2章 勇者の村ホッキア
第15話 仲間を増やして次の街へ
絶え間ない樹々を打ちつける雨の音。
しばらく、雨は止みそうにない。
大きな樹を見つけて、俺とサチコは雨宿りをしていた。
城壁を越えた脱出劇から、2日が経った。
あの後、俺たちはできるだけ脱出した南の方角から直線にならないように、広い小麦畑の中を一晩中移動し続けた。
できるだけ、追跡を撹乱しようという作戦だ。
今は小麦畑もとうに抜けて、森林地帯を移動している最中だ。
移動した道筋を考えると、今は王都の南西の方角にいるのだろう。
……スラム街で迷ったことを考えると、あまり方向感覚に自信は無いが。
太陽の登る向きが元の世界と一緒なら、方角は合っているはずだ。
……多分!
小麦畑では、足跡が残ると何処に逃げたかがすぐに分かるだろうから、サチコに影で足場作ってもらい、その上を踏んで移動した。
その旨を口に出してお願いしたら、素直に言うことを聞いてくれた。
サチコは本当に、日本語が分かるかもしれない。
────そう考えて今更気づいたが、この世界の住民はみんな日本語を話している。
西洋風の顔つきをした人たちが日本語をペラペラ話している光景というのは、かなりちぐはぐな感じがする。
でも、そのおかげで言語に困ることがないので助かった。
英語とかメチャクチャ苦手だからな、俺。
雨はさらに激しさを増していく。
葉の隙間から滴る雨粒も増えた。
ローブを広げてやると、サチコはそこへ入り込んできた。
猫の水嫌いは、サチコにも適用されるらしい。
……これから、どうしようか。
雨宿りを続けながら、そのようなことをぼんやり考えた。
食糧の残りは少ない。
一応、道具屋で携帯食料は購入していた。
芋をすり潰して固めたものや、干し肉といった味気のないものばかりだったが。
調味料のありがたみを再認識させられた。
猫でも食べられるものを購入していたのは正解だった。
それでも、一回あたりの食事の量が少ないので、サチコはネズミや鳥といった小動物を自分で捕まえてきたりした。
……サチコが野ウサギを捕まえてきたとき、彼女のおこぼれを頂いたのは内緒だ。
食事から色々なことまで、俺はかなりサチコの世話になっていた。
「……これじゃあ、どっちがペットか分からないな」
ポツリと呟くと、サチコがこちらを睨んできた。
「ペットじゃないよ、仲間だよ」とか、言いたいんだろうか。
それとも、「私がご主人様よオホホホ」だろうか。
独り言のつもりが完全に聴こえていたらしく、ばつが悪くなった。
食糧の確保に加えて、サチコには夜中の見張りも任せていた。
理由は二つ。
猫の方が夜目が効くのと、彼女の固有魔法は夜間はほぼ無敵に近いからだ。
そのおかげで、昨晩はサチコに任せてぐっすり眠ることができた。
一方で彼女は寝不足なので、今日は朝から機嫌が悪いのだ。
ローブの中でずっと丸くなっている。
────そろそろ、本気で街を探しにいくか。
こんな生活を、いつまでも続けるわけにはいかない。
それ以上に、異世界に来てまで森にずっと引き篭もるのは違う気がする。
冒険、冒険だよ、やっぱり。
冒険しながら、サチコと一緒に元の世界に帰る方法を探そう。
今後の目標を決めて、サチコをひと撫でした。
彼女はくすぐったそうにかぶりを振ってから、小さく寝息を立て始めた。
雷が鳴り出した。
空が白く光る。
イチ、ニ、サン、ヨン。
────雷鳴。
雷が落ちるとき、こうして秒数を測って、雷と自分の距離がどのくらいかを計算するのがクセになっている。
さっきから何度も数えているが、どんどん雷との距離は近く、音は大きくなってきていた。
今のは、自分から1.2
……この世界の大気が元の世界と同じだと仮定しての話だけど。
きっと、空気における酸素や窒素の割合が元の世界のものと違えば、音の伝わる速さも違ってくるだろう。
呼吸はできているので、多分それほど空気の中身に大きな違いはないんだろう。
というか、そうじゃないと既に死んでる。
再び空が光る。
────轟音。
巨大な太鼓を力任せに殴りつけたような音が鳴り響く。
今度は、時間を数える暇もなかった。
……流石に、腹の底から冷える思いがした。
大昔の人が、雷に畏敬の念を表したのも理解できるな。
