第七話 暇そうに見えるんですけど!?

前回のあらすじ


身元不明の女子中学生が銭を数えてゲスい笑いを漏らす回でした。






 遍歴の騎士アルコ・フォン・ロマーノがレモの街に滞在して早一か月が過ぎようとしていた。

 元来気の長い方ではないアルコはそろそろ焦れてきていたし、そうでなくても退屈を持て余していた。レモの街は近くに良い森も持つし、狩猟権を持つ代官の食客ともなれば狩りなど好きなだけ出来そうなものだったが、彼女の仕事が、また矜持がそれを許さなかった。


 暇を持て余したから、というといささか悪趣味ではあるが、保護したからには面倒を見てやらねばならぬという当然の道理から、アルコはしばしばユヅルの勤める施療所に顔を出した。

 施療所と言っても本当に小ぢんまりとしたもので、少しもすれば忽ち行列ができてしまうほどである。いや、小さいながらに行列ができるほどに人気の施療所と言えばいいのだろうか。


 何しろ普通施療所とか施療院とかいうものは、貴族の政策の一環や、金持ちの有志の取り組みとして開かれるものであって、その実態はさほどによろしいものではない。街の薬師が扱うような薬を処方し、傷に包帯を巻き、病に正しい診察ができるのはほんの一握りで、精々が横にならせて加持祈祷じみた呪いをして見せる程度の、それなら神殿にいくというようなものだ。


 神殿は神殿でこれも難しく、確かに癒しの術の多くは神官の用いる法術なのだが、確かな施療として癒しの法術を使える神官は決して多くはない。というのも、魔術にしろ法術にしろ、術というものは往々にして必要に迫られてはじめて開眼することが多く、神殿で祈るだけのものにはなかなか芽生えず、かえって在野の冒険屋などに多く使い手がいるほどなのだ。


 勿論、レモの街の施療院は多くが良心的だ。金銭的な意味でも、施療的な意味でも。もとより代官たる郷士ヒダールゴジェトランツォの気配りの届いた差配で、街の各所には施療院が立てられ、そこに勤めるのはみな医療の術を学んだものばかりである。

 これは領主としては当然のことのようにも思えるが、しかし実践して行うことができているかというと話は全くの別である。医療の術は学ぶに難く、一見して見返りはさほど多くないように思われるからだ。そこを押して通したからこそレモの街では赤子が死ぬことも減り、老人もみな、矍鑠している。


 はじめひなびた街に過ぎないと思っていたアルコも、一月も過ぎれば郷士ヒダールゴジェトランツォがまったく優れた為政者だということがよくよく知れた。彼と彼の一族を代官としてここに置いた放浪伯の慧眼たるや恐るべきである。


 そのように医療においてはまず他よりも随分高水準にあるレモの街であったが、ユヅルの施療所はそれと一線を画す水準にあった。

 というよりは、文字通り、


(格が、違う……)


 のである。


 ユヅルは臆病で、卑屈で、何事にもあたらしく始めることを厭うような娘であったが、怪我人、病人が来るとさっと顔が変わった。大工が曲がった梁を見た時のように、或いは料理人が食材を見た時のように、また或いは船乗りが風と波とを見た時のように、万事仕事を整えた職人のような顔をとる。


 そして目で見て、耳で聞いて、手で触れて、治してしまう。

 この速やかなることは全く尋常ではない。


 まず目で見れば外傷のほどはわかる。耳で話を聞けば、怪我をした時のことや、今どう感じているかがわかる。手で触れれば、実際にどうなっているかがわかる。これは施療院でも行う。行わなくては施療はできない。


 だがユヅルの場合、診察をしたのち、ほとんど流れるようにこれを癒してしまう。

 本人が癒しの術と呼ぶそれは、遍歴の長いアルコにしてもまるで見たことのない類のものである。


 ユヅルは神に祈りを捧げない。言葉で持っても、仕草で持っても、祈りなどそこにはない。高らかに名を呼ばうこともないし、激しい祈祷の身振りもない。


 小さく口の中でなにごとか呟くさまは、魔術師のそれに似ている。それも熟練の魔術師のそれと同じような滑らかさである。そして触れる。時に触れずとも行う。そうだ。癒しの術を。


 ユヅルの目は時々怖くなるほど平坦に見えることがある。子供の擦り傷も、大人の病も、小さな傷も、大きな怪我も、ユヅルはその大小軽重にかかわらず、見て、聞いて、触れて、癒す、その工程を変えるということがない。


 大の男でさえも目をつむるような、馬車に轢かれた哀れな男が担ぎ込まれたとき、人々はみなもう駄目だと思った。施療院ではなく神殿の仕事だと思った。つまり、癒しではなく弔いの時間だと。

