カタナ

「モローさん、起きて下さいッス」

 モローは椅子の上でビクンとジャーキングを起こしてズリ落ちそうになりながら覚醒し、急いでをすすり上げた。

「この男、何とか息を吹き返しました。イッツアライブ、ッス」

 ヒトなんだからイッツじゃないんじゃないか、と思いながらモローはメディカプセルのほうに目を向けた。透明のカプセルの中では、さっきの男が座っていた。膝を大きく左右に広げつつ曲げ、カプセル内で背筋を伸ばして岩のようにじっとしている。

 目を閉じて静かに座っているその男を見て、不思議な感じを受けた。目を閉じているのに、こちらを伺っているような、むしろ目以外のもので周囲を感じ取っているような、そんな雰囲気だ。

 動いたらやられる、とすら思う。

「楓くん、なんだか普通の人と違うようだなあ、この人」

 楓は、ちらりとメディカプセルの表示を見てから応える。

「そうスかね。でも、検査数字の上では一応、純粋種の普通の人間ッスよ。ただ――」

「ただ?」

 楓が困惑した表情になった。どう説明すれば良いのか、言葉を探しているようだ。

「脳活動レベルに比して、全身の緊張度が異様に低くて、弛緩してるッス。ビンビンに覚醒してるのにリラックスしてるッスよ。一人の中に二つの状態が同居してる、って感じッス」

「それは何か問題があるの?」

「うーん、なんていうか、純粋種でこんな状態になってるの、見るの初めてッスから」

 なんだか分かんねえな。

 すると楓がするするとモローの側に来て、顔を寄せ耳打ちした。

「聴いてるんッスよ。さっき意識を取り戻してから、ここでの会話とか。脳反応がそうなってるッス」

「聴いてる? まあ確かに……」

 さっき感じた、目以外の全てがセンサーになって空間全体を探ってるような妙な雰囲気にも当てはまる。会話はもちろん聴こえてるし、下手したら、目を閉じていてもこちらがいる。

「でもまあ、聴かれてもいいかな。さっきの武器――『カタナ』、ある?」

「そこに置いてあるッス」

 先ほどの「帳面」のあるあたりに、カタナがごろんと置いてあった。

 床にしゃがみ込み、じっと観察する。一端は握れるように繊維質のものが巻いてあり、金属が露出した部分はゆるくカーブしながら次第に細く、美しく、そしてなんだか凄く惹かれる形と光沢をしている。

 モローはかつて仮想時空を使った戦闘ゲーム――ホロベンチャーで出会ったモブキャラの一人を思い出していた。そう、こんな感じの武器を持っていた。全体として無駄に装飾が多くて非合理的に見える派手な防護スーツを着用している異様なキャラだった。そいつだけ、雰囲気が他のキャラと際立って異なっていたのを覚えている。

 ホロベンチャーでは、通常モブ相手なら無双できる自信があるモローだった。しかしその派手な防護スーツとこの武器「カタナ」を身体の前に静かに構えられ、そしてそのまま静止している姿に対峙された瞬間、思わず自分も動けなくなってしまった。その直後、後ろから別のキャラにやられたんだった。

 あれに似ている。

 そっとカタナの端、握りの部分に手をかけ持ち上げようと力を入れた瞬間、背中に何かが突き刺さるような衝撃を感じた。

 思わず振り返るとカプセルの中の男が目をカッと見開き、こちらを目でじっと射すくめていた。その瞬間、手から力が抜け、カタナが床に落ちてガタンと音を立てた。手のひらに汗がにじんでいる。

 気づくと全身が震えて硬直し、そして身体がコントロール出来ない恐怖に襲われていた。

「あ、瞬時に全身が緊張したッス!」

 楓の声が遠くから聞こえるが、視線を男から外すことも出来ない。

 そのうち、男が静かに目を閉じ、また元の状態に戻った。同時にモローは全身の震えが収まり、そして力が抜けるのを覚えた。

 よろよろと立ち上がってパイプ椅子を呼び寄せ、なんとか腰を落とした。

「か、楓くん。今、なにが起こったか、分かる?」

「え、一瞬にして男の全身が緊張状態になって、今にも動き出す寸前だったッス。それが急にまた弛緩というか、リラックスというか、さっきみたいな不思議な状態になったッスよ。こんなに急激に二つの状態を行ったり来たりするなんて、一般的な純粋種の身体スペックじゃ珍しいッス」