「……サチコ、影で盾を作ってもらうことって、できない?」
サチコの固有魔法は、きっと影を操るものなのだろう。
だから、脱出の時に黒い槌や黒い盾、巨大な黒い手を生み出すことができた。
彼女の固有魔法は明らかに強力だった。
その能力をもって、雷から身を守ろうと思ったのだ。
サチコはローブから顔を覗かせて外の様子を伺って、それから落ち込んだ様子でこちらを見た。
周囲を見渡すと、どの影も色が薄かった。
ローブを着た俺の足元でさえ、うっすらとしか影がさしていない。
サチコは雨の日のような影が薄いときには、十分に固有魔法を発揮できないということか。
────再度、落雷。
森林が白く塗り潰される。
ギュッと、目を瞑る。
光が収まると、目の前の幹の太い木が真っ二つに割れていた。
……雷が、すぐそこに落ちたんだ。
すでに涼しいのに、汗が出てきた。
「くわばら、くらばら」と唱えながら、心を静めるためにローブの中のサチコを撫で回した。
雨が止んだので、俺たちは歩みを進めた。
食糧は少ない。
でも、知らない野草を食って腹を壊すわけにもいかない。
……【鑑定】とか使えたら、便利そうなのにな。
この世界にも、ゲームみたいにそのような魔法があるのだろうか。
食糧難の現状、できるだけ早く街を見つける必要があった。
────突然、足元のサチコの歩みが止まる。
耳を立てて、周囲を警戒していた。
俺も、サチコにならって耳をそばだててみる。
……近くで、草むらを分ける音が聞こえる。
何かがいる。
否が応でも、懐の剣に意識が向く。
先手必勝。
足音を立てないよう、草むらを避けながら音のする方を目指していった。
スモールソードの柄を掴んでいつでも抜刀できるようにする。
そうしてから、木の幹に隠れて音のする方を見た。
若草のような、透明感のある緑色のぶよぶよした粘体。
雑草に向かって何度ものしかかっている。
のしかかられた部分から、雑草は粘っこい体に取り込まれていた。
Eランクの魔物、スライムだ。
さしたる危険性もなく、駆け出し冒険者が戦うのに最適なモンスターの一種、らしい。
冒険者ギルドを訪れたとき、そのような話を小耳に挟んだ。
────これは、戦闘の経験を得るチャンスじゃないか?
そう考えた俺は、スライムのすぐ前にわざと躍り出た。
スライムがこちらに意識を向ける。
緑の体の中心部が、少し赤色に発光した。
警戒のサインか。
剣を抜いて、身体の正面に構える。
────中段の構え。
高校の剣道の授業で、こういった構えを習ったことがある。
……成績は、真ん中ぐらいだったけど。
人生で初めて、学校で習ったことが活きそうだ。
スライムが飛びかかってくる。
見た感じ柔らかそうな体だし、あまり痛くなさそうだ。
あえて、その攻撃を俺は食らってみた。
「……ッ!?」
衝撃。
タックルを食らったかのような、鈍い痛みが下腹部に走った。
想像以上の固さに驚く。
スライムを観察すると、俺とぶつかった部分が少し灰色がかっていた。
……硬質化させたのか?
まるで、石のような固さだった。
舐めてかかると、ヤバいかもな。
尻餅を着いた姿勢から慌ててスライムと距離を取り、剣を構え直す。
────今度はこちらから。
片手に剣を持った状態で走り出す。
構えてから剣を当てるより、こうする方が楽なことに気づいたのだ。
学校で学んだことは、やっぱり当てにならねぇな!
間合いに入れてから、走る勢いのままに、スライムの中心目がけて剣を横に薙いだ。
スライムの身に触れても、抵抗を受けずに刃は進んでいく。
そのまま紙を切るより軽く、スライムは二つに裂けた。
「キュッ」と小さい断末魔を残して、スライムは地面に溶けるように消えていった。
……スライムの声を聞いて、少しドキリとした。
ひと段落ついたので、心を落ち着かせて、ローブの内ポケットに入れていたギルドカードを確認した。
名前:ジョン・ケイ・ドゥムラ
レベル:2
HP:47/53
MP:520/530
レベルが2になっている。
RPGのように、レベルが上がれば即回復という訳にはいかないようだ。
レベルが1上がるごとに、HPの最大値は3ずつ上がっていくようだ。
MPの最大値の上昇は、元との差分からして10ずつだろうか。
……MPだけ、上がりすぎじゃないか?
