第21話 100万回イキったねこ
「ぎゃあああああああ!!?」
最近、意味のわからないことが朝によく起こる。
目覚めたら、自分の上に黒豹が乗っていた。
驚いて飛び起きようとするも、それは叶わなかった。
何かに、自分の両腕両足が拘束されているからだ。
開かれる口。
大きくて白い牙。
「ひ、ひ、ひ」
────あ、死んだ。
あまりの恐怖に、俺は目蓋を固く閉じた。
「……くすっ、おはよう」
聴き慣れた声が、寝起きの耳に飛び込んできた。
恐る恐る目を開けたら、小さく口を開けた人間形態のサチコがいた。
……変化魔法で、黒豹に変身していたのか。
小さくて鋭い犬歯を、その口から覗かせている。
いや、猫だから猫歯か。
「はぁー、はぁー……ビビり死ぬ、ホント……」
ションベン漏らしたかと思った。
……実際、ちょっと、漏れたかも。
「ふふっ、ご主人、面白いっ……」
そんな俺を見て、サチコは柔らかな笑みを浮かべていた。
「────えっ何っ!? どうしたの!?」
俺の叫び声を聞いてか、ドタドタという足音とともにソフィが扉を勢い良く開けた。
彼女の目の前には俺と、覆いかぶさるサチコ。
それを見るなり、ソフィは顔を紅潮させた。
「え、え、えっと……ごゆっくり……」
……その台詞、2回目。
ソフィの宿に泊まってからは、
美味しい食事に、安全な寝床。
失ってから気づく、健康で文化的な最低限度の生活のありがたみ。
急いでロフェメ王国から出ないといけないのは頭で理解はしていたが、宿での生活が楽しくて長居してしまっていた。
ご飯は美味しいし、部屋は綺麗だし、ぐっすり眠れるし。
本心を言うと、いつまでもここに居たかった。
ここ最近、空いた時間で俺とサチコはずっと魔法の練習に取り組んでいた。
俺は火・風・土・水の4属性をバランス良く。
サチコはひたすら【オイディプスの塑像】で、本に載っているあらゆる魔法を魔法陣にコピー&ペーストし、トライ&トライ。
時々チラ見してみる限り、彼女の進捗はかなり良いようだ。
サチコが魔法に
一方の俺は、なかなか魔法の使い勝手がうまく理解できずにいた。
魔法を発動するときの魔力の出し方。
詠唱のトーンや速さ。
各属性の違い。
それらのコツが、まだ掴めていないのだ。
どうやら中級魔法以上になると、コツが分からないと上手く魔法を発動できないようだ。
火魔法だと手から煙が上がるだけだったり、水魔法だと口の中がカラッカラになるだけだったり、とにかく散々だった。
それでも、初級魔法は丁寧に本の通り詠唱したり、魔法陣を書いたりすればあらかた発動できるようにはなっていた。
……魔法陣は描くのが面倒臭いので、ずっと本に書いてある詠唱を音読している。
まだ、ほんのちょっとしか初級魔法を覚えられていないが、のんびり暗記していこう。
4つの属性の中では、土魔法が一番得意な気がする。
中級魔法でも、土魔法だけは確実に発動に成功していたし。
……土魔法かぁ、一番見栄えが地味なんだよな、土。
「────その名を示せ、【堅土堰】!」
詠唱の完了とともに、大きくせり上がる地面。
これが土属性の中級魔法の一つ、【堅土堰】だ。
治水でよく用いられることから、この名が付けられたらしい。
ちょっとずつ練習していたおかげか、【堅土堰】は戦闘に使えるレベルにまで仕上がってきていた。
貧弱な俺の身体を守る貴重な防御手段として、この魔法に慣れることを当分の目標にしていた。
……筋トレ、一昨日くらいに挫折しちゃったしな。
我ながら、教科書に載せたいくらいの綺麗な三日坊主だった。
「【氾鬼雨】、【雷花炎】、【断裂風】……」
かくいうサチコは、少し離れたところで中級魔法を連発していた。
軽い身のこなしで、踊るようにステップを踏むサチコ。
そこから放たれる、様々な種類の魔術たち。
清らかな水に赤い炎、赤茶色の土に若葉をまとった風。
それを眺めていると、サーカスにでも来たような気分になってくる。
「……あ、調子は、どう?」
俺の視線に気付いたのか、サチコがこちらに問いかけてきた。
「ダメダメ、土魔法しか上手くならねぇわ……サチコは?」
「今は、魔力を抑えて、魔法を連発する、練習の最中。
量と質を高めると、良い練習になる……」
うわ、そんなことやってたのかよ。
先に進みすぎだろ。
「なんか、色んな魔術をうまく扱うイイ方法とかある?」
自分の練習に行き詰まりを感じていた俺は、サチコにアドバイスを求めた。
彼女は「うーん」と顎に手を添えてから、すぐに口を開いた。
「……まず火魔法は、初めはチョロチョロして、途中からパッパッて……」
おい、おいおいおい、マジかよ。
完全に感覚型の天才が言うアドバイスじゃん。
なんか説明が、昔のお米の炊き方みたいになってるし。
「……もしかして、わからない?」
そう言って、サチコは目を細めてでコチラを見てきた。
口元がちょっと歪んでるし。
さては、笑いを堪えているな?