 カプセルから浮き出ている情報を手で操作しながら、興味深げに語る楓。

 一般的な純粋種だって? そんな筈はない。さっきのは超能力か何かじゃないのか? 知ってる限りでは、純粋種はもちろんバイオロイドやバイオリッドにもそんな能力を持つ奴はいない。そんなのはSFの中のお話だ。

「みつけた!」

 室長の大声が響く。

「え、何をですか!」モローが振り返った。

「ほら、二十一世紀に飛んだゲラソンに押し出されて、二十一世紀から十七世紀に飛んだ生き物。こいつだ」

 室長が促す窓を見る。一瞬戸惑う。

 なんだこれ。

「犬……ですよね、これ」

 窓の中では、毛の長さがところどころ違う薄汚れた中型犬がもぞもぞと動いていた。色はベージュに見えるが、ひょっとするとそれも汚れなのかもしれない。

 困惑したモローの方を見もせずに室長が続ける。

「そのとーり! 犬だ。まごうことなき、犬だねえ。いやあ苦労したよ。人間ばっか探してたから」

 そうだよな。ゲラソンが押し出したんだから、ゲラソンと似た体格の生き物を探すのがセオリーだ。……っていう自分の考え方がちょっと浅かったのか?

 振り返って楓の方を見る。楓は、十七世紀の世界よりも、十七世紀の男個人のほうに興味津々のようだ。ずっとカプセルに掛かりっきりになり、必死に何やら観察している。

「けど、なんだかおかしいんだ」

 室長がホロテーブルを撫でながら続ける。

「ゲラソンってさ、亜空間に落ちたの、ついさっきだよね。麻耶さんのちょっと前くらいだから。だけどこの犬さ、二十一世紀から十七世紀のココに来たの、今より一ヶ月くらい前なんだよね」

「え、じゃあ、ゲラソンが押し出したのと違うんじゃないですか? 大きさも全然違うし……」

「僕もさ、最初そう思ったんだよ。でも、麻耶さんがくれた誘導痕跡データ解析しても確かにこの犬なんだ。というか、それどころか」

 室長がようやくこちらを向いた。

「この二十一世紀の犬を十七世紀に押し出した側のゲラソンが、二十一世紀に出現したの、どうも半年くらい前みたいなんだよね。さらにさらに」

 まだあるのか。

「あの男」室長がメディカプセルを顎で指す。「あの男が十七世紀からココに来る前にいた場所、なんかこの犬がいた場所とかなり離れてる。五百キロメートルくらい」

「そっちは時間じゃなく空間ですか」

「そうなんだよね。にしては、なんかいろいろと大きくズレてる。麻耶さんは、時空座標を計算して環状になるように誘導した、って言ってたけどさあ。まあ彼女が言うには、ってことなんだろけどね」

「じゃあ麻耶先輩が計算違いしたんじゃないですか?」

「僕もそう思ったんだけどね。でも、あの麻耶さんだしなあ」

 確かに。抜けてるところはあるものの、あの麻耶先輩が単純……いや複雑な計算でもミスをするとは考えられない。というか計算自体は演算デバイス併用でやってるから、自動的に検算されているはずだ。

「何か予測不能な要因でも加わったのかねえ」

 あの麻耶先輩に予測不能なことが、自分達に判るのだろうか。

 モローはなんだかモヤモヤとしてきて、それを振り払うように頭を大きく回した。しかしすっきりしない。そのうち考えるのをやめた。

「かわやを借りられるかね」

 カプセルのほうから声が聴こえた。見ると、カプセルの中の男が目を開いて楓のほうを見ている。表情や雰囲気には先ほどの緊張感はなく、リラックスしているようだ。まるで別人だ。