MPは魔法を使えば使うほど上昇していくらしい。
脱出の後にギルドカードを確認したときには、既に最大値は520にまで増加していた。
同様に、HPも筋トレやランニングをすれば、レベルを上げなくても増加していくのかもしれない。
……うわっ、筋トレとか面倒くさいな。
カードを眺めていると、サチコが急にこちらに駆け寄ってきた。
足元まで来て、くるりと身を翻して警戒を示す。
木々の間を抜けて、背丈の小さい何かがこちらにやって来た。
ミントのような緑の体色に、子供のような体躯。
申し訳程度に羽織られた皮の服。
トンがった耳に、見るからに悪いことを考えてそうな、吊り上がった目と口。
先になるにつれ広がった、フラスコに似た形状の棍棒を手に掴んでいる。
……ゴブリンか。
コイツも、スライムと同じランクEの魔物だ。
ギルドの依頼書に記されていた、三つの赤い骸骨の印を思い出す。
油断していい相手ではなさそうだ。
ゴブリンは俺たちを中心として円形に取り囲んできた。
雨が止んだとはいえ、空はまだ暗雲に覆われたままだ。
今のサチコはほとんど無力。
ゴブリンは5頭。
これを、一人で相手しなきゃならないのか。
先ほどと同じ、先手必勝でいこう。
ガンガンいこうぜ、と自分を奮い立たせて、1頭のゴブリンに向かい地を蹴った。
棍棒を縦に振りかぶるゴブリンに対し、【
地面の向きにズラされて、ゴブリンの動きが止まる。
魔法をすぐさま解除し、その隣にいたゴブリンに向かって剣を振るった。
付け焼き刃のフェイント。
それでも、知能の低いゴブリンには効果的だった。
自分が狙われると思っていなかったのか、ゴブリンの反応が遅れる。
斜め上から剣を振り降ろし、袈裟斬りにした。
────初めて味わう、肉を切る感触。
肩から腹にかけて身体を裂かれたゴブリンは、赤黒い血飛沫を上げて沈黙した。
弾力のあるものをぶち切った感覚が、そのまま手に伝わってくる。
不意に、鳥肌が立つ。
────本能的な嫌悪感。
スライムとは違う、もっと嫌な感じ。
それでも動きを止めない。
地面から抜け出せずにいるゴブリンの腹を掻っ捌く。
二つの肉が溶けるような音を置き去りにして、俺はすぐさまサチコの元へ戻った。
手が、細かに震えていた。
恐怖心によるものじゃない。
どちらかと言うと、罪悪感。
取り返しのつかないことをしてしまったという後悔。
残りのゴブリンは驚いたような仕草をしたが、すぐに3頭が同じ場所に集まって棍棒を構え直した。
「ゴブリンは知能が低い」と言われているが、陣形の変化もできるのか。
……相手は、逃げるつもりがなさそうだ。
今度は、ゴブリンの方から攻撃を仕掛けてきた。
1頭のゴブリンを先頭として、2頭がそれに続いて走り出す。
先頭のゴブリンの棍棒が真上に掲げられ、そのまま俺の胸部目掛けて振るわれた。
それをスモールソードで受け止める。
────子供のような、ひ弱な力。
養護施設で、小学生のチャンバラごっこに付き合っていた時のことを思い出す。
剣を押し出すようにして棍棒を弾く。
ゴブリンは腕を大きく後ろにのけ反らせた。
簡単に、隙ができた。
ガラ空きの腹を、刃で抉り取るように両断する。
「ギィッ……!」
小さく、叫び声を発するゴブリン。
────瞬間、苦痛に呻くゴブリンの姿が、施設の子供と重なった。
頭が、重くなる。
……クソッ。
胸の芯から、気分が悪くなった。
吐き気を堪えて、最後の2頭に【
隣り合ってこちらに迫ってきていた2頭を、その体が重なるようにズラす。
拳を強く握って、直ぐに魔法を解除した。
軽い破裂音がして、2頭の体は重なった部分から水風船のように破裂した。
反射的に、口に手を添える。
今にも、空っぽの胃から酸っぱいものが込み上げてきそうだった。
……甘いな。
俺は、甘い。
この世界で生きていくには、あまりにも甘過ぎる。
────世界の厳しさを知らない、甘い、甘っちょろい眼。
プレインさんの言葉が、脳裏に蘇った。
……醜悪な姿をしたゴブリンに、子供たちを重ねちゃ、ダメだろ。
思わず、自嘲する。
無理やりにでも自分を笑い飛ばしたかったが、僅かに口元が歪むだけだった。
息絶えたゴブリンの肉体は、これも溶けるようにして消えていった。
彼らの消えた地面に、光る宝石のようなものを見つける。
それを摘んで、指の先でくるくる回して観察してみる。
モヤのかかった、ルビーのような結晶だった。
これが魔物の魔核か。
Eランクの魔物だから安値だろうけど、冒険者ギルドで換金できるかもしれない。
それに、彼らの命を奪っておいて何も頂かないというのは、とても気が引けた。
5つとも魔核を全て拾い上げて、革袋の中に仕舞い込む。
最後の魔核を拾い上げて、サチコの方を見た。
────サチコは、全身の毛を逆立てていた。
何かを見て、これまでにないような姿勢で威嚇している。
唐突に、強烈な悪寒が走った。
これまで経験したことのないような、格上の存在。
それを全身が知らせている。
その正体を知るために、サチコの視線の先を見るまでもなかった。
足を踏み出すだけで、軽く地面が揺れる巨躯。
微かな光を受けて輝く、美しい銀の体毛。
触れたもの全てを断ち切る鋭い牙。
Cランクの魔物。
大勢を屠った猛者。
シルバーウルフが、俺たちの前に悠然と立ち塞がった。
ローブに点々と黒い染みが生まれる。
雨が、また降り出した。
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