第八話 どう考えてもダークソーンなんですけど!?
前回のあらすじ
身元不明の女子中学生を連れまわす事案。
結弦は参っていた。
たまにアルコが食事や見物の誘いに来るのが非常にしんどかった。屋敷の食事以外も食べられてラッキーくらいに思っていたのだが、そこにフラーニョの警告があったのだ。
「あの人、若い娘なら誰にでも優しくしますから気を付けてくださいね」
「え、それって」
「女たらしです」
まさか市内見学のお誘いがデートのお誘いだったとは、さしもの結弦も思いもよらなかった。というより、男子からのお誘いもまだなのに異世界で女性からのアプローチを受けると誰が思うだろうか。
この世界ではそういう趣向に非常に寛容というか、もはや当たり前レベルで受け入れられているらしいが、結弦としてはちょっと待ってほしい。何事にも悟った世代といわれて育った結弦としても、急に受け入れられるかどうかというのは難しい問題なのだ。
なにしろアルコは役者のように顔も良いし、そこらの男よりも背丈もあり、何より振る舞いが紳士的であるから、結弦でもちょっとドキッとすることはある。でもそれはあくまでもアルコの表面の部分にドキッとしているだけであって、アルコの中身や、また肉の体に対してドキリとしているわけではないのだ。
素直に格好良いとは思う。憧れるだけなら楽だとは思う。しかし当事者となると、かえって結弦には気が重かった。
同性愛だのなんだのというところを省いても、結弦はそういう、積極的に意識を向けられることに慣れていなかった。それが好意であれ悪意であれ、人の意識というものは本来、結弦の前で上滑りしてどこかへ流れていってしまうものだったのだ。
けれどこの世界では、時間の流れが穏やかで、そして、意識の逃げる場所というものがない。ただまっすぐに自分に向けられる視線というものが、結弦にはどうしようもなく耐えきれなかった。
勿論、フラーニョの言うのはあくまでもアルコにはそういう性向があるというだけのことで、結弦にそういう視線を向けていると限ったわけではなかった。しかし結弦からすれば、結弦のような平凡な小娘になにくれとなく気をかけてくれ、食事に誘い、アクセサリーや小物をプレゼントしてくるというのは、それだけでそう言う視線だと断定していい気分になる重圧だった。
もし違ったとしたらそれこそ勘弁してくださいよと泣きたくなる。
今日もそのように微妙に胃の痛くなるデートを断り切れず、やんわりと曖昧な笑みで話題を流しに流してきたけれど、喫茶店らしき店で甘いお茶を頂いている時に、ついつい毒が出た。
「アルコさんて」
「うん、どうしたかな?」
「お暇なんですか?」
「ぐふっ」
もう少しで美形が茶を吹く瞬間が見れたのだが、さすがに美形はガードが堅い。ハンカチで抑えられてしまった。
図星だったのだろうかと眺めていると、「頭痛が痛い」と言わんばかりの顔をするのでどうも違うらしい。
「暇なわけじゃあない。いまも一応お仕事中だよ」
「お仕事中に、私とお茶してていいんですか」
「むしろ人ごみに紛れて、助かる」
結弦が訳も分からず小首を傾げると、
「私は巷を騒がす茨の魔物を追いかけているのさ」
「茨の魔物、ですか?」
それはちょっとどころではなく、いやな予感のする響きだった。
「もともと、私が遍歴の騎士だというのは話したっけ」
「う、ん、お聞きしたような気がします」
「まあ、遍歴の騎士というものは有名なものではないからね」
アルコは語った。
この帝国には、かつて戦争で各地を転々と戦いに明け暮れた将がいた。帝国が統一され、聖王国軍を追い返すころには、その功績たるや一人の将に収まるものではなかった。皇帝はその働きを褒め称え、その打ち立てた功績に見合う領地を一所に揃えようとした。
