第22話 セカイの中心でIを叫ぶ
階段を降りて宿屋を出ようとすると、受付でソフィが妙なポーズを取っていた。
────瞳を閉じて、人差し指を天井に向けて、手を掲げている。
「……なにしてんの?」
俺の声に気づいて、ソフィがこちらに視線を向けた。
「……こういうポーズをとると、なんだか落ち着くの」
先ほどまで読んでいたのか、彼女の前には開いたままの本が置かれている。
ソフィは丸眼鏡を外して、こちらに向き合った。
「知ってる? この世界は本当は大きな球になっていて、それがクルクル回って昼になったり、夜になったりするんだって」
「……そうなんだ」
俺の適当な返事を気にせず、ソフィはグッと背伸びをした。
元の世界では当たり前の知識だから、どうリアクションを取ればいいのか分からなかった。
「……他の人は、私のことを『ウソつき』って言うのに、あなたは信じるのね」
「みんなは、信じてくれないのか?」
「イーラ教の教義と違うから、信じてくれない。
……多くの人にとっては今も、
彼女は「はぁ」と脱力して、ここではないどこかを眺めているような表情で呟いた。
「だから、人差し指をこう掲げてると、私を中心に世界が回ってるようで、なんだか晴れやかな気持ちになれるの。
────地軸に、自分がなってる気がして」
「……ソフィは、自分が世界の中心だと思ってないの?」
「人の来ない宿屋の娘なんて、世界の中心なわけないでしょ」
そう言って、彼女は笑った。
「……きっと、世界の中心になれる人はお伽話の勇者みたいに、多くの人にずっと取り囲まれている人なのよ。
……だけど、私はここで一人ぼっち」
「今は、俺もいるじゃん」
「それもそうね」
茶々を入れると、ソフィは寂しさの入り混じった笑顔で答えた。
そこを境目に、会話が途絶えた。
沈黙が落ちる。
「────ねぇ、どうしてハイムラは旅をしてるの?」
突然ポツリと、ソフィがそのようなことを言い出した。
「うーん……世界を見て回りたいというのもあるけど、一番は、帰りたい場所があるから、かなぁ」
元の世界に帰りたいということをボカして、俺は答えた。
向こうには友人も、お世話になった人もいるから。
魔王を倒す以外の方法でも、もしかしたら帰れるかもしれない。
だから、その方法を探して、元の世界に帰りたい。
そのようなことを、ずっと考えていた。
俺の答えに、ソフィは「そっか」と曖昧な言葉を返した。
「……じゃあさ、なんでソフィは宿屋をやってんの?」
「私も、帰りたい場所に戻りたいから、かな」
彼女の唇は、少し震えていた。
「……本当は、お母さんも、お父さんも、もう帰ってこないの」
ソフィの声色が暗くなった。
思わず彼女の方に視線を投げかける。
「お母さんは、流行り病で死んじゃった。
お父さんは……ずっと西の国に出稼ぎに行ったまま、もう何年も帰ってこない」
ソフィの瞳が潤んでいるのが見えた。
彼女の感情が、徐々に漏れ出しているのを感じる。
硬く閉ざされた扉が、少しずつ開いていくように。
俺は、黙って頷くことしかできなかった。
「……ここなら安全だからって、お父さんは別れるときに言ってた。
でも、安全だけど────ここでの生活は嫌い。
……寂しいし、一人ぼっちだから」
そう言って、ソフィは俯いた。
瞳から、光るものが溢れるのが見えた。
それが見えないフリをして、俺は無理にでも言葉を紡ぐ。
「……いつか、帰ってくるといいな」
「帰ってこない────もう、待てないっ。
だから、私から行こうと思ったのっ」
ソフィは引き出しから何かを取り出して、テーブルの上に開いた。
大まかに都市の位置が描かれている地図。
「キケロ」という名前の土地に、赤いインクで丸印が付けられていた。
────遠く西にある巨大な国家、アハト帝国の都市の一つだ。
「ここに、“トスティカ魔術学院”っていう、世界で一番大きい魔術研究の機関があるの。
教育の場も兼ねてるから、入学しようと思ってた」
────これで、お父さんとの距離も、ずっと近くなるし。
彼女の消え入るような声が聞こえた。
「いつかお金が貯まったらここに……って、そう思ってた。
……でも、ダメね。
頑張ってやってきたつもりだったけど、全然貯まらない」
ソフィの宿は、いい場所だ。
それは俺が保証する。
でも、おそらく、この宿が彼女の首を絞めてしまっていたんだ。
真綿で詰められるようにゆっくりと。
孤独と焦りが蓄積されていった。
ソフィの性格では、儲け重視の仕事が、できないから。
ホッキアという土地と彼女の几帳面な性格が、お金を貯めることに繋がらなかった。
ソフィは地図を巻いて引き出しに仕舞うと、嘆息をついた。
「だから、私は、世界の中心に、なれない。
……なれそうも、ない……」
消え入りそうな声で、彼女はそう言った。
しばらくの、静謐。
俺は、ソフィを、直視することができなかった。
同情、悲しみ、応援したい気持ち。
そういったものが迫り上がってくる。
────やがて、それらの感情が堰を切った。
「……あっ、そういや、ウチのサチコがシーツを破いちゃったことがあったっけ。
……これ、お詫びに、な」
そう言って、俺は金貨を3枚取り出して、テーブルの上に置いた。
俺の賞金と同じ額。
「……えっ、これって……」
「弁償だよ、シーツの」