「かわや? 何スかそれ」

「かわや。拙者、小便がしたい」

「小便。ああ、どうぞ、そこでそのまましていいッスよ」

 そっけない楓の返答に、男が困惑顔になる。

「ついでに体表面を清浄化しておきますよ。大丈夫ッス。綺麗になるッスよ」

 男は表情を変えずにじっと楓を見つめた後、絞り出すような言葉を発した。

「そう見られていては小便なぞ出来ん」

 楓はヤレヤレといったしぐさをしてカプセルの表面を撫でた。瞬時にカプセルが白色の不透明になる。

「そういえば、その男にしろ、ンマムニが連れてった男にしろ、何食べさせたらいいんだろう?」

「さあ。知らないッス。普通の純粋種食とか汎用オムニペーストでいいんじゃないッスかね。でもこの数値見ると、こっちはまだそれほど空腹でもないッスよ」

 カプセルの方を見ながら答える楓。

「ちょっと向こう、ンマムニのほう見てくるわ」

 楓がカプセルから目を離さずに無言でうなずくの目の端で感じ、モローは警備室を出て隣の「当直室」に入った。

 ふう。確か当直室の窓管理システムは一部が故障していたはずだ。だから向こうのほうが休まりそうだ。


「ンマムニくーん。大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 灰色の椅子にはンマムニ、壁際の同じ椅子にはやや緊張した表情の「ジローラモン」。

 なんだかこっちはいきなり色んな窓も開かなくて平和だなあ。あっちにいると麻耶先輩の仕事で大変だし、なんかあっちのカプセルの男は変だし怖いし、ずっとこっちがいいなあ。

「ンマムニくん、交代しようか?」

 ンマムニが頭をふるふると横に振った。「向こう……怖いので」

 なんだよ。それでよく警備のバイトが務まるな。

「あ、モローさん、このジローエモンって人ですが、空腹のようです」

 ジローラモンじゃなかったのか。

「そうそう、ちょうど良かった。そうだよ。ンマムニくん、純粋種だったよね?」

「あ、はい」

 今更何を、という顔をするンマムニ。

「いっつも何食べてる?」

 ンマムニがじっと考えている。考えるような事だろうか。

「実は、オムニペーストだけなんです」

「オムニペースト! あれ! だけ!?」

「そうなんです。それで十分なんです。美味しさも要らないので」

 ンマムニは表情も変えずにさらりと応える。

 モローはあの、無味の中にうっすらと苦味ともエグ味とも渋味ともいえない不自然な味が混じるオムニペーストを舌先に思い出して、思わず顔をしかめた。 

 いやあれ、トッピングで味を着けないとヤバいだろう。すごく。

「食べられるの? あのままで」

「お金がなくて」

 寂しいこと言うなあ。でも確かに、純粋種ならば完全栄養食のオムニペーストだけでも十分生きてはいけるし、それだけなら格安だ。むしろオムニフード社はそれをわざと安くまずく作って専用トッピングで儲けるトッピング商法で有名だ。

 まあ味が気にならないというならお金も時間も無駄にならない最高の食事ではある。

「彼――ジローラモンだっけ」

「ジローエモンです」淡々と答えるンマムニ。

「面倒だ。ジローでいこう。ジローさん。お腹が空いてるんですか」

 次郎右衛門はコクリとうなずく。動作が固い。緊張しているのか。

「大丈夫ですよ。ここは安全です。これ、食べ物です。食べてください」

 モローは掌にバナナほどの大きさの緑色をしたオムニペーストのチューブを出し、それを次郎右衛門に渡した。経費だとこれが限界だろうか。悲しいけど必要十分だもんな。トッピングをサービスするほどには当座の持ちキャッシュが無い。仕方がない、これで我慢してもらおう。

