出納帳

 カタナ男のカプセルの前には先程の帳面が表示され、カタナ男のジェスチャーで開く場所が変わったりしている。もう使い方をマスターしている。なんという奴だ。やはり油断ならん。

「さっき、カタナ男に言ってた、もうひとりの奴のこと、本当? すごい偉い人だから、言う通りにしたら便宜をはかってやる、って奴」

 室長がコソコソと聞きにくる。カプセルを挟んだ会話をモニターしていたのだ。部下の業務上の情報のやりとりを把握することは管理職の職責の一つなので当たり前だ。

「ああ、嘘ですよ」

「嘘? そんなの、大丈夫かね」

 室長のカップにまたカフェラーゼが注がれた。

「いいんですよ。どうせ帰る時に、記憶を消しますでしょ?」

「んー、まあ、そりゃそうなんだけどね。なんだか釈然としないなあ。それだけで、あんな風に言うことをきいたのかい?」

「ああ、それ。それはちょっとスパイスをかませたんです」

「スパイス?」

 室長の目が見開かれた。

「そうです。そう言った後、これ実はこっちの世界じゃ法律違反だから、二人だけの秘密だよ、って言ったでしょ」

「ああ、言ってたねえ。私にこれ聴かれてるの知ってるだろうから秘密もへったくれも無い、おかしいな、って思ってたんだ」

 二人でコソコソ言いながら十七世紀の窓を眺める。窓の中のアオイが、何だか忙しそうにしている。元気そうだ。まあ、死んでるよりは良いな。

「でも、あのカタナ男は、秘密を共有した、って思ってくれたようです。いざとなりゃこれをバラしてやる、優位に立てる、って。そう思わせて二人の信頼関係がぐっと高まったんですよ。これで仲間だ、って」

「ああ、なるほどねえ。わざと、なのね。そう思わせたっていうのは凄いねそのテクニック。モローくんはどっかで習ったの?」

 別に習ったわけじゃあないんだけどな。なんか自然に身についちゃってただけで。うまく説明できないけど遺伝的な特質っぽい。

「まあ、伊達に十七年大学課程やってないですから」適当に答える。

 室長は、信じたような信じていないような複雑な表情をして、首をかしげた。


「これは出納帳でござるな」

 後ろからカタナ男の声が響いた。

「スイトウチョウ?」

 振り向いた二人が同時に声を上げた。

「そう。出納帳。これは、工場の商売でのカネのやり取りを記録したものに相違ない。ところがこれ、ちょっと妙だ」

 帳面の立体映像を指差しながら片眉を上げるカタナ男。

「カネっていうのは、お金、ということですか」

「そういうことだ。それが妙なのだ」

「妙といいますと?」

 モローの問いにカタナ男が、やや勿体ぶった態度で説明を始めた。

「出納帳は全部で六冊ある。この六冊は、実は三冊ずつ二組に分けられる。ある時期の記録が三冊に書かれているようだが、それと同じ時期にまた同じ事柄に関する記録があり、それも三冊ある。それぞれ色違いとなっておる」

 どういうことだ。同じことに関する記録の内容が異なるというのは。パラレルワールドか?

 ピンとこない表情をしているモローと室長を見て、カタナ男はじれったそうに説明を続けた。

「わからんか? この二組は、片方は本当で、もう片方は、ウソだ」

「ウソの記録? 何のためにですか?」

 身を乗り出す。

 カタナ男が得意げな表情になった。

「おぬし鈍いぞ。こっちの世界の人間は、裏帳簿も知らんのか。まあよかろう。兎に角、これは悪事の証拠として申し分ない。これを然るべき場所に届ければ、この出納帳を作った人間も、恐らく関係者全員、極刑だろう」

