リング

「まずは聞かせてもらおう。ここは一体、どこだ?」

 部屋の隅に、汚い男が立っていた。

「ちょ、ちょっと誰だアンタ! どこから来た!」室長の慌てた声が響く。

 モローは警戒しつつ男を見る。

 しかしなんだこの格好。布か? 布を巻いてるのか? 後ろで束ねた長髪に、髭! 男属性がフルに出てるのか。珍しい。純粋種だろうか。しかし全体的にボロボロだ。そ、そして、なんていうか、変な臭いが。端的に言って、く、臭っ!

「寄るな! まずは答えろ!」

 男は立ったままこちらを睨みつけ、金属光沢のある棒のようなものを身体の真ん前で真っ直ぐ縦に構えていた。そして体全体をぴたりと静止させつつ、張り詰めた空気を漂わせている。

〈おかしいわね。ちょっとゲラソンの体格データ送ってくれる?〉

 窓が現れ、麻耶の顔が映った。背景の様子からは、廃工場へ向かうライドに乗っているようだ。

「そ、それどころじゃなくて」ちらりと麻耶の窓を見ながらモローが応える。

〈どうしたの〉

「なんか、男属性の純粋種と思しきものに襲われて」

〈そ、それ何よ〉

「知りませんよ」

 麻耶の窓と髭面の男を交互に見ながら応える。

「答えられんか!」

 髭面の男の咆哮。

 わ、わかったから大声出すな。

〈なにその野獣みたいな声〉

「その野獣みたいなのが急に出てきたんですよ」

 室長のほうを見ると、いつの間にかパイプ椅子を前に持っていた。

 男は棒を真っ直ぐに構えつつ、動かずにじっとこちらを睨んでいる。

 ンマムニは隅っこにしゃがみ込み、目を閉じて頭に指をあてている。よく見るとどうも気絶しているようだ。

 やおら、室長の手からパイプ椅子が男に向かってぶっ飛んでいった。

「う、ぬ!」

 男は棒と手で身構え振り払う動きをするが、パイプ椅子は空中で分解し、ぐにゃりと変型しながら男に絡みつき、即座に上半身と両足が結束固定された。男はバランスを崩して床に転がった。目と口が見開かれている。驚愕しているようだ。

 さすがの室長。まさにプロの動きだ。伊達に警備室で三十年も……

〈あ、それ、その人ひょっとして!〉

 麻耶の窓から声が響いた。

〈さっきバーチャルドローンを亜空間にブッこんでゲラソン捕捉の計算したんだけど、どうも時間軸を動いて通常空間――四百年ほど前の地球に着いたことが判ったのね。で〉

「よ、四百年前! 二十一世紀ですか!」

〈そう。それで玉突きみたいに四百年前の何かしら、何かの生き物がそこからさらに四百年前――十七世紀に飛ぶのを捕捉したの。そのまま放っておくとさらに四百年前、そしてまた四百年前、って延々と続いてっちゃうのね〉

 脳の中で「動物の玉突き」の図が展開される。どんどん昔に飛んでいくのか。そして、猿とか恐竜とか。え、そしたら……

「どんどん昔に飛んで、三十億年前とかになって、生き物がいないような時代に飛んだらどうなるんですか」

 麻耶が人差し指を立ててウインクした。

〈おっ、するどい! さすがモローくん、伊達に長年大学生やってないわね!〉

 うるさいよ。先に進んでよ。

〈もし生き物がいない時代に到達すると、そこで、ジ・エンド。もう先に飛べないから時空間軸ツリーが崩壊しちゃうのね。だからそれを阻止するために、対応する十七世紀の地球の人間を無理やりそっちの時代と次元リンクして飛んでいくようにして、環状関係になるようにおいたから。だからその人間、死なないようにしてね〉