できるだけ笑顔を作って、俺はそう答える。
自分の顔が強張っているのを感じた。
こういうとき、下手くそだな、俺は、本当に。
……もともとは盗んできたお金だ。
それに、このくらいの出費、なんてことはない。
これしきのことで、一人の少女の夢が叶う。
素晴らしいことじゃないか。
決して、憐れんだわけじゃない。
自分にそう言い聞かせる。
「……絶対に、いつか、借りは返すからっ」
俺の内心を汲み取ったのか、ソフィは金貨を受け取った。
そう、これでいい。
「……ありがとうね、ハイムラ」
そう言って、彼女は顔をこちらに向けた。
拭き取れ切れていない涙が、大きな瞳の縁に残ったままだった。
それでも。
喜び、感謝、期待、僅かな怒り。
複雑な感情がこもったソフィの表情を見て、自分のしたことが正しかったのだと、納得することにした。
「……って、なんでびしょ濡れなの?」
「ちょっと色々あってね……。
……そうだ、じゃあ、さっそく借りを少しずつ返してくれるか?」
「異世界からやってきたんで服の持ち合わせがありません」なんて言えるはずがない。
誤魔化して、新しい衣服が欲しい旨を伝える。
「まったく、もうっ」と言いつつ、ソフィは衣服を探しに奥の方へ引っ込んでいった。
以前よりも、少しだけ晴れやかな表情を浮かべているのが、横顔からでも見て取れた。
ソフィが持ってきてくれたローブを羽織る。
王都で買った物とは比にならないほど、肌触りが滑らかだった。
少しサイズが大きいが、それが気にならないほどに着心地がいい。
これなら、寒い地域にいくことになっても安心だろう。
「それはもともとお父さんのだけど、あげる」
「えっ、いいの!?」
驚きの声を上げる。
「私も、もうしばらくしたらここを発つし、置いたままにしておくのも勿体ないから」
話を聞くと、あと数日したらソフィは宿屋を閉めて、アハト帝国のキケロに向けて出発するらしい。
……それまでには、俺たちも出発しないとな。
「じゃ、ちょっと教会を見てくる。
気になることがあるし」
「いってらっしゃい。
……ハイムラ、本当にありがとう」
そう言って手を振る彼女の言葉を聞いて、ハッとした。
「────なんで俺の本名知ってんの?」
宿に入るときは、ちゃんとジョン・ケイ・ドゥムラの偽名で通したのに。
「あっ」と、ソフィは間の抜けたような表情を浮かべた後、小声で言った。
「あなたがくる前、ちょうど賞金首についての掲示を見たの。
……でも、案外本物は悪そうじゃなかったから、拍子抜けしちゃった」
プレインさんと同じようなこと言ってるな。
ということは、宿に来た日からずっと正体がバレてたのか……。
俺がここにいることは秘密だからな、と念を押すと。
「私が恩を仇で返すようなこと、するはずないでしょ」
と、怒られてしまった。
この宿に、本当に来てよかったな。
そう思いつつ、仮面を被って扉を開けた。
白亜の壮麗な教会は、この小さな村にあるのには違和感があるほど立派だった。
ちょうど、王都の神殿をミニチュアにしたようなサイズ感だが、それでも3階建てのビルくらいの大きさはあった。
中に入ると、数人の村人や旅人が祈りを捧げているようだった。
丈が長くて黒い僧衣を着た男が、壁にもたれかかって居眠りをしている。
……神父さんだろうか。
なんとも、のどかな時間が流れているようだ。
教会の中を見渡して、お目当の品を探す。
勇者の足跡というのは、どれだろうか。
少し経ってから、祭壇の方に白い石板のようなものが立てかけられているのを見つけた。
目を凝らすと、足跡の表面は細かくジグザグに波打っているようだった。
────スニーカーの靴底にそっくりだな。
100年より前の勇者が、スニーカーを履いていたのか。
100年前に、スニーカーはまだ無かったよな。
召喚される側と召喚する側の時間は必ずしも一致する訳ではない、ということか?
初代勇者の足跡は、探しても見つからなかった。
貴重品すぎて、きっと教会の奥の方にしまっているんだろう。
せっかく教会に来たのだから、祈りを捧げてみよう、と思った。
他の村人がしているように、目を瞑る。
……サチコは、宿でどうしてるだろうか。
気がつけば、サチコのことを考えていた。
彼女は俺の生命線でもある。
サチコと離れ離れになるのが、情けないことに、少しだけ怖くなっていた。
そんな考えを振り払うように、目を強く瞑る。
────俺たちの旅が、平穏なものになりますように。
神社で賽銭を投げたときと同じ感覚で、行き場のない祈りを捧げた。
ステンドグラスが夕陽を受け、橙色に照らされている。
ガラスで描かれた勇者らしき男が少し燃えているように見えた。
……もうこんな時間か。
宿屋に戻ろうかと考えていると、隣に座っていた人が立ち上がった。
俺と同じように、ローブを深めに被っている。
──そのローブからはみ出た深緑の美しい髪を、俺は見逃さなかった。
スローモーション。
トラックに轢かれた時とは違う、より穏やかな時間の流れ方。
この髪の持ち主は、一体どのような人物なのだろうか。
俄然好奇心が湧いてきた俺は、花に誘われる蝶のように、緑髪の人物を後から追いかけた。
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