第5話
そして、わたしたちの自転車は急な坂道に入った。少しずつ上がる景色は遠くの海まで見えるほど綺麗になり、わたしの胸を躍らせる。やがて、信さんは息を荒げだす。目的の丘の上はまだまだ着きそうにない。
「わたし降りようか?」
わたしの問いに信さんは重さも無いわたしが降りても変わらないと笑う。重さ無き体か……わたしがうつむくと、信さんは気が付いたのか真剣な顔で鳥の羽みたいだよと言う。信さんはホント優しい人だ。わたしは風をダウンロードしてみる。
追い風がわたしたちを祝福して、髪が揺れている。一瞬の時、わたしの背中に羽が生えたように信さんを包む。
「白い鳥が舞い降りたみたいな奇跡だ」
信さんは小さく呟く。
「本当は雪をダウンロードしたかったけどね、雪は冬にまで取っておきたいかな」
わたしは照れ臭そうに微笑む。
「あぁ、冬になったら特別に白い雪をお願いするよ」
「はい、わたしの雪はデータの塊です、積もる事無く消えるかな」
信さんは雪を人工的に降らす事を疑わずに目を細める。やがて、丘の頂上が見えてくる。
丘の上は小さな駐車場があり、そこに自転車を止める。わたしは静かに降りると、柵のある街の景色が見える方に足を進める。言葉は要らなかった。いつの間にか信さんも隣にいて、遠くには夏の雲が広がり、心が凛となる。信さんに嬉しいことを伝えると逆に信さんは落ち込むのであった。そう、わたしがデータの塊でいつ消えるか分からない存在であるからだと信さんが悟ったのだろう。
信さんの瞳は、この景色とそれに魅入るわたしを失いたくないと訴えていた。
時間が止まっているかのごとく、この街に一つだけある風力発電機の羽が止まっていた。このまま永遠に信さんと一緒にいたい。それはわたしのデータ無い感情であった。
「さ、帰るか?」
信さんの言葉に今を生きる信さんの寂しさが感じられた。
「帰り道は少し寂しいかな」
わたしは信さんの手のひらに指を寄せる。データにあり『素直な気持ち』と一致。わたしはありのままを言葉にしてから、信さんと共に再び自転車に乗るのであった。
わたしたちの自転車はカラカラと坂を流れ落ちる。風が気持ちいい、帰りも最高の気分で信さんの後ろで目を輝かせる。紫陽花並木を通り抜け、街並みが続く路地を走る。
「そこのコンビニに寄ってもいいか?」
断る理由は無かった。信さんが店舗の中に入るとわたしの異変に気付いた。
データの拡散が起きたのである。これがわたし、人ざらぬ者の末路。指先にからデータの拡散は腕にまで広がり、言い合わらせない苦痛に耐える。
「ミサ!」
信さんがコンビニから出てきてわたしに駆け寄る。わたしと言うデータが信さんに迷惑をかけてはいけないと確信する。
「気にしないでかな」
データの拡散はまるで高熱をあげた時のように辛く、心も張り裂けそうな苦しさであった。
信さんのこの世の終わりみたいな顔を見て皮肉にもわたしのデータは……いいえ、瞳は穏やかになるのが分かり、信さんもわたしの瞳を見て自身を取り戻したみたいだ。そう、信さんは右手の拳を握り締め、わたしの運命に逆らう決意を感じた。やがて、データの拡散は治まり、わたしは安心すると「学校に戻ろう」と言う。夏前の日差しはまだ高く時間の過ぎるのを忘れさせてくれた。
それから数日が過ぎていた。ここ最近は信さんの様子が違っていた。メモを開き携帯に向かい厳しい表情を見せる。ショートホームルーム前の教室の中でわたしは不思議そうに訪ねる。
「あ、ぁ、話しておいた方がいいかな。このメモは携帯から消してしまった、美沙姉貴の番号だ。昨日、命日の墓参りに行ってきてね。家族の話だと携帯を解約したそうだ。笑ってくれ、片思いからのもはや茶番だ。このメモも捨てることにしたよ」
わたしはこの様な時の対処法を知らないでいた。そこで、教室の窓を開けて風を通す。信さんは開いた窓からメモを丸めて捨てる。
「ダメだよ、ゴミを捨てたら」
わたしの無機質な言葉に作り笑いで返すのであった。
「アイ、のち、晴れの天気だ」
「信さん?」
「死んでしまった美沙姉貴は生き返らない、今日の快晴の青空は美沙姉貴が生きろと言っているように感じるだから、アイのち晴れだ」
信さんに迷いは無かった、例えわたしがデータの塊でも信さんの側にいつまでもいられる事を願うのであった。
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