「え、ちょ、勝手に昔の人間をこっちに送って、それって時空間軸法違反ッス!!」楓の顔が青ざめている。

〈知ってるわよ。私、時間法士の資格も持ってるもの。でも環状関係にしないで放置して時空間軸ツリーが崩壊しちゃったら、この宇宙はどうなると思ってんの?〉

 そんな怖ろしそうなこと、想像したくもない。

「……で、この人間が死んじゃったらどうなるんスか?」

 椅子で拘束されて床に転がったままの男を見つめながら楓が質問した。

 男は目をカッと開いたまま周囲をギロギロと睨んでいる。

〈その人ね、ゲラソンをそっちに戻すときに生きてないと、多分ゲラソンともう一つの生き物が三つの時代をまたいで薄長く広がっちゃって、それはそれで大変にまずいことに〉

 モローは考えないことにした。

「おぬしら! 何者だ! 何をした!」床に転がったままの男が叫んだ。

 うるさいなあ。そう言われても、うまく説明できないよ。

 室長がゆっくりと男の横に行き、床に落ちていた金属の棒を取り上げた。男が身体の前で構えていたものだ。

 それを見た男が凄い形相になった。

「これ、なんだ?」室長がその棒をこちらに見せてきた。

 うーん、どこかで見たような。あ、そういえば。

「あ、わかりました。古代の道具、カタナというものですね」

「カタナ? 何に使うのだ?」室長が眉を寄せている。

「それがそうかは分かりません。分かりませんが、本当にカタナであれば、武器ですね」

「武器? これが、武器?」

 室長が興味深げにカタナの刃を眺めている。

「これで相手を直接切るのか。生々しいな」

「なんせ大昔ですから」

 以前、簡単に単位が取れると聞いて受講した地球武具史のことを思い出した。そこでの説明では、汎用性の高い金属製の切る道具を武器にしたもの、だったはずだ。結局単位は取れなかった。最終試験を欠席したのだ。麻耶先輩のせいで。

〈さ、着いた。行くわよ! モローくん、よろしく!〉

 麻耶の声が響く。

 モローは慌ててホロテーブルに向かう。窓には麻耶の視線の先が表示されている。

「あれは、さっきの」眼の前に小さく光るものがある。

〈そう。亜空間への裂け目よ。これ、不安定だからもう少しで閉じちゃう。中に入らないと、ゲラソンが四百年前の地球のどこにいるか判らないから、入ったらちゃんとモニターしてナビしてね〉

「り、了解です」

 モローは緊張しながら応えた。

〈じゃ、マーヤ、行きまーす!〉

 窓の中央にある光る球体が虹色になり、視界いっぱいに拡がった。そしてその後すぐに、真っ暗になった。

〈つ……つながってま……すかモロー……〉

「つ、つながってます! でも、不安定です!」

 モローは必死でナビスレッドを維持した。楓と室長がいつの間にか両脇に着き、モローをサポートしているのが分かった。

 さすが。責任者と友よ。頼もしい。

 ちらりと後ろを見ると、ンマムニはまだ失神していた。

 三人で必死に操作すると、フッと窓が灰色になった。

 やった! 安定化した。

 緊張がゆるむ三人。

〈亜空間に残ってたゲラソンの痕跡データ送ったから、すぐ解析して! さっきのフルアクセスカード使って〉

「了解です。……そうですね。サケタマ県警が公表しているゲラソンの体格データを使って計算して、二十一世紀の地球、ヤープンカントリー……ってどこだろう。とりあえず時空間座標セットして、マーヤに送ります」

〈さんきゅうモローくん! 誤差どのくらい?〉

「えーとここに出てるのでは、プラマイ空間誤差は十二メートル、時間誤差は八分といったところです」

〈その位なら、そう遠くに逃げられないわね。じゃあこっちも近くの地表に……いや、どっか目立たないところに出せる?〉

 ひー急にそんなこと言われても!