「極刑……」室長の顔がゆがむ。

 なるほど。改ざん不能な情報記録の技術がまだ育ってないわけだ。だから、自分の利益のためにウソの記録を作ることが出来てしまう。それが、これ、ということだろう。

 ふとカタナ男を見る。まだ得意げな表情をしている。ふむふむ。

「で、どっちが本当で、どっちがウソなんですか?」モローがなおも問う。

「そんなのは簡単だろう」カタナ男が呆気に取られた顔をした。「儲けが大きいほうが本当に決まってる」

「なるほど。そういうもんですか」モローは深く頷いた。それを見たカタナ男は満足そうな表情を浮かべ。そしてゼリー食に手を出し、ほおばった。

 モローは室長にウインクすると、パイプ椅子に座った。さあ、カフェラーゼを出して、休憩を……。

 窓でアラートが鳴った。緑色の髪。二十一世紀に行った麻耶だ。

 なんだよもう。休ませてよ。中年は疲れてるんだってば。

〈やっと繋がった! モローくん! ゲラソンが特定できたから、何とかしてそっちに送るわ。でもちょい時間かかるケッチラよ〉

「え、早いですね! っていうか、こっちのデータだと、ゲラソンがそっちに行ったのは半年くらい前みたいなんですけど、なんかゲラソン関係の計算、いろいろと間違ってないですか?」

〈そうケッチラよ。亜空間に入ったゲラソンの痕跡を使って間接的に、ちょいと誘導かけて、いい時空座標に落とした筈だったんだけど、想定より半年もズレて、そのせいか次に玉突きで十七世紀に飛ばされた生き物は犬になって、十七世紀からそっちには、これ、人だけど今度は距離がすごく離れてるのよね〉

 モローは後ろのカタナ男を見た。カタナ男はチラリとこちらを見て、リラックスした表情で横になった。満腹になったようだ。初めのころの張り詰めた雰囲気がウソのようだ。

「そうなんです。そんなに誤差が大きくても大丈夫ですか?」

 窓の中の麻耶は一瞬考えると、すぐに指を一本立ててニコリとした。

〈まあ、何とかなるでしょ。ちゃんと環状になっただけでもラッキーケッチラよ〉

 マジか。ラッキーで繋がったなんて。実は結構きわどいってことじゃん。

〈それに、この二週間でいろいろ凄いこともあって〉

「え、二週間!? あれ、そんなにですか?」

 あわてて時刻を確認する。

 こっちでは四〜五時間しか経ってない。あれ、さっきの感じだと、時間が流れるスピードの違いは二十四倍じゃないのか?

「十七世紀だと、そんなに経ってない気が……」

 ちらりとアオイの窓をみると、そちらも急に飛んでいる。二十一世紀の進み方ともマッチしていない。マジか。

「え、時間のズレ具合が一定してないですね。こっちの二十四倍かと思ってたんですが」

〈そりゃそうよ。キシジマ効果、覚えてないケッチラ!?〉

「いや、名前だけは覚えてるんですが。それにキシジマ云々って凄く多くて……」

 モローは天井を見ながらこれまでの長い学問の記憶を手繰った。

 時空間におけるキシジマ効果、だっけか。確かそんなのが他にも十くらいあったはずだ。

〈そうそう、そのキシジマなんだけど、そのキシジマに接触したケッチラよ。まだ若いけど。十七歳かな〉

 窓にキシジマが表示された。端正な顔立ちの青年だ。

「うお! あのキシジマ博士! 実物ですか! ていうか若い!」

 モローも室長も釘付けになる。そりゃそうだ。現代の物性科学、宇宙物理学、医学生理学など多くの分野ではキシジマの名を避けて通れない。人類史に残る二十一世紀の偉大な科学者だ。その業績は膨大で、モローが名前を思い出しただけでも、キシジマ理論、キシジマ効果、キシジマ予想、キシジマ解、キシジマファクター、キシジマの法則、キシジマ方程式、キシジマ時空、キシジマ現象、キシジマ平衡有棘多面体、キシジマの黄金率、キシジマ均衡、あと原子番号忘れたがキシジミウムもあった。時空航行が可能な宇宙船のエンジンはほとんどがキシジマエンジンと呼ばれている。この第八ワームホールの別称だって「キシジマ」だ。