しかしそれは帝国内部にあまりに大きな権力を配するということであったし、なにより、将は自分が一所にとらわれることを拒んだ。故に、皇帝は将が功績を上げた土地をそのまま将の飛び地の領地として配し、将を特別に取り上げることでその代わりとした。
この将が、今の放浪伯ヴァグロ・ヴァグビールド・ヴァガボンドその人であるという。
「……え。その戦争って最近なんですか」
「まさか、大昔さ」
「じゃあ、その、相当お年を召されているというか……」
「全くかなりの御長命だよ。閣下は旅の神ヘルバクセーノに愛されていてね。旅を続ける限りは不死であるという、加護とも呪いともいえる寵愛を受けておられる」
「それはまた……ファンタジーな」
「ふぁんたじー?」
「いえいえ。それで、アルコさんはその……?」
「うん、放浪伯に剣を捧げた騎士は、何しろ領地が帝国全土に散らばっているからね、必然的にあちこち動き回るものも必要になってくるのさ。私はその動き回る方の騎士。これを遍歴の騎士と言うんだ」
「街にいらっしゃる、巡回騎士という方とは違うんですか?」
「巡回騎士はその領地の騎士が、領内を見て回るお巡りさんさ。私はさながら出張ばかりの旅商人でね」
「じゃあ、この街にも出張で?」
「そう、それが茨の魔物さ」
茨の魔物。どこか馴染みある響きである。いやな馴染みが。
「この魔物は、ただの魔獣ではない。人に取り憑くんだ」
「人に……取り憑く」
アルコが語るところによれば、こうだった。
茨の魔物は人に取り憑く。いつ、どうやって取り憑くかはわからない。しかし人の体に取り憑く、隠れてしまう。普段は全くそれらしいそぶりを見せないから、これを発見するのは容易ではないが、取り憑いてしばらくすると段々と成熟してきて、この魔物は本性をあらわにし始める。
最初のうち、それは取り憑かれた人間の性格の急変という形で現れる。急に気性が荒くなったり、あくどいことをし始めたり、それまで優しかったものが突然に冷淡になったり、そのあらわれ方は様々だが、まるで何かに憑かれたようにというのが被害者たちの言うところであるという。
そしてその時期を過ぎると、茨の魔物は夜な夜な正体を現しては人々を襲い、その恐怖に紛れて人の心に忍び込み、殖えていくのだという。この段階まで来るとようやく力業で狩ることができるようになるが、何しろ人に取り憑いてたっぷりと精気を吸ったものだから、これが、手ごわい。また狩り損ねると、人々の心の陰に隠れてしまう。
「神官たちの法術で傷つけられることはわかっているんだが、まさか一人一人に法術をかけて確かめるわけにもいかないし、正体を現してからは危険すぎて、戦える神官は少ない。まったく実に面倒な魔物でね」
「アルコさんは、倒したことがあるんですか?」
「うん。以前、此処よりもう少し大きな街でだったけれど、運よく正体を現したところを一矢で仕留めた。その功績を買われて、普段は来ないレモの街までやってきたというわけさ」
結弦はあまり聞きたくない、というかはっきりと聞きたくないのをこらえて、最後のところを確認した。
「ところで、その茨の魔物というのはどういう姿をしているんですか?」
「なに、名前の通りだよ。真っ黒な茨のような姿さ。まるで模様を描くように茨を張り巡らせる、影の魔物と言ったところかな。正体を現すまでは全く見分けがつかないから、様子がおかしくないか毎日見回りしているんだけどね」
成程。
結弦は頷いて、味のわからないお茶を啜った。
「ねえノマラ」
『うん、ユヅル』
「これって、間違いないよね」
『そうだね……ダークソーンだ』
用語解説
・旅の神へルバクセーノ(HerbaKuseno)
人神。初めて大陸を歩き回って制覇した天狗ウルカが陞神したとされる。この神を信奉するものは旅の便宜を図られ、よい縁に恵まれるという。その代わり、ひとところにとどまると加護は遠のくという。
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