「これは一体……」

「ああ、キャップを外して、口で吸うんです」

「き、きゃっぷ、とな?」

 次郎右衛門が、受け取ったオムニペーストのチューブを握ったりひっくり返したりしながら興味深げに眺めている。

「これを、こう」

 モローはいったんジローの手からチューブを取り上げると、目の前でキャップを外してやった。ついでに、先を口に持っていき、チューブを絞る真似をした。

 チューブを返された次郎右衛門は、同じ仕草で中のペーストを口に含んだ。

「というかジローさんはどういう状況からここに来たんだろう」

 モローの問いに、ンマムニは天井を見ながら答える。

「それ、さっきちょっと聞きました。どうも、工場から逃げてきたようです」

「工場? 何の工場?」

「よくわからないのですが、おそらく食べ物の工場だと思います」

「食べ物か……」

 次郎右衛門を見ると、チューブを持って、先端から出ているペーストをじっと見つめたまま、悲しそうな顔をしている。一口は食べたようだ。

 そうか。やはりまずかったか。そう、まずいもんなあ。解るよ、その気持ち。しかし八百年経っても味覚ってあまり変わらないもんなんだな。

 モローはちょっと申し訳ない気持ちになってきた。

「ジローさん、急に申し訳ありませんでした。実はいろいろと事情がありまして、ここに来ていただいたのです」

 次郎右衛門はまた緊張した顔に戻った。

「どのような事情か話して下さらぬか」

 モローは次郎右衛門の目をじっと見る。そりゃ説明しないと納得しないだろう。不満で暴れられたりでもしたら、無駄にリソースを食う。

「えーとですね。実は我々の世界に病気が流行っていまして。病気はとある工場で働いてる人から出たんですけどね」

 次郎右衛門の視点が落ち着いた。興味を示している。

「その病気の原因を作った人間が逃げたのです。それを捕まえるために、人の『入れ替わり』が必要だったんですよ」

 次郎右衛門はしばし考えているようだ。

「とすると、拙者に成り代わって誰かが別巣の町に行った、ということか?」

「ベッス……? あ、ジローさんのいたところですね。そういう感じです。なのでジローさんにはしばらくここにいていただく必要があります」

 まあ、そう説明するのが無難かなあ。どうせ返す前に記憶は消しちゃうつもりだけど。さしあたり落ち着いて元気でいてもらわないと、事態が複雑化して、下手したら世界が滅びる。

「そうであったか。ならばお困りであろう。驚いたことに、実は拙者も似たような事情があった」

 ほほう。まあ聞いてみよう。この人を押し出した二十一世紀人のサポートに必要かもしれない。

「拙者は団子の工場で働いている。そこでは工場の主のせいで皆が苦しみ病気も出ている。その原因を作っている奴を捕まえるため、いろいろ隠れて動いていたのだ」

 なんだ。どこでも似たような問題あるんだなあ。

「それで、その証拠を見つけたので、それを番所に届けようとしていたところ、急にここに連れてこられたのでござる」

「番所?」聞き慣れない言葉だ。

「番所、悪い奴を捕える場所だな」

 なるほど。県警みたいなところだ。

「とすると、持ってらしたものが、その証拠というわけですか」

「そうだ。あれはとても大切な物だ。あれが無いと、悪い奴を処罰することができない。是非お返し願いたい」

「もちろんお返しします。ンマムニくん、またしばらくここで相手しといてね」

「わかりました」

 ふう。結局休まらなかった。さて警備室に、と。疲れるなあ。


 警備室に戻るなり、室長の声が響いた。

「モローくん、見つけたよ。麻耶さんに押し出されて十七世紀に行った二十一世紀の人間。こっちは簡単だった。この女だ。そしてこの女が出た場所から、さっきの小男がこっちに押し出されたんだ」

 そちらを見ると、窓にいくつもの属性データが表示されている。この女、というのは十代の少女のようだ。どこかで名乗ったのだろう。「タケダアオイ」という名前が見える。ちょっとぼうっとしていて、知的レベルはあまり高くなさそうだ。まあ昔の純粋種なんてそんなもんか。

「こっちのほうは、あの犬とかと比べると時空座標にそれほど誤差が無く、自然な押し出しに見えるね。麻耶さんとの体格差もほとんど無いし」

 前のゲラソンの時とはだいぶ違うな。ゲラソンのほうは報告されていた体格データにミスがあったのだろうか。

「まあ室長、結果オーライでしょう。で、十七世紀に飛んだこの二十一世紀の女をここで遠隔サポートするんですね」

「そうなるね。さっきの犬と、この女、だねえ。十七世紀で死なせないように、何とかしないと」

「そうですね」

 っていっても、八百年後から出来ることは限られてる。

「とりあえず、犬は体調管理リンクさせて、飢えないように食べ物の探索を中心にサポートをやろっかな。問題は女のほうだなあ」

 室長が独り言のようにぶつぶつとつぶやきながら、てきぱきとホロテーブルを操作しはじめた。

 モローは窓に映った少女の各種パラメータを見る。生命力は十分なように見える。命に関わるような病気もなさそうだ。

「サポート難しそうですか?」

「まあ犬と違って、この女が自分で自然界から食物を探すのは難しいんじゃないかなあ。二十一世紀といえばそれなりに文明化されてるし、道に落ちてるものや自然に生えてる未加工のものを探して食ったりは、まああんまりしないだろう。って、ありゃりゃ、ちょっと危ないなあ」