〈そうケッチラよ。実は若き日のキシジマがこの時空にいるって知ってたから亜空間飛んでる間にナビコン調整して接触しやすいように工夫した、ってのもあるんだけどね。単独じゃ心細いから、いろいろ助けてもらおうと思って。そしたら〉

 麻耶がちょっとモジモジしている。なんだか嫌な予感が。

「えーとまた、何かやらかしたんですか?」

〈いや、そうじゃないの。偶然もあったケッチラよ。というか、うーん、ここに来た時、たまたま位相再生線のすぐ近くにキシジマがいて、というか接近しすぎて、カレンバリアント圧縮した水分子が逆旋回で解放されて、その位相エネルギーが脳細胞に……〉

「端的にお願いします」思わず言ってしまった。

〈結果的にはキシジマの能力が解放されて。というか、そのせい、いや、おかげで、皆さんご存知の、あの天才の、えーと、いわゆるキシジマに『なった』みたい……なの、ケッチラよ〉

 窓の中の麻耶は、てへ、っという表情でペロリと舌を出した。

 モローは、その言葉の意味するところを咀嚼するのに少し時間がかかった。

「……ということは」室長が口を開く。

「麻耶さんが」

〈マーヤ〉

「……マーヤが、あのキシジマを『作っちゃった』ってこと?」

 場が暫く静まり返る。室長を見ると、質問するなり口をあんぐり開けたままだ。気づくと自分の口もあんぐり開いていた。慌てて閉じる。

〈……えへへ。えーと、そう、なる、かなあ? なんちてケッチラ〉

 斜め上を見ながら口笛を吹き始める麻耶。

「ち、ちょっと。よくわからないんですが、キシジマって元々天才だったんじゃないんですか?」口が開きっぱなしの室長を横目に見ながらモローが問う。

〈そ、それなんだけど、元々そういう素因はあったみたいなのよ。さすがに普通の純粋種がちょろっと位相エネルギー浴びたくらいで、ああはならない。なんであのエネルギーで純粋種に影響与えられちゃったのかは今のところよく判らないんだけど。だからもともと、普通の純粋種じゃないのかも。多分、私はキシジマが元々持っていた能力のカギを外しちゃったっていうか、元々普通じゃない天才素因を持ってたのを目覚めさせちゃったっていうか〉

 麻耶が窓の中でくるりと回転した。

〈でも結果オーライでしょ。どうも、天才素因が目覚めてなかったら、あのキシジマはいなかったってことみたいだし。おかげで私はゲラソンをそっちに戻す次元位相転移装置を作るのを天才キシジマに手伝ってもらえて、しかも、天才キシジマがこれから発明発見する膨大なモノ達が発端となって、今のみんなの世界が完成することになるのケッチラよ〉

 だんだん解ってきた。

 そうか。キシジマが天才じゃなかったら、能力が解放されていなかったら、今のこの世界は無い。人工ワームホールも、系外宇宙船も、次元操作法も、高品質バイオロイドシードも無い。ってことは数百億のバイオリッドもいない。自分もいない。麻耶もいない。

 逆にいえば、麻耶のドジ……いや、偶然のおかげで、今の世界ができたってことか。

 まるで「天地創造」じゃないか。

〈だから、捕獲したゲラソンをいつ戻してもいいように、留置カプセル用意しといてケッチラよ〉

「いつ頃になりそうですか?」

 真顔に戻った室長がホロテーブルを操作しながら問う。

〈それは判らない。ゲラソン関係はなんだか計算誤差が多そうだし、時間経過とパラレルじゃないから、こっちの日時で伝えても意味ない感じ。だからいつ転送されてもいいように、すぐ準備しといてほしいってことケッチラよ〉