「ち、ちょっと待って下さい!」

 他の二人とリンクして同期操作しながら、モローは声を上げた。

「楓くん! 現地のどこか目立たない所に亜空間の出口が出せるかな」

「確かにいきなり昔の人々の前に……じゃ、大騒ぎになっちゃうッスね」

「ちょっとヤープン歴史クラスタに訊くわ」

「モローさん、そんな繋がりあるんッスか!」

 モローはそれには答えずに、しばし独自の動きでテーブルを操作した。

 二十秒ほどで、窓に緑色の浅いピラミッド状の屋根をした建物が表示される。

「どうもこの座標近くのこの建物、中学高校の課程をやる施設みたい。他の建物に比べて屋根が大きい。その下に、ちょうどいい感じの目立たない空間があるみたいだ」

 モローは空間を特定して拡大し、座標を確定した。

「マーヤ、ちょうどいい場所があったので、その座標送ります。そこに出てください」

〈了解! ありがとー!〉

 返答と同時に室長が機敏に動き、麻耶に座標を送った。

「ふう」室長が動きを止めた。

 モローは三人とのリンクを切って、一呼吸おいた。そしてゆっくりと椅子に座る。

 横を見ると、楓も室長も、すでに手に持つカフェラーゼを啜っていた。

 は、早い。

「とりあえず、麻耶先輩を送りましたね。あとは先輩がうまくゲラソンを捕獲してくれるかどうか」室長に話しかける。

 室長は無言で頷いている。

 ふと後ろを見ると、さっき椅子で縛られた男が倒れている。

 妙に静かだ。嫌な予感がする。

 なんだろう。変だ。動かない。

 床でグッタリしている。

「あ、あいつ! やばい!」

 モローは慌てて近寄った。他のメンバーも駆け寄ってくる。

「い、息が止まってるッス! メディバイス、オン!」

 楓が叫ぶと、壁から透明なカプセルが出てきて男を覆った。

 室長が慌てて男の「椅子拘束」を解除して消す。

「楓くん、だ、大丈夫?」

 カプセルに表示されたものを見る楓。

「いちおう。でもちょっと様子見ッスね」

 楓はそう答えながら、眉間に皺をよせてカプセルのあちこちを触っている。

 こういう時には門外漢には手が出せない。

「やばいよやばいよ……本当大丈夫?」室長が肩を震わせている。

「分らないッス。後はメディバイスの標準治療に任せるしか無いッスよ」

 専門家がそう言うならしょうがない。

 室長と楓を残してモローはホロテーブルに向かった。

 麻耶と繋がっている窓は相変わらず灰色のままだ。

「えーと、マーヤ。ちょっと嫌な感じのことが」窓に向かって気の重い声を掛ける。

 言いにくい。すぐに灰色の窓からマーヤの声が聴こえてきた。

〈モローくん。さっきはありがとう。もうすぐ亜空間から二十一世紀に『出る』と思うんだけど、何かあった?〉

「それが、あの、さっき出てきた奴なんですが」

〈八百年前の人ね。どうかした?〉

「そ、それが、死にかけて」

〈えっ!? 死んだ!?〉

「い、いえ、その、死んではいません。まだ」

 別の窓に麻耶の顔が映るが、動きもぎこちなく、形もかなり歪んでいる。映像までは十分に送れないようだ。

〈ま、まだって……ちょっと、こっちからじゃ私は治療できないわよ! どうすんの!〉

「す、すみません麻耶先輩!」

〈マーヤ〉

「……すみませんマーヤ!」

 しばらく麻耶が無言になる。

〈……まあ、仕方がないわね。楓くんに頑張ってもらって。こっちはこっちのことをやるしかない〉

「は、はい。わかりました!」

 額に脂汗を感じながらパイプ椅子にへたり込む。

「大丈夫かね」

 気落ちした様子のモローを見て、室長が声をかけてきた。

「いやちょっと、なんか疲れちゃって」

「そうか。でも、これを乗り越えれば晴れて室長に」

「いや、なりませんよ!」

 つい強い口調で言ってしまった。慌てて口を強く閉じる。

 室長は一瞬ぴくりと眉を上げたが、すぐにコホンと咳をして近くに椅子を出して座り、カフェラーゼを出した。

 気まずい。

 その時、ポヨンポヨンという呼び出し音とともに別の窓から紺色の制服を着たバイオロイドの顔が出てきた。上に《サケタマ県警本部長》と表示されている。

〈私設ミホロボッチ警備室、OK?〉

 室長が立ち上がり「はい。室長の錨屋です。ご用件は何でしょう」と応じた。

〈貴施設の創業者、麻耶ミホロボッチを探している。あらゆるセンサーに引っかからない。さっきそっちの警備室に行ったことまでは判ってるが、その後の行方を知らないか?〉

 モローは室長と顔を見合わせた。

 これは、言ったほうがいいのか。いやまてよ。麻耶先輩が勝手に次元位相転移装置の改造実験をして、その結果ゲラソンが逃げたのだ。そして逃げたことはまだ公表されていない。機密っぽい臭いだった。

