第20話 黒猫の恩返し
まず目に映ったのは、長い後ろ髪だった。
それに加え、黒髪を頭の両側で束ねた髪型。
ふわふわとしたウェーブのかかったツーサイドアップだ。
髪の黒さとは対照的に、その肌は新雪のように白かった。
顔つきからして、小学校低学年くらいだろうか?
月のような色をした、大きな瞳がこちらを覗いている。
その瞳孔はアーモンドに似た形をしていた。
それに、何故か黒と白を基調としたメイド服を少女は着ていた。
────それ以上の問題が、頭に付いたケモミミ。
状況を頭の中でまとめる。
昼寝をしていたら、俺はゴスロリメイドのケモミミ美少女に膝枕されていた。
なんじゃそりゃ。
改めて、意味がわからない。
「────サチコ?」
それでも、その答えしか思い浮かばなかった。
サチコらしき少女は、静かに頷いた。
その仕草を見たとき、俺はその少女がサチコなのだと確信してしまった。
「……どうして、人の姿に?」
「……ご主人に、恩返しに、きた……」
「恩返し」という言葉は、正直意外だった。
彼女を助けようとしたのは、トラックに轢かれたときくらいのはずだから。
その後は、サチコに何度も救われた。
王都から脱出するときも、シルバーウルフを倒したときも。
「……恩返しはむしろ、こちらがしないといけないような気がするな」
「じゃあ、恩の押し売り……?」
「自分で言っちゃダメでしょ、それ」
そんな俺の返答に、サチコは微かに微笑んだ。
「ていうかさ、どうやって変身したの?」
膝枕から起き上がった俺は、まずそのようなことを尋ねた。
もうちょっと膝枕を堪能したかった気もするが、脚が細いからか寝心地があまり良くなかったので、すぐに起き上がってしまった。
膝枕は、もっと太ももがむっちりしている方がいい。
「ん」と言って、サチコが指差した先には────ビリビリに破かれたベッドのシーツがあった。
「……いや、なにしてるの!?」
飼い猫がやらかしたときの、飼い主のような声が出た。
絶対ソフィに怒られるぞ、これ。
想像するだけでゲンナリする。
「……これ、書いたの」
俺がキーキー言うのを気に留めず、サチコは『特殊魔法概論』という本を開いた。
手まで人間そっくりだ。
肉球とかは付いてないらしい。
サチコが開いたページには、「変化魔法」と大きく書かれていた。
ハッとして、シーツを手に取って広げてみる。
────バサっと音を立てて広がったシーツの引っ掻き傷は、まさしく魔法陣に見えた。
円と四角と、複雑な図形が幾重にも組み合わさった模様。
「変化魔法」の章に書かれている魔法陣が、シーツの傷と部分的に一致していた。
「サチコ、これ、もしかして」
「……うん、これで変身した」
ニコッと笑って、サチコは答えた。
うちの子、天才すぎるだろ……。
────ここで、疑問が一つ浮かんだ。
「……さっき、魔法の基礎について読もうとしたとき、文字読めさそうだったじゃん?」
「……それは、一緒に本を、読みたかったから……」
そう言って、サチコは白い頬を赤らめた。
絵本感覚で、このややこしい魔法の本を一緒に読もうとしてたのか。
嘘を、ついてまで?
なんだ、この可愛い生き物。
キレそう。
サチコのキュートさに悶絶していると、あることを思いついた。
「サチコ、『ステータス・オープン』って言ってみ?」
「ステータス、オープン……?」
そう唱えた途端、サチコは体を震わせて跳び上がった。
それとともに、長くて黒い尻尾がチラリと見える。
こういう動きは、猫のときそのままらしい。
「……これ、なに……?」
「ステータス。
自分の状態が分かる、らしい」
俺が「読み上げてみて」と促すと、彼女はステータスをつらつらと読み始めた。
「黒木、サチコ。
レベルは18で、えいちぴー? が135、えむぴーが613……」
「……へ?」
レベルでも、ステータスの合計値でも負けてる。
体力が猫に負けてる人間って何だよ。
夜の見張りをサチコに任せたり、魔物を淡々と倒していたのがここに効いてきたか。
サチコはそのまま、ステータスを淡々と読み上げていく。
そして、決定的な箇所に辿り着いた。
「────称号、ゆうしゃ……?」
サチコは、そう言った。
……薄々気付いてはいたが、やはりそうか。
────3人目の勇者は、俺ではなくサチコだ。
思えば、神殿にいたのも、見るからに強そうな固有魔法も、ステータスをこうして見ることができるのも、サチコが勇者であることを裏付けている。
なんなら、勇者は人間である必要もない、という訳だ。
……ということは、俺はサチコの召喚に巻きこまれたのか?
