勇02 嘘つきは泥棒のはじまり


 嵐の過ぎ去った後の暗雲たちこめる雲間から、一条の光が射し込んでいる。波間にたゆたう一隻の貿易ガレー船の上では、水夫たちがせっせと櫂を漕いでいた。『若葉の勇者』――以後、勇者とする――は、ベタベタする潮風を全身に浴びながら、船首に膝をつくと、嵐の余波による暗黒に満ちた地平線の向こうに目をやった。


 "……わたしもどうかしてるわね。こんなふざけた任務のために故国から旅立つなんて……でも……"


 故郷の仲間たちの反対を押し切って、勇者は故国の代表である誇りを保持するべく、二度目の冒険の旅に出てしまった。謎の依頼文。謎の座標。謎の島国。勇者集会に事前告知もなしに呼び出されたとき、彼女はいっそのこと『白銀の勇者』の喉元を掻っ切ってやろうかと思っていたが、それにしても――

 "こんな挑戦的で謎めいた依頼にありつけるなんて、思ってもみない幸運だったわね"


 実をいうと、勇者は今回の旅に胸を躍らせていた。彼女は冒険好きであり、未知なる恐怖を欲していた。近頃は退屈だったため、ちょうど適時な退屈しのぎを望んでいたところだった。だから、『黄金の勇者』の提案である"魔王討伐競争"も心の片隅では、大いに興奮していたことを否めなかった。


 『白銀の勇者』が魔王争奪戦の開催を宣言してから三日後の今日、彼女は、故国の支持者たちに別れを告げて出航した。

 二日目の夜、予期せぬ大嵐に見舞われたて、乗っていた小型船は座礁してしまったが、幸運にもそばを通りがかったこの貿易ガレー船に救出され、貿易船の船長さんとも意気投合し、少しの間、同船させてもらえることになった。これが音に聞く、"主人公補正"というやつなのだろうか。いいや、ただ単に、悪運が強かっただけだろう。もしも、自分が主人公ならば、貿易ガレー船ではなく海賊船が通りがかるはずで、野蛮な荒くれ者たちにあんなことやこんなことをされていたはずだ。

 "おお、神々はいつも、勇ありし者に試練をお与えなさる。どうか、わたしにももっと激しく凄絶な試練をお与えください! そして、わたしの欲望を満たしてください……"


 前方から吹き寄せる強い波風を受けながら、彼女は鞘から剣を勢いよく抜いた。


 "そして、故国の古き神々よ……我に名誉と力と知恵を与えたまえ……"


 なんとなく、風がさらに強まった気がした。ガレー船が激しく軋り、潮の臭いがいっそう濃くなったように思えた。

 勇者は剣先を、暗雲たちこめる天に向かって突き上げる。鋼鉄の刃が、雲間から差し込む日の光によって、艶めかしい光沢を放った。


 "さぁ、名も知れぬ異国の魔王よ、首を洗ってわたしの到来を待ちわびるがいい! このわたしが来たからには、貴様らの命運は、ここで尽きたとおも――"


「姉ちゃん、それ、もうすぐ終わるかい?」


 唐突に話しかけられて、彼女は反射的に飛び跳ねた。ぎこちなく振り返ると、貿易ガレー船の船長さんが頭に手を当てて、ばつが悪そうに目を背けている。本船のへさきに仁王立ちして、お空に向かって剣を掲げていた姿を、バッチリ目撃されてしまったようだ。

 "……恥ずかしい。脳内ミュージカル中は、できるだけ話しかけないで頂きたいものだ" 嵐の余韻を引きずる暗雲立ち込める空の下、いたたまれなくなった勇者はトボトボと甲板へと降りていく。


「あっ、その、わるいわね。完全に自分の世界に入っていたわ……」


「へへっ、気にすんな。若い頃はみんなそれをやるもんだ。俺もガキの頃、童話にでてくる騎士様の真似事に没頭したもんさ。ところで姉ちゃんよぉ、本当にあの島国に向かうってのかい? 船乗りの間じゃ、あの島にゃ黒い噂が絶えねぇって有名だぜ……?」


「ご心配なく。こう見えてもわたし、勇者なの。悪の力で故国を支配していた魔王アルマニマを討ち滅ぼした英雄は、ほかでもない、このわたし。だから、この運気と勢いを殺さずに、今度は他国の魔王も、あわよくば征伐してやろうと思ったの」