 室長がつぶやく。モローも窓を見て不安を覚えた。

「この界隈、なんだか物騒ですね」

 二十一世紀の少女――「アオイ」が押し出された場所は、十七世紀の小集落だ。周囲には荒れ地が広がる。センサーによれば、集落の人間は基本的に善人が多いようだ。しかしその周りの荒れ地に、やや「悪意」を示す赤い点の表示が散見されている。

「なんだろうね。この荒れ地の草むらに数人ずつ数グループ、やばい奴らがひそんでいるようだ。盗賊とかかね。昔、アリババと四十人の盗賊とかいただろう」

「それはまた別の文明じゃないですかね」

 この赤い点の人間たちはアオイを直接狙っているわけではないようだが、これはリスク要因だ。放置していてはいつか偶然にも接触して被害にあうかもしれない。

「室長、排除しときましょうか」

「でもあまりと問題になるんじゃないか。死んだりしたら……」

「でも、アオイが死ぬよりマシですよ」

 モローがホロテーブル上の手をゆるゆると動かすと、赤い数個の点が黄色くなり、薄くなった。

「ちょっと動きを鈍くしました。他人を攻撃する能力はしばらく無いでしょう」

「ああ、そんな感じでいいのか。いい勘所を掴んでるねえ。さすが長期大学生」

 ほめてんだか何だかわからんな。

 なおもアオイの状況を確認する。大きめの建物の中に入り、食事を摂ったようだ。これで一安心。

「悪意の無い保護的な人間に複数接触しているようなので、まあ一安心ですね。この状況が維持されるならば、なんとかなるかもしれません。ああ、そうだ。ついでに」

 モローはふと思いついたアイデアをホロテーブルに入力して実行した。

「さっきの犬の嗅覚に対して、このタケダアオイの匂いへの親和性を高めました。ポジティブリンクです。それで、この犬はアオイに懐き、アオイはそれを可愛がり、互いに保護し合う関係になります。一緒にいる時間も増えて監視も簡単になりますし。それに孤独は人間をネガティブにして病気になりやすくさせますし、判断力も鈍らせますから。当面のメンタル健康のためにも」

 室長が感心したような表情で腕組みをしながら頷いた。

 さてと。状況的には、「ゲラソン・犬・カタナ男」と「麻耶・アオイ・次郎右衛門」という二つの環状関係ラインを両方とも存続させねばならない。ゲラソンは麻耶に任せる。カタナ男と次郎右衛門はとりあえずこの施設に保護されている間は大丈夫だろう。問題は十七世紀だなあ。今後もずっと保護的環境にいるのかどうかは、結局はわからないのだ。

 思ったよりも休めないかもしれないぞ。うまく適当な時間を見つけて休まないと……。

「モローさん!」

 またなんか来た。楓の声だ。カタナ男のカプセルの方を見る。透明に戻っている。小便は終わったのか。

「この男、徐々に空腹度が上がってきていたんで一応ゼリー食出したんッスが、手をつけないッス。どうしたらいいんスかね」

 俺に訊くなってば。

「楓くん、病人が栄養失調だったらどうする?」

 モローはわざと試すように質問をした。

「栄養ガスを吸わせてもいいんスけどね。なんかそれじゃ面白くないッスよ。せっかくの十七世紀の純粋種なので、どうせなら十七世紀と同じく口から食事をさせて、観察してみたいッス」

 なんとまあ。こんな状況でも好奇心旺盛なんだな。さすがハイパー医学生。

「でもこれ、十七世紀のゼリーじゃないだろう」

「そこはそれ。現代の純粋種との消化吸収機能の比較ッスから、ゼリー条件は揃えるんス」

 なんだか話をしていても疲れそうだ。

「モローさん、説得してくださいッス」

 なんで俺が。そんな個人的な趣味に付き合わせようってのか。まあ、楓くんにはいろいろ助けてもらってはいるしなあ。

 しぶしぶメディカプセルに向かう。

「えーと、空腹のようですね」

 カタナ男は床に座ったまま、じっと目を閉じている。カプセルの内側に飛び出た容器には、ミカンほどの大きさをした円柱状の無色半透明のゼリー食が乗っているが、興味をそそられていないようだ。