「え、えーと、よくわかりません」

 先に室長が答えた。

 それでいいのだろうか。そういえば警備室内には八百年前から違法に連れてきた瀕死の純粋種がいる。今これがバレたら、計画がオジャンになって宇宙が崩壊……。

「い、いや、知りません」

 思わすモローもそう言ってしまう。

〈しかし、そこに立ち寄った後どこにも居ない、というのは変だろう〉

 訝しげな県警本部長の顔。

「そ、そういえば麻耶先輩は、ジラソリウム工場の巡視の時に何度も亜空間に落っこちたと言ってました。また落っこちたのかもしれません」

〈亜空間か。それじゃ探せない〉

 青みがかった県警本部長の顔が灰色に曇った。

〈また何か判ったら連絡をくれたまえ〉

「分かりました」室長が応えると、すぐに県警本部長の窓は消えた。

 ふう。やばかった。

「御免!」

 メンバーが一斉に声の方に振り向いた。

 そこには、上半身裸で妙な髪型をした小柄な男が立っていた。


「どちらさんッスか」

 楓が問いかける。

「拙者、中総国顔本城下別巣に住む次郎右衛門というものでござんすが」

 また変なのが来た。

「麻耶先……マーヤ!」

 呼びかける。

〈はーい。何かあった?〉

 今度は麻耶の顔が窓に出る。さっきよりは接続が安定しているようだが、映像は平面だ。

「あ、ちょっとまだ接続悪いっすね」

〈そうみたい。そっち、ワームホールのそばだし、時空軸の維持がけっこう難しい。そのうち途切れちゃうかも〉

「そうですか。それで」

「頼もう」男がまた問いかけてくる。

「あ、室長、その男の相手してください済みません」

 室長が男を部屋の隅に連れて行くのを見て、モローは続けた。

「また、多分昔の――十七世紀とかの男が来たんですが、マーヤが二十一世紀に着いたってことですよね」

〈そうそう、ピンポンびよよんケッチラばよ→ん〉

 頭の中がクエスチョンマークで埋まった。見回すと皆、同様の様子で麻耶のほうを見ながら動きが止まっている。

〈ちょっとごめんね。なんか亜空間移動した時、ガリアリウムに感染した全身の細胞結合が緩くなる後遺症が出たみたいで〉

「え、マーヤ、ガリアリウムに感染してるッスか!?」

〈実はそうなの。たまに超高調波が混じった音声を出して細胞結合を維持しないと、身体の形態が維持できないの。崩れてグネグネになっちゃう〉

「超高調波って、さっきの?」

〈モローくん、鋭い! 可聴域では『ケッチラ』って聴こえるけど、実は五十三万ヘルツまでの高調波とミックスされて細胞結合特異的に共鳴する信号になってるケッチラよ〉

 わけがわからん。

 楓の方を見ると、目を見開きながらも、カクカクと首を縦に動かしている。理解はしているようだ。さすがだ。

〈それだけじゃなくて、たまに飛んだり跳ねたりクルクル回転しないと筋線維の細胞が崩壊しちゃう。もうなんだか全然落ち着かないわよ!〉

「そ、それはご愁傷さまで……」

 他に言いようがないではないか。こちらからはどうしようもないし、多分目の前にいても、俺には何も手出しは出来ないだろう。

〈で、何とかゲラソンの居場所が特定できたっぽい。この、出て来た場所の施設に潜伏してるみたいで。何とか潜入できそうだけど、こっちだと使える技術も限られてるから、連れ帰るのはちょっと時間がかかる。っていうか実は〉

 いやな予感がした。

〈実は、自分がそっちに帰るための次元位相転移装置は自分自身に内蔵してるけど、ゲラソンをそっちに転送する装置、持って来るの忘れたの〉

 なんとまあ。まあ、急いでたからなあ。

「どうするんスか」

 メディカプセル内の男をちらちらと見ながら、楓が質問した。

〈まあ、何とかするわ。っていうか偶然、ちょっとラッキーが起こったケッチラよ。それでいけそう〉

 と、そこで、麻耶の顔の動きが途切れ途切れになった。

「ま、マーヤ、ちょっとリンクが途切れそうです」

〈モローくん、モローくん、聴こえる?〉

 麻耶にこちらの言葉が届いていない。やばい。リンクが不安定で、情報の双方向性が失われている。

「えーと、つな」

〈モローくん、多分この後リンク自体が切れちゃうから言っとくね。リンクが繋がったタイミングを見計らって状況報告と指示を出すけど、それ以外はもうモローくん達にお任せするしかないケッチラよ。みんなの総力を結集して、目的と目標を鑑みて、何とかいろいろ推測、予測、想像して自律的に準備とサポートしてね。あ、特に、環状関係になってる生き物は、絶対に死なせないで。ゲラソンはこっちが何とかするから、十七世紀のをおねくぁwせdrftgyふじこlp〉