何だか無性に悔しくなったので、『土魔法概説』を置いて、別の魔法を練習することにした。
いつか、いつか必ず追い越してやるからな。
サチコも、子を見守るような生暖かい視線を俺に投げかけてから、自分の練習に戻っていった。
憎々しげに去っていくサチコの後ろ姿を眺める。
尻尾が垂直に立って、リズム良く揺れていた。
……それを見て、俺の表情もほぐれてしまった。
余談だが、サチコのアドバイスを火魔法で実践してみても、まったく魔法は上達しなかった。
数時間ほど魔法を練習したあと、休憩がてら俺たちは宿屋に戻った。
そのまま、俺は浴室に向かう。
ローブの中が汗で蒸して、気持ちが悪かったからだ。
魔法を使うと、変な汗が出てくる。
運動したのとは明らかに違う汗の出方だ。
それを早く、お風呂でサッパリ洗い流してしまいたかった。
ローブの姿のまま、浴室に入る。
サチコがいる手前、彼女の目があるところで全裸になることは、出来るだけ避けていた。
その正体が猫だと知っていても、女の子の前で裸になるのには抵抗感があった。
最近、サチコは人間形態を気に入っているのか、猫の姿よりも人間の姿でいることが多い。
本人に悪意はないだろうけど、それが少し俺を生活しづらくしていた。
浴室でローブを脱ぎ、全裸になる。
木組の浴槽と、タイルが敷いてあるだけの簡素な浴室。
掃除が行き届いていて、カビが生えているなど、不潔なところは一切見当たらなかった。
ソフィの生真面目な性格が為せる技だろうな。
ローブからちょっとだけ嫌な臭いがしたので、自分の体より先にそっちを洗うことにした。
────水魔法、【温流】。
手から温かい水を出すだけの初級魔術だが、これのおかげでお風呂のときは元の世界以上に便利になった。
自分の加減次第で、温度や勢いを直感的に調節できるのがありがたい。
鼻歌を唄いながらローブや他の衣服を洗い終えて、ようやく自分の体を洗い始めた。
そのときだった。
「……あけて、あけて……」
ドアの向こうから、サチコの声が聞こえてきた。
……猫って、お風呂苦手じゃなかったっけ?
「あけて、あけて、あけて……」
サチコの声に伴って、爪で扉を引っ掻くような音まで聞こえてくる。
「いま、お風呂中だからちょっと待って!」
「あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて……」
────妖怪か?
全然話を聞かないし、ずっと爪でガリガリしてるし、ほとんどホラーじゃねえか。
「はいはい、いま開けますよ」
ローブで大事なところを隠してから、お風呂の扉を開ける。
扉の前で突っ立っているサチコと視線があった。
「……」
無言で、サチコはお風呂の扉の前から立ち去っていった。
……。
…………。
マジでなんなの??
お風呂を終えて身体を拭いていると、まだ教会に行ってないことをふと思い出した。
……確か、過去の勇者の足跡が保管されているんだっけ。
初代勇者はもとより、歴代の勇者がどんな人だったのかも気になるな。
まだ日没までかなり時間があるし、教会を訪ねてみるか。
そこで、あることに気がつく。
教会まで身を隠すことのできる服が、いま手元にない。
開き直ってローブなしの茶髪丸出しで行くか。
びしょ濡れのローブを羽織って行くか。
それとも、今日は行かないか。
ローブを火魔法で乾かそうと思ったが、また調節をミスって宿屋を燃やしちまったら、取り返しがつかないしな。
うーん、でも思い立ったら吉日とも言うしな。
うーーん。
うーーーん。
────よし、行こう。
ローブを絞ってできるだけ乾かしてから、身にまとった。
「サチコ、今から教会に行ってくるけど、一緒にどう?」
「……びしょびしょのご主人と、一緒にいるのは、イヤ。
教会にも、興味ないし」
サチコにはキッパリと断られた。
……冷静に考えると、サチコの立場だったら俺もそうしてたよ。
そのまま分厚い本を読み耽っているサチコを背に、一人で教会に向かうことにした。
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