「ひょっとして、これを食物だと思ってないんじゃないの?」

「え、そうッスかね。そういえばそうかもしれないッス」

 ハイパー医学生は医学以外には疎そうだなどうも。

 仕方ない。ダメ元で説得してみっか。

 モローは作り笑いを浮かべながらカプセルの内側に向かって話しかけた。

「お疲れでしょう。食事はいかがですか」

 カタナ男は無言だ。微動だにしない。目も閉じたままだ。

「私は、モロー・デ・ヤンス。ここの警備員です」

 反応がない。くそ。どうしよう。

「あのカタナ、格好いいですね。私、カタナ好きなんですよ」

 部屋の隅を指して話しかける。男は薄目を開けてちらりとカタナの方を見たが、また目を閉じてしまった。

 だめだ。

「なんか変だな」室長の声だ。

 モローはカタナ男の側を離れると、室長のほうに向かった。

「どうしたんですか」

「十七世紀とのリンクが一定周期で途切れるんだけど、復活する度に違和感があってさ。よく見てみたら、その度になんか一日とか飛んでるんだよね」

「飛んでる……って、どういうことですか」

 いちおう訊いてみる。でも聞いても解るんだろうか。

「一時間くらいに一回のペースでリンクが一瞬だけ繋がって、すぐ途切れる。途切れるけど情報量としては一時間分くらいはあるんだよ。一時間分、観れる。それを監視してるんだけど」

 わけがわからん。

「室長、そういうのは、時空間物理クラスタとかに訊いたらいいんじゃないでしょうか」

「でもモローくん。よく考えたらこの案件って、やっぱあんま、公に出来ないことだよねえ」

 言われてみりゃそうかもしれん。ゲラソンが逃げたことは、まだ公式発表されていないのだ。じゃあ無理か。

「……で、一時間ごとに一日飛ぶってことですよね。じゃあ、十七世紀は二十四倍とかのスピードで時間が流れてるんじゃないですかね」

 我ながら適当だ。だいたい、ワームホール辺縁のここと地球じゃ時間の進み方がもともと違うんじゃないのか? しらんけど。

「そうだ、それだ! そう考えよう!」

 マジか。しかし実際そうだとすると、いろいろ問題がありそうだ。

「でもそうすると、結局こっちからの干渉は、タイムラグがありますよね。最大一時間」

 モローは心配になってきた。この心配があまり室長に伝わってない感じなのも心配だ。

「まあそうだね。でもそれは、こっちでもどうしようもないし。あ、また飛んだ。ってではもう三日以上過ぎてるな。あ、いい感じに犬と仲良くなってる。コジロウとかいう名前がついてるな」

 時間のことはどうでもよくなったようだ。まあ確かに考えても仕方ない。こちらからはそれを制御できないのだ。

 さっきの嗅覚への干渉はうまく行ったようだし、アオイとコジロウとかいう犬が仲良くなってるんなら、まとめて面倒見れて便利だ。これで休める。ふう。

 ふと後ろを見ると、カタナ男が目を開けてこちらを見ている。先ほどのような刺さる感じではない。もっと穏やかな表情だ。

 楓はカプセルの表面に出ている情報に気を取られている。

「えーと楓くん、彼、目を開けてるよ」

「え、まじッスか」

 慌ててカプセル内を確かめる。すると、カタナ男は楓の方を向いた。

「開けてくれぬか」

 カタナ男の声が聴こえる。打って変わって静かな語り口だ。

 楓は不安そうにこちらを見る。室長も十七世紀の窓から目を離し、こちらを見る。

 だからみんな、こっち見んなって!

「いいんじゃないですか。開けても」

 投げやりに答えると、楓がカプセルに触れた。

 カプセルがフッと消える。カタナ男は周囲を見回すと、ゆっくりと立ち上がった。

 次の瞬間、楓が後ろ手に捕まっていた。

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