「了解。倉庫に留置カプセル用意しました。時空座標と位相データ転送します」

〈ありがとうケッチラ! これで準備万端! 次に繋がるタイミングでまた繋ぐね! スタンバてて!〉

 窓の中の麻耶がウインクすると、窓の動きが途絶えた。

 室長のほうを見ると、椅子にもたれて疲れた表情をしていた。

「お疲れ様です。ちょっと向こう――当直室のほうを見に行ってきます」

 さて向こうで休むか。


 当直室に入ると、楓の背中に向かって声をかけた。

「楓くん、そっち、どう?」

 休むつもりで来たものの、一応声くらい掛けないと。

 へんじがない。ただの……

「楓くん!」

 ジローのカプセルを熱心に操作していた楓が、ハッと我に返った。

「あ、モローさん。いや、ちょっと困ったことになったッス」

 またか。

「さっき、オムニペーストと反応した毒素はもう完全に除去したッスよ。それでいったん生命の危機は脱したッスが、意識が戻らないッス。いろいろ調べてみたら、それが」

 嫌な予感がする。こんなのばっかりだ。

「除去する前に、毒素がジローさんの生体組織を結構破壊していたみたいッス」

「え、どういうこと」

「脳に損傷ができてしまって、それで意識が戻らないッス」

「え、脳!? やば。治る?」

「一生懸命やってるッスけど……やっぱシナプス回路の情報って細胞だけを復活させても戻らないんスよね」

「え、じゃあ、このままってこと!? それじゃ、宇宙は!?」

「いや、生きてるから大丈夫と思うんスが。でも、もし帰ってから、何かのタスクがこなせなくて、そのせいで未来――この世界に影響があったら」

 うーんどうだろう。麻耶先輩が会ったキシジマみたいな大人物ならいざ知らず、このジローのようなイチ個人の活動が現代にまで大きく影響するとは思えない。しかし、たった一羽の蝶のはばたき一つがその後の世界が一変させる「バタフライエフェクト」という言葉もある。実際に何が起こるのかは、分らないのだ。

「この人――ジローのタスクって、なんか十七世紀であの出納帳とかいうものを使って悪事を暴く、ってものだったと思う。それが現代に何か影響するかな」

 そういや出納帳そのものは無くなってるんだった。ンマムニに探しに行ってもらっているが、まだ帰ってきていない……。が、そうだ。

「ちょっと調べてみるよ」


 モローはまた警備室に入っていった。

「早かったね。休まったかい?」と室長。

 ぎく。

「い、いえ、ちょっと楓くんのほうの様子を、っていうか、あっちもなんか大変みたいで。ジローさん、生きてはいるんですが、脳に障害が出てしまっているみたいで」

「え、大丈夫なの?」

 室長がカフェラーゼのカップを口から離す。

「いちおう、生きてはいます。そっちは大丈夫とは思うんですが、もし彼が十七世紀に戻ったときに、何かそれで影響が出たら大変かなと」

「ふうむ。彼ってそんなに大人物かね」

 同じことを考えている。

「まあ、小さいことでもちょっとスレッド探ってみないと……」

 ホロテーブルに向かう。ちょろちょろっと手を動かして探そうとするも、そもそも対象を絞りきれない。ベッスのジローエモン、というだけではよくわからないのだ。

「スレッド探るっていっても、どこの誰なのかも分らないんだよね。十七世紀にDNAIDなんて無いだろうし」室長も同様にホロテーブルの上でうろうろと手を動かした。

「そうなんですが、あの『出納帳』がヒントになると思うんですよ。今ジローが抱えてるタスクですから。その流れを追っていけば、あるいは」

 モローは空中で手を振って出納帳の像を窓に表示させた。

「ああこれね。でも、我々には意味わからないんだよね」

 と言った瞬間、室長もカタナ男の存在を思い出したようだ。

「モローくん、ちょいと訊いてみてくれる? さっきの続きみたいになると思うんだけど」

 ほら来た。

「えー私ですか。そこはそれ、重大任務ですから、室長が」

「いやいや、後進の成長を促すってのも、大事な上司の役目なわけだしねえ」

 そう言うと室長は、パイプ椅子に座ったままスイーっと後ろに動いていってしまった。

 もう。早く休みたい。

 だいたい、あまりこのカタナ男に恩を受けると取り込まれてしまいそうでどうにも不安だ。ウソを言うことは無いとは思うが、よく分らない。この男なら、他人の心理をうまく揺さぶって何かをさせる、ということが出来そうだ。