もしそうだとすると、トラックから助けようが、助けまいが、サチコは助かったわけで。
少し、頭がこんがらがってきた。
……まぁ、サチコが勇者なら、あれだけ頼りになる訳だ。
希望を人に与える存在は、伊達じゃない。
尊敬の眼差しをもって、サチコの方を見た。
サチコは、脚を広げて自分の股間を舐めていた。
……なんで?
「な、なにそれ?」
「……なにって、毛づくろい……」
それだけ言って、毛づくろい(?)をサチコは続けた。
……マジかよ。
こんなことまで、仕草が猫のままなのかよ。
「え、いや、ちょっとやめてくれない? それ」
「……どうして?」
「見ててちょっと気まずいというか、そもそも人ってあんまり毛がないから、毛づくろいが必要ない、というか」
……
言い淀む俺の言葉が通じたのか、サチコの動きが止まった。
それに少しホッとする。
────次の瞬間、サチコは自分の股間を高速で舐め始めた。
まるで、キツツキの如く。
「ッ! ッ! ッ! ッッ!!」
「やめて! やめてください! やめろつッてんだろォ!!」
結局、サチコには猫の姿に戻って、思う存分自分の体を毛づくろいしてもらった。
今はご満悦の様子で、ベッドに寝っ転がっている。
かくいう俺は、魔法が試したくてウズウズしているのだが。
宿の中で魔法を試すのも危なそうだし、外でやるか。
革袋にいくらかのお金と『火魔法概説』という本を入れて、サチコを魔法の練習に誘った。
すると、サチコは身体を少しだけ起こして、自分の影で何かを型取り始めた。
────【オイディプスの
それが、サチコの固有魔法の名前だった。
影を操るのだから、「シャドウうんたら」とか、「ダークうんたら」みたいな名前を想像していたんだが、まったく見当違いだったな。
サチコが影で作り上げたのは、一つのブローチのようなものだった。
……あのブローチの模様、確かシーツの。
ブローチが少し光を放つ。
一瞬で人の姿になったサチコは目を擦ってから、そのブローチをメイド服のポケットに仕舞った。
────影による、魔法陣の生成。
もう全部、この子一人でいいじゃん……。
宿から出ようとすると、ソフィと鉢合わせた。
彼女は運んでいた最中の衣服を落として、俺とサチコをキョロキョロと見た。
完全に、
「え、えっと……ごゆっくり?」
「それは男女が宿に入るときのセリフでしょ」
いま、出て行くところなんですけど。
そもそもサチコは猫だし、そんな下品なことを彼女に対してするつもりはない。
……猫、だよな?
人間の格好をしていると、なんだかこちらの感覚が狂ってしまいそうになる。
「────なるほど、変化魔法ねぇ。
てっきり獣人族かと……」
理由を話すと、ソフィは意外にすんなりとこの状況を飲み込んでくれた。
どうやら、彼女は変化魔法について知っているようだ。
結構、ソフィって博識だよな。
「でも、ずっと維持してて大丈夫なの?
