第7話

 ある人は、それは激しい雨の降る中だったと言う。

 またある人は、それは雲一つない晴天の、満天の星の下であったと言う。

 また、それは人通りの多い繁華街の片隅であったと言う。

 いづれも同じ人物を見、同じ言葉を聞いていた。

 曰く、刈り上げた黒髪に、詰襟の制服。その上に雪のように白い羽織を重ね、頭には黒い制帽。時代錯誤と見紛う服装の足元には、履き古した赤いスニーカー。失踪した折の服装のままに、触れるには遠いが見間違うには近い距離に突如現れ、視線を合わせることなく一言、零すように呟き、そしてまた消える、と。


「神の子らは清庭さにわで踊る」


 現れた跡を追ってはたどり着けず、忘れた頃にまた現れる。

 それが、この7年間だった。



 * * *



 朝の教室は、静かだ。体育会系の部活動が盛んなこの学校では、大半の生徒は朝から部活に行っているか始業開始直前に飛び込むかのどちらかで、早くから教室にいる者は少ない。

 その少ない人間のひとりが、理音だった。

 起きている間には滅多に帰ってこない両親は、朝も姿を見せることは少ない。実際に家を空けていることもあれば、寝室で泥のように眠っていて出てこないこともある。

 中学校を卒業するまでは、母と二人の食卓がほとんどだったが、高校入学を機に、それも稀になった。大昔――祖父母の生まれた年代を飛び越えて、江戸時代――は15を過ぎた人間は疾うに大人と見做されていたのだから、高校入学を機に、これからは寝食についても自分で自分の面倒を見ること、と言われたのと、初めての「仕事」の斡旋とどちらが先だったろう。直接の関わりは減っても、金銭的な援助やその他の親としての義務は果たすつもりがあるから、との言だったが、実際には直接の関わりは減るどころかほぼなくなった。

 嘆くことができない程度には、子どもではなくなった。大人になることを求められた7年間だったから。

 けれど、会話もなく、他者の気配も薄い自宅に長く居たいとも思えない。

 それで結局、朝練も何もないというのに、人の気配を求めて早くに学校に来てしまうのだった。

 前向きな理由からの早朝登校ではなかったが、悪いことではない。おかげで課題と復習も捗って、入学時には下から数えた方が早い程度だった成績は、たしかに上昇傾向にあった。

 それから――

「はよ。相変わらず早いね」

「おはよう、相楽さがら。家にいてもやることないしね。そっちこそ毎朝早いじゃない」

「いやいや、乃木ほど早く来れないし。ほんと何時に来てるのあんた」

「そんなに変わりないと思うよ?」

 疑いの眼差しでこちらを見ながら斜め前の席に荷物を置く相楽は、やはり理音と同様、朝早くに登校してくる。家族のことは、あまり話題に上らない。

 校則も指導もゆるいと定評のあるこの学校でも珍しく、髪の色がころころ変わる。ピンクになってそろそろ1ヶ月が経つから、また別の色に変わる頃合いかもしれなかった。

 理音の2学年上の学年が入学した頃から男女ともに選択可能になったという制服は、ズボン。それも、7分丈に改造している。2年生も後半に入ったが、いまのところはまだ注意を受けたことはないらしい。ちなみに理音はスカートだが、布を足して、少し丈を長くしている。これも今のところは注意されていない。

 中性的な容姿の彼女は、荷物を置くなり筆記具と教材を手に、椅子を引きずって理音の席にやってきた。

「今日の予習、どこまでやった?」

「予習必須なのって、古典以外にあったっけ」

「あとは課題だけだっけ」

「と、思ってた……」

 他に予習をと言われそうな科目はあったか、と時間割表を確認する理音の向かいで、相楽は教材を広げ始める。化学と古典。クラスはもちろん、授業を受ける講座も一緒なので、選択科目も完全一致。来年になったらこうはいかないだろうが、毎日のように、お互いの課題と予習を補っている。

「私、古典まだ終わってないんだけど、乃木は?」

「そっちは終わらせた。化学の課題がもう少し。わからないところがあって」

「そっち私終わってるから、見るよ。古典教えてよ」

「了解」

「うっし、交渉成立ね」

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清庭 ritsuca @zx1683

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