第14話 影とツンデレと自由の黒猫
プレインさんのお店から、ひたすら南に進んだ。
壁に向かっている最中で、何人か兵士を見かけた。
俺と、3人目の勇者を探しているのだろうか。
騎士を見かけるたびにとっさに物陰に隠れたので、見つかることはなかった。
今晩は、月が昇ってなかった。
この世界の月の周り方は、よく分からない。
空は曇っていて、星を見ることも叶わなかった。
遠くを見通すことも出来ないような暗い夜は、絶好の逃亡日和。
闇に紛れるようにして、俺とサチコは程なく城壁に到着した。
城壁に触れる。
この壁、ただの石で出来てはいないようだ。
鞘に入れたままの剣で軽くノックすると、甲高い金属のような音が返ってきた。
明らかに、堅い。
魔族の攻撃を防ぎ切ったという逸話は伊達ではないようだ。
だが、俺の固有魔法に壁の硬度は関係ない。
むしろ、壁を登るなら堅ければ堅いほど都合がいい。
さて、肝心の壁上りだが、【
俺の手を壁の向きに固有魔法でズラして固定し、そのまま両足を上げた後、両足を壁にズラして固定、腕を元の位置にズラしてから再び腕を上げて、その腕を固定……といった動作を繰り返して壁を登ろう、という作戦だ。
プレインさんの店で試したところ、三回この動作を繰り返して、天井までの2
一回の動作あたり、70
壁の高さは目測で14
固定と解除を出来るだけ早くおこなって、魔力の消費が約10MPと考えると、合計で200MPほど使えば、理論上はこの壁の高さ程度なら登り切れるはずだ。
俺のMPは、今は最大値の500。
楽勝だ。
両手で頬を叩いて気合を入れる。
さあ、ここが正念場。
ここを登り切れば、晴れて逃走劇も終えられる。
そう考えると、気持ちが昂った。
足元で待機していたサチコを右腕に抱き上げ、思いっきりジャンプした。
高度がピークに達したと感じた瞬間、【
左手首から手前が、壁に入り込んだ。
────途端、体が落下を始める。
左手が伸び切るより先に、両足を壁に付く。
そのまま、地面から垂直に、壁面を歩いていく。
……ここまではいい。
地面をちらりと見ると、まだ少ししか登れていないが。
これを、あと20回繰り返せばいい。
大丈夫、いける。
右手に抱いたサチコの様子を伺う。
彼女は俺の激しい動きに動じることもなく、壁面内の街を猊下していた。
────まったく、感情がわからない子だ。
呼吸を整えて、両足を壁の向きにズラして固定する。
俺は再度、左腕を思いっきり上に伸ばした。
────アカン。
これ、想像以上にシンドい。
それに気づいたのは、6
汗が額に滲む。
全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
両足の固定角度をミスって、2回ほど宙ぶらりんになったし、そこから腹筋の力のみで上がるのに、相当体力を使ってしまった。
それらのロスが増えれば増えるほど、身体を固定している時間も長くなり、魔力の消費量も増加していく。
サチコも、何回も落としかけた。
それでも彼女は無反応なままだったが。
猫は高いところが平気というが、あまりにも肝が座りすぎてないか?
俺なんかもう、怖くて下を見れないのに。
頭の中ではどこかの蜘蛛男のように、華麗に壁を登ることをイメージしていたのだが、実際の動きは尺取虫にかなり近い。
……こんなに泥臭く、脱出をするハメになるとは思わなかった。
ギルドカードが見れないので、残りMPの量も分からない。
魔法を解除せず、固定したままだとMPが継続的に減っていく。
この動作を止めることは、できなかった。
もう、後戻りはできない。
自分を奮い立たせて、もう一度左手を立たせた。
────その時だった。
サチコの様子がおかしい。
歯を剥き出して、何かを警戒している。
高所にいる恐怖を忘れて、思わずサチコの視線の先を見た。
俺の真下に、ポツポツと
目を凝らすと、何人かの兵士が弓矢を引き絞っているのが見えた。
────クソッ! バレたか。
内心舌打ちをし、急いで尺取虫の動きで登ろうとした。
次の瞬間だった。
俺の顔のすぐ左を、何かが通り過ぎた。
連続して、硬質な音が聞こえる。
壁に刺さることなく、パスタのようなものが落下していくのが横目に見えた。
……弓矢だ。
ツーッと、冷や汗が流れる。
「撃ち落とせッ!」
男の声がして、再び弓矢がつがえられる。
下を見ると、黒装束達も何人か集まり始めていた。
「……の火よ、魔…の糧となりて、その名を……せ」
うっすらと、詠唱が耳に届く。
間もなく、黒装束たちの手に火の玉が掴まれた。
こちらに狙いを定めて、黒装束はそれを投げるような動きをとった。
ビュンと、熱い風を感じる。
それらは命中することなく、俺たちの周囲を取り囲んだ。
ローブを超えて、猛烈な熱が伝わってくる。
────これは、直接攻撃する為じゃない。
恐らく、次の攻撃で確実に仕留めるための。
乾いた笑いが出る。
これで、俺の位置は明瞭になったという訳だ。
背後から、いくつもの小さく空気を裂く音。
飛んできた弓矢のうち一本が、俺の右頬を掠った。
じんわりと、頬に熱い感覚。
────次はない。
そういう考えが浮かぶ。
反射的に右腕の方を見る。
サチコに、怪我はなかったようだ。
……よかった。
彼女は先ほどと同じように、無言で下を見つめている。
必死で俺は壁を登り続ける。
残り、2
あとたった3回の動作で、城壁の頂上に辿り着く。
その3回が、キツかった。
太腿からギリギリと引き絞るような音が聞こえる。
筋肉が、限界に近い。
全身で乳酸が暴れ回っている。
虫みたいな動きをしながら、俺は絶体絶命の状況に追い詰められていた。
こんなことになってしまうなら、最初から正面突破しておけばよかったか?
