

 モローはあわてて頭を下げた。

「いやあ、わざわざ出てきていただきまして。大変助かります。これで、あの憎ッくき……いや、みんなが本当に救われます」

 モローは両手に持った出納帳を掲げ、管理人に再度うやうやしく頭を下げた。

「見せていただいていいですか?」

「もちろんです。見てみますか。いや、これ自体ではなくて、この骨董品にデータを暗号化して練り込んであるんで、ちょっと見ただけではわからないですが……」

 六つのうちの一つを管理人に手渡す。

 それを緊張した表情で受け取った管理人は、中を見て、ややがっかりした表情で返してよこした。

「ちょっと中身は分かりませんね」

「そうです。パッと見てもわからないように練り込んであります。室長にバレないように、と。それがちょっとバレかけてしまって。いや、すみません。でも、アイビさんのおかげで、みんなが救われます! 恩に着ます! お手数おかけしました。本当にありがとうございました!」

 腰を直角に曲げて深々とお辞儀をする。手慣れたもんだ。

「いえいえ。頑張ってくださいね。こちらも応援してますよ」

 管理人はモローを勇気づけるように、しっかりとした声をかけてきた。

 なんだか元気が湧いてきて、そして申し訳ない気持ちになった。


「室長、とりあえず出納帳、回収してきました」

 声をあげながら警備室に入る。中を見回す。誰もいない。おいおい。

「おう、モローか。室長とやらは、別のとこに行ったぞ」

 カタナ男が教えてくれる。

 なんだよ室長、大丈夫か? さすがにここをカラにしちゃまずいんじゃないのか。

「その室長に、ちょっとここ見ててくれ、って言われたもんでな」

 見ると、カタナ男が入ったカプセルの前に窓が沢山開いている。十七世紀のアオイの姿だ。アオイはそこで、熱心に絵を描いていた。

 見ててくれ、って……おい。マジかよ。

「この小娘、なかなかおもしろい絵を描くな。拙者も絵に興味が出てきた」

 なんてこったい。部外者に監視を任せるなんて。

「まあまあ、ちょっと急用だったみたいでな。大丈夫だ。変なことがあったらあの室長とやらを呼び出すことになってる」

 モローは呆れた表情で出納帳を部屋の隅に置き、カタナ男の二本のカタナと同様に警備用の接地固定をした。

 今度はもう勝手に回収されないだろう。

「……で、どうです、そっちは」

 一応、カタナ男には「引き継ぎ」をしてもらわないと。

 カタナ男の側にある窓をいったん壁全面に拡げた。

「特に何も無いな。突然場面が変わったが、どうせそういうカラクリなのだろう」

 この男、ほんと凄い順応力だな。

「まあ心配するな。ほれ見ろ、この表情。あれ以来ずっと、平和そのものだ」

 窓の中のアオイは、非常に穏やかで、それでいて微妙に憂いを含んだ表情をしていた。他の人間との和やかな雰囲気や振る舞いを見ると、身体的にも精神的にも健康そうではある。まあ、平和といえば平和だろう。ちょっと前のように危険そうなプロジェクトを遂行しているわけでもなさそうだ。とりあえず、平和に、生きていてさえくれれば。

「助かりました。ありがとうございます」一応、言っておかねば。

「礼には及ばぬ。こちらもこれまでに想像もしなかったような興味深い、凄い体験をさせてもらっている。拙者は天下一を狙っておったが、見識が狭かったようだ。天は一つではなかった。これは是非とも今後の生き方に活かさせてもらう」

 カタナ男は上機嫌だ。まあ、結果オーライってとこか。

 モローは軽く会釈すると、室長の音声コンソールで問いかける。

「室長、どこですか。出納帳回収してきました。警備室に固定してあります。室長、室長!」

 へんじがない。

 モローはホロテーブルを操作し、室長の所在を確認する。軌跡を見ると外に出たようだが、途中でプツリと途絶えている。

 なんだこりゃ?