変化魔法って、確か消費魔力がバカにならなかったはずだけど」
「えっ、そうなの!?」
サチコの方を見ると、不安げな視線を向けてきた。
「……あと、3日程度なら、大丈夫、たぶん」
超余裕じゃねえか。
心配して損したわ。
「サチコちゃんって、すごかったのね……」
感心するようにソフィが言った。
実感がないけど、仮にも勇者だからね……。
村から歩いて15分ほどで、だだっ広い草原に着いた。
ここなら、魔法を試しても危ないことはないだろう。
サチコが木の棒を持って地面をつついているのを尻目に、『火魔法概説』に載っている手頃な魔法から試してみることにした。
流し読みをしながら、ページをめくる。
……この、【火種】とか良さそうだな。
「内なる炎に告げる。その名を示せ、【火種】!」
本に書かれている通りに詠唱を終えると、指先にマッチ程度の火が灯った。
火がついているのに、指先が熱くないのが不思議だ。
ギルドカードでMPを確認すると、1すら減っていなかった。
この程度の魔法だと、魔力の消費も少ないらしい。
……こうなると、自分にどこまでの魔法が使えるのか、逆に気になってきた。
魔法の等級は全部で5段階存在する。
発動が簡単で、MPが少ない人でも使うことのできる初級魔法。
初級よりも発動に手間がかかり、MPがある程度は必要な中級魔法。
中級よりもさらに煩雑で、MPを大量に消費する上級魔法。
さらにその上の、各種の魔法を極めた者しか使うことができない極級魔法。
────そして、お伽噺にしか存在しないような桁外れの存在である神話級魔法。
『火魔法概説』の最後のページに、参考程度にひとつだけ上級の火魔法が書かれていたので、これを試してみることにする。
その魔術の名は【業火放射】。
名前からして、好奇心が唆られる。
「内なる炎に告げる。その威は赤竜、地に渡る咆哮、偉大なる祭祀の篝火……」
……上級魔法が『火魔法概説』にあまり載っていない理由が、なんとなく分かった。
詠唱が、メチャクチャ長いのだ。
読み上げている途中から、もうダルい。
それに、並んでるワードがいちいち中二病っぽいので、胸の奥がくすぐったくなってくる。
……詠唱破棄とか、できないのかな。
そう思い付いた俺は、途中の詠唱を省いてみることにした。
「あー……天の煙の元に、その名を示せ、【業火放射】!」
────瞬間、手のひらから猛烈な勢いで火の柱が立ち上がった。
視界の大部分を炎が埋め尽くす。
「──!? やばっ!?」
とっさに手を空に掲げるも、数十メートル先まで草の焼け焦げた跡が残っている。
その火の手は治らず、勢い良く周辺の草原を焼いていく。
なんというか、全然制御できてない!
一人で焦っていると、火を打ち消すように上空から大量の水が降ってきた。
全身が滝のような水に打ちつけられる。
水の勢いは、草原の消火を完全に終えるまで収まらなかった。
「……こうなると、思った」
濡れた身体を抱いてガクガク震える俺を、サチコが呆れ顔で見ていた。
その手元には、『水魔法概説』がある。
サチコの足元には、複雑な模様が描かれていた。
さっきから何をしているのかと思っていたら、木の棒で地面に魔法陣を描いていたのか。
「あらかじめ、持ってきていて、正解だった」
「も、申し訳ないっす……」
「中級魔法、【氾鬼雨】。
魔力の注ぎ方次第で、魔術の威力も、魔術の位置も、変わるみたい」
俺の謝罪に取りあわず、独り言のようにサチコは呟いた。
周囲は水浸しだが、それとは対照的に先ほどよりも空気がカラッと乾燥している。
これが、物質の流れを司る水魔法か。
「濡れたままだと、風邪をひく。
宿屋に戻って、はやく着替えてきて」
そう言って、サチコは無表情のまま【オイディプスの塑像】で魔法陣のブローチを作成し始めた。
どこか突き放すようなサチコの物言いに素直に返事をして、宿屋に戻ることにした。
……サチコって、こんなに饒舌だったっけ?
きっと、怒っているからだな。
それに、また一つ借りができてしまった。
ただでさえ多い罪状に、「放火」が加わるのはシャレにならない。
反省した気分で、俺はとぼとぼ宿屋へと帰っていった。
────ソフィに破れたシーツのことで怒られるのは、それからすぐのことだった。
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