「マーヤ、マーヤ!」モローの必死の呼びかけが室内に虚しく響いた。

 窓の麻耶は、もう動かない。リンクが切れて、崩れかけた最後の一コマだけが虚しく表示されていた。

「モローくん、完全に切れちゃったのかね!?」

 いつの間にか室長が横に来てカフェラーゼを飲んでいる。

「室長。そうですね。って、あれ、あのさっきの上半身裸の、ジローラモンとかいう男は」

「ああ、あれかい。あれはうるさいから、意識が戻ったンマムニに別室に連れて行ってもらったよ。前に遠隔業務デバイスが故障した時に使ったの、覚えてる? あの当直室。そこでンマムニがいろいろ事情を聞いてるはずなんだけどね」

 室長は笑顔でカフェラーゼのカップを少し持ち上げた。

「ああ、あそこですか。あそこなら安全ですね。あの男、死なせるわけにはいかないですし」

「そうだねえ。我々に出来ることは、この二人を死なせないこと位?」

 モローの頭の中で、さっき麻耶に聞いた二つの感情関係のイメージが展開された。

「い、いえ室長、二十一世紀から十七世紀に移動した生き物がいるはずです。それが死なないようにサポートしないと」

「ああ、そうか。環状の云々だったっけね。でもどうやって探すかね」

「麻耶先輩の最後のメッセージに、一応それらしき時空トレーサー情報が添付されてました。確認してみてください」

 そう言うと、モローは右手を室長に向けた。先ほど麻耶から受け取ったカードが出てきて室長の手に吸収された。

「お、これか。ちょっとやってみよう。苦手なんだけど」

「お願いしますよ室長。ちょっと私、もう疲れてしまって」

 室長は仕方ないなという仕草でホロテーブルに向かうと、何やら操作を始めた。

 ふと、部屋の隅に何かを見つけた。楓達がいるのと反対側だ。

 何だろう。

 座ったばかりの椅子から立ち上がり、腰を曲げながらその物体に近づいていく。

 手を広げたほどの白っぽい薄い直方体の物体が数個、ばらばらと落ちていた。さっきのジローラモンが持ってきたものか。だとすると、触っていいものかどうか。

「楓くん、これ、有害物質とか大丈夫かな?」

 楓が反応してこちらを向く。

「それ、さっきンマムニが連れてった男が持ち込んだ物ッスね。大丈夫ッス。もうチェックと対処済みッス」

 さすがハイパー医学生。ソツが無い。

 安心して手を伸ばし、直方体の一つを取る。柔らかい。薄くて柔らかい物質が沢山重なり、一辺だけが固定されているようだ。固定されてない辺はバラバラに自由に動いて開くようになっている。を見ると、何らかの規則性がある黒い曲線が一面に描いてあった。

 これは意味があるものか。おそらくメッセージのようなものだろう。

「楓くん、これって、何だと思う?」

「そうッスねえ。考古学クラスタに訊いてみたらどうッスか? 自分はちょっと繋がり無くて」

 ハイパー医学生の繋がりは医学だけに特化してんのかね。

 モローはホロテーブルに立って十七世紀を探索している室長の横に並び、同様にクラスタ接続を試みようとした。

「お、モローくんそれ」

 室長の手が止まってモローの持つ直方体に視線が注がれる。

「それって、あれだ。帳面、って奴じゃないのか」

「チョウメン?」

 聞いたことのない単語だが、モローの目の前にサンプルの資料が表示されてきた。

「ああ、これですね。帳面。植物の繊維から出来た長方形の薄い板に炭素で情報を塗り込んで一辺を固定した、物質ベースの大昔の記録媒体ですね。じゃあ、この中の模様はやっぱり何かの情報ってことですね」

「そうだな。まあ、我々には関係なさそうだけど、ね」

 ふうむ確かに。知りたいのは、この男そのものの事じゃなく、この男と入れ替わりに二十一世紀から十七世紀に移動した生き物のほうだ。そっちをまず特定して、死なないようにサポートせねばならない。

 モローはその「帳面」を、床の元の場所に重ねて置き、室長の側で椅子に座ってカフェラーゼのカップを出した。

「ちょっと休憩します。後でまた交代しますんで」

「苦手だけど任せなさーい」

 ちょっと心配になってきたが、もう疲れてヘトヘトだ。

 モローはカフェラーゼのカップから中の濃い琥珀色の液体を一気に飲み、椅子にもたれて眠りに落ちた。

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