「楓くん、室長知らないかい?」楓の音声コンソールに尋ねる。

 少しして楓の声が聴こえてきた。

〈知らないッス。そっち、いないッスか?〉

「いないんだ。で、十七世紀の監視をする人間がいなくて困っている。ンマムニくんも戻ってないよね?」

〈こっちにはいないッスね〉

 どういうことだ。

「楓くん、そっち忙しい?」

〈い、いや、忙しいッス。っていうか、それなりに。ち、ちょっと実は手伝ってほしいッス〉

 なんだろう。慌てた声だ。

「室長もンマムニくんもいなくてこっちも色々大変なんだけど。っていうかカタナ男が十七世紀の監視してる」

 数秒の沈黙の後、楓の反応が返ってきた。

〈それより大事ッス〉

 それより大事って……。

「じゃあ、ちょっとそっちに行ってみるわ」

 モローはちらりとカタナ男のほうを見る。カタナ男はニコリとして、大丈夫、というように頷いている。

 いやいやいやいや。でもまあ。うーん。でも。うーん。

 操作権限はないから勝手にアクション起こせないからいいが、何かあって放置されても困る。

「くれぐれも、この窓の中で怪しい変なことがあったら、私の名を大声で呼んでください。すぐに私が来ますから」

 念を押して、当直室に向かった。


「モローさん、早速同期して下さいッス」

 カプセルの横の楓が焦った顔をしていた。急いでカプセルに近づき、楓の同期を承認する。瞬時に両手と意識の一部が共有された。そしてメディカプセルの上に表示された様々なデータの上で掌が踊り始める。

「ジローさんに何かあったの?」カプセルのジローを見る。相変わらず意識が無いようだ。

「それが、やっぱり意識戻らないし、毒は消したッスが自己免疫プロセスが暴走してしまったようで、徐々に脳細胞の破壊が進行しつつあるッスよ。モローさんがいないと室長ともンマムニとも同期できないから、モローさんを待ってたんッス」

「その室長もンマムニもいないんだよ。何も聞いてない?」

「え、まじッスか? 聞いてないッスよ。何やってんッスかね。麻耶先輩と十七世紀の情報待機、ヤバいッスよ」

 そうだ。麻耶先輩からもコンタクト来る可能性あるな。

「一応、権限は楓くんにも分離しておくね。楓くんも向こうで操作できるように」

「ありがたいッスけど、今はこっちに集中させてくださいッス!」

 まあ仕方ない。ジローが死んでしまったら、世界がよく解らない形で滅びてしまうんだ。

 楓と同期しながらも何をどう操作しているのかはモローには全く不明だ。しかし意識の一部が楓と同期しているため、楓から見てうまく行っているのかダメなのかの「感触」がこちらにも伝わってきている。その感触からは、事態は段々と収束に向かっていっているようだ。

 そして十分ほどして、フッと同期から解放された。ガクッと力が抜けて、思わず床にへたり込んでしまう。

 床が冷たい。慌ててパイプ椅子を出して座り直す。

「やったッス。さすが、シンクロ率高いモローさんのおかげッス」

「いやいや。さすがだねえ。ハイパー医学生の楓くん。こっちじゃ何やってんのか全然わからなかったよ。何やったの?」

「え、えーと、まあ、神経の修復、ッス」

 そう言うと楓はモローから目を反らした。

 え、なんか怪しいな。

 軽く問い詰めようとした時、カプセルの中のジローが動いた。

「じ、ジローさん!」

 モローは声を上げた。するとジローは目を開いてこちらを見た。

「あ、えーと、ここは、拙者は……」

 ちょっと意識がはっきりしないようだ。

「ここは、その」

 うっ、どう説明すりゃいいんだ。

「ジローさん、大丈夫ッス。ちょっとボーっとするッスけど、そのうちしっかりしてくるッスから」

 横から楓がジローに言葉をかける。

 ジローは少し鈍い表情をしながら周囲を見回す。そして自分の体を見つめながら、手足を順番に動かして状態を確認しているようだ。

「しびれたり、動かしにくいとか、無いッスか?」

「大丈夫のようです。お気遣い感謝いたします。どうも拙者、長く眠っていたのか、酔っ払っていたのか。頭も痛い」

 少しずつ表情や喋り方もはっきりしてきた。大丈夫そうだ。

 楓の方を見るとホッとした顔をしているが、なんだか釈然としない。

 さっきの違和感は、何だったんだろう。

 不思議に思いながらも、まあ、生きていてくれたんだからいいか、深く詮索しないほうが良いのかもしれない、とも感じていた。世界崩壊のリスクに対応してるんだ。楓としても重大で、そして他人には言えないような苦渋の決断をしたのかもしれない。