 船長さんは、痛い子を憐れむような目で、苦笑いを浮かべている。

 だが、実際問題――彼女は勇者なのだ。当時、気心の知れた仲間たちと共に、魔王アルマニマという史上最強の魔王を征伐した。その吉報は国内だけでなく国外に伝播して、いまでは彼女の通り名――『若葉の勇者』を知らぬ者はいない。しかし、奇しくも国内では彼女が『若葉の勇者』と呼ばれることはなかった。代わりに別の渾名が広まっていた。そして、故国の人民は、みな彼女を畏敬の念でみつめたものだ。それがなんとも居心地悪くて、彼女は故国から出たくてたまらなかった。


 勇者がチラリと巨漢の船長さんに視線を向けると、彼はジロジロと彼女の外見を値踏みするように眺めながら髭面の顎を指でさすった。


「勇者? ふーむ、マントに兜に篭手に鎧に剣と盾。たしかにその風采、勇者に見えなくもない。ただ、その気品と居丈高な態度から考察するに、てっきりあんたは、貴族の娘さんか大家のご令嬢かと思ったよ」


 勇者は聞き捨てならない『貴族』というキーワードに、思わず声を荒げてしまった。


「まさか、貴族の娘だなんてとんでもない! たしかに昔はそんな時期もあったけれど……今は違うもの!」


「まあ、どっちでもいいさ。それよりも、姉ちゃんに。渡してぇもんがあんだけどよ……」


 あごひげをなでながら、がたいのいい船長さんは思わせぶりにそういうと、そのまま踵を返して去っていく。


 "なんだろう、何をくれるんだろう。この状況で渡すものといったら……あれしかない。いや、そんなはずはない。いくら魔王を打ち滅ぼした英雄に、一目惚れしたとしても、あれを渡すには時期が早すぎる。もっと、親睦を深めないと……。でも、もしあれだとしたら、わたし……あんなに筋肉ムキムキな壮年の男性は、ちょっと苦手だわ……。ああ、どうしよう。タイプじゃないって、当たり障りなくどうやって伝えようか……!"


「こいつだ。受け取ってくれ」


 それからすぐ、船長さんは片頬をあげて、期待外れの贈呈品を持ってきた。


「〈光虫カンテラ〉だ。いくら"伝説の勇者様"とはいえ、女の子一人で夜道を歩かせるのはよくねぇだろうしな。このカンテラは優れものでな、光虫に餌を与え続ければ、明かりが消えることはねぇ。うちの国の特産品だよ」


 拍子抜けだった。少し胸が高鳴った自分がバカみたいだ。いや、ありがたい親切だけれども。彼が放った女の子という言葉には、若干ながら老婆心と侮りの色が混ざっていた。


「ああ、せっかくだけど、お構いなく。勇者であるわたしなら、夜間くらい光魔法で対処できるわ」


「だけんど、あの国なあ、噂じゃあ、宗教上の理由で、魔法がひとりにつきひとつまでしか使えないらしいぜ?」


 "えっ、宗教上の理由?"勇者は狐につままれた顔をした。"なによそれ、そんなの初耳だ。一切の情報が遮断された"鎖国国家"とは聞いていたが、"鎖国兼宗教国家"とは聞いていなかった。


「なんでもよぉ、その国で種類の異なる魔法を二つ以上行使した場合、体内を巡る魔素が暴走して、そいつ自身の肉体を破壊するらしい。あくまで、こいつは眉唾もののうわさだけどよ。同じ魔法は何度でも使えるらしいんだがな……」


「嘘でしょう……?」


 "魔法がひとりにつきひとつまで……! そんな何の利益にもならない宗教の戒律が本当に存在するのだろうか? わたしの国では、だれしも必ず一日に数十以上の魔法を利用している。魔法なしの生活なんて、果たして人間に耐えられるのだろうか?"

 そんなストイックな生き方を実行している人種がいることに、勇者は素直に驚いた。そして、にわかに、此度の新たな冒険への不穏な空気が立ち込める。


「なぁに、そんなにしゃちほこ張るなって。あくまで風のうわさだからよ。そんじゃ、嵐も収まったことだし、もうそろそろ例の国の領海に入りそうだから、俺たちが見送れるのはここまでになりそうだ。ひとりでも平気か?」


「ええ、乗せてくれてありがとう。あとは、わたし"一人"でなんとかするわ。それから、さっきのカンテラの件なのだけれど……」


 恥を忍んで勇者は、男たちの汗と潮風で、端々が酸化したカンテラを、図々しくも受け取った。なかでは、光虫たちが羽を広げてぶんぶん硝子のなかを飛び回っていた。餌用に、彼女は髪の毛を一本千切って隙間から入れる。基本的に、光虫はなんでも食べる。特に人間に備わったものなら、一般的に下品とされるものでも食べてしまう。