 だがユヅルはたった一人、神に祈らなかった。

 目の色を変えず顔色を変えず、ただその倒れ伏した体を見て、聞こえますかと声をかけて聞き、そのねじ曲がった体に触れ、そして、ああ、そうだ、そして彼は癒された。骨は元の形に継ぎ直され、肉は元の形に張り合わされ、血は元のように収められ、命は元のようにそこにあった。

 奇跡だと歓声の上がる中で、彼女だけが、ユヅルだけが怯えたように身を縮こまらせていた。


 ユヅルは不思議な少女だった。

 まだ幼いと言っていいほどにいたいけな彼女はしかし、常に礼儀正しく、自分を抑えるということを知り、そして臆病なまでに卑屈だった。


 これほどの術が使えるのだ、本来であれば天狗ウルカどものように高慢であってもいい。

 或いは土蜘蛛ロンガクルルロどものように偏屈でもいい。

 しかしユヅルはそのどちらでもなかった。


 高価そうな衣服に身を包み、よくよく教育を施され、しかしてその内面はどこまでも卑屈で、内罰的で、自己卑下の塊だった。


 せっせと毎日施療に精を出して大いに稼いでいると思いきや、当人はその銭を一切使うことなく溜めこむばかりで、教えねば金の使い方もわからないのかと危ぶんだほどであったが、幸いそこまでではなかった。


 しかし、これらの矛盾はアルコを、また郷士ヒダールゴジェトランツォを困惑させた。


 ともすればどこかの富豪が、癒しの術を目当てに奴隷扱いしていたのではないか。そのようには思えども、まさか当人に聞くわけにもいかない。


 アルコも何度かユヅルを気にして、街の物見や、食事に連れて行ったことがあるが、その振る舞いは精々が、先輩や上司に食事をおごってもらって恐縮しているといった体を出ない。また、あれやこれやと聞いてくることは割合に当たり前のことが多く、記憶がないというのもどうやら確かのようだった。


 まったく、この少女は何処から湧いて出たのか降ってきたのか。アルコも郷士ヒダールゴジェトランツォも頭を悩ませるばかりである。


 この日もアルコは、施療所での仕事を終えたユヅルを連れて物見に出たが、あれやこれやと興味を示すものの、手は出さない。奢られるのを待っているのかと意地悪な気持ちで、買ってやろうかと声をかければ、きょとんとした顔で見上げてきて、いえ、欲しいと言うほどではないのでとあっさり断られてかえって困惑する。

 年頃の娘ならば飾り物や、可愛らしい小物など欲しがるのではないかと積極的に勧めても見るが、曖昧な微笑みでしかしやんわりと断られる。物欲というものがないのだろうか。


 屋台で串焼きを買った時は食べてもらえたし、食事に誘えばたまには付き合ってくれるが、これも後に残らぬものだからなのか、それとも単に付き合いで食べただけなのか、いまだに判然としない。


 そのようにアルコが一人頭を悩ましているというのに、ユヅルという少女は酷いものである。


「アルコさんて」

「うん、どうしたかな?」

「お暇なんですか?」

「ぐふっ」


 無垢な瞳がかえって辛かった。


 勿論、アルコも暇な身ではない。忙しい中、保護した義理を思って顔を出しているのだ。だがそれを責めようにも、ユヅルの顔にはこう書いてあるのだ。私のようなもののところに来るなんて余程に暇なのだろう、と。彼女は自分の立場というものがわかっていないのだ。


「暇なわけじゃあない。いまも一応お仕事中だよ」

「お仕事中に、私とお茶してていいんですか」

「むしろ人ごみに紛れて、助かる」


 茶屋で甘茶ドルチャテオなどを飲みながら、ようやく疑念を晴らす時が来たかとアルコは胸をなでおろした。


「私は巷を騒がす茨の魔物を追いかけているのさ」






用語解説


・冒険屋

 いわゆる何でも屋。下はドブさらいから上は竜退治まで、報酬次第で様々なことを請け負う便利屋。

 きっちりとした資格という訳ではなく、殺しはしないというポリシーを持つものや、ほとんど殺し屋まがいの裏家業ものまで幅広い。


天狗ウルカ(Ulka)

 隣人種の一つ。風の神エテルナユーロの従属種。

 翼は名残が腕に残るだけだが、風精との親和性が非常に高く、その力を借りて空を飛ぶことができる。

 人間によく似ているが、鳥のような特徴を持つ。卵生。

 氏族によって形態や生態は異なる。

 共通して高慢である。


土蜘蛛ロンガクルルロ(longa krurulo)

 足の長い人の意味。

 隣人種の一種。

 山の神ウヌオクルロの従属種。

 四つ足四つ腕で、人間のような二つの目の他に、頭部に六つの宝石様の目、合わせて八つの目を持つ。

 人間によく似ているが、皮膚はやや硬く、卵胎生。

 氏族によって形態や生態は異なる。


甘茶ドルチャテオ(dolĉa teo)

 甘みの強い植物性の花草茶。

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