 あ、そうだ。ジローに出納帳を渡しておかないと。麻耶先輩が戻る時に順繰りで十七世紀に飛んでしまうわけだから、その時になってから慌てて渡すのはまずそうだ。もう掃除ロイドが持っていくことは無いだろうけど、想定外の事態が起こらないとも限らない。それにジローも「証拠」が手元にあったほうが安心だろう。

「楓くん、ちょっと向こうから出納帳持ってくるよ。麻耶先輩も、いつ戻ってくるか判らないし」

 ちょっとぎこちない表情でコクリと頷く楓を見て、モローはもやもやしながら警備室に戻った。

 室長はまだいない。

 ンマムニも行方不明だ。困ったなあ。

 とりあえず出納帳の接地固定を解除し、手に取った。当直室に向かおうとした時、麻耶の声がした。振り向くと、窓に麻耶の顔が大写しになっている。薄暗いところにいるようだ。

〈おーい! これからゲラソン捕獲するけど、転送受け入れ準備はいいケッチラ?〉

「あ、マーヤ! 大丈夫です」

 隣の倉庫部屋に留置グレードのカプセルが用意されているはずだ。

〈それがね。ちょっと二十一世紀の演算デバイスの精度がいまいちなのと、あと、なんかゲラソンの体格が、報告データと大きく違う感じがするの。こっちでは正確には測れないから、目算で体格設定する。だから誤差が出ちゃうケッチラよ〉

「え、誤差って、どの位ですか」

〈そうね。時間にして数分、空間は十メートル内外ってとこケッチラ〉

 十メートル……。

 時間はともかく場所は結構やばいかも。

「十メートルって、本当にその位で収まります?」

〈それはやってみないと分かんないケッチラよ。まあちょっとそれ以上ズレても、その建物外には出ないと思うから、オート警備でなんとか捕獲して〉

 軽く言うなあ。こっちは一人なのに。

「とりあえずやってみます」

 そう応えるしかないだろう。

〈バイオリッドの未来がかかって……〉

 その直後、モローの眼の前に灰色の男が出現した。

 うわ。いきなりかよ! しかも、ここか!

 男は鬼の形相で周囲を見回した。

「くそッ! ここはどこだッ!」

 やばい!

 モローは急いで警備カプセルを起動する。瞬時に透明なカプセルが男を覆う。

「うおッ なんだ、戻ったのか! くそ、あいつら。やられた!」

 カプセルの中から、悔しそうな罵声が聴こえてくる。

 ざまみろ。ふう。

 視線が痛い。カプセルの中のゲラソンからの視線……じゃないな。後ろだ。

 ふと振り返ると、カタナ男がそのままメディカプセルの中にいた。

 え? 二十一世紀のゲラソンが現代に戻るのと同時に、環状関係が解消されてカタナ男は十七世紀に帰るんじゃなかったのか?

 モローは混乱した。

「おめー、何者だ?」カプセルの中から凄むゲラソン……でも、なんか、変だ。というか、顔が違う。見慣れたあの顔じゃない。

「ゲラソン……だよな? あんた」

「ゲラソンだと?」

 カプセルの中の男が笑い出した。

「俺はセイラってんだ」

〈これから転送よ!〉マーヤの声が響く。

「い、いや、もう来てますよ!」

 焦った顔でモローが叫ぶ。

〈モローくん、それが、時間誤差よ! ってことは、成功ね! やったケッチラ!〉

「ちょ、ちょっと、なんか変なんです!」

〈なによ〉

「これ、ゲラソンじゃないみたいです! マーヤ、マーヤ!」

 接続が途絶え、麻耶の顔が静止した。

「そう、この女だ。こいつに嗅ぎ回られたんだ。残念だな。俺は、ゲラソンじゃねえ」

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