こんな、こんな間抜けな動きをしながら死んでいくなんて、死んでもゴメンだぞ。
再び下を見る。
黒装束が今度は銀の槍のようなものを手に握っている。
────いや、よく見ると銀じゃない。
水で出来た槍だ。
弓が既に掲げられている。
弓矢の第三波は目前。
魔法と物理の一斉攻撃が来る。
俺にできることは、壁を這うことだけ。
────惨めだ。
自分でも、情けないと思う。
でも、今の俺には仲間がいる。
ツンデレで気ままな、一匹の黒猫が。
────“黒い槌”。
プレインさんの言葉を思い出す。
サチコも俺と同じ世界から来たのなら、何か固有魔法を持っているかもしれない。
サチコを信じて、俺は目を瞑る。
背中を任せて、壁を登り続ける。
総攻撃は、目前だった。
────刹那、水が弾けるような音が背後から聞こえた。
続けて、弓矢がへし折れる音。
遥か下から、どよめきが生まれた。
背後を見る。
……黒い。
────俺は、漆黒の盾に守られていた。
ハッとして、サチコを見る。
一筋の傷跡のような瞳孔が動いて、俺を視界に入れた。
「背中は任せて」か。
「早く登りなさいよ」か。
言いたいことは、まだ分からない。
だが、しっかりと勇気はもらえた。
最後の一回。
なめし皮のようになった腹筋を、無理やり伸縮させる。
絞り雑巾のように汗が噴き出す。
腕をはち切れそうになるほど伸ばす。
強張った右手は、壁の天辺をしっかりと掴んだ。
────登り切ったッ!!!
サチコが展開する盾を背にしたまま、俺たちは急いで城壁の出っ張りの部分に身を隠した。
頭上を数本の弓矢、火や水の魔法が通過していく。
……髪の毛、少し焦げたかな。
そのまま、立ち上がろうとして、立てなかった。
これまでの無理が祟ったか。
膝が動かない。
息が荒い。
進めない。
俺の手から離れたサチコが、「早く行こうよ」と瞳で訴えかけてくる。
分かってる。
でも、動けない。
MPが限界だったからか、激しい頭痛もする。
鉛なんてもので喩えられないほど、身体が重い。
少し、休んでから、いこうかな。
そんな甘い考えが頭をよぎった。
────その時。
突然、ふっと宙に浮かんだように身体が軽くなった。
一気に倦怠感がどこかに行ってしまったかのような。
いや、違う。
実際に、俺の身体が宙に浮かんでいるんだ。
────俺の全身は、巨人にオモチャにされるがごとく、大きな黒い手に鷲掴みにされていた。
気分は、女の子に弄ばれるバービー人形。
そのまま身体は、王都の向こう側へと跳んでいった。
視界に壁の向こうの世界が映る。
地平線の向こう側。
雲の合間に黄金の月が見えた。
壁の向こう側の世界を眩い光で照らしている。
そして、月にも負けない輝きを放つ、どこまでも広がる山吹色の小麦畑。
────その中心に、サチコがいた。
自由の待つ王都の外へ。
彼女にエスコートされている。
時間が止まったように感じた。
サチコの瞳のような、優艶な月が俺たちを見守っている。
────
初めて、心の底からそう思えた。
夢のようなひと時も束の間。
身体が、落下していく。
数秒も経たずに加速していく。
「────ひ、ひぃいいぃぃゃゃやややややあああ!!!」
何だこれ。
何だこれ!
横隔膜がひっくり返る!!
股間が、ちぢむ!!!
城壁が俺の叫び声を反射して、王都中に山彦となって響く。
────なんて声出してんだよ、俺!
地面が高速で迫りくる。
落ちる、落ちる。
し、死ぬ!
そのままの勢いで、俺は重力に任せて小麦畑に落下した。
半ば放心状態で立ち上がる。
俺の周囲に、黒いクッションが広がっている。
足で軽く踏むと、優しく押し返してきた。
感触は低反発マットによく似ていた。
サチコが展開したものだろうか。
身体が動く。
しんどいが動けないほどじゃない。
ひどい痛みもない。
重傷を負うこともなく、助かった。
その事実に、急に胸の底から歓喜が沸いてきた。
「────ぅしゃあァ!!」
声を出して、喜びたくなるのを堪えるのが難しいくらいに。
────そうだ、サチコは。
視線を巡らせると、彼女は足元にいた。
しゃがみ込んで、サチコと目線を合わせる。
彼女は「なんてことないよ」とでも言うように、しばらくしたら視線を逸らした。
本当に、ありがとう。
サチコの顎下を撫でる。
彼女はくすぐったいように、身をよじらせた。
────今日から俺にとって、黒猫は幸福の象徴だ。
小麦畑から、少しだけ頭を出す。
重い門が開かれる、軋んだ音が遠くで聴こえた。
続けて、壁面の端が少し明るくなった。
松明の明かりだろうか。
小麦畑に頭を潜り込ませ、サチコを抱きかかえる。
大丈夫、もう動けないほどじゃない。
痛む身体に鞭打ち頭を下げたまま、俺たちは闇夜に溶けるようにしてその場を去った。
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