 ちらりとカタナ男の方を見る。静かに座っているように見えるが、こちらの会話を聴いていたようで、モローに熱い視線を向けてくる。いや、やめてよ。

「モローとやら」

 ほら来た。

 まあ、聞きたいことがあるのはこっちだから良いんだけどさ。ってか、これだと心理的に後手に回りそうですごく不安だ。

「見たところ何かお困りのようであるが、拙者に出来ることはあるか?」

 ニヤニヤしている。くそ、やはり足元を見やがったか。

「いえ、先程の『出納帳』についてですが、あれは悪事の証拠、って言ってたじゃないですか。その悪事を行っている場所、って分かりますか?」

 なんだそんな事か、という表情をするカタナ男。

「それは表紙の裏に書いてあった。ここだ」

 カタナ男がなめらかな動きでその部分を窓に映し、そして拡大する。

「しかしこのカラクリは凄いものだ。本当に感心するな」

 モローはあえてその言葉を無視して窓に視線をやるが、やはり何と書いてあるのか皆目見当がつかない。

 そんなモローの様子を見たカタナ男が、大げさに呆れたような表情になる。

「言葉は存外通じるのに、文字が全く通じないとは、どういう事なのだ」

 そりゃ会話はコミュニケーションフィルタ通してるから、と言いたいところをグッと堪える。挑発に乗ってはいけない。

 カタナ男が得意げな表情で指を動かして出納帳のひとつを開いて拡大した。そしてその一部を指差している。

「ここには、顔本城下笠羽団子工場」と書いてある。責任者は、追蛇ついだとかいう武士だな」

 モローには、どこまでが工場の名前なのかもよく分らない。

「で、恐らくはこれが番所に出されたら、この追蛇は極刑になる。前も言ったな。出されなかったら、このまま、追蛇という武士がのうのうと生きていくことになるな」

 そうか。この「出納帳」を出しに行くかどうかで、責任者の去就、場合によっては命の有無が左右されてしまうのか。工場の責任者ということだ。その辺の「どうでもいい人」というのではないだろう。

「ありがとうございます。ところでその、バダンゴ工場、というのは」

「カサバダンゴ、笠羽団子工場、な」

「その、笠羽団子工場、詳しいことをご存知ですか」

 カタナ男はしばし考えるが、首を振った。

「ちょっとそれは知らぬな。が、顔本城というのは、中総国というところにある城だ。そこにある、恐らくはその地域の特産品、しかも新しいモノの工場だろう。そんな名前の団子は聞いたことが無いからな」

 なるほど。とすると、ナカウサノクニとカオモトジョウ、カサバダンゴ、ツイダいう情報について調べれば判るかもしれないですね。ありがとうございます」

 うやうやしく頭を下げる。ふと顔を上げると、カタナ男がこちらに視線を合わせてニヤリと笑った。優位に立ったつもりだろうか。やばいやばい。動揺しないようにしないと。モヤモヤをぐいっと胸におさめる。

 モローはホロテーブルに向かって十七世紀のナカウサノクニについて調べる。一応、リンクしている十七世紀のアオイ周辺の情報とも重ねて調査するものの、こちらはピンポイントの情報ばかりなので、やはり「現代」に繋がる情報は見つかりそうにない。

「室長、手伝って……」

 と振り返ると、すやすやと寝息を立てて寝ている。もう。

 仕方なく一人でホロテーブルの上で手をぐるぐると動かした。

 暫く調査するものの、ツイダという武士の記録はどれをとっても現代に繋がってはいない。こいつが死んでも生きていても、関係ないのだろうか。じゃあ、工場そのものについては――

 と、あった。それらしきもの! というか。これって!