 魔法はひとりにつきひとつなんてストイックなルール、だれが思いついたのだろうと勇者は訝った。

 "そういえば遥か昔、とある国に忽然と現れた異世界の勇者が、ありとあらゆる魔法に精通していたことが原因で、自身の能力に思い上がり、ひとつの大陸を滅ぼしかけたという寓話物語があったっけ。そういった教訓に則って、かの国では政府が魔法の制限法を講じたのかもしれないわね"

 

 そんな憶測だらけの考えを浮かべながら、貿易ガレー船に曳航されていた小舟と、ロープで括りつけられた積み荷を見下ろした。嵐ですっかりびしょ濡れになっていたが、幸運にも荷物は海の藻屑にならずに済んだのだった。

 彼女は思い切って、貿易船の甲板から、小舟の上にダイブする。風にのってくる潮の香りを全身に浴びながら、勇者は手漕ぎのボートの上にどすんと着地した。

 すると、生意気な声が、勇者の神経を逆なでした。


『おやおや、英雄様のご帰還だ。船の人間たちとは仲良くなれたかい?』


 彼女の脳内に生意気な声色をはらんだテレパシーが、有無を言わさずに送られてくる。足元を見下ろすと、無造作に船上を転がっていた瓶詰めに幽閉されている美しいピクシーが、小羽をはためかせながら、せせら笑っていた。


 この妖精ピクシーの名前はトンボという。魔王アルマニマの元右腕で、魔王軍最高幹部のひとりだったが、魔王が負けそうになると、どたんばで勇者サイドに寝返った現金なピクシーで、いまでは彼女の下僕と化しているピクシーだった。


 手のひらサイズほどの小人で、なぜかバニーガールスーツを着こなしており、リンゴ色の短い巻き毛の持ち主だったが、未だに性別は不詳である。いつか身包みを剥いで性別を解き明かしたいと勇者は思っていた。

 ピクシーは、妖精族のなかでもテレパシーで言葉を介さず、相手に話しかけることが可能な珍しい種族で、メッセージは最高百人まで、同時に伝達できるらしい。あまりにも利便性が高い能力なので、勇者はいつも伝書鳩がわりにこき使っていた。


『ぼくも連れていってくれたらよかったのに。そうしたら、あの筋肉ムキムキの船長に、きみが勇者であることを証明してあげたのにさ。気づいてた? あの船長、きみの勇者のくだりを話半分で聞き流していたよ。内心ではきみのことを自分を勇者だと思い込んでいる可哀想な子だって思っていたに違いないよ。まあ、みんながきみを憐れむ気持ちはわからなくもない。なにせ、きみは嘘つきだし、きみの本当の正体は――』


「はいはい、わかった。いい? 少し黙ってて。あとでお菓子あげるから」


『本当!? マジにお菓子くれるの? それって、もしかして、チョコかい!?』


 トンボは瓶詰めの円形の壁に両手をついて身を乗り出した。勇者は、足元で転がっていた瓶詰めを持ち上げて、その妖精と瓶越しに顔を近づけ、にやりと笑った。


「いいえ、もっといいやつよ。当ててみて。当てたら、もっと、もーっといいのをあげる」


『うーん……』


 トンボは、そのまま黙り込んで、腕を組みながら熟考する。"話を逸らす"。これこそがうるさいピクシーを黙らせる常套手段である。

 うるさいピクシー入りの瓶詰めから目を離し、ぶっきらぼうにそれを船上に落とすと、勇者は貿易船と小舟を係留していたロープを外しにかかった。


『ちょっと、そんなゴミを捨てるみたいに落とさないでよ!』


そのとき、狭い瓶詰めのなかで慌ただしく飛び回っていたトンボが、ぴたりと静止した。勇者はトンボがおとなしくなったのを不審に思い、彼女も足を止めた。


「どうしたの?」


『いや……この気配……まさか……。勇者さん、吉報だよ。十時の方向から敵襲! もう近くまで来てるよ。これは波乱の予感……楽しみだねぇ?』


 はっと振り返って、勇者は海面に巨大な暗影を投じるその巨大生物を見据えた。

 "クジラ……なんかじゃない。もっと大きいわ。それに移動スピードも速い……。それからすぐ、勇者は敵の正体を見抜いて、歓喜に胸を轟かせた。"これは……驚いたわね。まさか、こんなところで、あの伝説の大海魔クラーケンに巡り合えるなんて……!"

 直後、ガレー船の前方の海域が、渦を巻くように激しく蠢きはじめた。

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