「室長! ちょっと、起きてくださいよ」

 んー? と言いながら、室長が目を開いて背筋を伸ばした。同時にスイっとパイプ椅子ごとモローのそばに寄って来る。

「室長、座ったままだと腰に悪いですよ」

「いいんだよ。腰はすでに悪いんだよ。だから二ヶ月に一度は交換しているのよ」

 室長が座ったままでモローの横から窓を見る。

「これ、あの『出納帳』にあった情報から、現代にどう繋がっているかを調べたんですけど、ちょっとかなり大きいアレですよ」

「アレってなんだ?」

 室長のツッコミに少しいらつく。

「まあ、見てください」

 口元だけで笑顔を作りながら、視線を窓に促す。室長はそれを見ながら、情報を動かしている。

「ほ。ほほう。こ、これね。っていうか、フクトメファクトリーの前身だったのね、その十七世紀の工場って……」

「そうですよ。二十一世紀に独占的にあのキシジマと協力しあってキシジマ理論とキシジマ合金をいち早く応用し、十二の人工ワームホールと数千におよぶジラソリウム独占大工場団を束ねる現代のフクトメファクトリーコングロマリットに繋がる、おおもとの工場です」

 その威容をイメージしている様子の室長を見ながら、なおも説明を続ける。

「そのフクトメファクトリーの前身が、この団子工場です。それで、ここ見てください

 窓の情報の一部を拡大してタッピングし、ある場所をマーキングした。

「十七世紀に、悪事を告発されてツイダという武士がその工場の工場長をクビになり、処刑されます。その後釜に座ったのが、その地域の有力者ですかね、このフクトメという人間で、凄く有能な人間のようです。それ以来、工場が大きくなっていき、二十一世紀のフクトメファクトリーに繋がり、それが現代に繋がっているわけです」

「ってことは。もし、あの出納帳が見つからなかったら……」

「ツイダは処刑されず、優秀なフクトメは工場を運営せず、二十一世紀のフクトメファクトリーは存在せず、キシジマ理論を使ったテクノロジーは普及せず、人工ワームホールも、この世界の大半も……」

 室長と鏡のように目が合った。

「やばいね」

「やばいです」

 室長は視線を斜め上に逸らすと、空中に向かって声を上げた。

「ンマムニくうん、そっちの状況、どう? 見つかった?」

 少し遅れて、ンマムニの顔が窓に現れる。

〈あ、それが、ちょっと転んで足を挫いてしまって、しばらく動けなかったんです〉

((……))

「えーと、場所は、分かってるよね? 掃除ロイドがゴミを集積する場所」

〈あ、それ聞いてなかったです!〉

 モローは黙ってホロテーブルに手を伸ばした。

「座標送るから、そこ行って」

〈あ、モローさん。でも、足いたくて〉

((……))

「……わかった。じゃ、ちょっと戻ってきて」モローが目を閉じたまま話す。

〈足いたくて戻れなくて〉

「じゃあコンパクトライドで」室長がイライラしている。おれもイライラしている。

〈わかりましたー〉

 窓が消えた。

「出納帳、もうダメですかねえ。溶解処分されてるかもしれないですね。こんなに時間経っちゃったら」

 モローの言葉を聞いて眉間に皺を寄せていた室長の顔が、ふと明るくなった。

「あ、でも、この証拠が無くても、あのジローだっけ? あいつが十七世紀に戻って証言とかすればいいんじゃないの?」

「いや、それはほら、脳が」

 室長は先ほど当直室でジローに起こった事態を思い出したようで、顔が青黒くなった。

「い、いや多分でも楓くんがちゃんとしてくれるんだよねえ!?」

 いや、どうかなあ。あの状態じゃなあ。楓くんも慌ててたし。

「口で言うだけじゃ、ダメだと思うぞ」

 いきなりカタナ男が口を挟んできた。鋭い、まさにカタナのような口調だ。思わず振り向く。

「なんの証拠もなけりゃ、有力者に握りつぶされるがオチだ。相手は武士だそうじゃないか。そのへんの普通の人間の『証言』なぞ、まあ無いのと同じだ」

 室長の開いた口がさらに大きくなった。まるでそこからダチョウの卵でも産みそうだ。

「つ、詰んだ! ダメだ! 世界は終わる!」

「い、いや、大丈夫ですよ室長! このスキャンデータから実物を再現すりゃいいんですよ!」

 両手を振って慌ててとりなす。単なる好奇心とはいえ、さっきスキャンしといてよかった。

「はっ! そうか!」室長が安心した表情になった。「早速やってみよう!」そう言いながらホロテーブルの上で手を動かしている。

 窓をじっと見つめる。インジケーターが光った。

《素材データ不足につき、完全再現不可能。最大再現率八パーセント》

 あちゃー。記録された情報を見たかっただけなので、表面的な形と色のみクイックスキャンしてたんだっけ。

「八パー……。とりあえず、やってみよう!」

 室長が急いで再生の操作をする。

 その姿をあまり期待しないで眺めるモロー。

 しかしまあ、形さえあれば、何とか騙せるかもしれない。

 モローは、空中にじわじわと出力されてきたそれを手に取った。

「んーと、さっき触ったときと、触感が全然違いますね。この、中の奴も、もっと柔らかくしっとりしてて、不思議な匂いもしましたし」

「に、匂いかあ。それはちょっとね。でもさ、せめて手で触った感じだけでも再現出来ないかね!」

「そう言われましても……」

 モローはさっきの触感を思い出しながら、様々なパラメータを調整する。植物からの繊維を圧縮接着したもの、という記憶を頼りに、様々な素材データを組み合わせて数種類の「出納帳」を出力してみた。数パターンが空中に出てきた。それらを手に取り、比較する。

「んーと、比較的近いのは、コレですかね」

 手に持って室長に見せる。室長はそれを受け取ると、首をかしげながら手であちこち触っている。

「うーん、オリジナルが分らないと、なんともいえないねえ」

「ちょっと見せてみろ」

 カタナ男の声が耳に刺さる。なんか段々偉そうになってきたな。

 モローはその「出納帳」をメディカプセルの受け入れ口にセットした。「出納帳」がカプセル内に吸い込まれていく。

 カタナ男はそれを手に取り、しばらくいじり回していたかと思うと、途端に大声で笑い出した。

「これが出納帳だと? 何で出来てんだ? 紙じゃないな? 文字も、なんだこれ。墨じゃねえ。筆致も感じねえ。人間が書いたもんじゃねえよ。これじゃ、偽物どころじゃねえ。ただの不気味なゴミだ」

 ぽいっと放り投げられた。

 ショック。

 室長がパイプ椅子に深く腰を沈めると、椅子は室長を乗せたまましゅるしゅると後ろに下がっていってしまった。

「ちょ、ちょっと室長……」

 室長の目はあらぬ方を見ながら、半分閉じられてしまっている。もう何も受け入れません。私は人間椅子。そんな態勢だ。

 でも確かに、あとはやりようがない。情報自体が決定的に足りない。ましてや、その時代の人間、常に同じものに触れている人間を騙すレベルで作ることは、おそらく不可能だろう。

「……室長、とにかく出納帳の現物、探さないと」

 室長は無言のままだ。

 もう、自分がやるしかないのか?

 しかしもう動くのは嫌だ。疲れているのだ。へとへとだ。

「室長!」

 モローは両手で室長の肩をゆさぶり、じっと目を見た。

「これが最後の大仕事ですよ!」

 すると、室長の体がピクンと反応した。やった。

「……わかった。行こう。それが、私の仕事だ」

 そう言うと室長はにょろりと立ち上がり、姿勢を正して出口に向かった。

 振り向きざまに「そう、これが終わったら、隠居するんだ……」

 生命力が一段と低くなったようにみえる室長を、モローは静かに見送った。

 さあて休むか。

「おい、あれ、まずいぞ」

 カタナ男の声だ。またか。休めないじゃん……。

 窓を見る。十七世紀のアオイだ。瞬間、心臓がドクンと動き、疲れがふっ飛んだ。

「え、あれ、何やってんですかね」

 窓の中には、それまでとは打って変わって不安げな顔で暗く狭いところをゴソゴソと這いつくばっているアオイがいた。 

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